火曜日, 6月 04, 2024

壮年期のカラヤン 1950年代の録音を中心に

 

1950年代のカラヤンの大きな特質の一つは、40代にして最高のオペラ指揮者としての活躍であろう。その皮切りは、バイロイトからはじまった。

◆ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲(1951年)



1951年、カラヤンのバイロイト音楽祭「デビュー戦」の旧盤。カラヤンの凄まじいまでのプライドと気概が伝わってくる演奏。これはカラヤン・ライブラリイのなかでも、その異質性において、インパクトの強い代物である。カラヤンは自己主張がはっきりしている性格。天下のバイロイトも翌年はでたがその後、演出の考え方の相違で袂をわかって足を運ばず。後にウィーン国立歌劇場とも同様に決裂。既存の権威に対して、いつでも闘うがゆえの「帝王」の呼称か。録音は悪いが、音楽の豊かさ、しなやかさ、抒情性などは聴きもの。素晴らしく純化され、しかし颯爽としたマイスタージンガーの演奏である。

ワグナー:楽劇《ニュルンベルグのマイスタージンガー》

オットー・エーデルマン(Bs:ハンス・ザックス)

フリードリヒ・ダールベルク(Bs:ボーグナー)

エーリヒ・マイクート(T:フォーゲルゲザング)

ハンス・ベルク(Bs:ナハティガル)

エーリヒ・クンツ(Br:ベックメッサー)

ハンリヒ・ブフランツェル(Br:コートナー)

ヨゼフ・ヤンコ(T:ツォルン)

カール・ミコライ(T:アイスリンガー)

ゲルハルト・シュトルツェ(T:モーザー)

ハインツ・タンドラー(Bs:オルテル)

ハインツ・ボルスト(Bs:シュワルツ)

アルノルト・ファン・ミル(Bs:フォルツ)

ハンナ・ホップ(T:ヴァルター)

ゲルハルト・ウンガー(T:ダヴィッド)

エリザベート・シュワルツコップ(S:エヴァ)

イーラ・マラニウク(Ms:マグダレーナ)

ウェルナー・ファウルハーバー(Bs:夜警)

ウィルヘルム・ピッツ(合唱指揮)

バイロイト歌劇場祝祭合唱団、バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団

録音年月日:1951年7月27日、8月5、15、16、19、21、24日

録音場所:バイロイト祝祭大劇場



さて、バイロイトを”蹴った”カラヤンだが、それには理由があって、オペラ、宗教曲でランダムに拾っても、以下のように過密な録音日程を抱えていたからでもあったろう。そして50年代央に以下のモーツァルトの二大名演を残すが、それは「名花シュワルツコップ」とのコラボあればこそであった。

◆モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」全曲(1950年)シュワルツコップ、ゼーフリート、ユリナッチ、クンツ他、ウィーン・フィル

 J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調 BWV232(1952&53年)シュワルツコップ、ヘフゲン、ゲッダ、レーフス、ウィーン響、ウィーン楽友協会合唱団 

◆フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」全曲(1953年)シュワルツコップ、グリュンマー他、フィルハーモニア管

R.シュトラウス:歌劇「ナクソス島のアリアドネ」全曲(1954年)シュワルツコップ、シュトライヒ、ゼーフリート他、フィルハーモニア管 

J.シュトラウス:歌劇「こうもり」全曲(1955年)/ゲッダ、シュワルツコップ、シュトライヒ他、フィルハーモニア管 

◆ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」全曲(1956年)/ゴッビ、パネライ、シュワルツコップ、ザッカリア、モッフォ他、フィルハーモニア管

R.シュトラウス:4つの最後の歌(1956年)シュワルツコップ、フィルハーモニア管

 ◆ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(1958年)シュワルツコップ、ルートヴィヒ、ゲッダ、ザッカリア、フィルハーモニア管、ウィーン楽友協会合唱団

 

 


◆モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」全曲(1954&55年)

「コシ・ファン・トゥッテ」全曲。1950年代の古い音源ながら、再録の多いカラヤンにあって唯一の全曲盤である。小生は、同時期に録音されたベーム盤  Cosi Fan Tutte  を聴いて、改めて同時期に録音されたカラヤン盤を手にとった次第。どちらも優れた演奏で甲乙はつけがたく、あとは好みの問題。

