金曜日, 8月 31, 2007

ジュリアード弦楽四重奏団 ベートーヴェン中期弦楽四重奏曲

 インバルのブルックナー全集を(9番を除き)連続で聴いて、さすがに別のジャンルを引っぱってきたくなった。ジュリアード弦楽四重奏団のベートーヴェン中期弦楽四重奏曲にする。。82年アメリカ合衆国国会図書館クーリッジ・ホールで行われたベートーヴェン全曲演奏会のライヴ録音である。
 今度も3枚組を続けて聴く。① 第7番ヘ長調「ラズモフスキー第1番」、② 第8番ホ短調「同第2番」、 第9番ハ長調「同第3番」 、③ 第10番変ホ長調「ハープ」、 第11番「セリオーソ」の5曲を所収。
  この当時のメンバーは、第1
ヴァイオリン: ロバート・マン(Robert Mann)、 第2ヴァイオリン: アール・カーリス(Earl Carlyss)、ヴィオラ: サミュエル・ローズ(Samuel Rhodes)、 チェロ: ジョエル・クロスニック(Joel Krosnick) である。

 「Juilliard String Quartetは、
アメリカニューヨークジュリアード音楽院の校長だった作曲家、ウィリアム・シューマンの提唱により、ジュリアード音楽院の教授らによって1946年に結成された弦楽四重奏団である。ヨーロッパ出身の弦楽四重奏団のような民族色はないが、完璧なアンサンブル、緻密で明快な音楽解釈、高度な統一感のもたらす音楽表現の広さにより、現代の弦楽四重奏団の最高峰の一つとされている」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
-------------------------------------------
 ぼくはこの四重奏団の演奏はたいへん現代的だと思う。劇的な表現力にすぐれテンポは早くけっしてだれない。緊張感をこれほど持続させることができるのは、4人の演奏者間相互で生み出す驚異的な集中力ゆえだろう。まして、これはライヴ盤であり、張りつめた会場の雰囲気まで伝わってきそうな迫力である(聴衆の拍手も入っている)。
 ベートーヴェンはラズモフスキー伯爵によって弦楽四重奏曲の依頼を受けた。そのため3曲の弦楽四重奏曲は「ラズモフスキー四重奏曲」Op.59として出版された。

 しかし、あたりまえだが、「標題」と「曲想」は全くの別もの。ベートーヴェンはここでひそかにさまざまな管弦学法の実験をしているようだ。一定のルールのうちながら、メロディの流れを自由に変えてみたり、大胆な変調を試しているのでは、と感じることがある。そのあたりの綾は十分に折り込んでのジュリアードの面々である。全般にクリア・カット、切れ味がよく、おそらくはベートヴェンの意図を現代的に翻訳した「スリリングさ」を聴かせてくれる。

