金曜日, 5月 07, 2010

大指揮者の「先生」


<断片的メモ>
 フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、カラヤンやベームのブルックナー演奏を自分なりに「再考」してみて、改めて、彼らの「お師匠筋」について関心をもった。以下はその断片書きである。

<再考シリーズ>
フルトヴェングラー
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1290.entry?&_c02_owner=1
フルトヴェングラー & クナッパーツブッシュ
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1302.entry?&_c02_owner=1
カラヤン
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1304.entry?&_c02_owner=1
ベーム
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1305.entry?&_c02_owner=1

 はじめに、ここで登場するハンス・リヒター、アルトゥル・ニキシュ、カール・ムックといった大指揮者は、ブルックナーの交響曲を広めた功績は大きいながら、彼らのレパートリーからすれば、ブルックナーは主要の一部でしかなかったことである。いわゆるドイツ・オーストリー系(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど)の古典をしっかり押さえていたほか、ロシアもの、イギリスものなど同時代音楽の取り上げも行っている。職業的指揮者として、ある意味、オールラウンダーであったと言えるかも知れない。

 ハンス・リヒターは、ワーグナーの「指輪」もブラームスの2,3番のシンフォニーも初演した。彼にとって、当時のワーグナーVSブラームス論争などは、指揮者の職業上、顧慮すべきことではあっても、全く本質的ではないと思っていたであろう。だからこそ、ワーグナー派とみられていたブルックナー交響曲の初演も積極的に行った。
 ニキシュは、R.シュトラウスやマーラー、チャイコフスキーなどの作品も多く紹介する一方、ベートーヴェンの5番のシンフォニーをベルリン・フィルと録音(1913年)したことでも有名。 カール・ムックは、スコアに忠実な近代的な指揮者の祖とも言われるが、チャイコフスキー、ベルリオーズ、エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ等の小品集の録音もある。 そのうえで、次の世代との関係を見てみよう。

 まず、クナッパーツブッシュと先生ハンス・リヒターの関係。リヒター(Hans Richter, 1843年4月4日 - 1916年12月5日は、19世紀後半から20世紀初頭を代表するドイツ人の大指揮者。ハンガリー(当時はオーストリア帝国の一部だった)のジェール生まれ。ハンガリー名はRichter János。主にウィーン、バイロイト、ロンドンで活躍)
は、ブルックナーの交響曲第1,4,8番の初演指揮者。ブルックナー自身がもっとも感謝をしていた大指揮者である。

(参考)
 従来は「1909年、バイロイトにもぐりこみ、3年ほどハンス・リヒターの助手を務める」などと書かれていた。大学時代に何度もバイロイト詣でをしていたことは確からしい。1910年1月にジークフリート・ヴァーグナーから「音楽祭の最終稽古に居合わせてください」との手紙をもらっている。しかし1910年には音楽祭は開かれていない。ハンス・リヒターの謦咳に接したのは1911年の音楽祭だったと思われる。彼がアルフレートではなくハンスの名を用いるようになったのはリヒターの影響だろう、と奥波氏(※)は書かれているがその通りだろう。
(※)2002年、奥波一秀 著「クナッパーツブッシュ」(みすず書房)
(出典) 
http://classic.music.coocan.jp/cond/modern/kna.htm 
 次にフルトヴェングラーと前任者ニキシュ(Nikisch Artúr, Arthur Ni 1855年10月12日 モション県レーベーニ近郊レーベーニ・セントミクローシュ Lébényi Szent-Miklós現在のモションセントミクローシュ Mosonszentmiklós) - 1922年1月23日は、現在のハンガリー出身で主にドイツで活躍した20世紀初期の大指揮者の一人)のついて。ニキシュはブルックナーの交響曲第7番をライプチッヒで。彼もブルックナーをよく理解していた大指揮者。
(参考)
 フルトヴェングラーが生まれたのは1886年のことです。ベルリン・フィルの創立は1882年ですが、その当時はいつまで続くかわからないオーケストラであったのです。 当時は、音楽のコンサートというものが興業としてやっと成立するようになった時代なのです。これによって、コンサートを主催する側とコンサートに出演する側の間に立つ「エージェント」という職業が誕生したのです。そういう創生期にヘルマン・ヴォルフがエージェントを立ち上げたのです。 
 当時ベルリン・フィルは、フィルハーモニア協会という支援団体が支えていたのですが、あまりにも多額の赤字に耐えかねて、この協会は解散してしまうのです。1887年のことです。 
 これによって、ベルリン・フィルは自立を迫られたのですが、そのとき救いの手を差し伸べたのがヘルマン・ヴォルフです。ベルリン・フィルのオーケストラの腕はよく、良い指揮者を付ければ、興業として成り立つと判断したのです。 
 そこで、ヘルマン・ヴォルフが連れてきた指揮者が、ハンス・フォン・ビューローだったのです。ビューローはピアニストで、現代の職業指揮者の先駆的存在なのです。ビューローが登場するまで、作曲家と演奏家の分業化は明確でなく、オーケストラの指揮は作曲家自身がやるのが常識だったのです。 
 ところが、1894年にビューローは死去してしまうのです。そこでヴォルフは後継者として、アルトゥール・ニキシュを任命するのです。1895年にニキシュは、ベルリン・フィルの首席指揮者に就任します。このヴォルフという人は、オーケストラの指揮者の実力を見抜く目を持っていたのです。 
 しかし、今度はこのヴォルフが1902年に56歳の若さで亡くなってしまうのです。しかし、ヴォルフの事業は軌道に乗っていたので、この事業は妻のルイーゼ・ヴォルフによって引き継がれるのです。 
 ルイーゼ・ヴォルフは、夫の遺した音楽家との人間関係を引き継ぎ、新しい才能を見抜く力に加えて、企業家としての実力もあったのです。そのため、多くの音楽家から慕われる存在になり、しまいには「女帝」といわれる存在になったのです。 
 当時フルトヴェングラーは16歳でしたが、彼は後援者の紹介でヴォルフ家と知り合いになり、ルイーズの息子のヴェルナー・ヴォルフと親しく付き合っていたのです。 
 1922年1月にニキシュが亡くなるのです。その時点でフルトヴェングラーは若手の指揮者として注目を集めており、ベルリン州立歌劇場管弦楽団と契約したばかりだったのです。 
 といってもフルトヴェングラーは、州立歌劇場管弦楽団のオペラの指揮をするのではないのです。州立歌劇場管弦楽団はオペラの演奏をする以外にコンサート・オーケストラとしても活動していたのですが、フルトヴェングラーはそのコンサート・オーケストラの指揮者としての契約を結んだのです。 
 ニキシュは、ベルリン・フィルだけでなく、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督をしていたのです。そして、
1922年1月10日にニキシュはゲヴァントハウスの定期演奏を振っているのですが、1月26日にもゲヴァントハウスの定期演奏会があったのです。しかし、ニキシュはオランダへの客演が決まっていたので、フルトヴェングラーが代役を務めることになっていたのです。 
 ところが、1月23日にニキシュが亡くなってしまったので、フルトヴェングラーの振るコンサートは、ニキシュの追悼コンサートになるのです。追悼コンサートを振る指揮者はそのオーケストラの後継者になるのが通例です。      

(出典) http://electronic-journal.seesaa.net/article/118149326.html

 ベームの「先生」も有名なカール・ムック(Karl Muck, 1859年10月22日 - 1940年3月3日は、ダルムシュタットに生まれシュトゥットガルトに没したドイツ人指揮者)。ベームにとっては、ワルターとともに、恩師だろう。ワルターの「先生」はグスタフ・マーラー。マーラーはブルックナー交響曲第6番の全曲を初演した。

(参考) ムックのレパートリーの中心はやはりワーグナーで、前述の『パルシファル』のほか、『ニーベルングの指輪』を含む主要作品はすべて指揮した。そのほか、彼はブルックナーも積極的に取り上げた。中でも、ウィーンに先駆けての『交響曲第7番』のオーストリア初演(グラーツ、1886年)、あるいは、アメリカにおけるブルックナー作品の紹介などが注目に値する。アメリカでの初期のブルックナー演奏は、アントン・ザイドル、ニキシュ、マーラー、そして、ムックらによって行われたのである。http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/muck.html
1917年 - グラーツ市立歌劇場でデビュー。首席指揮者の座を約束されていた。しかしリヒャルト・ワーグナーの友人であったカール・ムックがベームの「ローエングリン」を聴いた際に感激し、当時バイエルン国立歌劇場音楽監督だったブルーノ・ワルターにベームを紹介した。1921年 - ワルターの招きにより、バイエルン国立歌劇場の指揮者に転任。ワルターはベームに多大なる影響を与え、特にモーツァルトの素晴らしさを教えた。そしてまたベームもモーツァルトの権威として知られることになる。ワルターとの交遊関係は戦中戦後を通じて続くこととなるが、1922年からはワルターに代わり、クナッパーツブッシュが音楽監督になった。しかしクナッパーツブッシュも、モーツァルトに関してはほとんどベームに任している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A0

金曜日, 4月 30, 2010

ベイヌム ブルックナー

 ベイヌムについては、その前任のメンゲルベルク(※1)との関係なくしては語れない。先代メンゲルベルクは、約半世紀の永きにわたって、コンセルトヘボウに君臨したのみならず、初代ウイレム・ケス(1854~1934年)の跡目を弱冠24才で継いだあと、実質の「ファウンダー」とでも言うべき功績を残した。彼が、コンセルトヘボウを鍛えぬき、オランダに名器コンセルトヘボウありと世に知らしめたのである。
 後任のベイヌムは、この先代の推戴で37才で、地元のコンセルトヘボウの首席指揮者になるのだから、非常に優秀で、かつ世俗的にはオランダでは大成功者であったと言えるだろう。しかし、先代の存在があまりに巨大であったので、彼自身の評価は結果的に地味な感を否めない。
 また、指揮者としては働き盛りの57才での早世、後任が同じオランダ出身の俊英、話題性のある若きハイティンクであったことから、ベイヌム時代は「中継ぎ」のような印象があり、余計に地味に映ってしまう。さらに、最盛期の録音時期が、モノラル時代の最後に重なっており、その後の怒濤のステレオ時代の「エアポケット」になってしまったことも、その見事な演奏を広く知らしめるには不利であった。
 加えて、ブルックナーに関しては、ハイティンクの「後見人」的に、ヨッフムがコンセルトヘボウを指導したが、彼は既にブルックナーの最高権威であり、また、ハイティンクもブルックナーを熱心に取り上げたことから、結果的に、ベイヌムの業績を目立たなくしてしまったように思う。

