土曜日, 6月 30, 2012

トリスタンとイゾルデ  フルトヴェングラー




HMV レビューから引用

フルトヴェングラー/『トリスタンとイゾルデ』全曲



1952年モノラル録音。二人の偉大なワグネリアン、フルトヴェングラーとフラグスタートが残した不朽の名盤が、ARTリマスタリングで待望の再発売。この濃厚きわまるロマンと呪縛的な官能をそなえた超名演は、フルヴェンをしてそれまでの録音嫌いを返上させたほどの成果を上げた一方、第2幕のクライマックスでの高音をレコード会社が無断ですげ替えてしまったことにフラグスタートが傷ついてしまい、彼女の引退のきっかけとなった、という逸話も残されています(ちなみに、問題の一音を歌っているのは、フラグスタートの親友でもあったシュヴァルツコップ)。



・ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』全曲

 イゾルデ:キルステン・フラグスタート

 トリスタン:ルートヴィッヒ・ズートハウス

 ブランゲーネ:ブランシュ・シーボム

 マルケ王:ヨーゼフ・グラインドル

 クルヴェナール:ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ

 メロート:エドガー・エヴァンス

 牧童:ルドルフ・ショック

 水夫:ルドルフ・ショック

 舵手:ローデリック・デイヴィーズ

 コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団(合唱指揮:ダグラス・ロビンソン)

 フィルハーモニア管弦楽団

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)



 録音:1952年6月10-21日、23日、ロンドン、キングズウェイ・ホール(モノラル)

さまよえるオランダ人  C.クラウス




HMV レビューから引用

C.クラウス / 『さまよえるオランダ人』全曲(2CD)



・ワーグナー:歌劇『さまよえるオランダ人』全曲

 ハンス・ホッター(B:オランダ人)

 ヴィオリカ・ウルスレク(S:ゼンタ)

 ゲオルグ・ハン(B:ダーラント)、他

 バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団

 クレメンス・クラウス(指揮)

 録音:1944年3月、バイエルン国立歌劇場(モノラル・ライヴ)

ローエングリン  カイルベルト




HMV レビューより引用



1953年のバイロイト音楽祭を記録したデッカ録音の復刻。若きヴィントガッセンをはじめ、ウーデ、ヴァルナイ、グラインドル、スティーバー、ブラウン、など豪華なワーグナー歌手たちの競演、いかにも“オペラ・ハウスのたたき上げ”というべき個性で出演者とオケ、そして聴衆から絶大な信頼を集めていたという、純ドイツ風の巨匠カイルベルトの指揮が魅力の名演として、以前から有名なものです。

 当盤は、復刻の名手として知られるマーク・オバート=ソーンによる復刻。以前に他社から出ていたときはCD4枚組でしたが、今回はCD3枚に収まり、価格も手頃でうれしいところです。

・ワーグナー:歌劇「ローエングリン」全曲

 ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)

 エリナー・スティーバー(S)

 ヘルマン・ウーデ(Br)

 アストリッド・ヴァルナイ(S)

 ヨーゼフ・グラインドル(B)

 ハンス・ブラウン(Br)

 ゲルハルト・シュトルツェ(T)

 ヨゼフ・ヤンコー(T)

 アルフォンス・ヘルヴィヒ(Br)

 テオ・アダム(B)

 バイロイト祝祭合唱団

 ヴィルヘルム・ピッツ(合唱指揮)

 バイロイト祝祭管弦楽団

 ヨーゼフ・カイルベルト(指揮)

 録音:1953年7月~8月、バイロイト祝祭劇場


パルジファル クナッパーツブッシュ




HMV レビュー から引用

ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」(録音:1951年7月・8月、バイロイト祝祭劇場)(4枚組)



 演奏史譚家・山崎浩太郎さんも

「...デッカはすでにCD化している。そのCDは正統も正統、嫡流中の嫡流である。

 “板起こし”のCDなんてものは、それに比べれば、怪しげなクローン人間みたいなものかも知れない。オリジナルのマスター・テープに遡ることもせず、お金を払えば誰でも買えた、何千枚もあるLPから音をとって、調整を加えたものに過ぎないのだから。