木曜日, 8月 30, 2007

インバル ブルックナー8番

 インバルでブルックナーの交響曲全集を毎日順番に聴いている。3,4番については既に下に記した。
 00番はめったにかけないが、聴く場合はインバル盤を標準としている。インバルの0~2番は特にコメントすべき点なし。1番、2番ともいつもはヨッフム/ドレスデンを聴く。インバル盤もけっして悪くはないが、ヨッフムのブルックナー演奏への熱い思い入れとメローディアスな美しさには及ばない。5~7番も標準的な演奏だが、なかでは6番が見事。6番では、なかなか良い演奏に巡り会わないがこれは素直に心に響く1枚。9番は第4楽章付きだが今回はパスするので最後にこの8番。
--------------------------------------------------------------
 ここも、まずフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。8番は遺稿問題が複雑でインバルはよく初稿での演奏を行ってくれたと思う。ただ、3,4番の初稿と改訂版の非常に大きな乖離に比べると、もちろん違いはあるが8番での違和感の落差は、相対的には小さくなっている。
--------------------------------------------------------------
 「作曲者自身による作曲・改訂の経緯からみると、この曲はまず1887年に完成され、のち1890年に改訂された。前者を1887年版または第1稿、後者を1890年版または第2稿と称する。・・・第1稿と第2稿を比較すると、全楽章で多数の相違がある。第1楽章は、第2稿を基準にすると、第1稿では続きがあるように聞こえる(第1主題に基づくフォルティッシモが戻り締めくくられる)。第2稿では削除された経過句やオーケストレーションなどの相違も多い。
なお、第1楽章で、第1稿では139~143小節にトランペットが重なっており、このトランペットは第2稿では採用されていないが初版(改訂版)では採用されている。これをもって、初版に高い正当性を見出す見解を示す意見もある(初版については、弟子が勝手に改竄したと評価されることがしばしばある)。
ハース版出版以前は、もっぱら初版(改訂版)が演奏に用いられた。ハース版出版後しばらくは、ハース版が演奏の主流であったが、現在ではノヴァーク版第2稿の使用頻度が高い。ハース版に対する、ノヴァークの否定的見解も、その一因と思われる。ただし、朝比奈隆ギュンター・ヴァントをはじめ、音楽的な内容から、ハース版を支持する演奏者も少なくない。
第1稿はめったに演奏されず、指揮者でもこれを録音した人はエリアフ・インバルゲオルグ・ティントナーぐらいである」
 「第1稿(1887年稿)については、ノヴァークによる校訂版が出版される以前に、第1楽章のみ1954年5月2日ミュンヘン1973年9月2日ロンドンハンス・フーベルト・ツェーンツェラー指揮で初演された。ノヴァーク版第1稿を用いての初演は、エリアフ・インバル1980年2月29日フランクフルト・アム・マインにて行われた。インバルは1998年7月8日には東京都交響楽団を指揮して日本初演も行っている。
-----------------------------------------------------------------
 フランクフルト放送交響楽団は現地でもなんどかライヴで聴いたし東京公演にも行った。フランクフルトは、戦後アメリカに統治され米軍基地もあることもあってか、この楽団は、幾分くすんだようなドイツ的な音響ではなく、アメリカのオケのような透明度の高い音を出し、機能主義的な印象が強い。ただこの8番では金管の音がなぜか前面にですぎて、やや耳障りである(これは初稿演奏とは別の次元の問題かも知れないが)。
 以下は先人のコメントの引用だが( 「クラシックCD聴き比べ」氏による)、ちょっと辛口ながら今日聴いて同様な感想をもった。
-----------------------------------------------------------------
 「インバル/フランクフルト放響(82)は、初稿を初めて音にしたという意味で画期的だが、 従前のブルックナー演奏に一石を投じている点も画期的。 小節数でいうと1869と第2稿の1701~1753に比して大幅に増えているにかかわらず 演奏時間が75分で終わってしまっている。
 同じ初稿のティントナーは89分、D・R・デイヴィスは80分。 この盤で初稿を初めて聴く際注意しなくてはならないのは、「初稿」+「インバル」が合体、 つまりインバルの独自の表現が入っているため、初稿だけの評価は難しいということ。 それは初稿のほかの演奏と比較すれば歴然とする。 インバルは唸り声を上げながら(ほんとに入ってます。少し耳障り)音をざくざく切り、 ある意味なぎ倒しながら推進する。最初は面白いと思ったが少し一本調子で単調か。
 この人の特質なのか、オケの音色なのか音が無機的な棒のような感触がある。 これはこの人のほかのブルックナーのみならずマーラーの全集でも感じたこと。 また、録音のせいなのかダイナミックレンジも狭く、よって表現の幅が薄まっている。 美しいppがあって初めて爆発的なffが活きるということがあまり感じられない。 アダージョがその意味で犠牲になっているが、一方終楽章の勢いやコーダの迫力は火のよう。 このチャレンジ精神は大いに買える。
14:01  13:25  26:46  21:08  計 75:20 」http://karajan2.blog101.fc2.com/

水曜日, 8月 29, 2007

インバル ブルックナー4番

 インバルでブルックナーの全集を聴いている。3番につづき4番を回す。1982年の録音、1874年(初稿:ノヴァークIV/1版)による演奏。何事にも先達はいる。以下は「作曲家の森」からの引用