 既に幾度も指摘をしてきたが、マーラーと親交があり、それを積極的に取り上げたメンゲルベルクは、ブルックナーについてはあまり関心がなかったようだ。しかし、ベイヌムはそのデビューがブルックナーの8番のシンフォニーであったことが象徴的だが、ブルックナーも進んで演奏している。そして、その記録はいま聴いても、ヨッフム、ハイティンクとも異なり、けっしてその輝きを失っていない。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!415.entry?&_c02_owner=1

 ぼくは、コンセルトヘボウの幾分くすんだ、ヴァイオリンから低弦まで美しく見事にハーモナイズされた弦楽器群のサウンドが好きで、その「テイスト」はブルックナーに良く合うと思う。また、オランダは、オルガン演奏も熱心で先進国であるようだが、このホール専属オケ自体がオルガン的な響きを有しているようにも思う。だからと言うわけではないが、コンセルトヘボウ奏でるブルックナーは、いまや誰が振っても一定のレベルにはいくのではないかとさえ感じる。
 しかし、ベイヌムの弦楽器、木管楽器、管楽器の「鼎」のバランスはなんとも絶妙で、かつ、そのテンポの軽快感とオーケストラの自主性を重んじるような自然の運行あればこそ、ベイヌム独自の魅力的なブルックナー像を啓示してくれていると思う。

※1:メンゲルベルク(1871~1951年)は、ドイツ系のオランダの指揮者。生地ユトレヒトの音楽学校とケルン音楽院に学び,1892年ルツェルン管弦楽団の指揮者となる。1895年,創立まもないアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任。マーラー、R.シュトラウスなどでも定評のある演奏を残した。
http://kotobank.jp/word/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

※2:エドゥアルト・ファン・ベイヌム (Eduard van Beinum, 1901年9月3日 - 1959年4月13日) はオランダの指揮者。
 オランダ東部の町アルンヘム生まれ。ヴァイオリンとピアノを学び、16歳でアルンヘム管弦楽団のヴァイオリニストとして入団。翌年にはアムステルダム音楽院に入学し、ピアノ、ヴィオラ、作曲を学ぶ。
1920年にはまずピアニストとしてデビューしたが、まもなく指揮者に転向した。1927年に指揮者としてデビューし、同時期にハールレム交響楽団の音楽監督に就任。1929年の6月に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団へのデビューが大成功を収め、1931年にピエール・モントゥーの推薦とウィレム・メンゲルベルクの招きで同楽団の次席指揮者となった後、1938年からはメンゲルベルクとともに首席指揮者として活躍した。
 戦後の1945年、メンゲルベルクがナチスへの協力の廉でスイスに追放されると、ベイヌムはメンゲルベルクの後をついで、コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任した。またコンセルトヘボウ管弦楽団とのロンドン公演が大成功を収め、1949年から1951年にかけてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任。1954年にはフィラデルフィア管弦楽団を指揮してアメリカへのデビューを果たして大成功を収めている。1956年から1958年にかけて、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者として迎えられた。
 しかしベイヌムは元来病気がちで、晩年には心臓疾患を患っていたが、1959年の4月13日に、アムステルダムでブラームスの交響曲第1番のリハーサルを行っていた最中に心臓発作で倒れ、57歳の若さで急逝した。
バッハからドビュッシー、バルトークやオランダの現代音楽に至るまで幅広いレパートリーを誇っていたが、とりわけ古典派・ロマン派音楽の演奏には定評があった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用

火曜日, 4月 27, 2010

ベーム ブルックナー8番


 ベームについてはさまざまな評価がある。1970年代後半、ベームの来日は大変な歓迎ぶりであり、ベームも日本公演を大いに楽しみにしていたという。しかし、鬼籍に入ってから、辛辣な評者は、ベームは没個性で、歴史的に残るような指揮者ではないといったシビアな口吻も目立つようになった。
 ぼくは、中学生の時、LPでブラームスの1番(ベルリン・フィル)を聴いて以来、かわらずその音楽の「構築力」に敬服している。目立たないけれど実は凄い指揮者。その経歴も指揮者としてのトラック・レコードも申し分ない。そして、ブルックナー演奏についても折々に聴き、書いてきた。

http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!941.entry?&_c02_owner=1

 今日はブルックナー8番を聴く。やはり「構築力」という言葉にいきつく。堅牢な音楽、しかし、そこにはもちろん強い情熱も情感もある。
 緩さがない、生真面目だ、面白みに乏しい、といった批判はあっても、その手堅い構築力は誰しも認めるところ。ブルックナーでは、それが大きな武器である。上記の3,4,7番でも書いたが、ベームのブルックナーの重心の低い安定力は、バラツキのない、失敗しない一種の模範的な演奏スタイルとも言えると思う。それに、晩年のカラヤンのように、音を磨きすぎず、程良い無骨さも悪くない。

(メモ)
1975年ウィーン・フィルハーモニーの日本公演。ここで集中的にベームを聴いた。

3月17日:NHKホール
ベートーヴェン/レオノーレ第3番
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ブラームス/交響曲第1番

3月20日:NHKホール
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベートーヴェン/交響曲第7番

3月25日:NHKホール
モーツァルト/交響曲第41番
JシュトラウスⅡ/南国のばら
JシュトラウスⅡ/アンネン・ポルカ
JシュトラウスⅡ/皇帝円舞曲
JシュトラウスⅡ/常動曲
JシュトラウスⅡ&ヨゼフ・シュトラウス/ピッツィカート・ポルカ
JシュトラウスⅡ/こうもり、序曲

(出典)http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page034.html

土曜日, 4月 24, 2010

バーンスタイン マーラー9番

 バーンスタインのマーラー。手兵ニューヨーク・フィル他との「旧盤」全集をぼくは推奨するが、話題性で欠くことができないのが本盤。録音時期は1979年10月4~5日、カラヤン「王国」ではじめてベルリン・フィルを振ってのライヴ録音、その希少性にまずは注目。また、同時期(1979~80年)、カラヤン/ベルリン・フィルは満を持して、周到なスタジオ録音を行ったことで、後世、マーラーでの「両巨頭のベルリン激突」としてつとに有名となる。  さらに、カラヤンは1982年9月に同曲、同オケのライヴでデジタル再録。これでライヴでの両雄の比較も可能となった。加えて、バーンスタインは、これに先だってウイーン・フィルとの録音(1971年)もあり、彼は同曲で「世界3大オケ」を制覇したことになる。
 
 演奏は、基本的にニューヨーク・フィル(1965年)と共通し、激烈なパッションの迸る、感情移入の振幅の大きな演奏だが、そのダイナミクスでは1965年盤に軍配、オーケストラとの相性では1971年盤が優れている。
 蛇足ながら、カラヤンの濃密かつ耽美の極みのマーラー像も凄みがあり、バーンスタインとは対極の演奏とも言える。穿った見方だが、もしかすると、これは両巨匠の仕組まれた粋な共存かなとも思う。そんな想像も楽しめるメモリアルである。
http://www.amazon.co.jp/Mahler-Complete-Symphonies-Box-Set/dp/B001TIQT98/ref=cm_cr-mr-title

火曜日, 4月 20, 2010

ブルックナー 雑感

 出勤途上で交響曲3番を聴いていた。クーベリックの演奏。ふと、こんなことを考える・・・

 この曲は生々しくもブルックナーが自分の個性に目覚め、それを世にぶつけたセンセーショナルな作品だ(その試みは当初、無惨に打ち砕かれるが)。
 破壊と創造の交互の繰り返し、エネルギーの蓄積と放出の全過程、知覚的なものと啓示的なものの共存、自己を確立せんとする精神の葛藤・・・。いろんなものが<混在>しており、しかし、音楽的には構築力にとことん拘り、<整合性>を大切にするーある種の<矛盾>。

 これは結果的にマーラー以降の交響曲の「作風」に大きな影響を与えた。だからこそ、上記の叙述はマーラーにも新ウイーン学派にも共通するような部分があるのだろう。しかし、これは作曲の「方法論」としてではない。ブルックナーはまったく自然に、そうした営為に集中している。だからこそ、何を書いても(技術的な向上はあるにせよ)、ある意味では、同じ音楽の変奏でしかない。生涯にわたって未完のひとつの巨大な変奏曲を書いた。しかし、その変奏曲には折々に、親しいフォークロア(そう、バルトークが生涯こだわったような!)が挿入され、我慢と忍耐ののち壮大なコーダが登場する。特に、コーダに向かうとき、ブルックナーの神経は全集中し、前人未踏な管弦楽のスケールの大きさを示す。それは音量の問題ではなく、構えの大きさとでも言えようか。晴天の日、とてつもなく壮大な門を足下から見上げるような感じがある。

・・・ぼけっと、そんなことを考えていると電車に乗り遅れるぞ!

