『オイゲン・ヨッフム~DG管弦楽作品録音全集』
カラヤンがベルリン・フィルに君臨しても、1950~60年代、ドイツ・グラモフォン(DG)のベルリン・フィルの録音ではより優先する大家がいた。それがヨッフムである。ヨッフムの業績を以下2つに分けると、第1グループは、交響曲全集をなしたベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーである。第2グループは、それ以外のドイツ・オーストリーのメイン・ロードの作曲家で、ハイドン、モーツァルトなどだが、モーツァルトのDG録音ではもう一人の大家、ベームが優先された。
一方、ベルリン・フィルのみならず、ヨッフムがビルダー役だったバイエルン放送交響楽団の活動を知らしめるのも重要なミッションだった。主力のベートーヴェン、ブルックナー、ハイドンでは曲によって両団のDG録音を「入れ子状」に組みあわせている。
DGの主力3名はいずれもスコア重視の巨匠だが、カラヤンのスタイリッシュさ、ベームのテンポ一定の重厚さとの比較において、ヨッフムは可変的テンポやアクセントの付け方などでもう少し演奏に自由度を持たせているようにも感じることがある。ブルックナーが典型だが、リタルダンドやアッチェレランドもときに効果的に使う。それはオルガニストとして即興演奏もよくしたヨッフムならではの解釈、音楽観からのものであろうか。
<摘要>
B
: ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
BR:
バイエルン放送交響楽団
<収録情報>(録音年)
【ベートーヴェン】
・交響曲全集
第1番BR(1959),第2番B(1958),第3番B(1954),第4番B(1954)、B(1961), 第5番BR(1959),第6番B(1954),第7番B(1952),第8番B(1958), 第9番BR(1952)
・序曲集:アテノの廃墟序曲,プロメテウスの創造物序曲BR(1958),フィデリオ序曲BR(1959),レオノーレ序曲第2番B(1961),
・ヴァイオリン協奏曲 ヴォルフガング・シュナイダーハン
B(1959)、B(1962)
・ピアノ協奏曲第1&2番 マウリツィオ・ポリーニ,ウィーン・フィル(1982)
【ブラームス】
・交響曲全集B(1951-1956)
・ハイドンの主題による変奏曲 ロンドン響(1975)
・ヴァイオリン協奏曲 ナタン・ミルシテインB(1974)
・ピアノ協奏曲第1&2番 エミール・ギレリスB(1972)
【ブルックナー】
・交響曲全集
第1番B(1965),第2-3番BR(1966-1967),第4番BR(1955)、B(1965), 第5-6番BR(1958,1966), 第7番B(1952)、第8番ハンブルク州立フィル(1949). 第9番BR(1954),第7-9番B(1964)
――――――・――――――
【ハイドン】
交響曲第88番B(1961),第91番BR(1958), 第98番B(1962),第103番BR(1958),第93-104番 ロンドン・フィル(1971-1973)
【モーツァルト】
・交響曲第36, 33, 39番BR(1955),第40番BR(1957), 第41番ボストン響(1973)
・アイネ・クライネ・ナハトムジーク, フィガロの結婚序曲BR(1950,1954),グラン・パルティータBR(1962)
・ヴァイオリン協奏曲第4番 ヨハンナ・マルツィBR (1952)
【シューベルト】
・交響曲第5&9番BR(1957,1958),第8番 ボストン響(1973)
【シューマン】
・ピアノ協奏曲イ短調 モニク・アースB(1952)
【ワーグナー】
・「ローエングリン」より第1幕への前奏曲&第3幕への前奏曲B(1951),「パルジファル」より第1幕への前奏曲&聖金曜日の音楽BR(1957)
【マーラー】
・大地の歌~ナン・メリマン(メゾ・ソプラノ)、エルンスト・ヘフリガー(テノール)ロイヤル・コンセルトヘボウ管(1963)
【R.シュトラウス】
・ドン・ファン,ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯 ロイヤル・コンセルトヘボウ管(1952),「ばらの騎士」よりワルツ, バレエ音楽「泡立ちクリーム」よりワルツB(1953, 1954)
【シベリウス】
・劇音楽「テンペスト」序曲, 交響詩「大洋の女神」, 交響詩「夜の騎行と日の出」BR(1955)
【カール・ヘラー】
・フレスコバルディの主題による交響的変奏曲Op.20,スウェーリンク変奏曲Op.56 BR(1957, 1987)
【その他】
・ヘンデル:オルガン協奏曲第4番 ミヒャエル・シュナイダーBR (1959)
・ウェーバー:オベロン序曲BR (1950)
オイゲン・ヨッフム/オイゲン・ヨッフム~DG録音全集第2集『オペラ&合唱曲作品集』<限定盤> (tower.jp)
『オイゲン・ヨッフム~DG録音全集 第2集 オペラ&合唱曲作品集』
第1集のオーケストラル・ワークに続くオイゲン・ヨッフムのドイツ・グラモフォンへのコンプリート・レコーディングの完結編で、宗教曲や声楽曲の他に5曲のオペラが加わっている。ライナー・ノーツを読むとヨッフムの父親が南ドイツの小さな街バーベンハウゼンの教育者であり、また教会でのミサや劇場運営に携わっていて、敬虔なカトリック信者だったヨッフム自身も教会オルガニストとして少年時代を送ったようだ。しかし夜になると劇場では父の企画によるオペラやオペレッタが上演されたので、オーケストラル・ワークと声楽曲のみならず宗教と世俗というふたつの対照的なジャンルの音楽を同時に吸収していたことが、その後の彼の音楽観の形成にも色濃く影響していることは確実だ。それはオルフの作品群に対する閃きと解釈にも反映されているし、またバッハへの読みの深さも一流で、ピリオド楽器を取り入れた颯爽としたテンポによるモダンな演奏形態も後のピリオド奏法のはしりと言えるだろう。それは彼の前の時代の多くの指揮者達が陥ったバッハへの恣意的な感情移入した表現とは完全に別れを告げている。
一方ヨッフムのオペラへの真の開眼は学生時代に観たワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』だったようで、その後1953年に同曲の上演をバイロイト音楽祭で果たしているが、ワーグナーの息子で当時バイロイト祝祭劇場の演出家だったヴィーラント・ワーグナーとの演出上の対立から、71年に『パルジファル』で復帰を果たすまで、ほぼ20年に亘ってバイロイトからは締め出しを食ったというエピソードも興味深い。ヨッフムのヨーロッパ・クラシック界への重要な貢献に、創設されたバイエルン放送交響楽団のビルダーとして名門オーケストラに鍛え上げたことの他にも後見人としての力量を示したことも挙げられる。コンセルトヘボウの首席ベイヌムが亡くなった時には慣例によってオランダ人のハイティンクが就任したが、まだ30代で経験の少なかった彼を補佐するためにヨッフムとの双頭体制が敷かれたし、カイルベルトが急逝したバンベルク交響楽団に芸術顧問として窮状を救っている。
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