 「1874年の第1稿に基づく演奏は、1975年にクルト・ヴェスが「世界初録音」して以来、現在までに少なくとも7種類はリリースされています。 ロぺス=コボス盤は国内盤でも入手できますが、この演奏は第4楽章のリズム処理に問題があってあまりおすすめは出来ません。できれば譜面通りに演奏しているインバル盤かギーレン盤を、輸入レコード屋さんで探した方が良いでしょう。 最近出たデイヴィス盤も、精度という点では不満が残ります」。
----------------------------------------------------------------
 本演奏も異色だが、第1稿の「変形」版として、ロジェストヴェンスキーの4番も聴く(別ブログ「織工/名指揮者」を参照)。その演奏の特質について、以下、『ウィキペディア(Wikipedia)』の4番の楽曲解説から引用。
-----------------------------------------
 「ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文化省交響楽団によるブルックナー交響曲全集で使用されていることで名が知られるようになった楽譜である(1984年録音)。
 CDの解説書によると、これは出版されている楽譜ではなく、1900年1月28日のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会のために、マーラーが当時の出版譜(第3稿、初版)に手を加えたものであり、残されたパート譜からロジェストヴェンスキーがスコアに編纂して上記録音に使用したものであるとのことである。このマーラー版の最大の特徴は、第4楽章に極端なカットがなされていることである」。
-------------------------------------------
 さて、3番、4番とインバルを久しぶりに聴いて、第1稿をオリジナル重視の観点から高く評価することには個人的にはいささかの疑問を禁じ得ない。もちろんブルックナー・ファンとして、埋もれたメロディがいわば「原石」として随所に発見できる喜びはある。また、後の整序された演奏にくらべてブルックナーの創作の苦しみを感じる部分もあり、タイム・スリップしてそれを追体験できる醍醐味もある。
 しかし、ブルックナー本人がその後の研究を重ねて、苦心惨憺のうえ改訂した作品はやはり完成度の点では高いと思う。ハースやノヴァークらの地道な改訂の努力もあって、後の版のほうがはるかにスッキリと聞こえる。
 どの版をとるかどうかにもよるが、全般に改訂実施後の作品にくらべて、初稿においては、メロディの洗練不足、不要なまでのくり返し、変調の際の不自然さなどがどうしても気になってしまう。交響曲としてのまとまりからは、少なくとも初稿のほうが良いと感じる部分はほとんどないように思われる。
 その一方、この4番の第3楽章のように結果的に抹殺されてしまった(ボツになった)音楽はなんとも「勿体ない」と思う。せめて、この第3楽章だけ独立に改訂4番の前に「序曲」として演奏してもそう違和感はないのではないかと勝手に思う次第である。