木曜日, 4月 08, 2010

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第9番

・交響曲第9番 ベルリン・フィル(1944年10月7日)

録音:1944年10月7日、ベルリン(放送用録音、モノラル)http://www.hmv.co.jp/product/detail/1422264

 ブルックナーは、本人の思想とかかわりなく、のちにナチス、ヒットラーの寵愛をうけることになる。ヒトラーがワーグナーとともにブルックナーを好んだことは有名で、リンツはブルックナーの聖地として、そのオーケストラは「帝国」の冠をかざすことになる。そうした、生臭いナチスとブルックナーの関係は、フルトヴェングラーの活動にとっても大きな影を落とすことになる。フルトヴェングラーにとって、ワーグナーやブルックナーを演奏することは、本人の心象風景とは全く別に、ナチスとの関係では一種の音楽による「貢献」活動であったかも知れない。
 1944年10月。すでにドイツの敗色は誰の目からみても明らかになっており、未遂に終わったが、ヒトラー暗殺計画があったのが7月である。フルトヴェングラーはどういう気持ちでブルテに上がり、ブルックナーの最後の交響曲を演奏したことだろう。
 普通、そうしたことは音楽と関係して語るべきではないのかも知れない。しかし、フルトヴェングラーが本当に嫌っていたカラヤンは同じベルリンでこの年の9月、交響曲第8番の史上初のステレオ録音を行っていた(下記、Tuesday, March 30, 2010 「ブルックナーvsカラヤン 交響曲第8番(1944年)」を参照)。
 フルトヴェングラーによるブルックナー9番ー現状知られるこの唯一の演奏を聴いていると、霞がかった録音とともに、どうしてもそうした時代性を感じてしまう。第1楽章の乾いた無音階的な響き、続く魂を鷲づかみするような異様な深みあるフレーズ、第3楽章最後の消えゆく最後の金管の独奏は、一呼吸の限界まで引き摺る意図的、示唆的な処理。演奏評以前に、これは何を意味しているのか?を否応なく考えさせる音楽である。

ブルックナー vs ホルスト・シュタイン

シュタイン&VPO / ブルックナー:交響曲第2番、他
・ブルックナー:交響曲第2番ハ短調(ハース版)
・ウェーバー:『オイリアンテ』序曲・ウェーバー / ベルリオーズ編:舞踏への勧誘 
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ホルスト・シュタイン(指揮)

 ホルスト・シュタインは1986ー87年のドイツ滞在中、2回のビッグ・プロを聴いている。夏にバイロイト音楽祭でマイスタージンガーを、冬にハンブルクの教会でドイツ・レエクイエムを聴いた。どちらも優れた演奏だった。さて、ブルックナーだが、いま2番を聴いている。なかなか良い演奏である!じっくりと味わってみたい。

(参考)以下は引用
ホルスト・シュタインさん逝去
 2008年7月30日 (水) ドイツの指揮者で、NHK交響楽団名誉指揮者としても知られたホルスト・シュタインさんがお亡くなりになりました。N響に入った連絡によると27日、スイス・ジュネーブの自宅で死去されたとのことです。ご冥福をお祈り申し上げます。ホルスト・シュタイン(Horst Stein)は1928年5月2日、大指揮者ハンス・クナッパーツブッシュの故郷として知られるラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)に生まれました。フランクフルト・アム・マインの音楽ギムナジウムとケルン高等音楽院で音楽教育を受けますが、ケルン高等音楽院ではこちらも同郷の名指揮者ギュンター・ヴァントに師事しています。 1949年にヴッパタール市立劇場の合唱指揮者に就任してキャリアをスタート、1951年にハンブルク国立歌劇場指揮者となって活動を本格化させる一方、1952年から1955年にかけてはバイロイト音楽祭で、ハンス・クナッパーツブッシュ、ヨーゼフ・カイルベルト、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどのアシスタントを務めて経験を深め、自身も1962年に『パルジファル』を指揮してバイロイト・デビューを果たします。 ベルリン国立歌劇場の楽長を経て1963年にマンハイム国立劇場音楽監督に就任(1970年まで)。1970年から3年間はウィーン国立歌劇場第1指揮者を務めるなど、叩き上げのオペラ指揮者として重厚な実績を残します。 ウィーン国立歌劇場にポストを得た1970年には、バイロイト音楽祭でワーグナーの『ニーベルングの指環』全曲を指揮して絶賛され、ワーグナー・オペラのスペシャリストとしての名声を確立しています。 1972~77年にはハンブルク国立歌劇場音楽総監督を務めますが、以降はコンサート指揮者としての活躍に重心を移し、1980年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を5年間務めた後、1985年にバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任、その名コンビぶりは来日公演やレコーディングを通じて日本でもよく知られるところとなりました。 1985~89年にはザルツブルク音楽祭に出演、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどヨーロッパの主要オーケストラに客演、バンベルク響とは世界各地へコンサート・ツアーをおこなっています。 日本へは1973年にNHK交響楽団への客演で初来日、2年後の再登場時には名誉指揮者の称号を贈られるなどN響との結びつきはきわめて深く、以後1999年まで定期的に客演を重ねました。 1996年、病気のためバンベルク交響楽団の首席指揮者を辞任、終身名誉指揮者の称号を贈られて活動を続けますが、1999年の「プラハの春」音楽祭出演中に倒れ、以降は活動休止状態となったまま、2008年7月27日、スイスの自宅で亡くなられました。80歳でした。ご冥福をお祈り申し上げます。
http://www.hmv.co.jp/news/article/807300046/ 

月曜日, 4月 05, 2010

ブルックナー vs カラヤン

 フルトヴェングラーは、ベルリン・フィル、ゲヴァントハウスの2大オケで大御所ニキシュの後任として、ブルックネリアーナ指揮者の名声を継いだ。クナッパーツブッシュの「先生」はかのハンス・リヒターであり、これも正統な伝承者たる資格があった。さて、カラヤンは・・・
フランツ・シャルクの演奏を学生時代よく聴いたようだが、なんら弟子ではなかった。

 カラヤンのブルックナー解釈は、さまざまな先人の内容を意欲的に吸収しつつも、カラヤンが若き日からスコアを読み尽くし、自分自身で築いたものであったと言えるかも知れない。そして、ブルックナー改訂で名をとどめたハースは、カラヤンの演奏を聴いて、彼の校閲の見方からこれを高く評価した。カラヤンにとっては、泰斗ハースの援軍は大きな自信に繋がっただろう。

 カラヤンは下記のブログにもしるしたとおり、ブルックナーの交響曲第8番を得意中の得意の演目としていた。戦前から一貫して8番こそ、カラヤンの金看板だった。それについで、9番、7番、5番をよく取り上げたが、録音は9番(日本でのレコード芸術推薦盤1967年)、4番、7番(同1971年)がはやく世評も高かった。しかし、この録音も、カラヤンの本来の意思からはけっして早くはない。
 何故かと言えば、当時ドイツグラモフォンは、ブルックナーではヨッフムの名盤(いまもその価値は変わらない)があったし、なによりブルックナーのレコードは全く売れなかったようだ。後に、カラヤンが意欲的に全集を出した頃は、ブルックナー受容が進むとともに、「カラヤンの名前」で十分に売れるようになってからであったと言う。

土曜日, 4月 03, 2010

織工から


 先週はちょっと驚くことがあった。Amazonで演奏評やリストマニアを書いている「織工」のレビュアーランキングの計上方法がかわり突然、「ベストレビュアー1000」に入っていた。もちろん分限はわきまえており、永続きするものではないので、得難い<記録>としてとどめておきたい。
 ブルックナーの演奏評を中心に、あとは組み物のCDあたりのみを扱っている<地味中の地味>のレビューなのだが、「好事家多し!」と言い換えて、インターネットの世界は広く深いなあと実感した次第である。
https://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A185EQOC8GHUCG

 一方、「ブルックナー・ブログ」ではフルトヴェングラーについての自分の演奏評を整理してみた。よって、先週は深夜までフルトヴェングラーばかり聴いていた。これは相当エネルギーをつかう作業であり、一定の集中力を要し、聴き終わったあとは満足感とともに疲労感が残る。フルトヴェングラーついては、<ながら>族では聞けないなといつも思う・・・。
http://shokkou.spaces.live.com/default.aspx?&_c02_owner=1&wa=wsignin1.0

 この「ブルックナー・ブログ」では、フルトヴェングラー関連で、以下のカテゴリー別に次のような記事をランダムに書いてきた。

【名指揮者】
ブルックナー//メモランダムⅢ②ーカラヤンとフルトヴェングラー
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1181.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダムⅣ⑥ーW.フルトヴェングラー(3)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!412.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダムⅣ⑤ーW.フルトヴェングラー(2)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!409.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダムⅣ④ーW.フルトヴェングラー(1)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!407.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダムⅣ③ー ウイーンフィル(3)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!396.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/ミニ・コラム⑤ーブルックネリアーナ指揮者
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!251.entry?&_c02_owner=1

【本・論考・インタビュー】
ブルックナー//メモランダムⅣ⑨ー雑誌「音楽現代」
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1266.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダム⑤の4ーW.フルトヴェングラーの論考
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!170.entry?&_c02_owner=1

【好きな演奏】
ブルックナーNO.5
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!128.entry?&_c02_owner=1

【魅力の源泉】
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!982.entry?&_c02_owner=1

 また、この「織工Ⅲ」では、「ブルックナー・ブログ」では省略した外部意見も、一部番数について下記にしるした。なお、織工Ⅲの前シリーズである「織工Ⅱ」でも折々で、断片的な拙文を載せている。
http://freizeit-jiyuu.blogspot.com/2006/07/blog-post_115308406144324610.html

金曜日, 4月 02, 2010

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第7番

交響曲 第7番 ホ長調(改訂版) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮) 録音:1949年10月18日、ベルリン・ダーレム、ゲマインデハウス

