木曜日, 8月 30, 2007

インバル ブルックナー8番

 インバルでブルックナーの交響曲全集を毎日順番に聴いている。3,4番については既に下に記した。
 00番はめったにかけないが、聴く場合はインバル盤を標準としている。インバルの0~2番は特にコメントすべき点なし。1番、2番ともいつもはヨッフム/ドレスデンを聴く。インバル盤もけっして悪くはないが、ヨッフムのブルックナー演奏への熱い思い入れとメローディアスな美しさには及ばない。5~7番も標準的な演奏だが、なかでは6番が見事。6番では、なかなか良い演奏に巡り会わないがこれは素直に心に響く1枚。9番は第4楽章付きだが今回はパスするので最後にこの8番。
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 ここも、まずフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。8番は遺稿問題が複雑でインバルはよく初稿での演奏を行ってくれたと思う。ただ、3,4番の初稿と改訂版の非常に大きな乖離に比べると、もちろん違いはあるが8番での違和感の落差は、相対的には小さくなっている。
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 「作曲者自身による作曲・改訂の経緯からみると、この曲はまず1887年に完成され、のち1890年に改訂された。前者を1887年版または第1稿、後者を1890年版または第2稿と称する。・・・第1稿と第2稿を比較すると、全楽章で多数の相違がある。第1楽章は、第2稿を基準にすると、第1稿では続きがあるように聞こえる(第1主題に基づくフォルティッシモが戻り締めくくられる)。第2稿では削除された経過句やオーケストレーションなどの相違も多い。
なお、第1楽章で、第1稿では139~143小節にトランペットが重なっており、このトランペットは第2稿では採用されていないが初版(改訂版)では採用されている。これをもって、初版に高い正当性を見出す見解を示す意見もある(初版については、弟子が勝手に改竄したと評価されることがしばしばある)。
ハース版出版以前は、もっぱら初版(改訂版)が演奏に用いられた。ハース版出版後しばらくは、ハース版が演奏の主流であったが、現在ではノヴァーク版第2稿の使用頻度が高い。ハース版に対する、ノヴァークの否定的見解も、その一因と思われる。ただし、朝比奈隆ギュンター・ヴァントをはじめ、音楽的な内容から、ハース版を支持する演奏者も少なくない。
第1稿はめったに演奏されず、指揮者でもこれを録音した人はエリアフ・インバルゲオルグ・ティントナーぐらいである」
 「第1稿(1887年稿)については、ノヴァークによる校訂版が出版される以前に、第1楽章のみ1954年5月2日ミュンヘン1973年9月2日ロンドンハンス・フーベルト・ツェーンツェラー指揮で初演された。ノヴァーク版第1稿を用いての初演は、エリアフ・インバル1980年2月29日フランクフルト・アム・マインにて行われた。インバルは1998年7月8日には東京都交響楽団を指揮して日本初演も行っている。
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 フランクフルト放送交響楽団は現地でもなんどかライヴで聴いたし東京公演にも行った。フランクフルトは、戦後アメリカに統治され米軍基地もあることもあってか、この楽団は、幾分くすんだようなドイツ的な音響ではなく、アメリカのオケのような透明度の高い音を出し、機能主義的な印象が強い。ただこの8番では金管の音がなぜか前面にですぎて、やや耳障りである(これは初稿演奏とは別の次元の問題かも知れないが)。
 以下は先人のコメントの引用だが( 「クラシックCD聴き比べ」氏による)、ちょっと辛口ながら今日聴いて同様な感想をもった。
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 「インバル/フランクフルト放響(82)は、初稿を初めて音にしたという意味で画期的だが、 従前のブルックナー演奏に一石を投じている点も画期的。 小節数でいうと1869と第2稿の1701~1753に比して大幅に増えているにかかわらず 演奏時間が75分で終わってしまっている。
 同じ初稿のティントナーは89分、D・R・デイヴィスは80分。 この盤で初稿を初めて聴く際注意しなくてはならないのは、「初稿」+「インバル」が合体、 つまりインバルの独自の表現が入っているため、初稿だけの評価は難しいということ。 それは初稿のほかの演奏と比較すれば歴然とする。 インバルは唸り声を上げながら(ほんとに入ってます。少し耳障り)音をざくざく切り、 ある意味なぎ倒しながら推進する。最初は面白いと思ったが少し一本調子で単調か。
 この人の特質なのか、オケの音色なのか音が無機的な棒のような感触がある。 これはこの人のほかのブルックナーのみならずマーラーの全集でも感じたこと。 また、録音のせいなのかダイナミックレンジも狭く、よって表現の幅が薄まっている。 美しいppがあって初めて爆発的なffが活きるということがあまり感じられない。 アダージョがその意味で犠牲になっているが、一方終楽章の勢いやコーダの迫力は火のよう。 このチャレンジ精神は大いに買える。
14:01  13:25  26:46  21:08  計 75:20 」http://karajan2.blog101.fc2.com/

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