マゼールについては早くから注目していた。1968年からクラシック音楽に親しみだしたが、その頃からカラヤンの次の世代のエースはマゼールとの呼び声は高かった。したがって機会があれば耳にし、その都度、いまだカラヤンの比ではないなとの微かな失望が伴った。そのうち、同世代やより若手からもライヴァルが登場する。
小澤征爾、ズビン・メータが、その後、アバドやムーティらの名前が取りざたされ、それとの比較で、マゼールは”一頭群を抜く”という感覚はなかった。なにより、これが決定盤という録音が思いつかなかった。その頃はあまり使われる言葉ではなかったが、いまはやりの言い方では、その演奏には「あざとさ」が垣間見える。あるいは「けれんみ」という言葉も少しく連想されるように思う。どちらも悪口にはちがいないが、それは、あまりにも早くから抜群の才能を称賛された、その裏返しであったかも知れない。もちろん、その演奏は高品質であり頂点に近いのだが、たとえばカラヤンと聴き比べてマゼールに軍配というのは多くはない。でも、以下は拮抗する名演ではないかと思う。
小澤征爾、ズビン・メータが、その後、アバドやムーティらの名前が取りざたされ、それとの比較で、マゼールは”一頭群を抜く”という感覚はなかった。なにより、これが決定盤という録音が思いつかなかった。その頃はあまり使われる言葉ではなかったが、いまはやりの言い方では、その演奏には「あざとさ」が垣間見える。あるいは「けれんみ」という言葉も少しく連想されるように思う。どちらも悪口にはちがいないが、それは、あまりにも早くから抜群の才能を称賛された、その裏返しであったかも知れない。もちろん、その演奏は高品質であり頂点に近いのだが、たとえばカラヤンと聴き比べてマゼールに軍配というのは多くはない。でも、以下は拮抗する名演ではないかと思う。
ニューイヤー・コンサート ベスト10 New Year's Concert NEUJAHRSKONZERT
0 件のコメント:
コメントを投稿