 ブルックナーの後期3交響曲は、その楽想の共通性も強いが、各楽章の「構成」にこそ特色がある。特に、7番は前半に頂点があり、第1楽章の終結部は強く締めくくられ、第2楽章の有名はアダージョのあと、第3楽章はワーグナー的な躍動感にあふれ、終楽章はブルックナーの他の交響曲のフィナーレに比べて軽量、快活そしてなにより短い。8番は逆に圧倒的な重量感のある第4楽章にむけて、高い山を登攀していくような感じであり、第3楽章までには一定の忍耐がいる。未完の9番は、よりベートーヴェンの9番を意識して書かれているように思うが第4楽章を欠いているので、作曲家の最終的な意図は闇の中である(もっとも、作曲家が希望したテ・デウムに代替すれば、ベートーヴェン同様、「合唱」が付加される)。

 フルトヴェングラーの7番を聴く。第1楽章の再現部からコーダへの盛り上げ方は圧倒的でこの楽章だけで完結感、充足感が強い。アダージョの沈潜もフルトヴェングラーらしく深い味わいを湛えている。第3楽章はワーグナーのワルキューレの騎行を連想させる。振幅があり実にスケールの大きい構えである。第4楽章は一転、速度を早め軽快に締めくくる。全般に堂々とした演奏であり、この時点(1949年)での指揮者(そしてリスナー)へ強烈な示唆を与える規準盤であったろう。

火曜日, 3月 30, 2010

ブルックナー vs  カラヤン 交響曲第8番(1944年)

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調第2~4楽章
●プロイセン(ベルリン)国立歌劇場管弦楽団
■録音年月日:1944年6月28日(第2、3楽章)、9月29日(第4楽章)
■録音場所:ベルリン
■録音:モノラル/ステレオ(第4楽章)
■原盤所有社:ドイツ帝国放送協会(RRG)
■発売:KOCH SCHWANN
■タイミング:II:16:10、III:27:21、IV:27:34
http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%83u%83%8B%83b%83N%83i%81%5B+%8C%F0%8B%BF%8B%C8%91%E6%82W%94%D4%83n%92Z%92%B2&not3=%8EB%89e%95%97%8Ci
 
 上記出典で、57年盤の録音時間を引くとタイミング:I:17:05、II:16:04、III:27:31、IV:26:17 となっている。驚くべきことに、欠落している第1楽章を別に、第2楽章は00:06差、第3楽章は00:10差、第3楽章で01:17差という「僅差」である。13年ののち、かつオーケストラも違う2つの演奏はほぼ一致した内容といってもよい。カラヤンのブルックナー8番解釈は、実は1944年の段階でほぼ確定していたか。
 この感想は同じプロイセンを振った「英雄」でも、かつて同様な印象をもち、本ブログに書いた記憶がある。もっとも、注意しなければならないのは、カラヤンはライヴでは別の顔を見せることもあることだ(特にテンポ設定については大きく可変的)。

 しかし、44年盤、57年盤は、おそらく近代の指揮者として、はじめてレコードという媒体にもっとも高い感度と深い知識をもっていたカラヤン(クナッパーツブッシュやフルトヴェングラーとの大きな違い!)にとって、特別な意味があったろう。44年盤第4楽章は、世界初のステレオ録音とも言われ、これを事後チェックしたカラヤンは、戦時中ながら新技術「ステレオ録音」の将来に秘かに思いを馳せたかも知れない。また、57年盤はベルリン・フィルを統率した本格的なステレオ録音である。どちらも、カラヤンにとって、他者が理解できないくらい重要な意味のある記録であったろう。
 なお、57年盤を中心とする8番の演奏評については下記を参照。

http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!943.entry?&_c02_owner=1

(戦中・戦後のカラヤンについて、あわせて下記を参照)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1181.entry?&_c02_owner=1

日曜日, 3月 28, 2010

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第6番

 現状聴くことができるのは、ベルリン・フィルとの唯一の録音(かつ第1楽章欠落)である。その概要は以下のサイトで解説がある。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5362/bru6.html

 自分の感想は、以下に書いている。私はシュワルツコップのファンであるが、このCDは、フルトヴェングラー&シュワルツコップの「デュオの魅力」が前面にでたものでもある。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC6%E7%95%AA-%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0/dp/B00005HV6W/ref=cm_cr-mr-title

 『フルトヴェングラー グレート・レコーディングズ』 ジョン アードイン (著), 藤井 留美 (翻訳) 音楽之友社 (2000/12/1) では、6番ではアダージョでのワーグナー<トリスタン>主題との関係を中心に考察している。

 6番は、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ワルターらの欠落を埋めるようにクレンペラーが、鷹揚たる名演を引っさげたが、第1楽章の欠落はあっても、そこはフルトヴェングラー、不完全盤ながらも歴史的な輝きを失わない遺産を残してくれたと言えよう。

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第5番

 2つの録音があるが、ウイーン・フィルとの演奏は、1951年ザルツブルク音楽祭でのライヴ盤である。2つの録音の聞き比べは以下のサイトが綿密に解説してくれる。
 http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5362/bru5.html

 自分の感想は、以下に書いている。それにしてもこのジャケットの写真はあまりにひどい(よって別の写真を上に掲げた)。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA-%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B9%E7%89%88-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3/dp/B00005HN28/ref=cm_cr-mr-title

 『フルトヴェングラー グレート・レコーディングズ』 ジョン アードイン (著), 藤井 留美 (翻訳) 音楽之友社 (2000/12/1) では、5番の4つの楽章の循環的性格が簡略に示される。そいて、この循環性ももっとも見事に表現しているのがフルトヴェングラーであるとしている。

 「第1、4楽章の始まり方が、第2、3楽章と似ており、また、第2、3楽章には第1、4楽章の起源を感じさせるものがあることから、循環性が非常に強い作品である。また、それ以上に、全体を通じて他家受粉のような主題の相互交換が行われており、ブルックナーの交響曲の全楽章中最大の規模と野心を誇る第4楽章、その冒頭で確定される循環性と合わさって、この相互交換が思考と行動のずばぬけた経済性を生み出している」(p.321)

 5番については、ヨッフムの解釈に強い影響をうけてきた。しかし、ヨッフムと各楽章の力点の置き方に違いはあるが、フルトヴェングラーのテクスチャーの読み込みは深く明確で、複雑な回線を混戦せずに見事に結びつけてような「整理学」と全体を巨大に再構成していく「推進力」は抜群である。

土曜日, 3月 27, 2010

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第4番

 3つの録音があるが、ウイーン・フィルとの演奏は、1951年同一演奏旅行中のものなので、解釈に基本的な違いはない。3つの録音の聞き比べは以下のサイトが綿密に解説してくれる。
http://www.geocities.jp/furtwanglercdreview/bru4.html

 自分の感想は、以下に書いている。前半2楽章と後半2楽章で強烈にアクセントをつけ、前半は遅くて諦観的、後半は少しテンポを上げダイナミクスを強めて・・・といった運行。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA%E3%80%8A%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%80%8B%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88-%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0/dp/B000LC5BRY/ref=cm_cr-mr-img

 『フルトヴェングラー グレート・レコーディングズ』 ジョン アードイン (著), 藤井 留美 (翻訳) 音楽之友社 (2000/12/1) には、フルトヴェングラーが1890年版を採用していることについて、参考になる表現がある。

 「微妙なルバートと極端なリタルダンド、鋭角的な”へアピン”ダイナミクスを持つ”世紀末風”ブルックナー」(p.316)

 聴き直してみて、やはりいま、こうした演奏のできる指揮者はいないと感じる。そもそも、1890年版を採用すること自体に、うるさがたの批評家のブーイングを予想しなければならないだろうし、ここまで「強烈な解釈」にぴたりと寄り添わせるオーケストラ・コントロールは、今日もっと難しいだろう。その意味でも「歴史的な遺産」である。しかし、より本質的には、ブルックナーの音楽の<神髄>はこうあるべきという、誰も真似しえないフルトヴェングラーの強靱な意志力こそ、本演奏の中空で見えない蜷局(とぐろ)を巻いていると感じるのである。

水曜日, 2月 03, 2010

ブルックナー vs クナッパーツブッシュ


Hans Knappertsbusch(1888-1965年) 
1888年、ドイツのエルバーフェルト(現在のブッパルタール)生まれ。実家はベルギー系で工場主(醸造工場)。その後、この都市で、ギュンター・ヴァントやホルスト・シュタインも活動する。 
1908年、アビトゥーアを取得、音楽の道は両親から反対され、ボン(およびミュンヘン)大学にて哲学を専攻、その一方、ケルン音楽院でシュタインバッハに指揮法を学び、いわゆる「二足の草鞋」の生活を送る。第二次大戦前の時代、ベームもウイーンで法律を学んでおり、必ずしも音楽専一でないことは特殊ではないが、この時期、相当な努力家であったことは事実だろう。 
1909年からバイロイト音楽祭でハンス・リヒターの助手を務め3年の修業を行った。若きクナッパーツブッシュは、ブルックナー演奏の泰斗でもあるリヒターから大きな影響を受けたと言われる。1910年以降、ミュールハイム、ボーフム、ケルン、エルバーフェルト等の各劇場に短期ながら在籍した。 
1913年、ミュンヘン大学に学位請求論文「パルジファルおけるクンドリー」を提出。同年9月15日、エルバーフェルトの劇場にてデビュー。その後「パルジファル」、「マイスタージンガー」などで成功を収める。 ライプツィヒ(18~19年)、デッサウ(19~22年)などの歌劇場指揮者(カペルマイスター)に迎えられた。 
1922年、弱冠34才にしてブルーノ・ワルターの後任としてバイエルン国立歌劇場音楽監督に就任。「トリスタンとイゾルデ」を振る。その後SP時代のレコーディングを行い、ベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)とハイドンの「オックスフォード」、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのワーグナー集などがある。徐々にナチスとの関係が悪化する。 
1936年、バイエルン国立歌劇場監督を解任(後任はクレメンス・クラウス)。その後、活動の拠点をウィーンに移し1937年以降、ザルツブルク音楽祭にも参加。 
1944年、第2次大戦中最後の公演として、ウィーン国立歌劇場で「神々のたそがれ」を指揮する。 
1945年、終戦後ミュンヘンにて歌劇場再建のためのコンサートで指揮するも、ナチ戦犯嫌疑で翌年末まで活動停止。その後、バンベルグ交響楽団を指揮して活動再開。 
1951年、戦後初のバイロイト音楽祭にて「パルジファル」を演奏。他に、カラヤンとともに「マイスタージンガー」、「指環」を振る。この後、一時を除き1964年までバイロイト音楽祭には参加し、ワーグナー指揮者の名声を得る。 その後の活躍はめざましいものがある。 
1965年、急性の心臓及び循環器不全で逝去。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 下記はHMVからのリスト。いまは7番、8番(赤字)を中心に聴いている。
 さて、その8番についてだが、どの演奏でも(余程ひどいものでない限り)第4楽章までくれば多かれ少なかれ、さあこれから巨大なコーダに向かって壮大な世界が待っているぞと、演奏者もリスナーも意気込むものだが、実は、クライマックス前、長大な第3楽章のアダージョ(モーツァルトの交響曲1曲分がすっぽりと入る長さ!)こそ、演奏の質を決めると思っている。