 だが、音がいい。

 立体感、深さ、そして生々しさ、ここでエンジニアのマーク・オバート=ソーンが溝から拾い出した音は、とても気持ちがいい。

 恥をしのんで告白すれば、わたしはクナッパーツブッシュの51年盤というのが、今まであんまりよくわからなかった。間延びして聞こえたのだ。しかしそれは間違っていた。」

 と絶賛する生々しい音質も特筆ものです。



マーク・オバート=ソーン氏によるプロデューサー・ノート

 このクナッパーツブッシュの「パルジファル」の録音は、1951年の7月と8月、バイロイト音楽祭における数回の演奏を編集して制作された。

 デッカはその当時まだそれほど磁気テープというメディアの操作に慣れていなかったために、音響バランスはまずまずで明瞭な雰囲気も出ているが、場所により、パースペクティヴのばらつきとオーディエンス・ノイズが耳につく。

 オリジナル・マスターには他にも問題がある。例えば第二幕、クンドリーのオクターブ跳躍の箇所で残響付加があり、第二幕開始時の低音部では、おそらくアジマス調整(ヘッドと磁気テープの相対角度の調整)の不手際に起因する雑音が存在する。どちらも訂正することは出来なかった。

 しかし、第三幕終結部のピッチの低下(この録音の再発売LPでは厄介な問題になっていた)は修正し、また、いくつかのLPでは何の説明も無く割愛されていた、同じ幕での聖杯の騎士登場直後にある弦の音も修復することができた。

魔笛 べーム

モーツァルト:魔笛 全曲

HMV レビューからの引用

モーツァルト:歌劇『魔笛』

ピータース(S)ヴンダーリヒ(T)リアー(S)F=ディースカウ(Br)オットー(S)ホッター(B)

ベーム指揮ベルリン・フィル、RIAS室内合唱団

1964年ステレオ録音。モーツァルト晩年の寓意に満ちた神秘的な作品から、スケール大きく豊かな音楽を引き出したベームの定評ある名演

ザラストロ……フランツ・クラス(バス)
タミーノ……フリッツ・ヴンダーリッヒ(テノール)
弁者……ハンス・ホッター(バリトン)
夜の女王……ロバータ・ピータース(ソプラノ)
パミーナ……イヴリン・リア(ソプラノ)
侍女1……ヒルデガルト・ヒレブレヒト(ソプラノ)
侍女2……ツヴェトカ・アーリン(メゾ・ソプラノ)
侍女3……ジークリンデ・ワーグナー(アルト)
パパゲーノ……ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ(バリトン)
パパゲーナ……リザ・オットー(ソプラノ)
モノスタトス……フリードリヒ・レンツ(テノール)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団&ベルリンRIAS室内合唱団
1964年6月18~25日、ベルリン
ユニヴァーサル(旧ポリドール) F95G 20071/3

日曜日, 5月 27, 2012

クラシック音楽 聴きはじめ 11 リヒター

バッハ:ヨハネ受難曲

 リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団の歴史的名盤。歌手は、エヴァンゲリスト:ヘフリガー(テノール)、イエス:プライ(バリトン)、ペテロ、ピラト:キート・エンゲン(バス)、イヴリン・リアー(ソプラノ)、ヘルタ・テッパー(アルト)。1964年2月ミュンヘンにて収録。

  1969年、日本でのこのメンバーによる公演があった。マタイもヨハネもロ短調ミサも集中的に演奏された一大ページェントだったが、本曲は5月4日一度だけ取り上げられ、エヴァンゲリスト:ヘフリガー、イエスは、バリトンではなくキート・エンゲン(バス)が担当した。この公演自体がいまだに語り草になっているが、この5年前に収録された本盤はリヒターの厳しくも神々しいバッハ解釈を完璧に表現したものとして当時、大きな話題となった(レコードも3枚組で6,600円と実に高価だった)。

  本曲は、聖書の引用が多く、エヴァンゲリスト(福音朗読者)の役割がとりわけ大きいが、エルンスト・ヘフリガーは規範的な第一人者。イエスは若きヘルマン・プライが力演、全篇の合唱もダイナミックで劇的な迫力に富む。リヒターという不世出の敬虔なバッハ使徒が全力を注いだ記録という意味からも、本盤は今後も歴史的名盤の地位をけっして失わないだろう。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F-%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC-%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%BF-%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC-%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%B3/dp/B00005FHJS/ref=cm_cr_pr_pb_t

日曜日, 5月 20, 2012

リヒター




たまに興がのると宗教曲を聴きたくなる。どういった心境か自分でもよくわからないが、そうしたときに真っ先に思いつくのはリヒターだ。しかし、今回はリヒターのまえに、マルケヴィッチで「天地創造」を聴いた。