ベーム盤でフィオルディリージを歌うリーザ・デラ・カーザには特有の妖艶さが漂うが、カラヤン盤のシュワルツコップには貴婦人然とした落着きがある。一方で、ベーム盤のクリスタ・ルートヴィヒには将来の大器を感じさせる表現力があるけれど、カラヤン盤のドン・アルフォンゾ役、ブルスカンティーニの洒脱にして巧緻な詠唱にも唸らされる。

ベームは本曲を得意としておりDVDを含め多くの音源があるが、カラヤンは、あたかもライヴ盤の如く、この1回に全身をぶつけているような気迫に満ちている。ベームの鷹揚さに比べて、この時代のカラヤンの演奏の顕著な特徴だが、思い切りのよい快速感とちょっと息苦しさもあるくらいの集中度である。

モーツァルト:歌劇《コジ・ファン・トゥッテ》K.588

エリザベート・シュワルツコップ(S:フィオルディリージ)

リザ・オットー(S:デスピーナ)

ナン・メリマン(Ms:ドラベッラ)

レオポルド・シモノー(T:フェルランド)

ローランド・パネライ(Br:グリエルモ)

セスト・ブルスカンティーニ(Br:ドン・アルフォンゾ)

フィルハーモニア合唱団、フィルハーモニア管弦楽団

録音年月日:1954年7月13~16、19~21日、11月6日、55年5月29日(序曲)

録音場所:キングズウェイ・ホール、ロンドン/アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン/アビー・ロード第3スタジオ、ロンドン

録音:モノラル


◆R.シュトラウス「ばらの騎士」全曲(1956年)

はじめて聴いた頃はその味わいに気が付かなかったが、いま聴くと、ホフマンスタールの台本はなかなか機微にふれる、巧妙なるものだと愉しめる。爛熟の極みにある元帥夫人は、進行する更年期を自覚し若き愛人との関係を自ら清算する。しかし、その決断は自らの気高き意思によってなされた。その一方で、若き愛人役のオクタヴィアンは女声が担う。ここにはオペラではよくあるが、甘美な同性愛が意識されている。敵役にして道化役的な下品で粗野なオックス男爵には、某国の大統領を思わず連想した。比喩、暗喩、直喩に富む作品。

シュヴァルツコップの元帥夫人。熟女の魅力をたたえながらアンビバレンツな慎ましさも内在した貴族主義的な女性。これほど見事に演じることができるのは、(想像の世界ながら)彼女の特質との共通点をリスナーが思わず感じてしまうからではないか。クリスタ・ルートヴィヒの若衆ぶりも初々しく、エーデルマンのオックス男爵もはまり役。
さて、カラヤンのR.シュトラウスは、どの曲でも冴えた解釈だが本曲では特に、耽美になりすぎぬよう一歩前でとめるような演奏が、独特の品位を保っている。この時代のカラヤンらしいスタイリッシュさが全体に貫かれて実に恰好がいい。

<収録情報>
エリーザベト・シュヴァルツコップ(陸軍元帥夫人)
オットー・エーデルマン(オックス男爵)
クリスタ・ルートヴィヒ(オクタヴィアン)
テレサ・シュティッヒ=ランダル(ゾフィー)
エーベルハルト・ヴェヒター(ファーニナル)
ニコライ・ゲッダ(歌手)、他
フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

録音時期:1956年12月
録音場所:ロンドン、キングズウェイ・ホール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


マリア・カラス エヴァー! ロマンティック・カラス


シュワルツコップとともに、掲げなくてはならないのがカラス(callas)。カラスとカラヤンーともに20世紀を代表するクラシック音楽界の2大スター。人気を博する容姿に恵まれ、抜群の音楽的才能を開花し、非常な努力のすえに最高のディーヴァと帝王と呼ばれる指揮者になった。その2人の音楽的な邂逅はそう多くはない。仲もあまり良くなかったとも。しかし、カラヤンはカラスの才能を見抜き、特にその驚異的なレパートリーに最大級の関心をもっていたと思われる。

プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」全曲

◆プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」(1955年)

 ニコライ・ゲッダ(テノール)
 ルチア・ダニエリ(メゾ・ソプラノ)他
 ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団 
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
 録音:1955年8月1-6日(モノラル)