 この点でもベートーヴェンの第9番を連想させるが、クナッパーツブッシュの「凄さ」は、この第3楽章を滔々と流しながら、しかし、いかに遅くとも失速感がなく、一方で過度な緊張もしいず、飽きさせずに自然に響かせることにある。

 そこから浮かび上がるのは、なんと良き音楽なのだろうという、作品自身に対する深い満足感である。技術的には、連音符の繰り返しが慎重かつ巧みに処理され、同種テーマの再現でも、局面によって全て表情が違い、肌理の細かい配慮がなされている。その細部に至るまでの表情の「多様性」が、即興的に響くからこそ、魅力を湛えているのだと思う。いままで、桁違いの音楽スケールという点を強調してきたけれど、もう一つの隠れた技倆を、この第3楽章にみる思いである。

(クナッパーツブッシュについて)
http://shokkou3.blogspot.com/2007/12/blog-post.html
http://shokkou3.blogspot.com/2008/03/blog-post_03.html
http://shokkou3.blogspot.com/2008/03/blog-post_5076.html
http://shokkou3.blogspot.com/2008/06/blog-post_07.html

(簡易リスト/ブルックナー)
ブルックナー / 交響曲第9番、他 クナッパーツブッシュ&バイエルン国立管弦楽団 輸入盤 〔CD〕

・交響曲第9番ニ短調 バイエルン国立管弦楽団 録音:1958年2月1日(ライヴ、モノラル)
・ワーグナー:『神々の黄昏』から管弦楽作品 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1957年10月(ステレオ)

ブルックナー / 交響曲選集 クナッパーツブッシュ&BPO、VPO、他(6CD) 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第3番(録音:1954年10月11日) バイエルン国立歌劇場管弦楽団

・交響曲第4番『ロマンティック』(1944年9月8日) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第5番(1956年6月) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第7番(1949年8月30日) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第8番(1951年1月8日) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第9番(1950年1月28日) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ブルックナー / 交響曲第5番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル(1959年ライヴ) 国内盤 〔CD〕
・交響曲第5番変ロ長調 WAB.105 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 収録:1959年3月19日 ミュンヘン

ブルックナー / 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル 1963年 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第8番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1963年1月24日
・シュミット:軽騎兵の歌による変奏曲 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1957年10月20日,

ブルックナー / 交響曲第9番 クナッパーツブッシュ / バイエルン国立管弦楽団(1958) 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第9番 バイエルン国立管弦楽団 1958年2月録音

ブルックナー / 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ / バイエルン国立管弦楽団(1955) 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第8番 バイエルン国立管弦楽団 1955年12月録音

ブルックナー / 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル(1963年ライヴ) 国内盤 〔CD〕
・交響曲第8番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 収録:1963年1月24日、ミュンヘン

ブルックナー / 交響曲第3番、第5番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル 1964,59年 輸入盤
・交響曲第3番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1964年1月16日、ライヴ 
・交響曲第5番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1959年3月19日、ライヴ

ブルックナー / 交響曲第4番『ロマンティック』 クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1955年

ブルックナー / 交響曲第3番『ワーグナー』 クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル(1960) 輸入 ・交響曲第3番 ウィーン・フィルハーモニー 録音時期:1960年2月14日 録音場所:ムジークフェライン大ホール

ブルックナー / 交響曲第8番(VPO、1961)、第9番(BPO、1950) クナッパーツブッシュ

火曜日, 2月 02, 2010

ブルックナー vs ダヴァロス


Bruckner:Symphony No.7 in E [Import] [from UK] ~ Philharmonia Orchestra (アーティスト), Anton Bruckner (作曲), Francesco d' Avalos (指揮)

を聴く。はじめは楽しめて、第3楽章まで、もしかすると、これは掘り出し物かも・・・と期待した。ところが第4楽章に入り、その独特のテンポ・コントロールが実に不自然である。これも「作曲家」たるダヴァロスの拘りなのかも知れないが、可変的なテンポの面白さよりも、音楽の求心力の低下が目立ち、聴き手の感動がセーブされるような処理に映る。いやいや、こここそが新しい解釈ではないかと再度聴くが同じ印象。コーダ近辺の盛り上がりに欠け、楽譜を形式的には正確に処理しているかも知れないが、これでは音楽の躍動感が減殺される。視聴後、その点、どうしても残念な思いが残る。

土曜日, 1月 30, 2010

ブルックナー vs クレンペラー

クレンペラーのブルックナーが再発売されている(上記ジャケットは別)。以下のラインナップである。ぼくはクレンペラーの大きな構えのブルックナーも好む。6番が特に気にいっている。

■ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(ノーヴァク 1953年版) w/フィルハーモニア管弦楽団 1963年9月録音 TOCE-90116 ¥2,100
■ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調(原典版) w/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1967年3月録音  TOCE-90117 ¥2,100
■ブルックナー:交響曲第6番 イ長調(ハース版) w/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1964年11月録音 TOCE-90118 ¥2,100
■ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調(原典版) w/フィルハーモニア管弦楽団 1960年11月録音 TOCE-90119 ¥2,100
■ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調(ノーヴァク版) ワーグナー:ジークフリート牧歌*w/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1970年10月録音  w/フィルハーモニア管弦楽団* 1960年11月、61年4月、10月録音  TOCE-90120/1 ¥3,980
■ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調(ノーヴァク版) w/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1970年2月録音TOCE-90122 ¥2,100
http://jp.ibtimes.com/press/article.html?id=9491

ウイーン・フィル 魅惑の名曲

 お買い得の第1巻を690円で購入する。第2巻以降も注目されるが全巻まとめ買いはしない。

1巻 小澤征爾/ドヴォルザーク「新世界より」 2010年1月19日
交響曲 第9番 ホ短調 作品95 指揮:小澤征爾  
スラヴ舞曲集 第1.3.8.10.16番 指揮:アンドレ・プレヴィン

2巻 カラヤン/チャイコフスキー「白鳥の湖」 2010年2月2日
3巻 ベーム/モーツァルト「交響曲第40番」 2010年2月16日
4巻 バーンスタイン/べ一トーヴェン「英雄」 2010年3月2日
5巻 ベーム/モーツァルト「ジュピター」 2010年3月16日
6巻イッセルシュテット/ベートーヴェン「運命」「田園」 2010年3月30日
7巻 アバド/メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」 2010年4月13日
8巻 カラヤン/ホルスト「惑星」グリーグ「ペール・ギュント」 2010年4月27日
9巻 ショルティ/チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」 2010年5月11日
10巻 カラヤン/ブラームス「悲劇的序曲」 2010年5月25日
11巻 ベーム/シューベルト「未完成」 2010年6月8日
12巻 マゼール/チャイコフスキー「悲愴」 2010年6月22日
13巻 クーベリック/スメタナ「わが祖国」. 2010年7月6日
14巻 イッセルシュテット/ベートーヴエン「皇帝」 2010年7月20日
15巻 バーンスタイン/ブラームス「交響曲第1番」 2010年8月3日
16巻 カラヤン/R・シュトラウス「ツァラストラはかく語りき」 2010年8月17日
17巻 ハイティンク/ベルリオーズ「幻想交響曲」 2010年8月31日
18巻 ライナー/ブラームス「ハンガリー舞曲集」 2010年9月14日
19巻 小澤征爾/ドヴォルザーク「交響曲第8番」 2010年9月28日
20巻 カラヤン/ヴェルディ「アイーダ」 2010年10月12日
21巻 プレヴィン/ムソルグスキー「展覧会の絵」 2010年10月26日
22巻 ベーム/モーツァルト「レクイエム」 2010年11月9日
23巻 マッケラス/ヤナーチェク「シンフオニエッタ」 2010年11月22日
24巻 カラヤン/クリスマス曲集 2010年12月7日
25巻 ベーム/ベートーヴェン「合唱」 2010年12月21日
26巻 マゼール/ニューイヤーコンサート 2011年1月11日
27巻 ショルティ/ワーグナー「ニーベルングの指輪」 2011年1月25日
28巻 シノーポリ/リスト「ハンガリー狂詩曲」 2011年2月8日
29巻 バーンスタイン/マーラー「大地の歌」 2011年2月22日
30巻 ボスコフスキー/ワルツ・ボル力名曲集 2011年3月8日
31巻 ヨツフム/ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」 2011年3月22日
32巻 ドホナー二/チャイコフスキー「序曲〈1812年〉」 2011年4月5日
33巻 アバド/マーラー「交響曲第4番」 2011年4月19日
34巻 カラヤン/プッチー二「トスカ」「蝶々夫人」 2011年5月10日
35巻 ケルテス/シューベルト「ザ・グレイト」 2011年5月24日
36巻 ショルティ/モーツァルト「〈魔笛〉序曲」 2011年6月7日
37巻 ショルティ/R・シュトラウス「英雄の生涯」 2011年6月21日
38巻 カラヤン/モーツァルト「フィガロの結婚」 2011年7月5日
39巻 ハイティンク/ブルックナー「交響曲第4番」 2011年7月19日
40巻 ショルティ/ワーグナー「タンホイザー序曲ほか」 2011年8月2日
41巻 プレヴィン/リムスキー=コルサコフ「シエエラザード」 2011年8月16日
42巻 プレヴィン/メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」 2011年8月30日
43巻 レヴァイン/モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲」 2011年9月13日
44巻 ショルティ/珠玉の小品集 2011年9月27日
45巻 ジュリー二/ブルックナー「交響曲第7番」 2011年10月11日
46巻 コンドラシン/ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」 2011年10月25日
47巻 モントゥー/ハイドン「驚愕」「時計」 2011年11月8日
48巻 ヴァント/シューマン「ピアノ協奏曲」 2011年11月22日
49巻 ドホナー二/メンデルスゾーン「スコットランド」 2011年12月6日
50巻 カラヤン/ハイドン「ロンドン」 2011年12月20日