■ハイドン:オラトリオ《天地創造》

イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)

リヒャルト・ホルム(テノール)、キム・ボルイ(バス)

ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮:イーゴル・マルケヴィッチ

CD:UCCG-4213/4(2枚組) \2,400(\2,286) ドイツ・グラモフォン

ゼーフリート等、当時の名歌手を配して録音された天地創造、日本初CD化。モノラル


次にリヒターでどこを聴くかを悩む。やはりマタイかな。
 





■J.S.バッハ:マタイ受難曲

 エルンスト・ヘフリガー(福音史家、アリア:テノール)

 キート・エンゲン(イエス:バス)

 アントニー・ファーベルク(第1の女、ピラトの妻:ソプラノ)

 イルムガルト・ゼーフリート(アリア:ソプラノ)

 ヘルタ・テッパー(第2の女、アリア:アルト)

 マックス・プレープストル(ユダ、ペテロ、ピラト、司祭の長:バス)

 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(アリア:バス)

 ミュンヘン少年合唱団

 ミュンヘン・バッハ合唱団

 ミュンヘン・バッハ管弦楽団

 指揮:カール・リヒター

 録音:1958年6-8月 ミュンヘン、ヘルクレスザール(ステレオ)

ヴァルヒャ 2




ヘルムート・ヴァルヒャのオルガンを聴いたあと、同じヴァルヒャでチェンバロを聴きたくてCDラックから取り出してくる。シェリングのバッハは、いわずと知れた「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」(全曲)でも「ヴァイオリン協奏曲集」でも孤高、不朽の名演をのこしており、この組み合わせは最善、最強まちがいがない。しかも、先行レビュアーの方がコメントしているように、ヴァルヒャ唯一の協奏という希少性がある。

ここでもヴァルヒャのバッハ像はときに軽快で大らか、悲歌(エレジー)を思わせる曲にも背後からほの明かりが射すような温もりを感じさせ、シェリングのいささかパセティックな鋭角的な響きを包んでいるような印象をうける。両巨匠の素晴らしい掛け合いが緊張感をもって持続する。歴史的名盤、是非、再販を望みたい。

ヴァルヒャ 1

バッハ:オルガン名曲集


バッハのオルガンを聴きたくなるのは、少しくメランコリー、一人で沈思したいときではないだろうか。しかし、トッカータの原義は「触れる」という意味で、いわばオルガンの「腕ならし」曲といわれればすこし気分もかわり、本集の終曲、『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』には明るい導きの響きもある。
ヘルムート・ヴァルヒャの即興的な雰囲気漂う名演が、ひろく支持をえているのは、バッハの朗々さを見事に表現しているからではないだろうか。聴き終わったら、結構、気分が晴れるかも! 

<収録内容>

◆トッカータとフーガ ニ短調 BWV565(1956年9月、アルクマール)

◆トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564(1956年9月、アルクマール)

◆幻想曲とフーガ ト短調 BWV542(1962年9月、アルクマール)

◆パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV583(1962年9月、アルクマール)

◆小フーガ ト短調 BWV578(1970年5月、ストラスブール)

◆コラール『主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる』 BWV639(1969年9月)

◆コラール『いざ来ませ、異教徒の救い主』 BWV659(1971年5月、ストラスブール)

◆コラール『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』 BWV645(1971年5月、ストラスブール)

日曜日, 5月 13, 2012

最近聴いているテンシュテット 2

Symphony Nos 3 6 7 8 Overtures


下記選集のベートーヴェン2枚を続けて聴く。やはりいいなあと感じ入ってしまう。3番はライヴ盤だが、大変バランスよく均整のとれた演奏で、いままで聴いてきたほかの指揮者のあまたの音源と比較しても、トップクラスの名演であると思う。すこしオーケストラの統制を緩めて軽快に飛ばすドライブ感(第1,3楽章)と速度をぎりぎりまで減速してたっぷりと情感をもって丁寧に仕上げていく(第2、4楽章)交互の手法が見事にいかされている。

これは6番や8番も同様で、とくに流麗、豊饒な音楽に特色のあるテンシュテット・サウンドのヒット感が6番では強く感じる。

3番、6番、8番そして序曲集と聴いてきて思うのは、オーケストラ(メンバー)が演奏しつつ心のなかで豊かに「歌っている」ということだ。外形的ではなく、まるでハミングでも聞こえてきそうな雰囲気で内面で「歌っている」。しかも、これは統制されて無理やりではなく、音楽に身をゆだねて自然に歌がでてくるような現場を思い浮かべる。これぞ、テンシュテットの底知れぬ魅力の源泉。


