日曜日, 5月 20, 2012

リヒター




たまに興がのると宗教曲を聴きたくなる。どういった心境か自分でもよくわからないが、そうしたときに真っ先に思いつくのはリヒターだ。しかし、今回はリヒターのまえに、マルケヴィッチで「天地創造」を聴いた。


■ハイドン:オラトリオ《天地創造》

イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)

リヒャルト・ホルム(テノール)、キム・ボルイ(バス)

ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮:イーゴル・マルケヴィッチ

CDUCCG-4213/4(2枚組) \2,400(\2,286) ドイツ・グラモフォン

ゼーフリート等、当時の名歌手を配して録音された天地創造、日本初CD化。モノラル


次にリヒターでどこを聴くかを悩む。やはりマタイかな。
 





■J.S.バッハ:マタイ受難曲

 エルンスト・ヘフリガー(福音史家、アリア:テノール)

 キート・エンゲン(イエス:バス)

 アントニー・ファーベルク(第1の女、ピラトの妻:ソプラノ)

 イルムガルト・ゼーフリート(アリア:ソプラノ)

 ヘルタ・テッパー(第2の女、アリア:アルト)

 マックス・プレープストル(ユダ、ペテロ、ピラト、司祭の長:バス)

 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(アリア:バス)

 ミュンヘン少年合唱団

 ミュンヘン・バッハ合唱団

 ミュンヘン・バッハ管弦楽団

 指揮:カール・リヒター

 録音:19586-8月 ミュンヘン、ヘルクレスザール(ステレオ)

ヴァルヒャ 2




ヘルムート・ヴァルヒャのオルガンを聴いたあと、同じヴァルヒャでチェンバロを聴きたくてCDラックから取り出してくる。シェリングのバッハは、いわずと知れた「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」(全曲)でも「ヴァイオリン協奏曲集」でも孤高、不朽の名演をのこしており、この組み合わせは最善、最強まちがいがない。しかも、先行レビュアーの方がコメントしているように、ヴァルヒャ唯一の協奏という希少性がある。

ここでもヴァルヒャのバッハ像はときに軽快で大らか、悲歌(エレジー)を思わせる曲にも背後からほの明かりが射すような温もりを感じさせ、シェリングのいささかパセティックな鋭角的な響きを包んでいるような印象をうける。両巨匠の素晴らしい掛け合いが緊張感をもって持続する。歴史的名盤、是非、再販を望みたい。

ヴァルヒャ 1

バッハ:オルガン名曲集


バッハのオルガンを聴きたくなるのは、少しくメランコリー、一人で沈思したいときではないだろうか。しかし、トッカータの原義は「触れる」という意味で、いわばオルガンの「腕ならし」曲といわれればすこし気分もかわり、本集の終曲、『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』には明るい導きの響きもある。
ヘルムート・ヴァルヒャの即興的な雰囲気漂う名演が、ひろく支持をえているのは、バッハの朗々さを見事に表現しているからではないだろうか。聴き終わったら、結構、気分が晴れるかも! 

<収録内容>

◆トッカータとフーガ ニ短調 BWV56519569月、アルクマール)

◆トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV56419569月、アルクマール)

◆幻想曲とフーガ ト短調 BWV54219629月、アルクマール)

◆パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV58319629月、アルクマール)

◆小フーガ ト短調 BWV57819705月、ストラスブール)

◆コラール『主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる』 BWV63919699月)

◆コラール『いざ来ませ、異教徒の救い主』 BWV65919715月、ストラスブール)

◆コラール『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』 BWV64519715月、ストラスブール)

日曜日, 5月 13, 2012

最近聴いているテンシュテット 2

Symphony Nos 3 6 7 8 Overtures


下記選集のベートーヴェン2枚を続けて聴く。やはりいいなあと感じ入ってしまう。3番はライヴ盤だが、大変バランスよく均整のとれた演奏で、いままで聴いてきたほかの指揮者のあまたの音源と比較しても、トップクラスの名演であると思う。すこしオーケストラの統制を緩めて軽快に飛ばすドライブ感(第1,3楽章)と速度をぎりぎりまで減速してたっぷりと情感をもって丁寧に仕上げていく(第2、4楽章)交互の手法が見事にいかされている。