土曜日, 8月 25, 2007

インバル ブルックナー3番

  昨日からインバルのブルックナー交響曲全集を00番から順番に聴いている。以下は引用中心。まず3番についてのデータから。

■曲名    :交響曲第3番 ニ短調 WAB.103
■作曲時期 :1872/73(76/77,88/89改訂)
■初演    :1877-12-16 @ ウィーン(第2稿) 、1890-12-21 @ ウィーン(第3稿) 、1946-12-01 @ ド
レスデン(第1稿)
■楽章構成 :Gemassigt, misterioso : ニ短調 2/2拍子、Adagio:Feierlich : 変ホ長調 4/4拍子、
Scherzo:Ziemlich schnell-Trio:Gleiches Zeitmass : ニ短調 - イ長調 3/4拍子 、Finale:Allegro : ニ短調 2/2拍子
■楽器編成  :Fl:2; Ob:2; Cl:2; Fg:2; Hr:4; Tp:3; Tb:3; Timp; Str
■インバル盤 :Eliahu Inbal/Radio s.o. Frankfurt 1982-09録音
(演奏時間)24:00、18:52、6:07、16:14 計65:13
---------------------------------------------------
 次は、第3番校正について、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用。
--------------------------------------------
 「1878年および1890年、レティッヒ社から「初版」が出版された。前者は1877年稿を、後者は1889年稿をもとにしているが、弟子の校訂が加わっているとも言われる。
ローベルト・ハース主導の国際ブルックナー協会の第1次全集編纂においては、この第3交響曲の校訂譜を残せないまま、ハースが失脚し、主幹校訂者がレオポルト・ノヴァークに移ることとなった。ただしその際、ハース校訂譜の版権が
東ドイツに残った関係から、戦後エーザーが東ドイツにて、ハースの意志を受け継いでこの第3交響曲の校訂を行った。これはエーザー版と呼ばれ、通常、第1次全集の範疇に含められる。この楽譜はヴィースバーデンのブルックナー出版から出版された(1950年)が、現在絶版である。このエーザー版は、第2稿を元に校訂していた。
国際ブルックナー協会の校訂作業がノヴァークに代わった後、ノヴァーク校訂によるこの曲の楽譜が次々と出版された。まず1959年に、第3稿に基づくノヴァーク版が出版された(ノヴァーク版第3稿)。つづいて1977年にノヴァーク版第1稿、1980年にはアダージョ第2番、さらに1981年にノヴァーク版第2稿が出版された。(アダージョ第2番は1876年に作曲されたと思われる、緩徐楽章の異稿であり、第1稿と第2稿の中間段階のものと思われる)。ノヴァークの死後レーダーが1995年に校訂報告書を出版し、異稿問題は一応の学問的決着をみた」
 「全集録音を行った指揮者の中には、版・稿の問題にこだわった指揮者もいる。たとえばエリアフ・インバルは、第3、第4、及び第8の交響曲の第1稿に基づくノヴァーク版を世界初録音している」
--------------------------------------------------
 上記のとおり、インバルは世界ではじめて初稿(1873年版、ノーヴァク版第1稿)による演奏の録音を行った。いま聴いているCDはそれである。この稿の特色について、最近、話題のシモーネ・ヤング&ハンブルク・フィルが録音。そのPR文章からの抜粋は以下のとおり。
--------------------------------------------------
 「この第1稿は『詩と音の芸術の前人未到の世界的に顕著な優れた大家であるリヒャルト・ワーグナー閣下に、深甚の敬意をもって』献呈されたいわゆる初稿。 トリスタンやワルキューレなど、ワーグナーからの引用がいくつか見られるもので、ワーグナーは気に入ったといわれており、1982年録音のインバル盤以降、確実に人気を高めており、現在では、エリアフ・インバル(2種)、ケント・ナガノ、ロジャー・ノリントン、ジョナサン・ノット、ゲオルク・ティントナー、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ヨハネス・ヴィルトナー、ヘルベルト・ブロムシュテット、マルクス・ボッシュなど、すでに10種類のCDがリリースされています」
--------------------------------------------------------
 それでは、初稿におけるカットされたワーグナー的な旋律とは?「トロンボーン吹きによるクラシックの嗜好」さんのケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団harmonia mundi HMC 801817 (したがって文中の時間はインバル盤とは異なるが)に関する次の記事が参考になる。
--------------------------------------------------------
 「変更点の最大の関心事はワーグナーの諸作品からの引用部分でしょう。第 1 稿にはあからさまなものから暗示的なものまでワーグナーの引用がありましたが、第 3 稿では直接的な引用はほとんど削除されています (2 楽章の終わりに聴かれるワルキューレの『ブリュンヒルデの魔の眠り』の動機は残っています)。単に引用部分をカットするだけでなく、主要主題ごとまるまる変えたりもしています。するとその主題を展開していた部分も新しい主題を移植せねばならないという、大掛かりな作業がなされています。
 第 1 稿にあるワーグナーの引用部分がどこなのか、とりあえず私が把握しているものを挙げておきましょう。第 1 楽章では展開部から再現部に移る部分 (16'41") の《ワルキューレ》の『魔の眠りの動機』。そして 2 楽章は第 1 稿最大級の見せ場が金管のファンファーレで現れます (13'21")。オーケストラが《タンホイザー》の華麗な伴奏を模倣する中、《ローエングリン》の『エルザの大聖堂への行進』のモチーフが一瞬高らかに鳴らされます (《タンホイザー》の巡礼の動機という人もいますが、旋律の雰囲気としては肯けるものの、オクターブ上行跳躍+半音階下降というラインはやはり違うと思う)。その後コーダ手前 (15'50") で再び『魔の眠りの動機』が出てきます。あと 2 楽章で《トリスタンとイゾルデ》からの引用 (1'57" あたりかのことか) や、4 楽章で《ワルキューレ》の『魔の炎の音楽』が聴こえるとしている解説もありましたが、どこなのか確認できませんでした。また CD の解説には1 楽章第 2 主題のホルンの対旋律 (5'04") が《マイスタージンガー》的と書いてありましたが、確かにこんな感じのパッセージが《マイスタージンガー》にあります」

水曜日, 8月 15, 2007

カラヤン ベートーヴェン9番

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ長調作品125《合唱》

エリザベート・シュワルツコップ(S)エリザベート・ヘンゲン(A)ユリウス・パツァーク(T)ハンス・ホッター(Bs)
ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音年月日:1947年11月3~6日、12月10~12日、14日
録音場所:ムジークフェライン・ザール、ウィーン
録音:モノラル
スタッフ:P:ウォルター・レッグ、E:ダグラス・ラーター
原盤所有社:イギリス・コロンビア
マトリックス番号:CHAX321~36、383、4
タイミング:I:15:59、II:10:11、III:15:43、IV:6:29、3:21、14:59

http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32¬29=P&keys3=%81s%8D%87%8F%A5%81t
より引用

