(エディット・マティス)
👉10人の偉大なソプラノ歌手たち
👉リートの女王 ~シュヴァルツコップ 名盤5点 Elisabeth Schwarzkopf
https://shokkou3.blogspot.com/2022/05/elisabeth-schwarzkopf.html
👉R.シュトラウス ~リーザ・デラ・カーザで聴く 名盤5点 Lisa della Casa sings R. Strauss
https://shokkou3.blogspot.com/2022/04/r.html
(エディット・マティス)
👉10人の偉大なソプラノ歌手たち
テレサ・テン
1953年台湾雲林県に生まれ。14歳の時に台湾で歌手デビュー。映画にも進出、アジアを代表するスターへと成長。74年に「今夜かしら明日かしら」で日本進出。2ndシングル「空港」が大ヒットし、同年の日本レコード大賞で新人賞を獲得。84年に再来日、「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」と連続ヒットを飛ばし、日本歌謡曲史に大きな足跡を残したが、95年に滞在先のタイで気管支喘息の発作による呼吸困難により42歳で客死。
2012/07/30 (2019/07/30更新) (CDジャーナル)
https://shokkou3.blogspot.com/2015/03/carolyn-emma-kirkby.html
エマ・カークビー
古楽を得意とするソプラノ歌手。オックスフォード大学で古典学を学び、ルネサンス・バロック音楽に興味を持ち歌唱法を身につけた。レパートリーは中世・ルネサンスから、古典派までと幅広い。コンソート・オブ・ミュージックなどの声楽アンサンブルの一員として活動する傍ら、リュート奏者ルーリーと組んで独唱者としても活躍している。また、ホグウッド指揮のエンシェント室内管弦楽団を初めとする古楽オーケストラとの共演も数多い。
https://shokkou3.blogspot.com/2015/08/anne-sofie-von-otter.html
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
1955年、スウェーデンのストックホルムに生まれたメゾ・ソプラノ歌手。ストックホルムの王立音楽院などで学び、82年にバーゼル歌劇場で活動を始める。『フィガロの結婚』のケルビーノや『コシ・ファン・トゥッテ』のドラベラを歌い、モーツァルト、R.シュトラウス歌手として高く評価された。各国の歌曲のほか、エルヴィス・コステロとの共演などポップスの活動にも定評があり、透明な声質と卓越したテクニックを誇る。
ヴィヴァルデイの歌劇(オラトリオ)作品
推定年 | 年令 | 作品名 |
1713 | 35 | 館のオットーネ Ottone in villa |
1714 | 36 | 狂気を装ったオルランドOrlando Finto Pazzo |
1715 | 37 | 皇帝になったネロNerone fatto Cesare 愛と憎しみに打ち勝つ貞節 (改作:パルティア王アルタバーノ) L'costanza trionfante degl amori e degli odi ( Artabano re de'Parti ) |
1716 | 38 | ユーディットの勝利Juditha trimphans |
1717 | 39 | ティエテベルガ Tieteberga ダリウスの戴冠 L'incoronazione di Dario 勝者に勝った敗者 |
1718 | 40 | エジプト戦場のアルミーダ Armida al campo d'Egitto パルティアの王アルタバノ イスケンデル=ベイ( アルバニアの英雄 ) |
1719 | 41 | ティト・マンリオ Tito manlio テウッツォーネ Il Teuzzone |
1720 | 42 | 試練の中の真実La verita in cimento |
1721 | 43 | マケドニアの王、フィリップ Filippo, re di Macedonia インドのアレクサンダー Alessandro nell' Indie |
1723 | 45 | テルモドンテのエルコーレErcole sul Termodonte |
1724 | 46 | ユスティニアヌス Il Giustino 愛と憎しみに打ち勝つ徳、またはティグラネス王 La virtu trionfante dell'amore e dell'odio overo Il Tigrane |
1725 | 47 | 愛に勝つ偽り L'inganno Trionfante in amore |
1726 | 48 | クネゴンダ Cunegonda, 嵐の中のドリッラ(テンペのドリッラ) 欺かれ復讐された信頼La fede tradita e vendicata 復讐の為の偽り Gli inganni per vendetta 救われたアンドロメダ Andromeda Lberata |
1727 | 49 | イペルメストラ オルランド・フリオーソOrlando Furioso ペルシャ王シエロSiroe, Re di Persia |
1728 | 50 | ロジレーナとオロンタ |
1729 | 51 | アテナイーデ (アテネの人々)(高貴な愛情) L'Atenaide, ossia Gli affetti generosi |
1730 | 52 | アルジッポ Argippo |
1732 | 54 | ドリクレア(愛と憎しみに打ち勝つ貞節 の改作) 貞節なニンフ (忠実なニンフ) La Fida Ninfa セミラーミデ Semiramide |
1733 | 55 | モンテズマ Motezuma |
1734 | 56 | オリンピアーデ L'Olympiade |
1735 | 57 | バヤゼット(ティムール)Bajazet(Tamerlano) グリセルダ Griselda アデライーデ L'Adelaide |
1736 | 58 | スコットランド王女ジネーヴラ |