木曜日, 1月 28, 2010

ブルックナー vs マタチッチ

 マタチッチのブルックナー。野太く、おおらか。しかし、マタチッチ流の大幅な楽曲カットや一部改変もあり、原典重視派からは批判もある。上記ジャケットは7番だが、よく聴く5番(チェコ・フィル盤 1970年)では第4楽章の2カ所のカットは相当、大胆に行われる。特に最終コーダ前の「省略」は、原典版で5番を知っている者からは、メロディが切断され、思わずガクンとくるだろう。それは承知で、好んで聴いている。

 ぼくは、いわゆるブルックナーの「版」問題には、あまり頓着しない質ではあるが、このマタチッチの改変はクナッパーツブッシュなどそれ以前の、ブルックナー演奏のひとつの流儀とも言えるのだろう。いまはとても許される音楽仁義ではないが、1970年代までのひとつの古き音楽風景かも知れない。

火曜日, 1月 26, 2010

ブルックナー vs  カラヤン

 ぼくのカラヤンでの「ブルックナー体験」はLP時代からで古いが、ある時にCDの全集を買って系統的に聴き、「流石!」と思ったことで、その演奏を少しく考えるようになった。映像目当てではないので、DVDには一切手を出していない。
 演奏評の概要は既にいくどか書いてきたので繰り返さないが、初期のベルリン・フィルとの8番、その後の6番、何故か単発がでないながら見事な1、2番を好み、晩年のウイーン・フィルとの7、8番は、いまだどうもしっくりと受容できない。
 実は、3番、5番あたりで今後、(できれば全盛期での)ライブ盤などが出てくれば是非手にとってみたい。その一方、はやくからマーケットに出て、発売当時、誉れ高い4、7、9番などの完成度はいま聴いても高いと思うけれど、各番とも「カラヤンでなくては・・・」といったモメンタムには乏しい。
 しかし、通番で聴く全集は別で、ヨッフム(新・旧とも)、カラヤンが均一性でいまも最高ランクと秘かに思っている。

土曜日, 1月 16, 2010

パーヴォ ヤルヴィ @ ベートーヴェン

ウイークエンドシアター ボン・ベートーベン音楽祭2009

チャンネル:BShi
放送日:2010年 1月16日(土)
放送時間:午後11:00~17日午前0:33(93分)
ジャンル:音楽>クラシック・オペラ音楽>ライブ・コンサート

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団演奏会
 
ベートーヴェン「交響曲 第6番ヘ長調 作品68“田園”」「交響曲第7番 イ長調 作品92」  
~ドイツ ボン・ベートーベンホールで2008年9月11日録画~

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ヤルヴィは明解な解釈をオーケストラに授け、小気味の良い溌剌とした演奏。楽員の表情が実に生き生きとしていて、見ていてこちらの精神がプラスに感化される。両番とも、ピリオド奏法で少し異質の演奏との事前の解説があったが、どうして、そう違和感はない。ティンパニーが堂々と鳴って隈取り鮮やかな部分も終結部にはあるが、全般には弦と木管の響きが生気に溢れ、そちらの方の印象のほうが強い。楽しめた。

ブルックナー HMVランキング

  昨日、ブルックナー・ブログ(http://shokkou.spaces.live.com/default.aspx?&_c02_owner=1&wa=wsignin1.0)にブルックナーCDのHMVランキング上位20位までを掲載してみた。作業をしていてなかなか面白かったので、以下は21位から50位までのランクも拾っておこう。

 このレンジでは、シャイー、ハイティンク、アーノンクール、ザンデルリング、ロジェストヴェンスキーらが出てきて幅が広くなっているが、ジュリーニ、ヴァントの人気はここでも看取できる。
 その一方、8番のライヴは入っているが、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、フルトヴェングラー、ベームなどは、このグループでは目立たない。AmazonにくらべてHMVは輸入盤の「通」が多いせいかも知れず、ライヴの未公開初物や新譜に敏感な印象である。

<ランキング>拾遺
21.交響曲第8番、モーツァルト交響曲第38番『プラハ』 ハイティンク&シュターツカペレ・ドレスデン(2CD)
22.
交響曲全集 シャイー指揮コンセルトヘボウ管、ベルリン放送響(10CD)
23.交響曲第8番 プレートル&ウィーン響
24.交響曲第5番 ヴァント&ミュンヘン・フィル
25.交響曲第7番 ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団
26,交響曲第4番 ザンデルリング&バイエルン放送響 
27.
交響曲第8番 カイルベルト&ケルン放送交響楽団
28.交響曲第5番 アーノンクール&VPO
29.
交響曲第4番(初稿)ナガノ&バイエルン国立管弦楽団
30. 交響曲第9番(第4楽章フラグメント付き)アーノンクール&VPO(2SACD)

31.交響曲第9番 ヴァント&ベルリン・フィル
32.交響曲第6番 ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団
33.
交響曲第7番 ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団
34.レクィエム カラヤン&ベルリン・フィル、フレーニ、ギャウロフ、他 ブルックナー:テ・デウム
35.交響曲第7番 マタチッチ&チェコ・フィル
36.交響曲第4番 ヴァント&ミュンヘン・フィル
37.交響曲第8番 テンシュテット&ロンドン・フィル(1981年ライヴ)
38.交響曲第6番 ハイティンク&シュターツカペレ・ドレスデン
39.交響曲第2番 ジュリーニ & ウィーン響(1974)
40.交響曲第5番 ヴァント&ベルリン・フィル

41.ブルックナー:交響曲第7番 ジュリーニ/ウィーン・フィルハーモニー
42.交響曲第8番 クレンペラー&ケルン放送交響楽団
43.交響曲第8番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル(1963年ライヴ)
44.交響曲第5番 ショルティ&シカゴ交響楽団
45.交響曲録音全集第2集 ロジェストヴェンスキー&ソビエト国立文化省交響楽団(8CD限定盤)
46.交響曲第4番 カラヤン&BPO(1970 EMI)
47.交響曲第7番 ヴァント&ベルリン・フィル
48.交響曲第3番 デニス・ラッセル・デイヴィス&リンツ・ブルックナー管弦楽団
49.交響曲録音全集第1集 ロジェストヴェンスキー&ソビエト国立文化省交響楽団(8CD限定盤)
50.
交響曲第5番 マタチッチ&NHK交響楽団(1967)

水曜日, 12月 23, 2009

クリスマス・イブ

 もう数十分するとクリスマス・イブである。子どもの頃は言いしれぬわくわく感があったが、いまは年の瀬近しの忙しなさが先にたつ。ドイツ滞在中は、フランクフルトやバチカンでその雰囲気を満喫したが、これはやはり本場欧州のもので、日本のクリスマス・イブは良い意味でも、そうでない見方でも「商業的」だなというのは否めない。でも小理屈なく、子ども連れが楽しめれば、それはそれで結構。こちらも笑顔のお裾分けで満足しようか。

 それとは別に、この時期、クリスマス音楽が、TVで、また街中に流れるが、思わず耳を傾けるような、実にうっとりするメロディも多い。ひそやかな楽しみである。

水曜日, 12月 02, 2009

ブルックナー vs シューリヒト

 日本には根強いシューリヒト・ファンが多い。自分もその末席に座しているなと思うこともある。いま、もう何度もお世話になっているブルックナーの9番を聴いている。
 なんとも精妙な音づくりに、これぞシューリヒトならではと膝を打つ一方、一種の「軽みの美学」は、待てよ、これってクナッパーツブッシュ的じゃないか?と感じることもある。あるいは両巨頭に<共通した部分>があるというべきか。後期3曲、7,8,9番は、両巨頭とも双璧の拮抗をみせる世紀の名演を残してくれている。どちらが上かはナンセンスな質問であり、リスナーの好みの問題といえるだろう。

 軽快なテンポで、音楽を重くせず、オーケストラの溜まっていくエネルギーを、ヒラリ、ハラリといなしていくような独特のやり口にそうしたことを思う次第だが、その反面、クナッパーツブッシュは時に大爆撃のようなこともやってみせるが、シューリヒトの演奏は最強音でも独特の品の良い美しさを失わず常軌を逸することがない。
 「1958年公演直後のウィーン・フィル、クナッパーツブッシュ、シューリヒトとのヨーロッパ演奏旅行の楽団員用スケジュール小冊子」なるものがあるという(※1)。この2人の関係が気になる。
 シューリヒトは典型的な大器晩成型で、晩年になってから大舞台で活躍したので、クナッパーツブッシュの方が直観的にははるか年上に思えるが、実は、シューリヒトはクナッパーツブッシュよりも8才年長であり、しかも2年近く長生きしていることに驚く。

◆カール・アドルフ・シューリヒト(Carl Schuricht, 1880年7月3日 - 1967年1月7日)
◆ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888年3月12日 - 1965年10月25日)