カラヤンは、「蝶々夫人」でのドラマティックすぎるカラスにやや違和感をもっていたかも知れない。なお、その後カラヤン好みのマダム・バタフライでは可憐さで一世を風靡したフレーニ(freni)を起用した。

ヴェルディ:歌劇「イル・トロヴァトーレ」全曲

◆ヴェルディ:歌劇『トロヴァトーレ』(1956年)

 ジュゼッペ・ディ・ステファノ(テノール)
 ローランド・パネライ(バリトン)
 フェードラ・バルビエリ(メゾ・ソプラノ)他
 ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
 録音:1956年8月3-9日(モノラル)


プッチーニに続きヴェルディではどうか。「トロヴァトーレ」のカラス&カラヤン盤は録音こそよくないが、いまもベンチマーク盤の地位を失っていない。

次に「ルチア」。これぞ、2人の「競演」のもっとも主要なものだろう。ここでは、以下のようなエピソードが有名(レコード会社および他のブログからの引用)。

「ファンの間では “ベルリン・ルチア"の愛称で名高い、カラスとカラヤン、2人の有名な共演記録です。カラヤンがスカラ座で初めて指揮と演出を受け持ったイタリア・オペラ『ルチア』は、センセーショナルな成功をおさめたことで有名ですが、これはその同じキャストによるベルリン音楽祭への引っ越し公演の録音です。絶頂期にあったカラスの超人的な名演は、2種のスタジオ録音とは異なる感動を呼び起こさずにはおりません。録音も奇蹟的に良好です。
(キングレコード)」

http://tower.jp/article/feature_item/2017/09/20/1103

「あるとき『ランメルモールのルチア』でフォン=カラヤンと共演したとき、カラスの意に反してフォン=カラヤンが有名な6重唱のアンコールを行いました。カラスは激怒。その後『ルチア』最大の見せ場“狂乱の場”をカラスはフォン=カラヤンからは見えづらい舞台の後ろの方の位置で、しかも客席に背を向けて歌ったそうで…ソプラノのソロがかなり暴れる曲ですから指揮者側としてはたまったもんじゃないですね(^^;
ちなみにこのときフォン=カラヤンはそれでもバッチリカラスに合わせたそうで後日和解したときにカラスがこのことを尋ねると、彼は「簡単だよ、息継ぎで肩が動くのを見て合わせたんだ」と答えたとか。プロの演奏家の世界は怖いですね… 」

http://basilio1929.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

◆ドニゼッティ:歌劇『ランメルモールのルチア』(1955年)

 マリア・カラス(ソプラノ)
 ジュゼッペ・ディ・ステーファノ(テノール)
 ロランド・パネライ(バリトン)
 ニコラ・ザッカリア(バス)、他

 ミラノ・スカラ座合唱団
 ベルリンRIAS交響楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

 録音:1955年9月29日、ベルリン(ライヴ、モノラル)


http://shokkou.blog53.fc2.com/blog-entry-343.html

観客をふくめて、プリマドンナ至上主義の最後を飾るのがカラスであり、歌手はもとよりプロデューサーといえども、指揮者の完全支配下にあるべきというのが、トスカニーニが導き、カラヤンが自ら実践したオペラにおける指揮者至上主義であった、とも言えよう。両者の考え方が異なる以上、別の道を歩むのは当然であったし、カラスの最盛期とカラヤンが自らの意思で、ウィーン国立歌劇場、ベルリン・フィルを駆使してオペラを差配できるようになった時期にはズレもある。一好事家としては、もっと両巨匠の「競演」を聴きたかった気もするが、1950年代中葉のこの歴史的「出会い」は、いまも語り草であることにはかわりない。


さて、以上のオペラ6枚は、シュワルツコップ、カラス各3枚で掲載した。次にオペラ以外、カラヤンのデビューから1960年までの昇竜期の記録として以下を参照。そのうち小生の聴いてきた録音から下記の4つを選択した。


◆ブルックナー 第8番(1957年)

Symphony 8


1957年盤、実に遅い演奏です(ハース版、[86:57])。その遅さとともに、ベルリン・フィルの音色は、重く、かつ暗い点が特徴です。運行はまことに慎重で、与えられた時間にどれだけ充実した内容を盛り込むことができるかに腐心しているようです。よって、リスナーにとっては、集中力を要し疲れる演奏です。しかし、この1枚が日本におけるブルックナー受容の先駆けになったことは事実で、ながらく8番といえばこのカラヤン盤ありとの盛名を馳せました。