 カラヤン30代の初録音の第9である。当時の新進気鋭、最高のメンバーを集めての意欲作で、SPで発売されたもの。録音は数回に分けて行われ慎重な処理もなされているが、聴いているとライヴ盤のような熱気に包まれている。
 古いモノラルながら、驚くほど各パートの音がクリアに拾われており、高音部は音が割れるのは仕方ないとしても、聴いていてそう痛痒は感じない。ウォルター・レッグという秀でた音楽ディレクターの才能ゆえか、また、カラヤンはその録音技法において、レッグから大きな影響を受けたことも 想像にかたくない。
 演奏は立派である。絶妙に細かいリズムを刻みながら途切れさせない集中力、メローディアスな部分の濃厚な美しさ、低音部の深みある表現ーー既に後年のカラヤンらしさを感じさせるし、白熱の燃焼度も高い。生硬な感じもなくはないが、それ以上にその音楽の構成力には迸る才能が横溢している。

カラヤン ヴェルディ「レクイエム」









◆ヴェルディ:レクィエム ヒルデ・ツァデク(S)マルガレーテ・クローゼ(Ms)ヘルゲ・ロスヴェンゲ(T)ボリス・クリストフ(Bs) ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音年月日:1949年8月14日 録音場所:旧祝祭劇場、ザルツブルグ 録音:モノラル タイミング:88:27 

http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%83%94%83F%83%8b%83f%83B%20%83%8c%83N%83B%83G%83%80&not3=%8eB%89e%95%97%8ci&print=10&tid=&did=&p=0 から引用

いま聴いているのはヴェルディの「レクイエム」の最も初期の録音。これは一度、東京のライヴで接している。小生のカラヤンのライブ体験は5回ある。


1970年 ベルリン・フィルハーモニー 

・ベートーヴェン/交響曲第4番、第7番

5月9日:大阪フェスティバルホール


・ブラームス/交響曲第3番、第2番

5月16日:東京文化会館


・オネゲル/交響曲第3番

・ドヴォルザーク/交響曲第8番   

5月17日:東京文化会館 

  

1979年 ベルリン・フィルハーモニー

・ヴェルディ/レクィエム

10月24日:普門館 

     

これに加えて、最後に聴いたのは1986年のザルツブルク音楽祭での「カルメン」だった。さて、この49年の「レクイエム」だがライヴの迫力満点で、実演でしか感じられないだろう厳しい緊張感が伝わってくる。自分が聴いた普門館でのコンサートは、あまりに会場が大きく音響が拡散してしまって残念ながらそう印象に残っていない。それにひきかえ、このザルツブルクでのウィーン・フィルとのライブの激しく、そして美しさは絶品である。

カラヤン ストラヴィンスキー「かるた遊び」

ストラヴィンスキー:バレエ《カルタ遊び》
フィルハーモニア管弦楽団
録音年月日:1952年5月3、5日
録音場所:キングズウェイ・ホール、ロンドン
録音:モノラル
スタッフ:P:ウォルター・レッグ、E:ダグラス・ラーター
原盤所有社:イギリス・コロンビア
マトリックス番号:XAX250
タイミング:23:15

http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%81s%83J%83%8B%83%5E%97V%82%D1%81t
から引用
 カラヤン唯一の録音だが後のストラヴィンスキーの秀演を予感させるにたる演奏。抜群のリズム感とさまざまな楽器の音色が、出番を待って入れ替わり立ち替わり前面にでてくるような演出ともに面白い。

火曜日, 8月 14, 2007

カラヤン ベートーヴェン3番(2)

◆ ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ短調 作品55《英雄》
プロイセン(ベルリン)国立歌劇場管弦楽団
録音年月日:1944年5月
録音場所:ドイツ帝国放送協会大ホール、ベルリン
録音:モノラル
原盤所有社:ドイツ帝国放送協会(RRG)
発売:KOCH SCHWANN他
タイミング:I:15:11、II:15:24、III:6:01、IV:11:50
http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%81s%89p%97Y%81t 
から引用

  下記の演奏を聴いて、さらに時計を戻して若き日のカラヤンの3番を聴く。基本的には、この段階からカラヤンの解釈が変わっていないことがわかる。敗戦直前の時期であり、オケの合奏力には乱れも目立つが、全体構成を考えぬき、個々の楽奏を冷静にスタイリッシュに整えるカラヤン流の片鱗は既にここにある。


 3番は、この①44年(ベルリン国立歌劇場O)のほか、下記の②52年(PO)以降、③53年(BPO)[L]、④62年(BPO)、⑤69年(BPO)[L]、⑥70年(BPO)[L]、⑦71年(BPO)[F]、⑧76年(BPO)、⑨76年(BPO)[L]、⑩77年(BPO)[L]、⑪77年(BPO)[L] 、⑫82年(BPO)[F]、⑬84年(BPO)[F]、⑭84年(BPO)といった数多いリリースがあるが、カラヤン得意の演目であった。