 ウイーン・フィルとの関係では、シューリヒトは、その活動の最盛期が、クナッパーツブッシュより後になるので、この「ヒラリ、ハラリの技法」は、もしかするとクナッパーツブッシュ流のウイーン・フィル操舵術を、シューリヒトが、その実、よく心得ていたからかもしれないなと勝手に思ってみたりする。
 ちなみに、この2人は、「難物中の難物」ウイーン・フィルのメンバーが心から敬したという数少ない生粋のドイツの指揮者でもあった(※2)。

(参考)『ウィキペディア(Wikipedia)』 から抜粋
 シューリヒトの演奏スタイルは、基本的にテンポが非常に速く、リズムは鋭く冴えており、響きは生命力に満ち、かつ透明度の高いものであった。彼の楽譜の読みはどの指揮者よりも個性的で、ある時はザッハリヒに厳しく響かせたり、ある時はテンポを動かしながらロマンティックに歌わせるなど、決して一筋縄ではいかない意外性があったが、音楽全体は確信と明晰さにあふれていた。また、同じ曲でも決して毎回同じようには指揮せず、演奏するたびに新鮮な感動と発見を聴き手に与えるのであった。EMIやDecca、コンサートホール協会盤など多数のスタジオ録音が残されているが、放送用録音の発掘も現在盛んに行われている。
シューリヒトはかなり高齢になってから世界的名声を得た人であり、特に晩年はリューマチの悪化により杖をつきながらかなり長い時間をかけて指揮台に登場するのであった。しかしひとたび指揮台に上がると、年齢を全く感じさせない輝かしい生命力が彼の指揮姿からもその音楽からも湧き出て、聴く者に(そしてオーケストラの楽員にも)大きな感銘を与えたのである。能力のない指揮者に対しては口が悪いウィーン・フィルの楽団員に対しても、毅然とした態度で臨んだ。たとえば、1955年3月の初めての顔合わせのとき、だらけたウイーンフィルの演奏態度に腹を立てたシューリヒトは、ブルックナーの第4番を熱血あふれる指揮ぶりでひっぱり、見事にオーケストラを立ち直らせた。こうしたことがあって口さがないウイーンフィルの楽団員もシューリヒトには一目置いて、「偉大な老紳士」と称して特別に敬愛していたという。
1965年ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮したのが最後の演奏会となり、1967年1月7日に、スイスで亡くなった。86歳没。

※1:http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%80%81%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%E3%80%81R-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC-BOX-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9/dp/B001KNVI84

※2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%88

日曜日, 11月 29, 2009

ブルックナー 名指揮者シリーズ

 以下のシリーズをみて、まだまだ取り上げるべき指揮者はいるなと思う。まずは、ヴァントの全業績。シャイーの全集、クーベリックの3、4番、プロムシュテットの4、7番、ムラヴィンスキーの7、8、9番、それに古株ではアーベントロートなどもいる(本「織工Ⅲ」ではコメントしているが・・・)。ワルター、クレンペラー、マタチッチなども少しコメントした程度であり、なお書くべきことは多い。  一方で、アバド、マゼール、バレンボイム、小澤征爾、エッシェンバッハなどが入っていないとの指摘もあるだろう。ノリントン、シモーネ・ヤングなど最近とみに注目の指揮者もいる。しかし、いまの自分の指向性からすれば、いたずらに指揮者のレンジを広げるよりも、取り上げた指揮者をさらに深掘りしたいとの思いのほうが強いのも事実である。 <名指揮者シリーズのインデックス> 1 テンシュテット 9E9FE7463122BF4E!212.entry?&_c02_owner=1 2 チェリビダッケ 9E9FE7463122BF4E!221.entry?&_c02_owner=1 3 若杉弘     9E9FE7463122BF4E!228.entry?&_c02_owner=1  <ブルックネリアーナ指揮者>  9E9FE7463122BF4E!251.entry?&_c02_owner=1 4 マズア     9E9FE7463122BF4E!255.entry?&_c02_owner=1 5 インバル    9E9FE7463122BF4E!257.entry?&_c02_owner=1 6 シノーポリ   9E9FE7463122BF4E!259.entry?&_c02_owner=1 <ウイーン・フィルと指揮者> 9E9FE7463122BF4E!396.entry?&_c02_owner=1 7 フルトヴェングラー 9E9FE7463122BF4E!407.entry?&_c02_owner=1 8 ベイヌム    9E9FE7463122BF4E!415.entry?&_c02_owner=1 9 シューリヒト  9E9FE7463122BF4E!423.entry?&_c02_owner=1 10 ケンペ    9E9FE7463122BF4E!425.entry?&_c02_owner=1 11 ショルティ  9E9FE7463122BF4E!436.entry?&_c02_owner=1 12 ヨッフム   9E9FE7463122BF4E!447.entry?&_c02_owner=1 13 ロジェストヴェンスキー 9E9FE7463122BF4E!477.entry?&_c02_owner=1 14 セル     9E9FE7463122BF4E!505.entry?&_c02_owner=1 15 コンヴィチュニー  9E9FE7463122BF4E!512.entry?&_c02_owner=1 16 朝比奈隆  9E9FE7463122BF4E!520.entry?&_c02_owner=1 17 レーグナー 9E9FE7463122BF4E!535.entry?&_c02_owner=1 18 ワルター  9E9FE7463122BF4E!937.entry?&_c02_owner=1 19 クレンペラー 同上 20 マタチッチ  同上 21 ベーム   9E9FE7463122BF4E!941.entry?&_c02_owner=1 22 カラヤン  9E9FE7463122BF4E!943.entry?&_c02_owner=1 23 クナッパーツブッシュ 9E9FE7463122BF4E!945.entry?&_c02_owner=1 <映像の魅力>  9E9FE7463122BF4E!975.entry?&_c02_owner=1 24 カラヤンとフルトヴェングラー  9E9FE7463122BF4E!1181.entry?&_c02_owner=1 25 メスト  9E9FE7463122BF4E!1193.entry?&_c02_owner=1 http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1206.entry?&_c02_owner=1 http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1207.entry?&_c02_owner=1



金曜日, 11月 27, 2009

ブルックナー 最近のお気に入り

 メストについては既に書いてきた。いま、5番のライブをよく聴く。クレンペラー、ヨッフム以来の名演ではないかと思うこと暫し(しかし、最近のTV放映では少しく違和感ももったが)。
 その他の傾向は、3番:シノーポリ、4番:プロムシュテット、5番:メスト、6番:クレンペラー、7番:クナッパーツブッシュ、8番:テンシュテット、9番:クナッパーツブッシュである。
 3、4番では、ベーム、クーベリックもよく聴く。7番のメスト、プロムシュテットのCDも良い。そう言えば最近はフルトヴェングラー、シューリヒト、チェリビダッケ、ヴァントあたりはご無沙汰かな。
 4、7、9番は一時、ワルターを集中的に聴いていたがいまは敬遠気味。8番は重くて長いので、出勤途上だとちょっとそぐわない。2番のジュリーニは第4楽章だけピック・アップして聴くことも多い。そのパターンでは0番のショルティ、1番のノイマンも同様。

月曜日, 11月 23, 2009

ブルックナー vs プロムシュテット

 プロムシュテットのブルックナーの4番(ジャケットは7番)がいい。今日聴いていて、その瑞々しさに改めて心打たれた。プロムシュテットはいまチェコ・フィルと来日中。以前、テレビのインタビューを見たが、敬虔なクリスチャンで健康に気をつかう小食の菜食主義者。長身、痩躯の哲学者的な佇まいの大家中の大家である。以下はかつての記述の再掲。

 1981年9月ドレスデンのルカ協会での演奏。2回目の全集を同じドレスデン・シュターツカペレで収録中のヨッフムの4番は翌1982年録音だから、この時期シュターツカペレはブルックナーに実に集中して取り組んでいたことになる。薄墨をひいたような弦楽器の少しくすんだ音色も、ルカ協会特有の豊かな残響ともに共通するが、ブロムシュテット盤も秀逸な出来映えで両盤とも甲乙はつけがたい。

 ブロムシュテットは全般にヨッフムよりも遅く、かつテンポはベーム同様、実に厳しく一定に保つ(いずれもノヴァーク版使用。ヨッフム:ブロムシュテットで各楽章別に比較すれば、第1楽章、17’48:18’23、第2楽章、16’40:16’30、第3楽章、10’02:10’51、第4楽章、20’22:21’06)。

 ブルックナーの音楽は本源的に魅力に溢れ聴衆に必ず深い感動をあたえるという「確信」に裏打ちされたように、小細工など一切用いず、素直に、しかし全霊を傾けてこれを表現しようとする姿勢の演奏。どの断面で切っても音のつくりに曖昧さがなく、全体にダイナミズムも過不足ない。

 ブルックナー好きには、演奏にえぐい恣意性がなく、作曲家の「素地」の良さを見事に表現してくれた演奏と感じるだろう。ヨッフム盤とともにお奨めしたい。
https://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A185EQOC8GHUCG