これは6番や8番も同様で、とくに流麗、豊饒な音楽に特色のあるテンシュテット・サウンドのヒット感が6番では強く感じる。

3番、6番、8番そして序曲集と聴いてきて思うのは、オーケストラ(メンバー)が演奏しつつ心のなかで豊かに「歌っている」ということだ。外形的ではなく、まるでハミングでも聞こえてきそうな雰囲気で内面で「歌っている」。しかも、これは統制されて無理やりではなく、音楽に身をゆだねて自然に歌がでてくるような現場を思い浮かべる。これぞ、テンシュテットの底知れぬ魅力の源泉。


CD1:ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、1991926日、103日(ライヴ)、『プロメテウスの創造物』、序曲『コリオラン』、『エグモント』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル 

CD2:ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、第8番、1985915,16,19日、1986327日、『フィデリオ』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル

➡ https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R16GTBE3LK67C9/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B000HWZAPQ

最近聴いているテンシュテット

Great EMI Recordings


 テンシュテットの魅力は、 自由度の高さを感じさせる曲づくりのなか、流列のはっきりした音楽が豊かに奏でられる一方、それが時に大きく奔流する爽快感です。この「感じ」は20世紀初頭の巨匠時代を彷彿とさせる一方で、彼の演奏にはお仕着せがましさといったものが全くありません。虚心で素直に聴け、しかも聴衆に対して大きな包容力があります。旧東独出身、テンシュテットの特質は本選集でのいわゆる「ドイツ正統派」演目で如何なく発揮されていると思います。


<収録内容>

CD1:ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、1991926日、103日(ライヴ)、『プロメテウスの創造物』、序曲『コリオラン』、『エグモント』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル

CD2:ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、第8番、1985915,16,19日、1986327日、『フィデリオ』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル

CD3:ブラームス:交響曲第1番、1983921,22日、ドイツ・レクィエム 第1曲、第2曲、ロンドン・フィル

CD4:ブラームス:ドイツ・レクィエム 第3曲~終曲、1984819,20,23-25日、運命の歌、198552日、ロンドン・フィル

CD5:ブルックナー:交響曲第4番『ロマンティック』(ハース、1881年版、19811213,15,16日)、ベルリン・フィル

CD6:ブルックナー:交響曲第8番(ノーヴァク、1890年版)、1982924-26日、ロンドン・フィル

CD7:マーラー:交響曲第1番『巨人』、シカゴ交響楽団、1990531-64

CD8:シューマン:交響曲第3番『ライン』、19781017-18日、交響曲第4番、ベルリン・フィル、1980418-20,22

CD9R.シュトラウス:『ツァラトゥストラはかく語りき』、19893月、『ドン・ファン』、19869月、『死と変容』、1982328,29日、ロンドン・フィル

CD10:ワーグナー:『ワルキューレ』~「ワルキューレの騎行」、「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」、『神々の黄昏』~「夜明けとジークフリートのラインの旅」、「ジークフリートの死と葬送行進曲」、『ラインの黄金』~「ワルハラへの神々の入場」、『ジークフリート』~「森のささやき」、1980106,8,9日、ベルリン・フィル

CD11:ワーグナー:『タンホイザー』序曲、『リエンツィ』序曲、『ローエングリン』第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、19821215日、1983416,17日、ベルリン・フィル

CD12:メンデルスゾーン:交響曲第4番『イタリア』、1980418-20,22日、シューベルト:交響曲第9番『グレート』、1983421-22日、ベルリン・フィル

CD13:ムソルグスキー:交響詩『禿山の一夜』(リムスキー=コルサコフ編)、1990510日、コダーイ:組曲『ハーリ・ヤーノシュ』、プロコフィエフ:組曲『キージェ中尉』、ロンドン・フィル、1983922,23,26

CD14:ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番、ロンドン・フィル、1984511-12日、シューマン:4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック 、ベルリン・フィル、19781017-18日、ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』、ベルリン・フィル、1984314,15



 このアルバムは象徴的である。「ツァラトゥストラ・・・」は不思議な曲、難解な曲と言われ、「埋葬の歌」や「病から回復に向かう者」といった表題をもった部分もある。テンシュテットは録音時点の19893月、重篤な病気闘病中であり、なぜこの曲の録音を行なったのか、いかなる心象で臨んだのかといった関心は否が応にも高まる。