1737 | 59 | 幸福な一日Il giorno frlice貞節なニンフの改作 ティト・マンリオ Tito manlio メッセニアの神託 L'oracolo in Messenia ウティカのカトーネ Catone in utica |
1738 | 60 | 忠実なロスミラ Rosmira fedele |
1739 | 61 | フェラスペ |
その他 | | アリスティデ エルネリンダ Ernelinda |
ヴィヴァルディ - オペラ作品目録 https://www.abaxjp.com/vivaldi-opera/vivaldi-opera.html
(ジャケットは別です)
1970年代からのバロック・ブームについては、さまざまな要因が考えられるだろう。
クラシック音楽界といういささか特殊な「供給側」からみると、カラヤン、ベーム、バーンスタインなどの巨匠時代がそろそろピークアウトする変革期を迎えていた。神々の黄昏ならぬ巨匠時代の終焉の時代が近づきつつあった。
もしかするとシノーポリ、マデルナなどの「現代音楽」がこれに取って代わる可能性もあったが、残念ながらシノーポリは働き盛りに世を去り、そうしたムーブメントにはならなかった。
一方、クラシック音楽の「需要側」は、あらゆる音楽ジャンルの選択肢のなかで、それまでのクラシック音楽に特化する理由はなく、むしろ関心は求心的ではなくどんどん拡散していった。
そうした中、一部のファンは先細りの「現在および将来へ」の関心ではなく、未開拓の「現在から遡及し過去へ」の嗜好が強くなっていった。古楽器ブーム、古典派以前のバロック・ロココ音楽への関心の高まりなどはその典型であったろう。
古楽器ブーム、古典派以前のバロック・ロココ音楽には、マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチなど大規模オーケストラによる巨大な交響曲の演奏とは対極の室内楽的な音色に新鮮さがあった。「需要側」に訪れたこの変化は「供給側」を機敏に刺激し双方の蜜月時代がはじまった。
これはオペラの世界も同様で、大規模なオペラ上演は、さまざまな理由で難しい時代を迎えていた。音楽祭では、バイロイトが徐々に凋落し、ザルツブルクもカラヤンの死は大きな衝撃であったろう。また、演出の「現代化」とは経費の節約と同義であり、これも切実な要因であったろう。
さて、バロック・オペラの蘇演がこの頃から本格化する。比較的少人数で小回りがきき、舞台装置、衣装、演出も古式でもなんとかやりきれる。これは大規模オペラの抽象的な演出にいささか辟易としていた聴衆にノスタルジックな魅力を提供した。小難しくない本来のオペラのあっけらかんとした楽しさ、そこは理屈抜きの愉悦をたたえていた。そして、そうした取り組みは世界中で芽吹いていった。
(ジャケットは別です)
◆モンテヴェルディについてはアーノンクール
モンテヴェルディ三部作については、アーノンクールの先駆的な取り組みが大きい。1977年『オルフェオ』、1978年『ポッペアの戴冠』、1979年『ウリッセの帰還』
この3年間、毎年チューリヒ歌劇場で収録した金字塔はいまも光を失っていないだろう。
◆カヴァッリについてはレッパード
レッパードは、1967年および1971年のグラインドボーン音楽祭でカッヴァリのオペラを指揮して現代に蘇らせた。
◆ペーセルについてはガーディナー
◆シャルパンティエについてはクリスティ
1979年にクリスティによって設立されたアンサンブル「レザール・フロリサン」。シャルパンティエの音楽劇≪花咲ける芸術≫から名前をとっており、クリスティはこれまでにシャルパンティエの作品を25ほど録音しており、シャルパンティエがクリスティにとっていかに特別な存在であることがわかる。
◆ラモーについてはミンコフスキほか
◆ヘンデルについてはホグウッド
◆ハイドンについてはドラティ
◆ヤーコプスの貢献も大
ルネ・ヤーコプス
カウンター・テノール歌手、指揮者。1946年ベルギーのヘント生まれ。ヘントの大聖堂の少年合唱団に所属し、ヘント大学では哲学を修める。その後、ブリュッセルとハーグで声楽を学ぶ。アルフレッド・デラーのマスタークラスでカウンター・テノールの訓練を積む。バーゼルで教えるかたわら、徐々に指揮活動を行ない、バロック・オペラなどの再演を積極的に行なう。最近はハンブルク国立歌劇場などでロマン派のオペラの上演も行なっている。
2012/07/30 (2014/06/27更新) (CDジャーナル)
昔むかし、学校に音楽室というのがあり、だいたい大作曲家の肖像画がかかっていた。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン・・・といったところが定番だったと思う。
クラシック音楽を聴き始めた頃、ヴィヴァルディがこの流れに棹さした。
バッハだけではなく、モーツァルト以前にヘンデルやハイドンもいたことは音楽史で習う。でも、ヴィヴァルディはちょっと意外な登場で『四季』がにわかに躍り出てきた印象だった。ところが、その後のバロック・ブーム、古楽器演奏の台頭などで『四季』だけでない、実はヴィヴァルディは凄いオペラ作曲家であり、さらに遡るとモンテヴェルディらがいる、と知ることになる。
オペラについても、昔むかしは、一般にモーツァルト以前はあまり顧みられなかった。19~20世紀オペラの紹介が中心であった。
ところが、バロック・オペラ(1600年以降)の世界が広がるとその光景は一変する。モーツァルト以前、イタリアやフランス、そしてイギリスにも多くのオペラ作曲家が犇めいていたことが、どんどん世に紹介されることになった。音楽史では、いわゆる古典派以前、そしてドイツ・オーストリア音楽以前のイタリア、フランスといったラテン系の輝き・・・。いまや、それは外せない前提になっていると思う。
この半世紀で、明らかに初学者向けの(西洋)音楽史はかわったと思う。そしてこれから先も変化を続けていくことだろう。
(ジャケットは別です)
バロック・オペラはときに猥雑で、節操がない。でも、その生々しさが下世話な覗き趣味を満足させるのかも・・・。超人的な売れっ子作家だったピエトロ・メタスタージオの作品群は、この人がいかに人生の機微に通じていたかの証だろう。以下、三題噺風に。
◆ヒロインは捨てられた女
◆男はつらいよ~悩める長男編
◆これぞ悪女の典型