CD1:ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、1991年9月26日、10月3日(ライヴ)、『プロメテウスの創造物』、序曲『コリオラン』、『エグモント』序曲、1984年5月11-12日、ロンドン・フィル 

CD2:ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、第8番、1985年9月15,16,19日、1986年3月27日、『フィデリオ』序曲、1984年5月11-12日、ロンドン・フィル

➡ https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R16GTBE3LK67C9/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B000HWZAPQ

最近聴いているテンシュテット

Great EMI Recordings


 テンシュテットの魅力は、 自由度の高さを感じさせる曲づくりのなか、流列のはっきりした音楽が豊かに奏でられる一方、それが時に大きく奔流する爽快感です。この「感じ」は20世紀初頭の巨匠時代を彷彿とさせる一方で、彼の演奏にはお仕着せがましさといったものが全くありません。虚心で素直に聴け、しかも聴衆に対して大きな包容力があります。旧東独出身、テンシュテットの特質は本選集でのいわゆる「ドイツ正統派」演目で如何なく発揮されていると思います。


<収録内容>

CD1:ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、1991年9月26日、10月3日(ライヴ)、『プロメテウスの創造物』、序曲『コリオラン』、『エグモント』序曲、1984年5月11-12日、ロンドン・フィル

CD2:ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、第8番、1985年9月15,16,19日、1986年3月27日、『フィデリオ』序曲、1984年5月11-12日、ロンドン・フィル

CD3:ブラームス:交響曲第1番、1983年9月21,22日、ドイツ・レクィエム 第1曲、第2曲、ロンドン・フィル

CD4:ブラームス:ドイツ・レクィエム 第3曲~終曲、1984年8月19,20,23-25日、運命の歌、1985年5月2日、ロンドン・フィル

CD5:ブルックナー:交響曲第4番『ロマンティック』(ハース、1881年版、1981年12月13,15,16日)、ベルリン・フィル

CD6:ブルックナー:交響曲第8番(ノーヴァク、1890年版)、1982年9月24-26日、ロンドン・フィル

CD7:マーラー:交響曲第1番『巨人』、シカゴ交響楽団、1990年5月31日-6月4日

CD8:シューマン:交響曲第3番『ライン』、1978年10月17-18日、交響曲第4番、ベルリン・フィル、1980年4月18-20,22日

CD9:R.シュトラウス:『ツァラトゥストラはかく語りき』、1989年3月、『ドン・ファン』、1986年9月、『死と変容』、1982年3月28,29日、ロンドン・フィル

CD10:ワーグナー:『ワルキューレ』~「ワルキューレの騎行」、「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」、『神々の黄昏』~「夜明けとジークフリートのラインの旅」、「ジークフリートの死と葬送行進曲」、『ラインの黄金』~「ワルハラへの神々の入場」、『ジークフリート』~「森のささやき」、1980年10月6,8,9日、ベルリン・フィル

CD11:ワーグナー:『タンホイザー』序曲、『リエンツィ』序曲、『ローエングリン』第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、1982年12月15日、1983年4月16,17日、ベルリン・フィル

CD12:メンデルスゾーン:交響曲第4番『イタリア』、1980年4月18-20,22日、シューベルト:交響曲第9番『グレート』、1983年4月21-22日、ベルリン・フィル

CD13:ムソルグスキー:交響詩『禿山の一夜』(リムスキー=コルサコフ編)、1990年5月10日、コダーイ:組曲『ハーリ・ヤーノシュ』、プロコフィエフ:組曲『キージェ中尉』、ロンドン・フィル、1983年9月22,23,26日

CD14:ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番、ロンドン・フィル、1984年5月11-12日、シューマン:4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック 、ベルリン・フィル、1978年10月17-18日、ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』、ベルリン・フィル、1984年3月14,15日



 このアルバムは象徴的である。「ツァラトゥストラ・・・」は不思議な曲、難解な曲と言われ、「埋葬の歌」や「病から回復に向かう者」といった表題をもった部分もある。テンシュテットは録音時点の1989年3月、重篤な病気闘病中であり、なぜこの曲の録音を行なったのか、いかなる心象で臨んだのかといった関心は否が応にも高まる。