本盤は、かのウォルター・レッグのプロデュースによる初期ステレオ録音でこの時代のものとしては素晴らしい音色です。フルトヴェングラーと比較して、いわゆるアゴーギクやアッチェレランドは目立たせずテンポは滔々と遅くほぼ一定を保っています。
音の「意味づけ」はスコアを厳格に読み尽くして、神経質なくらい慎重になされているような印象ですが、その背後には「冷静な処理」が滲み、フルトヴェングラー的感情の「没入」とは異質です。しかし、そこから湧出する音色は、重く、暗く、音の透明度は増していますが、なおフルトヴェングラー時代のブルックナー・サウンドの残滓を強くとどめているように感じます。
象徴的に言えば、カラヤンはここでフルトヴェングラーの「亡霊」との格闘を行っているような感じすらあります。しかし、過去を払拭せんとするその強烈なモティベーションゆえか、この演奏の緊張感はすこぶる強く、ねじ伏せてでもカラヤン的な濃密な音楽空間を形成しようと全力を傾けており、よってリスナーは興奮とともに聴いていて疲労を感じるのではないかと思います。
後年のベルリン・フィルとの正規盤(1890年ノーヴァク版、[82:06]録音年月日:1975年1月20〜23日、4月22日、録音場所:フィルハーモニーザール、ベルリン)を聴くと、ここでは自信に満ち一点の曇りもないといった堂々たる風情ですが、1957年盤の歴史的な価値は、フルトヴェングラーからカラヤン時代への過渡期における<緊張感あふれる一枚>という観点からも十分にあるのではないでしょうか。


ブルックナー:交響曲第8番ハ短調

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音年月日:1957年5月23~25日

録音場所:グリュンネヴァルト教会、ベルリン

録音:ステレオ



◆ムソルグスキー「展覧会の絵」(1955年) 

1955~56年、この頃のカラヤンの演奏の切れの良さは、いま聴いてもいささかも古さを感じない。本曲についても後年のベルリン・フィルとの演奏のほうが完成度は高いとは思うけれど、曲想を大胆にイメージさせて、彫琢しすぎぬ、程よいオーケストラ・コントロールの即興的なドライブ感にはぞくぞくとさせるものがある。品位を失わない遊戯感覚(「テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか」)も壮麗な音響空間に佇む感覚(「鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー」~終曲「キエフの大門」)も、カラヤンならではの醍醐味。

ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲《展覧会の絵》

フィルハーモニア管弦楽団

録音年月日:1955年10月11、12日、56年6月18日

録音場所:キングズウェイ・ホール、ロンドン

録音:ステレオ


◆R.シュトラウス「英雄の生涯」(1959年)

R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」、交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

カラヤンの厖大なライブラリーのなかでもR・シュトラウスは重要であり、はやくも1960年前後にウィーン・フィルを振って集中的にR.シュトラウスの作品を録音した。
特に、ザルツブルグ祝祭大劇場の柿落とし公演『ばらの騎士』全曲を頂点として、その前後に、DECCAに貴重な足跡( Legendary Decca Recordings を参照)を残している。
歴史的名演『ツァラトゥストラ…』(1959年3~4月)が特に有名だが、その直前にベルリン・フィルと収録したのが本曲(1959年3月2~4日)である。この破竹のR.シュトラウス<集中録音>シリーズの幕開けが本曲であるとともに、晩年にいたるまでライヴを含め多くの再録を行ったカラヤンにあって、本盤はその「初出」音源としての位置にある。
覇気があり、やや荒くれた表現には凄みがあり(晩年はこれが影をひそめる)、機知にあふれたフレーズ処理も他の追随を許さない。録音もこの時代とは思えないほどクリアである。

R・シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》作品40

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音年月日:1959年3月2~4日

録音場所:イエス・キリスト教会、ダーレム

録音:ステレオ



◆シベリウス 交響曲第2番(1960年)

