プロイセン(ベルリン)国立歌劇場管弦楽団
録音年月日:1944年5月
録音場所:ドイツ帝国放送協会大ホール、ベルリン
録音:モノラル
原盤所有社:ドイツ帝国放送協会(RRG)
発売:KOCH SCHWANN他
タイミング:I:15:11、II:15:24、III:6:01、IV:11:50
http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%81s%89p%97Y%81t
から引用
下記の演奏を聴いて、さらに時計を戻して若き日のカラヤンの3番を聴く。基本的には、この段階からカラヤンの解釈が変わっていないことがわかる。敗戦直前の時期であり、オケの合奏力には乱れも目立つが、全体構成を考えぬき、個々の楽奏を冷静にスタイリッシュに整えるカラヤン流の片鱗は既にここにある。
3番は、この①44年(ベルリン国立歌劇場O)のほか、下記の②52年(PO)以降、③53年(BPO)[L]、④62年(BPO)、⑤69年(BPO)[L]、⑥70年(BPO)[L]、⑦71年(BPO)[F]、⑧76年(BPO)、⑨76年(BPO)[L]、⑩77年(BPO)[L]、⑪77年(BPO)[L] 、⑫82年(BPO)[F]、⑬84年(BPO)[F]、⑭84年(BPO)といった数多いリリースがあるが、カラヤン得意の演目であった。
ところで、第二次大戦直後のドイツでは、コンサート、レコーディングなどでその演目は慎重に選ばれていたように思う。当時のソ連、米国、フランスなどの進駐の影響もあってか、チャイコフスキー(5番、6番「悲愴」)、ドボルザーク(8番、9番「新世界から」)、バルトーク、ストラヴィンスキーなどの頻度が高い。これらの演目では、フルトヴェングラーは戦前から「現代音楽」の取り上げには積極的であり、「なんでもござれ」であったろうが、これに加えて、いわゆるフランスものや軽い序曲集なども含め、カラヤンの「高純度アプローチ」はあらゆる演目に有用であった。
しかし、ドイツ・オーストリア圏内では、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ワグナーなどは必須アイテムであり、なかでもベートーヴェン、とりわけ3番「英雄」や9番「合唱」はこの時代にあって、ナチズムとの決別、新生イメージの醸成からも重要な演目であったろう。
表記の演奏は滅び行くナチズムの最後の頃の録音、下記の(1)は新生後のものだが、演奏スタイルには大差はない。しかし、そこに集う聴衆の思いはもちろん連続ではありえない。「葬送行進曲」の重さの受け止め方にも違いがあったろう。そんな思いで「聞き比べ」をする価値もあるかも知れない。
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