 しかし、そんなことは付随的とも思わせる素晴らしいスケール感の、これは名演である。オルガンのぶ厚く低いイントロ、低音のトレロモ、トランペットの輝かしい閃光的な登場といった有名な序奏から終曲「さすらい人の夜の歌」まで一気に駆け抜けるような集中力ある演奏で、とても病気を押して演奏しているような風情はない。気迫にあふれ、バランス感絶妙の本演奏を接して、これほど気宇浩然の魅力的な曲だったのかと驚くリスナーも多かろう。1986年3月録音の「ドン・ファン」も同様な印象。テンシュテットがいかにR.シュトラウスを得意にしていたかを知る格好な1枚である。

ブルックナー:交響曲第8番


  全般に遅い運行で、特に第3楽章のアダージョ後半の第2主題を奏するヴァイオリンの引っぱり方などは限界に挑んでいるかのような緩慢さである。しかし、そこに籠められるのはとても深い豊かな響きである。

  フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、そしてチェリビダッケなどにも共通するが、遅いテンポの持続は、その少しの変化でも微妙な表情づけを可能とする。第4楽章も同様。速くなく(nicht schnell)どころではなく第3楽章の長い延長線が続く。フィナーレもコラール風の句の前後で若干、テンポが上がるが最後までほぼ巡航速度は維持される。フルトヴェングラーのようなアゴーギグにともなうクレッシェンドやディミニュエンドの多用はなく、使われる場合はかなり抑制的に(しかし、それゆえ効果的に)発動される。

  しかし内燃するエネルギーは迸るように激しく、なんど聴いても終了後深い感動がある。テンシュテットらしい名演。 

◆データ/ブルックナー:交響曲第8番(ノーヴァク、1890年版)、1982年9月24-26日、ロンドン・フィル

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Symphonies Nos 4 & 8 (Bril)


 クラウス・テンシュテットは東独の指揮者(1926年メルセベルク生まれ)だったので、早くから頭角はあらわしつつも冷戦下「西側」へのデビューが遅れました。しかし、豊穣なボリューム感をもった音楽性には独自の良さがあります。ブルックナーは得意の演目です。

 当初は、フルトヴェングラー、クレンペラーに続く古式ゆかしい指揮者と思っていましたが、聴き込むうちになんとも素晴らしい音づくりは彼独自のものと感じるようになりました。音の流れ方が自然で、解釈に押しつけがましさや「けれんみ」が全くありません。その一方で時に、柔らかく、なんとも豊かな音の奔流が聴衆を大きく包み込みます。そのカタルシスには形容しがたい魅力があります。ブルックナーの4番は、こうしたサウンドイメージにぴったりですし、ベルリンフィルとの相性も良いと思います。数多の名演のある4番ですが、小生は最も好きな演奏の一つです。 

◆データ/ブルックナー:交響曲第4番『ロマンティック』(ハース、1881年版、1981年12月13,15,16日)、ベルリン・フィル
Symphony 9 " New World " / Hary Janos


  1984年3月14~15日ベルリンでの録音。カラヤンが帝王としてベルリンに君臨していた時代にもかかわらず、テンシュテットは同時期に比較的多くの録音をベルリン・フィルと残している。ライヴェルの存在には人一倍厳しかったと言われるカラヤンがなぜそれを許容したのか、という疑問は残るが、東独出身でおそらくは自分とは全く違うタイプの演奏家であり、覇を競う相手とは考えていなかったのかも知れない。 

  たしかに完璧な構成力を誇るカラヤン/ベルリン・フィルとは趣きのことなった「新世界」である。ベルリン・フィルはとても伸び伸びと演じているように聞こえる。テンシュテットらしくオケの自由度の幅を大きくとり、全体に鷹揚とした構えながら、要所要所では鋭角的なリズミックさを強調しつつ、メロディの丹念な彫琢もキチンと行っていく。木訥とした泥臭さをどこか遠くに感じさせながら、ベルリン・フィルのアンサンブルは申し分ない。弦と木管が前面にでて、全体に自然でしなやかな感じをよくだしている。小生好みのノイマン/チェコ・フィルの演奏にも通じるものがある。聴いて飽きのこない佳演。
Complete Mahler Recordings


 マーラーの交響曲全集は多い。これを世に問うのは、いまや力量ある指揮者の「証」といった感すらある。さらに、各番別には、指揮者もオケも鎬を削る主戦場でもあり百花繚乱の状況である。