シベリウス:交響曲第2番、他

1960年フィルハーモニア管弦楽団との録音のシベリウスの2番。その響きの<外延的>なひろがりと<内在的>なものを感じさせる音の奥行き、そこから独特の≪立体感≫がうまれてくる。そうした音楽がある種の威圧感をもって迫ってくる。けっして、よくいわれる表面的で軽いサウンドではない。そう簡単には解析できないし、解析できない以上、たやすく真似もできない。カラヤンの音づくりの典型がこの2番には満ちている。なお、フィルハーモニア管は音質が良くあうシベリウス作品を得意としており、本盤はその典型と思う。

→ Sibelius: Symphonies Nos. 2, 4, 5, Tapiola, Finlandia も参照


シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43

フィルハーモニア管弦楽団

録音年月日:1960年3月28、29日

録音場所:キングズウェイ・ホール、ロンドン

録音:ステレオ



(参考)
◆Best Karajan 100

カラヤンの実力は、小品の巧さにも端的にあらわれている。というよりも、通俗名曲といわれる小品が、カラヤンの手にかかると、より上品、上質な作品に生まれ変わり、かぐわしい芳香をはなったり、ダイナミズムが増幅されたりする。カラヤンは若き日、オペラ指揮者として徹底した訓練を積んでいる。歌手主体でいかにも単純な伴奏といった作品にも息吹を注入する術を心得ている。それはレガートの磨き方と切れ味鋭いリズミックさの使い方による。双方を実にうまく組み合わせ、アクセントをつけながら作品の魅力を高めている。その技法が凝縮されているのが小品集(間奏曲集を含む)なのだと思う。


「karajan」の画像検索結果

<オペラ・宗教曲>
・ロッシーニ:歌劇「セヴィリャの理髪師」序曲F
・グノー:歌劇「ファウスト」より バレエ音楽~ヌビア人の踊りB
・ビゼー:歌劇「カルメン」 第1幕への前奏曲、第2幕への間奏曲、第3幕への間奏曲、 第4幕への間奏曲、F「アルルの女」 第2組曲~ファランドールB
・マスネ:歌劇「タイス」タイスの瞑想曲B
・オッフェンバック:喜歌劇「天国と地獄」序曲、歌劇「ホフマン物語」ホフマンの舟歌F
・プッチーニ:歌劇「マノン・レスコー」間奏曲B
・ボロディン:歌劇「イーゴリ公」 だったん人の娘の踊り (2)F
・ワインベルガー:歌劇「バグパイプ吹きのシュヴァンダ」ポルカF
・ワーグナー:楽劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲B
R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」 騎士様 (2幕 フィナーレ)F
・フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」 お兄ちゃん、踊りましょう (1)F
・ドニゼッティ:歌劇「ランメルモールのルチア」 苦い涙をそそいで(狂乱の場) (3)B
・バッハ:ミサ曲 ロ短調 十字架にかけられ、三日後によみがえりW
・ブラームス:「ドイツ・レクイエム」第4楽章~万軍の主よ、あなたの住まいはB


<略号>
B:ベルリン・フィル F:フィルハーモニ―管 W:ウィーン・フィル



レコードを聴きはじめた頃、カラヤン/ベルリン・フィルの新盤は高かったが、エンジェル・レーベルからのフィルハーモニア管弦楽団の旧盤は、録音が古くなったとの理由からダンピングされ安く買えた。しかも、旧盤は過去のもの、更改されて克服されるものとの受け止め方が一般で、その評価も一部を除き新盤に比べて「求心力にかける」「表面的」といった言い方で片付けられていた。

しかし、今日聞き返してみてどうだろう。こうした独自の立体感あるサウンドを微塵の乱れもなく表現できること自体、もしも、いま同じような指揮者が彗星のように登場したら、おそらく評者の驚きは大きいだろう。30代は30代なりに、50代は50代なりに、その時代にあってカラヤンの実力とはたいしたものだと改めて感心しつつ、フィルハーモニア管弦楽団との演奏にも独立の価値があると感じる。



 
 
 
 
 
 
 





カラヤン大全集 1936-60年の軌跡
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第二次大戦後、フルトヴェングラーが苦労のすえ古巣のベルリン・フィルの指揮台に再び立ち、その復興に尽力したことが、どれほど大きくベルリン市民のみならずドイツ国民全体に勇気を与えたか。同様に、冷戦下の大変厳しい政治環境にあって、カラヤンが、世界最高のスキル・フルな楽団としてのベルリン・フィルをいかに手塩にかけて育て上げ世に問うたか。それによって、当時「孤島ベルリン」の安全保障になんと有形・無形の貢献をしたことか。