 ところで、第二次大戦直後のドイツでは、コンサート、レコーディングなどでその演目は慎重に選ばれていたように思う。当時のソ連、米国、フランスなどの進駐の影響もあってか、チャイコフスキー(5番、6番「悲愴」)、ドボルザーク(8番、9番「新世界から」)、バルトーク、ストラヴィンスキーなどの頻度が高い。これらの演目では、フルトヴェングラーは戦前から「現代音楽」の取り上げには積極的であり、「なんでもござれ」であったろうが、これに加えて、いわゆるフランスものや軽い序曲集なども含め、カラヤンの「高純度アプローチ」はあらゆる演目に有用であった。

 しかし、ドイツ・オーストリア圏内では、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ワグナーなどは必須アイテムであり、なかでもベートーヴェン、とりわけ3番「英雄」や9番「合唱」はこの時代にあって、ナチズムとの決別、新生イメージの醸成からも重要な演目であったろう。

 表記の演奏は滅び行くナチズムの最後の頃の録音、下記の(1)は新生後のものだが、演奏スタイルには大差はない。しかし、そこに集う聴衆の思いはもちろん連続ではありえない。「葬送行進曲」の重さの受け止め方にも違いがあったろう。そんな思いで「聞き比べ」をする価値もあるかも知れない。

カラヤン ベートーヴェン3番(1)

◆ 交響曲第3番変ホ長調 op.55『英雄』 
フィルハーモニア管弦楽団 
録音年月日:1952年11月20~22日、12月1日
録音場所:キングズウェイ・ホール、ロンドン
録音:モノラル
スタッフ:P:ウォルター・レッグ、E:ダグラス・ラーター
原盤所有社:イギリス・コロンビア
マトリックス番号:XAX264、5
タイミング:I:14:33、II:16:26、III:5:47、IV:11:47

 もしもこれ以降のカラヤンの演奏を知らずに、そして目隠しで一般のリスナーにこの演奏を聴いてもらったとする。原盤はモノーラル録音だから、そこは如何とも隠しようがないが、この壮年期のカラヤンの「エロイカ」には、たぶん現代の若者も唸り、感動し、惜しみなく賛辞を送るだろう。それくらい、この「上出来ぶり」は大変なものだ。1952年の頃のカラヤンは、その実力に比して不遇な時代。イギリスでシュワルツコップの旦那さんのウォルター・レッグにお世話になっていた時代である。

 フルトヴェングラーはドイツでなお王者として君臨し、カラヤンのベルリン復帰を決して許さなかった。それをおそらく強烈に自覚しつつも、カラヤン、この時代のフィルハーモニア管弦楽団との演奏は生気に溢れ素晴らしいものが多い。清新さ、溌剌さの一方、音の陰影のつけ方も巧みである。暗い音の「深み」には特有の凄さすらがある。テンポは全般に早い。時に自在に動かす場合もあるが恣意的な感じは与えない。リズミックさは抜群で切れ味の鋭さこそカラヤンの身上。

 再度!もしも、これしかカラヤンのエロイカの録音がなかったとしたら、多くのリスナーはもっとこの演奏に注目するかも知れない。しかし、カラヤンはこの後、幾度も録音をくり返し、そのディスコグラフィを書き換えていく。だが、本盤がこの時代にここまで完成された形で残されている意味は覚えておいて良い。数多の名演に対していまだ、その「
拮抗力」は十分である。

日曜日, 8月 12, 2007

テンシュテット マーラー6番

 マーラー:交響曲第6番『悲劇的』テンシュテット指揮ロンドン・フィル1991年11月、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのデジタル録音。
 「どこをとっても感情の込めぬかれた、ライヴならではの過激な演奏で、テンションの高さには驚くばかり。第4楽章のハンマー打撃は三度目無しの通常スタイルで、一度目よりも二度目が強く、二度目の衝撃の強さはかなりのものです。http://www.hmv.co.jp/product/detail/1513595 」

 6番について、マーラーは5番までの作品を聴いた理解者しか、その特質はわからないだろうと語ったとのことだが、3楽章まではそれ以前の作品との連続性も強いと感じるながら、第4楽章に入ると、古典的なソナタ形式に対するアンチテーゼの思いが横溢しているようだ。「形式」が崩れゆく有り様は、強い芳香を発する熟れすぎた果物のような感をもつ。ハンマーが破壊の象徴であれば、なおのことその感を倍加する。