 そのなかで全集としてどれを選ぶか。私はバーンスタインとテンシュテットを好む。各番別のベスト盤では種々の見解はあろうが、マーラーという世紀末に生き個人的にも深い懊悩をかかえた稀代の作曲家がなにを目指していたのかについて、明解に、かつ追体験的に迫るアプローチとしてこの2セットは共通する。

  テンシュテットは交響曲の「完成」と同時に「崩壊」の過程、双方をマーラーにみて、その均衡と相克を各番に通底して全力で表現せんとしているように感じる。異様な迫力の部分、ゆくりなくも奏でられる美弱音の表情ともに緊迫し奥深い。彼自身、重篤な病気を圧しての足掛け16年の軌跡・・・といったセンティメントよりも、むしろ執念ともいうべき一貫した表現力への挑戦の記録(16のCD全集、5~7番はライヴ版も収録)に価値がある。傾聴すべき遺産と思う。

<収録情報>

【第1番】『巨人』1977年、A 【第2番】『復活』1981年、K、withエディト・マティス(ソプラノ)他 【第3番】1979年、K、with オルトルン・ヴェンケル(コントラルト) 【第4番】1982年、K、with ルチア・ポップ(ソプラノ) 【第5番】(1)1978年、A、(2)1988年、L(ライヴ) 【第6番】(1)『悲劇的』1983年、K、(2)1991年、L(ライヴ) 【第7番】(1)『夜の歌』1980年、A、(2)1993年、L(ライヴ) 【第8番】『千人の交響曲』1986年、ウォルサムストウ・タウン・ホール、ウェストミンスター大聖堂、with エリザベス・コネル(ソプラノ)他 【大地の歌】1982年、A with アグネス・バルツァ(コントラルト)他 【第9番】1979年、A 【第10番】第1楽章『アダージョ』、1978年、A 

 (注)録音場所ーA:アビー・ロード第1スタジオ、K:キングズウェイ・ホール、L:ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

 
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http://shokkou3.blogspot.com/2012/05/blog-post_13.html も参照
 

木曜日, 5月 03, 2012

音楽三昧

Bruckner;Symphony No.3


連休中、過去のブログなどの更新を行っている。上記のアーノンクールのブルックナーの3番はじめ、ブロムシュテットの4番、次に5,7,8,9番についてベイヌムの選集(とても気にいっておりすでに幾度もコメントしてきたもの)、レーグナーの6番、ヨッフムのミサ曲集。ブラームスではフルトヴェングラーの交響曲1~4番(EMI)、ミュンシュ/ボストン響の1番、マーラーでは、ショルティ/シカゴ響の7番。すべて過去のリニューアル、再録である。

一方、ショルティのハイドン後期交響曲(織工Ⅱでコメント)を聴いて一部を加筆した。それがきっかけでハイドンを昨日から連続でまわしている。

(これはまだ書いていないが、)ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカで88番「V字」、95番、101番「時計」を聴いて、改めてこの組み合わせ、只者ではないなと感服する。粒のそろった高密度ととぎれぬ一定の持続力で交響曲全集を録音するなど、やはりハイドン音楽への深い愛なくしては想像できない偉業である。

交響曲の雄が ドラティとすれば、弦楽四重奏曲ではクイケン四重奏団のテーストが気にいっている。これについては若干の感想(織工Ⅱでコメント)を追記した。

さて、交響曲、弦楽四重奏曲とつづくと次はすこし重いものを所望する気分になり、マルケヴィッチでオラトリオ「天地創造」をいま聴いている。

ここまでが連休中盤までの備忘録。

(参考)

◆全体の更新
https://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile
/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&ref_=
cm_aya_pdp_home
◆ドラティのハイドン交響曲全集 
 ◆マルケヴィッチでオラトリオ「天地創造」

土曜日, 4月 28, 2012

ケンペ



 ケンペの演奏にぐっときたのは、近くの名曲喫茶で偶然、アルプス交響曲を聴いたのがきっかけである。「いい演奏だな」と感じ「誰の演奏かな」と思案しいくつか候補をしばし考えてプレーヤーの近く、レコードの置いてあるところに足をはこんで確認した。
 ケンペ/ロイヤル・フィル(上のジャケット)だった。想定はまったくはずれており、その分、印象に強くのこった。

ブラームス:交響曲全集


 次にブラームスの交響曲全集を中古屋で買って聴いた。気にいった。以下はかつて書いたものの再録。
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 3枚組のブラームス交響曲全集を購入、聴いている。

① 交響曲第1番ハ短調op.68(1960年/録音年、以下同じ)、 交響曲第3番ヘ長調op.90(1961年)

