カラヤン シェエラザード karajan scheherazade (shokkou3.blogspot.com)
欧州を制覇した皇帝ナポレオンと「英雄」を作曲した楽聖ベートーヴェンとの関係。
ベートーヴェンを尊崇しつつ、神話と現実を結びつける楽劇をつくったワーグナー。
ワーグナーに心酔したニーチェは、その後これを全否定し「超人」思想を提唱した。
一方、総統ヒトラーはワーグナーに傾倒しナポレオンに比肩せんと戦禍をひらいた。
戦中のナチズムとの関係において戦後、批判の矢面にたった思想家や音楽家がいた
―ハイデッガーしかり、フルトヴェングラーしかり、そしてカラヤンもまたしかり。
そんなドクサは実はいまも底流でつながっていて、ナチスへの猛省は忘却に追いやられるかもしれない危機の時代に・・・。
そうしたなかでの(クラシック)音楽の果たす役割とは何か
先の帝王フルトヴェングラーは、第二次大戦後、パージを解かれ復活して旺盛な活動を行った。ドイツにおいて戦後復興とフルトヴェングラーはシンクロしていた。そして、もしも、先帝フルトヴェングラーがもっと長命であったら、カラヤンが「帝王」になる時期はかなり遅くなっていたかもしれない。
帝王カラヤンは、冷戦下、陸の孤島であった西ベルリンの「守護聖人」であった。その一方で、オペラをふくめ様々な国の(クラシック)音楽を貪欲に取り上げ膨大な録音を残した。しかも超過密なスケジュールのなか、手兵ベルリン・フィルを引き連れ、世界中を飛び回り多くのコンサートを行った。いわば(クラシック)音楽の偉大な「宣教師」でもあった。
ハイデッガーは「世界内存在」( In-der-Welt-Sein)という哲学的概念を提唱したが、この言葉は本来の意味とは全く別にカラヤンの活躍そのものを表象しているようにも思う。
カラヤンの先駆性は、ステレオ録音、デジタル化、DVDはじめ映像へのあくなき追求など、技術的にも興行的にも将来を先取りし死後も永らく、その威光は輝くことになるが、では“ポスト・カラヤン”の(クラシック)音楽界は新たなステージに上がったのかどうか。
初期 カラヤン 1940年代の録音を中心に (shokkou3.blogspot.com)
カラヤン ふたたび 初期の立ち姿 (shokkou3.blogspot.com)
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