(ジャケットは別です)
1970年代からのバロック・ブームについては、さまざまな要因が考えられるだろう。
クラシック音楽界といういささか特殊な「供給側」からみると、カラヤン、ベーム、バーンスタインなどの巨匠時代がそろそろピークアウトする変革期を迎えていた。神々の黄昏ならぬ巨匠時代の終焉の時代が近づきつつあった。
もしかするとシノーポリ、マデルナなどの「現代音楽」がこれに取って代わる可能性もあったが、シノーポリは頓死してしまい残念ながらそうしたムーブメントにはならなかった。
一方、クラシック音楽の「需要側」は、あらゆる音楽ジャンルの選択肢のなかで、それまでのクラシック音楽に特化する理由はなく、むしろ関心は求心的ではなくどんどん拡散していった。
そうした中、一部のファンは「現在および将来へ」の関心ではなく、「現在から遡及し過去へ」の嗜好が強くなっていった。古楽器ブーム、古典派以前のバロック・ロココ音楽への関心の高まりなどはその典型であったろう。
古楽器ブーム、古典派以前のバロック・ロココ音楽には、マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチなど大規模オーケストラによる巨大な交響曲の演奏とは対極の室内楽的な音色に新鮮さがあった。「需要側」に訪れたこの変化は「供給側」を機敏に刺激し双方の蜜月時代がはじまった。
これはオペラの世界も同様で、大規模なオペラ上演は、さまざまな理由で難しい時代を迎えていた。音楽祭では、バイロイトが徐々に凋落し、ザルツブルクもカラヤンの死は大きな衝撃であったろう。また、演出の「現代化」とは経費の節約と同義であり、これも切実な要因であったろう。
さて、バロック・オペラの蘇演がこの頃から本格化する。比較的少人数で小回りがきき、演出も古式でもなんとかやりきれる。これは大規模オペラの抽象的な演出に辟易としていた聴衆にノスタルジックな魅力を提供した。小難しくない本来のオペラのあっけらかんとした楽しさ、そこは理屈抜きの愉悦をたたえていた。そして、そうした取り組みは世界中で芽吹いていった。