このジャケットの衝撃はいまも忘れていない。「シュール」という言葉はいまや古語に分類されるかも知れないが、当時にあっては、このジャケットの「戦闘的」とも言える大胆さとともに本盤がセンセーショナルに登場したその影響力は、バーンスタインの盛名とともに日本におけるマーラー・ブームの明らかに発火点であった。
交響曲第1番ニ長調『巨人』 ニューヨーク・フィルハーモニック 録音:1966年[ステレオ]はバーンスタインのはじめてのマーラー交響曲全集のなかでは録音時点でちょうど中頃に位置している。こと1番に関しては、その後のコンセルトヘボウやウイーン・フィルとの演奏に比べるとかなり荒削りの印象はあるものの、それは初期マーラーの迸るパッションとの親和性ではけっしてマイナスにはなっていないばかりか、むしろこの、時に抑制を超えたような激烈さこそ本盤の最大の魅力と感じる。
激烈さがあればこそ、その後の静寂のなかでの甘美な音律が聴き手の別の中枢神経にさざ波のようにきらきらと耀いて押し寄せてくる。そこまで見切って演奏していたら嫌らしいが、バーンスタインの素地はもっと自由で真剣な思いが強いようにも感じる。伸び伸びと地平を拓くように展開していくマーラーの世界は、巷間言われる「病的なもの」、「おどろおどろしさ」などは少しく異質で、はじめて聴いた高校生の自分は生来鈍いのか、あまりそうした暗い感性を持たなかったし、実はこの演奏に関する限り、いまもそうだ。
それが物足りない向きもあるかも知れないが、時代の扉をあける革新性により思いを馳せると、それはそれで良いような気もする。そしてこの演奏の最大の特色は、けっして「感傷的」ではなく、逆に堂々とマーラーの交響世界の「構築力」を誇ろうとしていることにあるように思う。聴衆をねじ伏せるといったら言い過ぎであろうか。いま聴き直してもなんとも自信に満ちた燦然たる演奏である。
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