 しかし、そんなことは付随的とも思わせる素晴らしいスケール感の、これは名演である。オルガンのぶ厚く低いイントロ、低音のトレロモ、トランペットの輝かしい閃光的な登場といった有名な序奏から終曲「さすらい人の夜の歌」まで一気に駆け抜けるような集中力ある演奏で、とても病気を押して演奏しているような風情はない。気迫にあふれ、バランス感絶妙の本演奏を接して、これほど気宇浩然の魅力的な曲だったのかと驚くリスナーも多かろう。19863月録音の「ドン・ファン」も同様な印象。テンシュテットがいかにR.シュトラウスを得意にしていたかを知る格好な1枚である。

ブルックナー:交響曲第8番


  全般に遅い運行で、特に第3楽章のアダージョ後半の第2主題を奏するヴァイオリンの引っぱり方などは限界に挑んでいるかのような緩慢さである。しかし、そこに籠められるのはとても深い豊かな響きである。

  フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、そしてチェリビダッケなどにも共通するが、遅いテンポの持続は、その少しの変化でも微妙な表情づけを可能とする。第4楽章も同様。速くなく(nicht schnell)どころではなく第3楽章の長い延長線が続く。フィナーレもコラール風の句の前後で若干、テンポが上がるが最後までほぼ巡航速度は維持される。フルトヴェングラーのようなアゴーギグにともなうクレッシェンドやディミニュエンドの多用はなく、使われる場合はかなり抑制的に(しかし、それゆえ効果的に)発動される。

  しかし内燃するエネルギーは迸るように激しく、なんど聴いても終了後深い感動がある。テンシュテットらしい名演。 

◆データ/ブルックナー:交響曲第8番(ノーヴァク、1890年版)、1982924-26日、ロンドン・フィル

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Symphonies Nos 4 & 8 (Bril)


 クラウス・テンシュテットは東独の指揮者(1926年メルセベルク生まれ)だったので、早くから頭角はあらわしつつも冷戦下「西側」へのデビューが遅れました。しかし、豊穣なボリューム感をもった音楽性には独自の良さがあります。ブルックナーは得意の演目です。

 当初は、フルトヴェングラー、クレンペラーに続く古式ゆかしい指揮者と思っていましたが、聴き込むうちになんとも素晴らしい音づくりは彼独自のものと感じるようになりました。音の流れ方が自然で、解釈に押しつけがましさや「けれんみ」が全くありません。その一方で時に、柔らかく、なんとも豊かな音の奔流が聴衆を大きく包み込みます。そのカタルシスには形容しがたい魅力があります。ブルックナーの4番は、こうしたサウンドイメージにぴったりですし、ベルリンフィルとの相性も良いと思います。数多の名演のある4番ですが、小生は最も好きな演奏の一つです。 

◆データ/ブルックナー:交響曲第4番『ロマンティック』(ハース、1881年版、19811213,15,16日)、ベルリン・フィル
Symphony 9 " New World " / Hary Janos


  198431415日ベルリンでの録音。カラヤンが帝王としてベルリンに君臨していた時代にもかかわらず、テンシュテットは同時期に比較的多くの録音をベルリン・フィルと残している。ライヴェルの存在には人一倍厳しかったと言われるカラヤンがなぜそれを許容したのか、という疑問は残るが、東独出身でおそらくは自分とは全く違うタイプの演奏家であり、覇を競う相手とは考えていなかったのかも知れない。 

  たしかに完璧な構成力を誇るカラヤン/ベルリン・フィルとは趣きのことなった「新世界」である。ベルリン・フィルはとても伸び伸びと演じているように聞こえる。テンシュテットらしくオケの自由度の幅を大きくとり、全体に鷹揚とした構えながら、要所要所では鋭角的なリズミックさを強調しつつ、メロディの丹念な彫琢もキチンと行っていく。木訥とした泥臭さをどこか遠くに感じさせながら、ベルリン・フィルのアンサンブルは申し分ない。弦と木管が前面にでて、全体に自然でしなやかな感じをよくだしている。小生好みのノイマン/チェコ・フィルの演奏にも通じるものがある。聴いて飽きのこない佳演。
Complete Mahler Recordings


 マーラーの交響曲全集は多い。これを世に問うのは、いまや力量ある指揮者の「証」といった感すらある。さらに、各番別には、指揮者もオケも鎬を削る主戦場でもあり百花繚乱の状況である。