② 交響曲第2番ニ長調(1958年)、悲劇的序曲op.81(1961年)

③ 交響曲第4番ホ短調op.98 (1958年)、ハイドンの主題による変奏曲op.56a (1957年)で、全てベルリン・フィルとの演奏である。

 ベルリン・フィルを基準にとれば、1、2番については、意志力の強さが前面にで、また低弦が、ここまで分厚いかと感嘆する迫力のあるベーム盤が、また、3、4番では、録音は正直悪いが、それがゆえに想像力を喚起してやまないフルトヴェングラーのデモーニッシュなこれも歴史的な名盤がある。

 それらに比べるとケンペの演奏はとても地味に聞こえる。また、オーケストラをぐいぐいと引っぱり緊張感をいやがうえにも高めていくような部分に乏しい。一聽、ともすれば、特色のない平板な演奏とも言われかねない。

 しかし、良く耳を澄ますと、アンサンブルが見事にあっていて、丁寧なスコアの読みを感じさせるし、ベルリン・フィルからまことに伸びやかな音楽を最大限引きだしている。自然な、素直な演奏であるとともに、ブラームスの「憂愁」が時にそこはかとなく伝わってくる。

 「凄い」演奏ではないかも知れないがとても「佳い」演奏であり、また、テンポの動きは実にしなやかで、オケの自らのもつ運動能力が存分に発揮されているようにも思われる。

 今日は、特定の指揮者ではなく、地肌の「ブラームス」の音楽を聴きたいという気分のときには得難い演奏である。しかも各曲の質が均一で、通番で聴いていて安定感がある。全集としてこれは大切な特質であるだろう。

Homage to Rudolf Kempe

 リストマニアをつくったのは06/08/29だから、もうだいぶ時がすぎた。それ以来、見直していないので古くなったがライン・ナップにはそう大きな変化はないだろう。 

次にブルックナーである。これもかつて書いたものの再録。



■2006年5月28日 ブルックナー/メモランダムⅣ⑨ー R.ケンペ
 ブルックナーで地味ながら味わい深い名演を残したのが、ルドルフ・ケンペ(Rudolf Kempe:1910ー1976年)です。ケンペは、古都ドレスデン近くに生まれ、地元の音楽学校で専門的な教育をうけたのち、1929年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団にオーボエ奏者として入団します。当時の首席指揮者はブルーノ・ワルターでした。指揮者に転じたのち1950年にはドレスデン国立歌劇場の音楽監督として帰省します。
 冷戦下、1952年には「西側」のバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任します。一時米国でも活躍しますが、1960ー63年のシーズンには、バイロイト音楽祭で『ニーベルングの指輪』を振っています。
 東独で専門的な教育をうけ実力で地位を築いたのち、「西側」に転じたキャリアはテンシュテットと共通します。また、その後、イギリス(ロイヤル・フィル、BBC交響楽団)でも高く評価され長きにわたり活躍しますが、1965年-1972年チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団首席、1967年ミュンヘン・フィルの首席と、スイスをふくめ広くドイツ圏にもしっかりと軸足をおいて活動した指揮者です。1976年、チューリッヒにて逝去しますが、円熟の境地をもっと示して欲しかったと惜しまれました。ベイヌム同様、いささか蒲柳の質であったのでしょうか。
 イギリスでは巨匠トーマス・ビーチャムの跡目をつぎ、またミュンヘン・フィルではクナッパーツブッシュ時代とチェリビダッケ時代の中間に位置します。メインの活動の時期は、カラヤンやベームらの全盛期であり、ほかにもミュンシュ(ミュンシュがゲヴァントハウスのコンサート・マスター時代にケンペはオーボエ奏者として仕えています)、バルビローリ、アンセルメはじめそれこそキラ星の如く、国別にスペシャリティの高い領域では大家がいまだ各所で健在でしたから、ケンペの活動は相対的には地味に見えます。しかし、今日、振りかえってみると、ケンペは堂々のドイツ正統派の実力を有し、レコードでもドイツ古典派・ロマン派を中心に多くの成果を残しています。
 ブルックナーでは、4番、5番のシンフォニーをミュンヘン・フィルで、8番をトーンハレで聴くことができます。 5番が特に良い演奏だと思います。ブルックナーのこの曲への複雑な感情表出が、陰影を感じさせる深い響きから浮かび上がってきます。全体にデューラーの少し暗い色調の絵を観賞するような趣きがあります。また、ミュンヘン・フィルの重量感のある低弦が美しい第2楽章のアダージョは、これぞドイツ的な音の渋さ、くすみ、幾分の暗さが微妙にブレンドされていて、全くぶれず程良い一定のテうンポで持続していきます。聴いていてケンペならではの独自の音づくりには静かな感銘を受けます。

http://mituhirousui.wordpress.com/2006/05/28/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%a0%e2%85%a3%e2%91%a8%e3%83%bc%e3%80%80%ef%bd%92%ef%bc%8e%e3%82%b1%e3%83%b3%e3%83%9a/