 テンシュテットの特質である豊饒な音楽の拡散感がこの4楽章に実にマッチしている。しかし、それが「だれない」のは、音楽へののめり込み、集中力が少しも途切れないからだろう。交響曲という名称が付されながら、その実、「交響」の意味は複雑で多義的で、それは、かっての積木をキチッと組み上げていくような律儀な「形式美」ではなく、雪崩をうって積雪を吹き飛ばすような「崩壊美」に通じるように思う。第3楽章の美しいメロディに浸ったあと、音の雪崩が突然と起こり、それに慄然とする恐懼がここにある。

 テンシュテットには、そうした効果を狙ってタクトをとっているような「作為」がない。テクストを忠実に再現していく過程で、崩壊美は「自然」に現れると確信しているような運行である。こうした盤にはめったにお目にかかれない。稀代の演奏と言うべきだろう。 

コンヴィチュニー ブルックナー8番

 コンヴィチュニー指揮ベルリン放送響の演奏(1959年12月のスタジオ収録)。これについては以前も書いた。再度、聴き直してやはり良いなあ、と思う。なによりも、大曲8番を前に妙に「構えた」感じがない。十八番にしているブルックナーをいつもどおり堂々とやろう、といった平常心の落ち着きがある。

 1959年といえば、同じベルリンで同番について、カラヤン/ベルリン・フィルの名盤が世に出された年である。これは、かってのフルトヴェングラーの演奏を意識し、カラヤン流儀でこれを凌駕しようとするような意欲作で、緊張感溢れた素晴らしいものであった。

 コンヴィチュニーも、日本で知られる以上に当地にあっては「大御所」であり、馴染みのファンも多かったろうし、本盤もその演奏の質量は充実している。しかし、それ以上にブルックナーという「素材」を存分に理解しその最良な部分を聴衆に伝えようという地味ながら、厳しいプロ意識が伝わってくる。「けれんみ」や「気負い」がないところが聴いていてかえって心地よい。ある意味、ベイヌムやレーグナーと共通するものがある。曲そのものをナチュラルに楽しんで聴ける良い演奏である。

(参考)昨年の9月8日の記録(織工Ⅱ)
 コンヴィチュニーのブルックナーも魅力的である。金管が山脈の稜線を野太く辿るように高みで鳴り響き、それがこの盤の最大の特色ともいえる。実に雄々しく鳴らせている。原典版を使用しているが、解釈はオーソドックスでテンポも安定しており、多くの同番を聴いてきた者からすれば「重量感がある見事な演奏」というのが次の感想ではないだろうか。弦楽器は録音の関係もあるかも知れないが控えめな印象をぬぐえないけれど、アンサンブルは悪くはない。1000円以下というのが信じられない価値ある1枚である。

日曜日, 8月 05, 2007

バーンスタイン マーラー1番

 このジャケットの衝撃はいまも忘れていない。「シュール」という言葉はいまや古語に分類されるかも知れないが、当時にあっては、このジャケットの「戦闘的」とも言える大胆さとともに本盤がセンセーショナルに登場したその影響力は、バーンスタインの盛名とともに日本におけるマーラー・ブームの明らかに発火点であった。

 交響曲第1番ニ長調『巨人』 ニューヨーク・フィルハーモニック 録音:1966年[ステレオ]はバーンスタインのはじめてのマーラー交響曲全集のなかでは録音時点でちょうど中頃に位置している。こと1番に関しては、その後のコンセルトヘボウやウイーン・フィルとの演奏に比べるとかなり荒削りの印象はあるものの、それは初期マーラーの迸るパッションとの親和性ではけっしてマイナスにはなっていないばかりか、むしろこの、時に抑制を超えたような激烈さこそ本盤の最大の魅力と感じる。

 激烈さがあればこそ、その後の静寂のなかでの甘美な音律が聴き手の別の中枢神経にさざ波のようにきらきらと耀いて押し寄せてくる。そこまで見切って演奏していたら嫌らしいが、バーンスタインの素地はもっと自由で真剣な思いが強いようにも感じる。伸び伸びと地平を拓くように展開していくマーラーの世界は、巷間言われる「病的なもの」、「おどろおどろしさ」などは少しく異質で、はじめて聴いた高校生の自分は生来鈍いのか、あまりそうした暗い感性を持たなかったし、実はこの演奏に関する限り、いまもそうだ。