 そのなかで全集としてどれを選ぶか。私はバーンスタインとテンシュテットを好む。各番別のベスト盤では種々の見解はあろうが、マーラーという世紀末に生き個人的にも深い懊悩をかかえた稀代の作曲家がなにを目指していたのかについて、明解に、かつ追体験的に迫るアプローチとしてこの2セットは共通する。

  テンシュテットは交響曲の「完成」と同時に「崩壊」の過程、双方をマーラーにみて、その均衡と相克を各番に通底して全力で表現せんとしているように感じる。異様な迫力の部分、ゆくりなくも奏でられる美弱音の表情ともに緊迫し奥深い。彼自身、重篤な病気を圧しての足掛け16年の軌跡・・・といったセンティメントよりも、むしろ執念ともいうべき一貫した表現力への挑戦の記録(16のCD全集、5~7番はライヴ版も収録)に価値がある。傾聴すべき遺産と思う。

<収録情報>

【第1番】『巨人』1977年、A 【第2番】『復活』1981年、K、withエディト・マティス(ソプラノ)他 【第3番】1979年、K、with オルトルン・ヴェンケル(コントラルト) 【第4番】1982年、K、with ルチア・ポップ(ソプラノ) 【第5番】(1)1978年、A、(2)1988年、L(ライヴ) 【第6番】(1)『悲劇的』1983年、K、(2)1991年、L(ライヴ) 【第7番】(1)『夜の歌』1980年、A、(2)1993年、L(ライヴ) 【第8番】『千人の交響曲』1986年、ウォルサムストウ・タウン・ホール、ウェストミンスター大聖堂、with エリザベス・コネル(ソプラノ)他 【大地の歌】1982年、A with アグネス・バルツァ(コントラルト)他 【第9番】1979年、A 【第10番】第1楽章『アダージョ』、1978年、A 

 (注)録音場所ーA:アビー・ロード第1スタジオ、K:キングズウェイ・ホール、L:ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

 
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http://shokkou3.blogspot.com/2012/05/blog-post_13.html も参照
 

木曜日, 5月 03, 2012

音楽三昧

Bruckner;Symphony No.3


連休中、過去のブログなどの更新を行っている。上記のアーノンクールのブルックナーの3番はじめ、ブロムシュテットの4番、次に5,7,8,9番についてベイヌムの選集(とても気にいっておりすでに幾度もコメントしてきたもの)、レーグナーの6番、ヨッフムのミサ曲集。ブラームスではフルトヴェングラーの交響曲1~4番(EMI)、ミュンシュ/ボストン響の1番、マーラーでは、ショルティ/シカゴ響の7番。すべて過去のリニューアル、再録である。

一方、ショルティのハイドン後期交響曲(織工Ⅱでコメント)を聴いて一部を加筆した。それがきっかけでハイドンを昨日から連続でまわしている。

(これはまだ書いていないが、)ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカで88番「V字」、95番、101番「時計」を聴いて、改めてこの組み合わせ、只者ではないなと感服する。粒のそろった高密度ととぎれぬ一定の持続力で交響曲全集を録音するなど、やはりハイドン音楽への深い愛なくしては想像できない偉業である。

交響曲の雄が ドラティとすれば、弦楽四重奏曲ではクイケン四重奏団のテーストが気にいっている。これについては若干の感想(織工Ⅱでコメント)を追記した。

さて、交響曲、弦楽四重奏曲とつづくと次はすこし重いものを所望する気分になり、マルケヴィッチでオラトリオ「天地創造」をいま聴いている。

ここまでが連休中盤までの備忘録。

(参考)

◆全体の更新
https://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile
/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&ref_=
cm_aya_pdp_home
◆ドラティのハイドン交響曲全集 
 ◆マルケヴィッチでオラトリオ「天地創造」

土曜日, 4月 28, 2012

ケンペ



 ケンペの演奏にぐっときたのは、近くの名曲喫茶で偶然、アルプス交響曲を聴いたのがきっかけである。「いい演奏だな」と感じ「誰の演奏かな」と思案しいくつか候補をしばし考えてプレーヤーの近く、レコードの置いてあるところに足をはこんで確認した。
 ケンペ/ロイヤル・フィル(上のジャケット)だった。想定はまったくはずれており、その分、印象に強くのこった。