(参考)
http://shokkou.blog53.fc2.com/blog-entry-331.html

日曜日, 4月 15, 2012

ワルター マーラー「大地の歌」



ワルターには数種の同曲の録音がある。1938年のSP復刻のもの、1952年にウイーン・フィル盤(2種)、そしてこのニューヨーク・フィルとの1960年のスタジオ録音盤(唯一のステレオ収録、ほかにライヴ盤も知られる※)などである。

【ウイーン盤について】

カスリーン・フェリアー(コントラルト)
ユリウス・パツァーク(テノール)
 収録時間:1時間16分2秒
録音年月:1952年5月15日-16日、20日
録音場所:ウイーン

【本盤について】

ミルドレッド・ミラー(メゾ・ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
収録時間:1時間12分55秒
録音時期:1960年4月18、25日
録音場所:ニューヨーク、マンハッタンセンター
 
※参考【ニューヨーク・フィルとの別の音源】
   モーリーン・フォレスター(アルト)
リチャード・ルイス(テノール)
録音時期:1960年4月16日
録音場所:ニューヨーク、カーネギー・ホール
録音方式:モノラル(ライヴ)

当盤はワルター逝去(Bruno Walter, 1876年9月15日-1962年2月17日)の2年前の記録であり、「告別」が最後のテーマになっている本曲には象徴的なものを感じる。

 第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」
 第2楽章「秋に寂しき者」
 第3楽章「青春について」
 第4楽章「美について」
 第5楽章「春に酔える者」
 第6楽章「告別」

ワルターは1911年本曲を初演した(※※)。マーラーの弟子、後継指揮者として、この曲を35才のワルターが世に問うたことは、彼自身が述懐しているように実に大きな飛躍のステップであった。
 

※※参考【初演について】

(以下は引用)

 1911年11月20日、ミュンヘンにて、ブルーノ・ワルター指揮、カイム管弦楽団(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)による。この年の5月にマーラーはこの世を去っており、マーラーの弟子であるワルターが指揮を担当することとなった。
 ワルターは、「・・・『大地の歌』の初演は最も貴重な芸術上事件として生涯忘れることはできない。それは、マーラーが残してくれた、私自身にとっても極めて大事なこの作品の初演の責任を感じていたことであり、さらには、私が師に代わって行う事を感じていたことなどが理由である。また、初演で、彼から私にゆだねられたスコアがここに初めて感動的な音楽の響きとなるや、故人の有り様を痛ましくもまた身近に感じたからだ。・・・」とその時の思いを回想録「主題と変奏」に書き残している。

そうした点を一応、措くとしても当盤はその演奏の品位、クリアな録音ともいまもこの曲の代表的名作である。とくに、エルンスト・ヘフリガー(テノール)は他に代えがたい深い詠嘆を湛えており、心に染み入るものである。第一楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」の出だしから、マーラーの心境に寄り添っているような一体感さえあると感じる。至芸である。

金曜日, 4月 13, 2012

ワルターでマーラーを聴く

 
The Original Jacket Collection:Bruno Walter Conducts Famous Mahler & Bruckner [Box set, Limited Edition, from US, Import]

なぜかこの週末はマーラーを聴きたい心境。さて、誰を選ぼうかと思案し、ワルターにする。上記のBoxセットをラックから取り出す。ここのところ、ワルター/ニューヨーク・フィルのブルックナーを聴いて、実にいいなと思ったこともあるか・・・。
まず、5番から。古い録音であるが、音は意外とクリアでこの時代の音源としては悪くない。 
交響曲第5番(録音:1947年2月10日、ニューヨーク)
 ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団
今日はあえて感想を書かないが、いつもながら曖昧さのない歯切れのよいワルターのマーラー解釈である。しかし、この名録音は日本ではずいぶんとあとになってお目見えしたように記憶している。当時のジャケットを以下に貼付。