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イタリアから米国へ行ったマフィア「イタリアン・ファミリー」をもじって、第二次大戦後、全米の音楽界を制覇したのは「ハンガリアン・ファミリー」ではないか、と勝手に考えてみました。1960ー70年代に名を上げた全米5大オケは、クリーヴランドにはセルが、フィラデルフィアにはオーマンディが、シカゴにはライナーが、そしてショルティがいました。また、地味でしたがドラティは、ミネアポリスでオーマンディの跡目を継いでいます(下記に米国での活動を主に、生年順に簡単なリストを作ってみました)。いかにハンガリアン・ファミリーの影響力が大きかったか、一目瞭然です。
彼らに共通するのは、オーケストラを徹底的にコントロールし、
①各オーケストラの独自のサウンドを磨きこむ
②完璧なアンサンブルを追求する
③広範なレパートリーを有し聴衆を引きつける
点にあるのではないでしょうか。しかも若き日は皆、相当な苦労をしています。特にオーマンディはニューヨークで餓死寸前まで困窮したと言われます。芸は身を助く。セルとショルティはピアノの名手でしたし、オーマンディとケルテスはヴァイオリンを得意としていました。しかも彼らは全て困苦をバネに、オーケストラの名ビルダーとして、それぞれの手兵を一流の楽団に育て上げるという偉業を成し遂げています。
ハンガリアン・ファミリーにとっての悲劇は、欧州に残った秀抜な後輩2人が早世したことでしょう。フリッチャイとケルテスはもしも40代で若死をしなかったらどんなにか、その実力を見せつけたことでしょうか。
●フリッツ・ライナー:1888年ブダペスト生まれ。リスト音楽院に学ぶ。 1965年逝去
1938ー48年 ピッツバーグ交響楽団
1953年ー シカゴ交響楽団常任指揮者
●ジョージ・セル:1897年ブダペスト生まれ。ウイーン音楽院に学ぶ。 1970年逝去
1946ー70年 クリーヴランド管弦楽団常任指揮者
●ユージン・オーマンディ:1899年ブダペスト生まれ。 ブダペスト王立音楽院に学ぶ。 1985年逝去
1931ー37年 ミネアポリス交響楽団
1938ー80年 フィラデルフィア管弦楽団常任指揮者
●アンタール・ドラティ:1906年ブダペスト生まれ。リスト音楽院に学ぶ。 1988年逝去
1945-48年 ダラス交響楽団
1949-60年 ミネアポリス交響楽団
1970-77年 ワシントン・ナショナル交響楽団
1975-79年 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1977-81年 デトロイト交響楽団
●ゲオルグ・ショルティ:1912年ブダペスト生まれ。リスト音楽院に学ぶ。 1997年逝去
1961ー コヴェント・ガーデン王立歌劇場音楽監督
1972ー74年 パリ音楽院管弦楽団総監督
1979ー83年 ロンドン・フィル首席指揮者
1969ー91年 シカゴ交響楽団常任指揮者・音楽監督
●フェレンツ・フリッチャイ:1914年ブダペスト生まれ。 1963年逝去
1952ー60年 ベルリン市立歌劇場常任指揮者
1961ー63年 ベルリン・ドイツ・オペラ総監督
●イシュトヴァン・ケルテス:1929年ブダペスト生まれ。 1973年逝去
1958-63年 アウグスブルグ歌劇場首席指揮者就任
1965-68年 ロンドン交響楽団首席指揮者
1973- バンベルグ交響楽団首席指揮者
ハンガリアン・ファミリーを考えるきっかけとなったのは、オーマンディのベートーヴェンを聴いていて、なぜ、こんなにオーケストラをコントロールできるのだろうとの感想をもったからである。そして、それは、いくつかの類推をよび、【ハンガリアン・ファミリー】この言葉に行きつきました。
ハンガリアン・ファミリー(オーマンディ)
オーマンディ Eugene Ormandy
20世紀オーケストラ作品集 オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団 Eugene Ormandy Conducts 20th Century Classics
ハンガリアン・ファミリー(オーマンディ)
オーマンディ Eugene Ormandy
20世紀オーケストラ作品集 オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団 Eugene Ormandy Conducts 20th Century Classics
ハンガリアン・ファミリー1(総論)
1.
リヒターやニキシュもハンガリー出身の指揮者。ワグネリアンの典型とも言えるザイドルも同様。
2.
ハンガリーには歴史的には15世紀頃?からジプシーが入り込み、ハンガリーの固有のフォークロアとジプシーの音楽との区別が難しくなった。前者を抽出しようと地方に赴き努力したのが、バルトークやコダーイ。
3.
そもそもオーストリア、ハンガリーはハプスブルク家のもと、第一次世界大戦終了までは一体的に捉えられていた。ハンガリーは被統治地だったから、そこには強い不満もあったであろう。
4.
リストもハンガリー出身。ハンガリー狂詩曲をつくる。ブタペストにはリスト音楽院があり、数多の俊英を輩出した。しかし、リストは早くから故国を離れ、ハンガリー語は話せなかった。
5.
ハンガリー出身者の音楽家に闘士が多い理由。ナチズムによる迫害→国外へに逃亡の歴史。ハンガリー動乱→フィルハーモニア・フンガリアも同様。ドイツのマール(Marl)が活動の拠点。
6.
ライナーやドラティにブルックナーの録音が(多分)ない理由は何か。一方、ショルティやドホナーニが積極的にブルックナーを録音している理由。時代の差か?音楽的な好みか?
7.
ハンガリアン・ファミリーは仲が良かったのか、悪かったのか?知りたいことは多い!
ハンガリアン・ファミリー2(特質)
ハンガリアン・ファミリー3(バルトーク)
ハンガリアン・ファミリー4(ライナー)
ハンガリアン・ファミリー(セル)
きょうはセル!
セル シベリウス2番
https://skyticket.jp/guide/78299
ハンガリアン・ファミリー8(ケルテス)
ハンガリアン・ファミリー9(フリッチャイ)
ハンガリアン・ファミリー10 まとめ
ハンガリー出身指揮者の系譜を見ると、フリッツ・ライナー(生年1888〜没年1965年)、ジョージ・セル(1897〜1970年)、ユージン・オーマンディ(1899〜1985年)、アンタール・ドラティ(1906〜88年)、フェレンツ・フリッチャイ(1914〜63年)、イシュトヴァン・ケルテス(1929〜73年)そしてゲオルグ・ショルティやドホナーニとなる。彼らの多くはブダペストで生まれ、リスト音楽院に学び、アメリカのメジャー・オーケストラで活躍した<ハンガリアン・ファミリー>である(彼らこそが全米主要オケを鍛え上げた)。欧州で活動したフリッチャイ、ケルテスは残念ながら早世し、ふたりより年長のショルティはもっとも活動時期が長く、ハンガリアン・ファミリーの中心人物であった。また、シカゴ響にとっては、ライナー Fritz Reiner - The Complete Chicago Symphony Recordings on RCA とともにショルティは黄金期を築いてくれた恩人であった。
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