ブラームス:交響曲全集


 次にブラームスの交響曲全集を中古屋で買って聴いた。気にいった。以下はかつて書いたものの再録。
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 3枚組のブラームス交響曲全集を購入、聴いている。

① 交響曲第1番ハ短調op.681960/録音年、以下同じ)、 交響曲第3番ヘ長調op.901961年)

② 交響曲第2番ニ長調(1958年)、悲劇的序曲op.811961年)

③ 交響曲第4番ホ短調op.98 1958年)、ハイドンの主題による変奏曲op.56a 1957年)で、全てベルリン・フィルとの演奏である。

 ベルリン・フィルを基準にとれば、1、2番については、意志力の強さが前面にで、また低弦が、ここまで分厚いかと感嘆する迫力のあるベーム盤が、また、3、4番では、録音は正直悪いが、それがゆえに想像力を喚起してやまないフルトヴェングラーのデモーニッシュなこれも歴史的な名盤がある。

 それらに比べるとケンペの演奏はとても地味に聞こえる。また、オーケストラをぐいぐいと引っぱり緊張感をいやがうえにも高めていくような部分に乏しい。一聽、ともすれば、特色のない平板な演奏とも言われかねない。

 しかし、良く耳を澄ますと、アンサンブルが見事にあっていて、丁寧なスコアの読みを感じさせるし、ベルリン・フィルからまことに伸びやかな音楽を最大限引きだしている。自然な、素直な演奏であるとともに、ブラームスの「憂愁」が時にそこはかとなく伝わってくる。

 「凄い」演奏ではないかも知れないがとても「佳い」演奏であり、また、テンポの動きは実にしなやかで、オケの自らのもつ運動能力が存分に発揮されているようにも思われる。

 今日は、特定の指揮者ではなく、地肌の「ブラームス」の音楽を聴きたいという気分のときには得難い演奏である。しかも各曲の質が均一で、通番で聴いていて安定感がある。全集としてこれは大切な特質であるだろう。

Homage to Rudolf Kempe

 リストマニアをつくったのは06/08/29だから、もうだいぶ時がすぎた。それ以来、見直していないので古くなったがライン・ナップにはそう大きな変化はないだろう。 

次にブルックナーである。これもかつて書いたものの再録。



2006528日 ブルックナー/メモランダムⅣ⑨ー R.ケンペ
 ブルックナーで地味ながら味わい深い名演を残したのが、ルドルフ・ケンペ(Rudolf Kempe19101976年)です。ケンペは、古都ドレスデン近くに生まれ、地元の音楽学校で専門的な教育をうけたのち、1929年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団にオーボエ奏者として入団します。当時の首席指揮者はブルーノ・ワルターでした。指揮者に転じたのち1950年にはドレスデン国立歌劇場の音楽監督として帰省します。
 冷戦下、1952年には「西側」のバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任します。一時米国でも活躍しますが、196063年のシーズンには、バイロイト音楽祭で『ニーベルングの指輪』を振っています。
 東独で専門的な教育をうけ実力で地位を築いたのち、「西側」に転じたキャリアはテンシュテットと共通します。また、その後、イギリス(ロイヤル・フィル、BBC交響楽団)でも高く評価され長きにわたり活躍しますが、1965-1972年チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団首席、1967年ミュンヘン・フィルの首席と、スイスをふくめ広くドイツ圏にもしっかりと軸足をおいて活動した指揮者です。1976年、チューリッヒにて逝去しますが、円熟の境地をもっと示して欲しかったと惜しまれました。ベイヌム同様、いささか蒲柳の質であったのでしょうか。
 イギリスでは巨匠トーマス・ビーチャムの跡目をつぎ、またミュンヘン・フィルではクナッパーツブッシュ時代とチェリビダッケ時代の中間に位置します。メインの活動の時期は、カラヤンやベームらの全盛期であり、ほかにもミュンシュ(ミュンシュがゲヴァントハウスのコンサート・マスター時代にケンペはオーボエ奏者として仕えています)、バルビローリ、アンセルメはじめそれこそキラ星の如く、国別にスペシャリティの高い領域では大家がいまだ各所で健在でしたから、ケンペの活動は相対的には地味に見えます。しかし、今日、振りかえってみると、ケンペは堂々のドイツ正統派の実力を有し、レコードでもドイツ古典派・ロマン派を中心に多くの成果を残しています。
 ブルックナーでは、4番、5番のシンフォニーをミュンヘン・フィルで、8番をトーンハレで聴くことができます。 5番が特に良い演奏だと思います。ブルックナーのこの曲への複雑な感情表出が、陰影を感じさせる深い響きから浮かび上がってきます。全体にデューラーの少し暗い色調の絵を観賞するような趣きがあります。また、ミュンヘン・フィルの重量感のある低弦が美しい第2楽章のアダージョは、これぞドイツ的な音の渋さ、くすみ、幾分の暗さが微妙にブレンドされていて、全くぶれず程良い一定のテうンポで持続していきます。聴いていてケンペならではの独自の音づくりには静かな感銘を受けます。