 それが物足りない向きもあるかも知れないが、時代の扉をあける革新性により思いを馳せると、それはそれで良いような気もする。そしてこの演奏の最大の特色は、けっして「感傷的」ではなく、逆に堂々とマーラーの交響世界の「構築力」を誇ろうとしていることにあるように思う。聴衆をねじ伏せるといったら言い過ぎであろうか。いま聴き直してもなんとも自信に満ちた燦然たる演奏である。

土曜日, 8月 04, 2007

メータ マーラー2番

 イレアナ・コトルバス(ソプラノ)、クリスタ・ルートヴィヒ(メッゾ・ソプラノ)、ウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。1975年ステレオ録音。

 ウイーン・フィルに注目すると、「復活」に関しては、古い録音だが、ケルツェ(ソプラノ)、ウェスト(アルト)、シェルヘン指揮ウイーン国立歌劇場管弦楽団、ウイーン・アカデミー合唱団の歴史的な名盤があったが、一般にはいまや忘却の彼方だろう。
 しかし、このメータ盤がでて、アメリカの並みいる高度技術系オケの多くの演奏を押さえて、「流石、ウイーン・フィル!」の決定盤が登場し、かつその地位はいまも保たれているのでないだろうか。

 メータ39才の才気溢れる演奏だが、メータとウイーンとの関係は意外と近い。1954年にメータはウイーン国立音楽大学に留学し、ハンス・スワロフスキーに学ぶ。1958年にリヴァプールの指揮者コンクールで優勝し翌年、その功績をもってウイーン・フィルを指揮してデビューを飾る。難しいウイーン子もいわば近しい関係としてメータを迎え入れたとも言えよう。

 そうした所縁もあってか、この2番では白熱の燃焼をウイーン・フィルがしているように感じる。テンポは早めだが音楽の濃度は高く、各パートの陰影に富んだニュアンスある響きは恐れ入るほどに見事である。しかも後半の3楽章に行くにつれオケが一体となった凝縮感が徐々に強まり、これは容易ならざる・・といったゾクゾクする緊張感が時にリスナーを貫く。

 かってライヴ録音のような迫力と言われたが、指揮、オーケストラだけでなく独唱、合唱についても、たしかに数本の波長の異なるバイオリズムが、この演奏時だけぴたっと最高にシンクロし、一気に高揚点が上がったような偶発性を感じさせる。「一期一会」の名演といった深い感動がある。

ショルティ マーラー4番

 ショルティのマーラーの第4番では、キリ・テ・カナワ(ソプラノ)、シカゴ交響楽団を振った1983年のデジタル録音が代表盤と言われるが、これはスタールマン(ソプラノ)、コンセルトヘボウとの1961年の旧盤である。ショルティ、はじめてのマーラー録音とのことだが、その美しい響きに陶然となるような名演である。

 コンセルトヘボウは、遡ること20年前の1941年に、ヴィンセント(ソプラノ)で名匠メンゲンベルクと歴史的なライヴ名演を残しているが、マーラーの最良の抒情性が結晶したような4番のメローディアス性がこのオーケストラの音質ととても合っていると感じる。

 ショルティという指揮者は、ワーグナーの『指輪』での金字塔のイメージが強すぎダイナミックな演奏の権化のように思われがちだが、その実、こうした絹のような手触りの曲づくりでも抜群の巧さをみせる。
 スタールマンの声は端整でけっして出すぎずにオーケストラの音色と溶け込み好印象を与える。最終部の木管楽器との柔らかな掛け合いの部分などは、まだ終わってほしくない、もっと聴いていたいという陶酔感をリスナーに与えずにはおかない。4番の座右の1枚である。

シノーポリ マーラー5番

 ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli)は、存命していれば21世紀のクラシック音楽界の風景を大きく変えたであろう逸材です。戦後の1946年イタリアのヴェネチア生まれ。ユダヤ系移民と言われますが、天才肌の音楽家です。2001年4月20日に演奏中、心筋梗塞で倒れ不帰の人となりました。

 本盤は1985年1月ロンドンの教会での録音ですが、残響が豊かでマーラー特有の音の「奔流」が存分に味わえます。1904年のマーラー自身による初演もケルンの会堂でしたから残響はもしかすると当時も意識されていたかも知れません。  

 演奏そのものはシノーポリらしい分析癖、「理詰め」が随所で感じられ、あらゆる音が明瞭に再現されますが、それをうるさく感じさせないのは、この残響効果との絶妙なマッチングゆえかも知れません。激しいダイナミズムと腺病質なリリシズムが常に交錯しますが、見事な統一感は保たれ堂々とした名演です。シノーポリの抜群の才覚を知るうえでも必須の1枚だと思います。