(参考)
『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, 1927年7月11日 - )は、アメリカ生まれのスウェーデン人指揮者。称号はバンベルク交響楽団名誉指揮者など。
 ストックホルム音楽大学やウプサラ大学に学んだ後、イーゴリ・マルケヴィッチに師事。さらにアメリカ合衆国に留学してジュリアード音楽学校でジャン・モレルに、タングルウッドのバークシャー音楽センターでレナード・バーンスタインに師事。1953年にクーセヴィツキー賞を獲得し、1955年にザルツブルク指揮コンクールで優勝した。
 1954年2月にロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団でベートーヴェン、ヒンデミットなどの作品を指揮して指揮者として本格的にデビュー。その後、ノールショピング交響楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任した後、名門のシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就任。ドレスデンを去った後はサンフランシスコ交響楽団(1985年~1995年、現在は桂冠指揮者)、北ドイツ放送交響楽団(1995~1998年)を経て、1998年から2005年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者を務めた(現在は名誉指揮者)。また、バンベルク交響楽団とNHK交響楽団の名誉指揮者でもある。N響を振っていることから 日本国内でもよく知られた外国人指揮者の一人である。
 2009年秋には、東欧の名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団との客演指揮者としての来日が予定されており、東京・大阪をはじめとする全国数箇所での公演で、アントン・ブルックナーの交響曲第8番などのドイツ音楽の大曲や、アントニン・ドヴォルザークの交響曲第8番や第9番「新世界より」などのチェコ音楽が演奏される予定である。
ブロムシュテットの演奏は、華やかな個性とはあまり縁がなく、高い名声を誇りながらもどこか地味な印象が強いが、指揮するオーケストラの持つ美質を最大限に引き出して充実感溢れる演奏を行うという点では現代屈指の指揮者の一人であるといえるだろう。ドイツ読みの名前で親しまれているように(スウェーデン読みではブルームステート)、この世代に人材が手薄なドイツ音楽の大家として信頼が厚く、また北欧系レパートリーにも秀でている。近年は、以前にもまして熟練の度合いを深めており、今後、更なる深化が期待される。

日曜日, 10月 25, 2009

ブルックナー 徒然

 ブルックナーの音楽には、碩学が指摘するように、ちょっとユニークな特色がある。以下、 ウィキペディア(Wikipedia)を下敷きにメモしておこう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC

◆ブルックナー開始
 第1楽章冒頭、原始霧と言われる最弱音の弦楽器のトレモロで始まる手法。交響曲第2,4,7,8,9番に採用されている。これはベートーヴェンの交響曲第9番と共通するが、なぜ、各曲の冒頭に、ここまで拘って同種のイントロを置いたかは謎である。「早朝、徐々に薄れていく霧の向こうから音楽がはじまる」といったイメージである。

◆ブルックナー休止
 交響曲第2番に象徴的だが、楽想が変化するときに、管弦楽全体を休止(ゲネラル・パウゼ)させる手法。よって4楽章の交響曲でも、慣れないリスナーはいったい、いつ楽章がかわるのかに戸惑う。これはパイプオルガン奏者だったブルックナーがオルガンの技法を交響曲に取り入れたとも言われる。

◆ブルックナー・ユニゾン
 オーケストラ全体によるユニゾン。ゼクエンツと共に用いられるが、凡庸な演奏ではリスナーにとって苦痛になる単純さとその繰り返しの要因でもある。朝比奈隆は、オーケストラ(特に弦楽器、朝比奈自身が、優れたヴァイオリン奏者であった) にとって、集中力の維持が難しい要素と言っているが、それも頷けるものであろう。


◆ブルックナー・リズム
 「(2+3) によるリズム 。第4,6番で特徴的である。(3+2) になることもある。金子建志は、初期の稿では5連符として書かれているが、改訂稿ではブルックナー・リズムに替えられていることを指摘して、演奏を容易にするための改変だったのではないかとしている。複付点音符と旗の多い短い音符の組み合わせで鋭いリズムを構成する方法(9番)などがある」と記載されるが、実は、その刻み方のほうが特徴的。ザクザクと刻む部分に包丁の切れ味を連想して、ここが好きになる向きもいるだろう。


◆ブルックナー・ゼクエンツ
 ひとつの音型を繰り返しながら、音楽を盛り上げていく手法。いたるところに見られる。 ゼクエンツの執拗なまでの多用は、彼が神経症を患っていたこととの関連性があるようにも思う。砂粒まで数えないといけないと思いこむブルックナーは、本当に音型を粘着質に繰り返す。ブルックナー嫌いが生まれる要因でもあり、弟子がなんとか短縮させようと苦労した部分でもある。

◆コーダと終止
 「コーダの前は管弦楽が休止、主要部から独立し、新たに主要動機などを徹底的に展開して頂点まで盛り上げる」と記載されるが、コーダこそブルックナーにとってとても重要な要素であった。単調に見えながら、実は音楽の「起承転結」にこだわるブルックナーにとって、コーダはその重要な転換点、間仕切りであったと思う。

◆和声
 「ブルックナーの和声法で、従来響きが濁るので多くの作曲家が避けた技法。例えば根音Gとした場合、根音Gに対して、属9の和音以上に現れる9の音のAbが半音違いで鳴ること、属11の和音においてBとCが半音違いで鳴ることや、13の和音においてDとEbが半音違いで鳴ること。もう一つは
対位法の場面で現れ、対旋律や模倣が半音違いで鳴ること。従って和声学上の対斜とは意味が異なる。
またブルックナーにおいては、
ワーグナーのトリスタン和音がそのまま使れていることがある。和音の音色を明確にするため同一楽器に当てている例が多い。和音の機能をはっきりさせるために密集配置がほとんどで、これが後期ロマン派の香りを引き立たせる大きな要因である」と記載される。
 ゼヒターの禁則処理を破った技法ともいわれるが、確固たるメロディ構築とその揺らぎが交互にあらわれるといったらどうだろうか。この禁則処理こそ、ブルックナー音楽の新鮮さを印象づけ、マーラーなど次世代へ大きな影響を与えた彼の独創でもあった。

 さて、以上のブルックナー音楽の特色は、当時のウイーン・フィル(上記写真は今日のウイーン・フィル)にとっては、とても奇異に感じたであろう。初演の演奏拒否や演奏しても身が入らなかったエピソードは、当時としては致し方なかったかも知れない。
 しかし、プロを評価するのもプロであり、その斬新さと保守性の両立、エネルギッシュな部分と繰り返しの単調さの部分の併存にいちはやく気がついていたのもウイーンの彼らである。時代は移って、いまブルックナーはウイーン・フィルにとってメインの演目であり、幾多の名演を紡ぎ出しているのも、上記の特質を彼らが熟知しているからであり、それを補完する術を知っているからではないかと思う。そして、気難しい彼らに、それを完全に植え付けたのは、フルトヴェングラーであり、クナッパーツブッシュであり、ワルターであり、ベームであり、そしてカラヤンであった。しかも、かかる指揮者はいずれも同じ音楽で、ここまで違うかというくらいテクストを自分なりに解釈し、上記要素を創意工夫をして際だたせている。そこがテンポ設定とともに、ブルックナー演奏比較の妙味である。

日曜日, 10月 11, 2009

ブルックナー vs ベイヌム

 寝るときの枕に差し込むと音楽が聴ける優れ物のグッズがある。音は良くないが、両耳のところに小さなスピーカーが付いていて、音楽が流れてくる。いまはCDウォークマンからベイヌムのブルックナーをアクセスして聴いている。そのうちに心地よく寝込んでしまうという算段だ。
 5,7,8,9番を順にかけているが、いつもながら飽きはこない。レーグナーにしようかベイヌムか、迷ったが当分はベイヌムかな。
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月曜日, 9月 21, 2009

ブルックナー 哲学的テーマ

 哲学書を読んだからといって哲学がわかるとは限らない。ブルックナーの書架に哲学書がなかったからといって彼の音楽が哲学的ではないとは言えない。
 
 ブルックナーの交響曲は、「はじめ」と「おわり」がないかのように、各曲ともに連綿とつづく。どうして、こうした交響曲を、順不同でなんども手直ししながら書かなくてはならなかったのだろうか。そして、ブルックナー自身、9番の<終曲>とはなにかを、悩みつつも実は見いだしていなかったのかも知れない。9番の4楽章の途中まで書いて、「あとはテ・デウムで代替してくれ」とこれを投げ出してしまったのも、「おわり」としての<終曲>が書けなかったからではないのか。

 「宇宙的」という形容もそれと類似性がある。「無窮性」というのも同様。逆に、ブルックナー嫌いが、「締まりがない」、「堂々巡りだ」というのは、その裏返しで、ファンからみれば、「してやったり!そこが魅力よ!」ということになる。ブルックナーの音楽は体系的である。あるいは絶対音楽上、体系的にすぎるくらいだとも評される。ブルックナーの音楽はマーラーとの比較でも、けっしてニヒリスティックではないと思う。むしろ、肯定的、積極的なイメージを金管で奏でる巨大コーダを終盤におくケースが多い。舞曲風のメロディは明るく楽しい曲想ものせている。

 学生時代に囓ったハイデッガーの<世界観論>に通じるようで、しかしそれは完結しない。聴くものに哲学的なテーマを投げかけ考えさせるけれども、<音楽>はあくまでも<音楽>であり思考の帰結はない。しかし、それが哲学から宗教にジャンプすると考えるのはあまりに短絡的という気もする。宇宙的という意味では、大好きな埴谷雄高も連想させるが、ブルックナーの雄渾さとの対比では、これも単純すぎるアナロジーだろう。

 そして、ここも面白いのだが、もっともある意味でドイツ観念論を彷彿とさせる「哲学的」な感じがするフルトヴェングラーのブルックナー演奏にはある種の説得性はあるけれど、その一方、あまりそうした心理の纏のない、シューリヒトの独特の軽みも、クナッパーツブッシュの大伽藍的な演奏構築も双方、すっきりと収めてしまう許容さが実はブルックナーのテクストにはある。

土曜日, 9月 12, 2009

「古き名盤」の整理

 1960年代、70年代の「レコード芸術」の推薦盤の一覧を再整理した。
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 これをながめていると、ブルックナーの録音に関するかぎり、「黄金の60年代」「多様化の70年代」といったタイトルをつけたくなる。一方で、ブルックナーに限らず、大御所の変遷をみるような感じもあるが、いまに聴き継がれる名盤が、実に多く60年代に世にでていることがわかる。

 もちろん「80年代」、「90年代」、今世紀入りほぼ10年といった10年刻みで、さらに変化をみていくことは可能だが、60年代の強力な<シンドローム>を超える動きにはなっていないと直観的に思う。また、自分自身、この数年間で結構、系統的に聴いてきたなあとも感じる。