http://mituhirousui.wordpress.com/2006/05/28/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%a0%e2%85%a3%e2%91%a8%e3%83%bc%e3%80%80%ef%bd%92%ef%bc%8e%e3%82%b1%e3%83%b3%e3%83%9a/

(参考)
http://shokkou.blog53.fc2.com/blog-entry-331.html

日曜日, 4月 15, 2012

ワルター マーラー「大地の歌」



ワルターには数種の同曲の録音がある。1938年のSP復刻のもの、1952年にウイーン・フィル盤(2種)、そしてこのニューヨーク・フィルとの1960年のスタジオ録音盤(唯一のステレオ収録、ほかにライヴ盤も知られる※)などである。

【ウイーン盤について】

カスリーン・フェリアー(コントラルト)
ユリウス・パツァーク(テノール)
 収録時間:1時間162
録音年月:1952515-16日、20
録音場所:ウイーン

【本盤について】

ミルドレッド・ミラー(メゾ・ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
収録時間:1時間12分55秒
録音時期:196041825
録音場所:ニューヨーク、マンハッタンセンター
 
※参考【ニューヨーク・フィルとの別の音源】
   モーリーン・フォレスター(アルト)
リチャード・ルイス(テノール)
録音時期:1960416
録音場所:ニューヨーク、カーネギー・ホール
録音方式:モノラル(ライヴ)

当盤はワルター逝去(Bruno Walter, 1876915-1962217日)の2年前の記録であり、「告別」が最後のテーマになっている本曲には象徴的なものを感じる。

 1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」
 2楽章「秋に寂しき者」
 3楽章「青春について」
 4楽章「美について」
 5楽章「春に酔える者」
 6楽章「告別」

ワルターは1911年本曲を初演した(※※)。マーラーの弟子、後継指揮者として、この曲を35才のワルターが世に問うたことは、彼自身が述懐しているように実に大きな飛躍のステップであった。
 

※※参考【初演について】

(以下は引用)

 19111120日、ミュンヘンにて、ブルーノ・ワルター指揮、カイム管弦楽団(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)による。この年の5月にマーラーはこの世を去っており、マーラーの弟子であるワルターが指揮を担当することとなった。
 ワルターは、「・・・『大地の歌』の初演は最も貴重な芸術上事件として生涯忘れることはできない。それは、マーラーが残してくれた、私自身にとっても極めて大事なこの作品の初演の責任を感じていたことであり、さらには、私が師に代わって行う事を感じていたことなどが理由である。また、初演で、彼から私にゆだねられたスコアがここに初めて感動的な音楽の響きとなるや、故人の有り様を痛ましくもまた身近に感じたからだ。・・・」とその時の思いを回想録「主題と変奏」に書き残している。

そうした点を一応、措くとしても当盤はその演奏の品位、クリアな録音ともいまもこの曲の代表的名作である。とくに、エルンスト・ヘフリガー(テノール)は他に代えがたい深い詠嘆を湛えており、心に染み入るものである。第一楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」の出だしから、マーラーの心境に寄り添っているような一体感さえあると感じる。至芸である。

金曜日, 4月 13, 2012

ワルターでマーラーを聴く

 
The Original Jacket Collection:Bruno Walter Conducts Famous Mahler & Bruckner [Box set, Limited Edition, from US, Import]

なぜかこの週末はマーラーを聴きたい心境。さて、誰を選ぼうかと思案し、ワルターにする。上記のBoxセットをラックから取り出す。ここのところ、ワルター/ニューヨーク・フィルのブルックナーを聴いて、実にいいなと思ったこともあるか・・・。
まず、5番から。古い録音であるが、音は意外とクリアでこの時代の音源としては悪くない。 
交響曲第5番(録音:1947年2月10日、ニューヨーク)
 ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団
今日はあえて感想を書かないが、いつもながら曖昧さのない歯切れのよいワルターのマーラー解釈である。しかし、この名録音は日本ではずいぶんとあとになってお目見えしたように記憶している。当時のジャケットを以下に貼付。