いまから過去を振り返れば、至極あたりまえに見えることが、両人の血の滲むような努力なくしては決して成し得なかったことを考えると、フルトヴェングラーからカラヤンにいたる連続した時代の重みをズシリと感じる。
そのカラヤンのデビューから1960年までの昇竜期の117枚の記録。以下は小生の聴いてきた初期の録音を中心に若干のコメントを。

まず、1938〜43年にかけてのSP録音の≪序曲/前奏曲集≫。戦前、戦中の若き日のカラヤンの英姿がここにある。ドイツ・イタリア枢軸国の代表的な名曲集といった「きな臭い部分」はあろうが、耳を傾けると、そこには類い希な才能にめぐまれた若手指揮者の立ち姿が浮かび上がってくる。特に、イタリアものの響きが、切なく可憐で、しかも初々しくも凛々しい。よくこんな音楽を奏でることができるものかと思う。30代前半のカラヤンの充ち満ちた才能に驚く1枚。

◆序曲集 Herbert von Karajan : The Early Recordings (1938-1946)
(1938年2月〜)
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同様に30歳台を中心とするカラヤンの青壮年期の記録。圧倒的なスピード感、メリハリの利いた解釈、気力溢れる演奏。しかし、力押しばかりでなく、ときに柔らかく溌剌としたフレーズが心に滲みてくる。天才的な「冴え」である。後日、ベルリン・フィルがフルトヴェングラーの後任にカラヤンを指名した理由がよくわかるような気がする。カラヤンのベートーヴェンの斬新さはいま聴いても凄いと思う。40年代のコンセルトヘボウとの共演も興味深く、ブラームス交響曲第1番でのカラヤンは溌剌とし実に巧い。

◆ベートーヴェン 交響曲第3番  Herbert von Karajan : Early Recordings, Vol. 7 (German Radio Recordings 1944)(1944年5月)
◆ベートーヴェン 交響曲第5番  Symphony 5/Adagio
(1948年11月)
◆ベートーヴェン 交響曲第7番  Herbert von Karajan : Early Recordings, Vol. 3 (1941-1942)(1941年6月)
◆ベートーヴェン 交響曲第9番  Herbert von Karajan - Beethoven: Symphony No. 9(1947年11月〜12月)
◆ブラームス 交響曲第1番 Herbert von Karajan : Early Recordings, Vol. 6 (Amsterdam 1943)(1943年9月6〜11日)
◆チャイコフスキー 交響曲第6番 Herbert von Karajan (Early Recordings Volume 1 1938 - 1939)(1939年4月15日)
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カラヤン、50年代のフィルハーモニア管弦楽団との演奏。モノラルながら聴きやすい録音。明確な解釈、快速な運行、品位ある抒情性に特色。特に、ヴェルディ「レクイエム」は迫力にあふれた出色のもの。
協奏曲では相性のよいギーゼキングとベートーヴェンの4,5番、グリーグなども名匠ギーゼキングと相性よく粒ぞろいの名曲・名演集となっている。

◆1950年代ボックス・セット(各10枚) Karajan
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1950年代の古い音源で、その後の新録もあるのでスーパー廉価盤。しかし、いずれも歴史的名演の名を欲しい儘にしてきたもの。この時代ならではの名歌手の熱唱がぎっしりと詰まっている。
「レクィエム」は、リザネク、クリスタ・ルートヴィヒらによるザルツブルグ音楽祭のライヴ録音。「アイーダ」は、テバルディ、ベルゴンツィ、シミオナートが競演したもので、テバルディにとっても代表盤。同じく、「トロヴァトーレ」はカラス、ステーファノ、パネライが、「ファルスタッフ」では、ゴッビ、シュヴァルツコップにくわえて美貌でならした若きアンナ・モッフォを起用。
ベルリン・フィルに活動を集中する以前、ウィーン、ザルツブルク、ミラノ、ロンドンを股にかけ、欧州オペラ界を制覇したかの観のある帝王カラヤンの最盛期の記録である。

◆カラヤン ヴェルディ集 Verdi/ Aida - Il Trovatore - Falstaff - Requiem

➡ Herbert von Karajan: Recordings 1938-60 Collection も参照

 
 からの引用。このデータベースの構築とメンテナンスに心から敬意を表したい。

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