水曜日, 10月 06, 2021

マーラー 交響曲第1番 名盤5点


 



まず、コーナーワークを突くような1枚から取り上げよう。ホーレンシュタイン/ウィーン響の演奏である。

ホーレンシュタイン

ホーレンシュタインの第1番、冷静、緻密な演奏 (amazon.co.jp)


ホーレンシュタイン/ウィーン響による1953年の録音。全体としては静寂、清涼さが特色。第1楽章、森のなかで深呼吸をしているようで、小鳥がさえずり、微風がそよいでいく。森のなかを疾駆する激しきひとときもあるけれど、楽章全体では木々に差し込む陽光の明るさが支配している。第2楽章、これに躍動感が加わるが、いっそう優しく美しい響きがそれを包み込んでいく。第3楽章、葬送行進曲風に思い切り暗くなる演奏もあるなかで、それはまだらな通過道でありむしろ明るい希望が独特の滑稽なリズムとともに語られる。終楽章の冒頭、溜めにためたエネルギーを一気に放出するかのような強奏(ここをホーレンシュタインの大胆な魅力ととらえる向きもある)、しかし、その後は優しく美しい弦の合奏にひきつがれ、形をかえた強奏と不安を表現する不協和音、ふたたび静寂さへの回帰、そしてその反復運動。このあたりの表現の変幻自在ぶりが最大の聴かせどころかも知れない。フィナーレは一転減速し大きな構えで堂々と締めくくる。全体から受ける印象は、静から動へ、ながら基本はあくまでも冷静、緻密な演奏である。

なお、マーラーの第1番ではロンドン響との録音(Recording: 29th and 30th September 1969, Barking Assembly Hall, London)もある。

➡  ヤッシャ・ホーレンシュタインの芸術 5枚組  も参照

ホーレンシュタイン マーラー Horenstein Mahler

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クーベリックも良い。数種類の演奏がある。

クーベリック

若きクーベリック、初の「巨人」のみずみずしさ (amazon.co.jp)


 クーベリックには、バイエルン放送交響楽団とのマーラー交響曲全集(録音:1967-71年、ミュンヘン、ヘルクレスザールにおけるステレオ録音)があり代表盤のひとつである。
 1番ではほかに数種のライヴ盤が残されている。バイエルン放送交響楽団との1979年2月11日の録音  
Mahler Symphony 1 、20年前のRAIトリノ交響楽団とのもの(録音:1959年4月24日) Mahler/Janacek: Symphony No 1  に加えて、本盤はRAI盤からさらに約5年前の1954年6月にウィーン・フィルを振っての音源で、クーベリック40才頃の録音。シカゴを去って、コヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽監督に就任する前年にあたり、ウィーン客演時の記録である。
 1951年の5番(コンセルトヘボウ)のライヴ演奏  
Mahler: Symphony No.5  もすばらしかったが、本盤もそれに負けない魅力をたたえる。なんといっても音響のみずみずしさが新鮮だ。第1楽章、弦のフラジオレット、郭公の鳴き声からホルンに続く、柔らかで包み込まれるような弦と木管の融合には至福感がありこれが途切れることなく終楽章まで続行する。全体に自然体な構え、素直で伸び伸びとし奇を衒うことなき運行、ウィーン・フィルの最良のものを引き出している。
 ワルター/ニューヨーク・フィル盤が世にでたのが同年の1954年。ワルター/コロンビア響盤が1961年、バーンスタイン/ニューヨーク・フィル盤が1966年のリリースであったことを考えると、このクーベリック盤の先駆性に思いはいたる。



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ワルターではライヴ音源をここでは掲げたい。

ワルター


ワルターがバイエルン国立歌劇場管弦楽団を振った1950年10月のミュンヘンンでのライヴ盤。音が籠っており、かつ会場の雑音を多く拾っていて録音は良くない。一般には後年のコロンビア響(1961年)の音源を手にとるべきであろう。

しかし、ワルターが心臓発作で倒れる前の元気な頃の演奏であり、ワルターファン、マーラー好きであれば演奏は面白く聴くことができるだろう。なによりも、ワルターの構えず、気負わず、得意のマーラーを存分に聴いてもらおうという意欲が強く伝わってくる。

第1楽章はオケがついていけず、やや空振り気味ながら、第2楽章に入ると歯車の回転が噛み合ってきて明るく夢見心地の曲想に徐々に乗っていく。第3楽章は一転音を絞り込み、テンポを一定に静かなる行進にかわる。ここは、はっきりとアクセントをつけた道行きであり「さすらう若人の歌」引用部ではいっそう減速して妙なる響きを奏でる。終楽章、溜めたエネルギーを一気に放出する苛烈な演奏に変貌する。歯切れ良く、ライヴならではの迫力で、思うさまオケを鳴らしていく一方、甘美な部分はこれでもかといわんばかりに訴え、感情の抑制を解除する。管楽器などは息切れしそうな場面もあるが、ワルターに従うオーケストラの全力対応エンディングこそ胸を熱くする要素だろう。

➡  
The Great Conductors  にて聴取
➡  
THE WORLD GREATEST SYMPHONIES  も参照

バーンスタイン


このジャケットの衝撃はいまも忘れていない。”シュール“という言葉はいまや古語に分類されるかも知れないが、当時にあっては、このジャケットの”戦闘的“ともいえる大胆さとともに本盤がセンセーショナルに登場したその影響力は、バーンスタインの盛名とともに日本におけるマーラー・ブームの発火点であった。

1966年録音の本盤はバーンスタインのマーラー交響曲全集のなかではちょうど中頃に位置している。こと第1番に関しては、その後のコンセルトヘボウやウイーン・フィルとの演奏に比べるとかなり荒削りの印象はあるものの、それは初期マーラーの迸るパッションとの親和性ではけっしてマイナスにはなっていないばかりか、むしろこの、時に抑制を超えたような激烈さこそ本盤の最大の魅力と感じる。

激烈さがあればこそ、その後の静寂のなかでの甘美な旋律が聴き手の別の中枢神経にさざ波のように耀いて押し寄せてくる。そこまで見切って演奏していたら嫌らしいが、バーンスタインの素地はもっと自由で真剣な思いが強いようにも感じる。伸び伸びと地平を拓くように展開していくマーラーの世界は、巷間言われる「病的なもの」、「おどろおどろしさ」とは少しく異質である。時代の扉をあける革新性に思いを馳せると、この演奏の最大の特色は、「感傷的」ではなく、逆に堂々とマーラーの交響世界の「構築力」を誇ろうとしていることにあるように思う。聴衆をねじ伏せるといったら言い過ぎであろうか。いま聴き直してもなんとも自信に満ちた燦然たる演奏である。

➡  
The Complete Mahler Symphonies  にて聴取

テンシュテット

テンシュテットの「巨人」では、ほかにシカゴ響盤や晩年の演奏もあります。
テンシュテットは東独の指揮者(1926年メルセベルク生まれ)だったので、早くから頭角はあらわしつつも冷戦下「西側」へのデビューが遅れました。しかし、豊穣なボリューム感をもった音楽性には独自の良さがあります。
当初は、フルトヴェングラー、クレンペラーに続く古式ゆかしい指揮者と思っていましたが、聴き込むうちになんとも素晴らしい音づくりは彼独自のものと感じるようになりました。音の流れ方が自然で、解釈に押しつけがましさや「けれんみ」が全くありません。その一方で時に、柔らかく、なんとも豊かな音の奔流が聴衆を大きく包み込みます。そのカタルシスには形容しがたい魅力があります。「巨人」の本盤はその良さをもっとも端的に味わえる名演です。

(参考)





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