日曜日, 4月 08, 2012

上野でタンホイザーを聴く 東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2012-











今日は上野で「タンホイザー」を聴く。演奏会形式なので「観る」ではなく、やはり字幕を見ながらだが「聴く」ということになる。まず、その概要を以下に引用。



現在開催中の「東京・春・音楽祭 -東京のオペラの森2012- 」、その目玉のオペラ『タンホイザー』が、ワーグナー・シリーズの第3弾として上演されます。

中世騎士物語を下地とするドラマチックな内容と美しい旋律のこのオペラを指揮するのは名匠アダム・フィッシャー。

世界的に活躍しているステファン・グールドがタンホイザー役を務め、ペトラ=マリア・シュニッツァーなど人気と実力を兼ね備えた歌手がわきを固める話題の公演です。(演奏会形式、映像・字幕付き)




ワーグナー/歌劇「タンホイザー」[ドレスデン版](演奏会形式・映像付)



【出演】

タンホイザー:ステファン・グールド/エリーザベト: ペトラ=マリア・シュニッツァー/ヴェーヌス:ナディア・クラスティーヴァ/ヴォルフラム:マルクス・アイヒェ/領主ヘルマン:アイン・アンガー/ヴァルター:ゲルゲリ・ネメティ/ビーテロルフ:シム・インスン/ハインリッヒ:高橋 淳/ラインマール:山下浩司/牧童:藤田美奈子

【演奏】

アダム・フィッシャー指揮 NHK交響楽団/東京オペラシンガーズ



 最近、ライヴでのオペラ鑑賞はとんとご無沙汰である。出不精でなにしろコンサートにも滅多に行かないくらいだから・・・。しかし、かつてワーグナーは随分集中的に観た時期もある。晦渋なパルジファルなどにくらべて、タンホイザーは名曲も多く比較的親しみやすい演目である。 聴きながら、そういえば東西ドイツに分断されていた時代だが、当時の東独ヴァルトブルク城に行ったことを思い出した。懐かしい記憶である。

(参考) 


 

楽しく時間を過ごせたが、まず、舞台設定が気になった。フル・オケ(これはこれで楽器配置がわかって実に面白かった。これもドレスデン式かな?)が所狭しと舞台中央を占め、独唱はその後ろに仮設の高台をつくってそこから発声。そのバックに合唱を配して、そして大スクリーンといった立体重層構造。

種々の制約はあって仕方なかったとは思うが、たとえばバイロイト並みとはいかないけれど、ピットを少しく沈めて歌手を舞台のフラット・レベルで聴けない(見えない)かな・・・とか、オケを舞台に上げるなら、独唱は少なくともその前面に出してくれればより迫力をもって楽しめたのに・・・とか。これは我儘なないものねだりかな。

演奏は良かった。アダム・フィッシャーは(近くで見たら意外と若いのに驚いたが)、老練さも感じさせる手堅く奇を衒うところのないオーソドックスな解釈。

久しぶりのN響。弦楽器の合奏力と音量は健在(一方、「N響ともあろうもの」が、管では複数セクション、かつ数度も出だしでふらつくのはちょっと残念!)。全般にはなまなかな海外オケより遥に優れていると感じられたのは嬉しかった。東京オペラシンガーズ、ピッチがあい粒ぞろいでキチンとした演奏。立派。

独唱者もそつなく、かつワーグナー向きの質量の迫力にも満ちている。ただ、すべてに共通して、部分的、局所的でいいので突出感というか突破感という<スリリングさ>を見せてほしかった。手堅い一方、歌唱とオケが鎬を削るといった迫力、緊張感が少し弱い気がした。ワーグナーの沸々、どろどろとしたアクの強さを捨象したような印象。これも、練習時間にも制約がある演奏会形式なので仕方がないのかも知れないが・・・


最後に、この音楽祭の主催者に心から敬意を表したい。昨年は東日本大震災のため準備していたローエングリンが中止となり、急遽、メータが鎮魂の「第9」を振ってこれに代替した。そして今年はタンホイザー、来年以降も、マイスタージンガー、指輪と毎年「春の上野」の音楽祭は続く。定着とともに、いつか演奏会形式から本格上演にかわってくれたら、さらに素晴らしいと思う。是非、頑張ってください。

日曜日, 4月 01, 2012

ヴァイオリンの魅力ーサラ・チャンほか

ツィゴイネルワイゼン~ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリン


【以下は引用】

HMV レビュー

EMI GERMANY INSPIRATION

ツィゴイネルワイゼン~ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリン



エキゾティックなスペインや東欧のジプシー音楽にインスパイアされた、19世紀の名ヴァイオリニストたちが生み出した息を飲むような超絶技巧と魅惑的なメロディ。(EMI)



【収録情報】

・サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン op.20

 サラ・チャン(ヴァイオリン)

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、プラシド・ドミンゴ指揮



・サン=サーンス:ハバネラ ホ長調 op.83

・サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ

 ウルフ・ヘルシャー(ヴァイオリン)

 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、ピエール・デルヴォー指揮



・マスネ:『タイス』~タイスの瞑想曲

 アンネ=ゾフィ・ムター(ヴァイオリン)

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮



・ヨアヒム:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調 op.11~ジプシー風のフィナーレ

 クリスティアン・テツラフ(ヴァイオリン)

 デンマーク国立放送交響楽団、トマス・ダウスゴー指揮



・パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調 op.7~第3楽章:ロンド(ラ・カンパネッラ)

 イェフディ・メニューイン(ヴァイオリン)

 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、アルベルト・エレーデ指揮



・ラヴェル:ツィガーヌ(ヴァイオリンと管弦楽のための狂詩曲)

 フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)

 シュトゥットガルト放送交響楽団、ジャンルイジ・ジェルメッティ指揮



・サラサーテ:カルメン幻想曲 op.25

 サラ・チャン(ヴァイオリン)

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、プラシド・ドミンゴ指揮

ヴァイオリンの魅力ーグリュミオー

ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第3番 グリュミオー、コヴァセヴィチ、C.デイヴィス&コンセルトヘボウ管、BBC響





1973年2月 アムステルダムで収録。小品集といえども侮れない。1曲1曲の美しさが微妙に変化し、作曲家の魂がそのつど、ヴァイオリンの背後に浮かび上がってくるような演奏である。
わが母の教え給いし歌(ドヴォルザーク)の”郷愁”、アヴェ・マリア(グノー、J.S.バッハ)の”敬虔”、メヌエット(モーツァルト:ディヴェルティメント K.334から)の”愉悦”など・・・、響きのこよなき美しさとともに曲の深奥にひそむ魂と共鳴するような音楽。これこそグリュミオーの至芸なのだろう。例外の1曲、エストレリータ(ポンセ、ハイフェッツ編)は、とりわけ集中力に富む。これは前年に演奏活動から引退宣言したハイフェッツへのオマージュか。そんな連想も楽しい1枚である。

【以下は引用/ジャケットとともに】
HMV レビュー
DECCA VIRTUOSO
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第3番
グリュミオー、コヴァセヴィチ、コリン・デイヴィス指揮

グリュミオーの眩しいほどの美音。古典的でふくよかなコヴァセヴィチ。
コヴァセヴィチのピアノ協奏曲第3番。ピアノとオーケストラがしっかりと呼応し合って、古典的でふくよかな交響的世界を現出しています。ヴァイオリン協奏曲は、グリュミオーがフィリップスに録音した3種類のうちの最後の録音。甘美で洗練された音楽性が光る気品高く繊細な響き。そして両曲ともデイヴィスの指揮による、オーケストラのコントロールの巧さと音楽への同化へのセンスの良さは抜群で、曲の魅力をアップさせています。(ユニバーサルIMS)

【収録情報】
ベートーヴェン:
・ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37
 スティーヴン・コヴァセヴィチ(ピアノ)
 BBC交響楽団
 コリン・デイヴィス(指揮)

 録音時期:19714
 録音場所:ロンドン、ウォルサムストゥ・アセンブリー・ホール
 録音方式:ステレオ(セッション)
 原盤:PHILIPS

・ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61
 アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 コリン・デイヴィス(指揮)

 録音時期:19741
 録音場所:アムステルダム、コンセルトヘボウ
 録音方式:ステレオ(セッション)
 原盤:PHILIPS