ベイヌムとマルケヴィッチのちょっと微笑ましい、気に入っている2枚の写真である。
エドゥアルト・ファン・ベイヌム(Eduard van Beinum, 1901年9月3日 - 1959年4月13日)はオランダ生まれ、ピアニスト、ヴィオラ奏者をへて指揮者。
イーゴリ・ボリソヴィチ・マルケヴィッチ(Igor Markevitch, 1912年7月27日 - 1983年3月7日)は、ロシア帝国(現・ウクライナ)生まれ、スイス育ちの作曲家・ピアニスト・指揮者。
二人は故国やほぼ一回り年が違うだけではなく、名指揮者列伝のなかで、一般的には共通点よりも異質なところが多いように見える。ベイヌムは働き盛りの58才で心臓病で急逝、マルケヴィッチも病との闘いの人生ではあったが古希を迎えるまで存命した。
ベイヌムはオランダ人で、アムステルダムを中心に名器コンセルトヘボウ管弦楽団を若き日より任され、その点では恵まれ、かつ比較的安定した音楽活動を展開したといえよう。一方、マルケヴィッチはウクライナ生まれで、作曲家との”二足の草鞋”ということもあったろうが、長期にわたっての手兵オケはもたずに、各地を転戦し客演を中心に活躍した。
ほぼ一回りの年令差は第二次大戦におけるかかわりでも自ずと違いがでる。大戦前後、ドイツの侵攻からコンセルトヘボウを守る立場にあった壮年期のベイヌムに対して、若きマルケヴィッチは積極的に抵抗運動に身を投じるといったように、その”生き様”は異なれども、ともにナチスに対しては一定の距離をおく、ないし敵対する立場を貫き、ゆえに戦後は活動の舞台が広がったともいえる。
ベイヌムが、オランダ国内において地歩を固めつつあった20代最後の1930年、作曲において天才的な才能をみせていた18才のマルケヴィッチは、コンセルトヘボウを振って指揮者としてのデビューを飾る。このとき、両者が邂逅していれば、とても面白いエピソードになるのだが、そうした事実は寡聞にして承知していない。
さて、多くの違いがありながら、二人には重要な共通点がある。たとえば、ベルリオーズの幻想交響曲やR=コルサコフのシュエラザードといった演目で、共にこの時代の歴史的な名盤を残していることである。
👉ベイヌム2種、マルケヴィッチ3種の幻想交響曲 聴き比べ
織工Ⅲ 拾遺集 ベイヌムの芸術9 ベルリオーズ:幻想交響曲ほか (fc2.com)
織工Ⅲ 拾遺集 マルケヴィッチの名演17 幻想交響曲 (fc2.com)
同様に、二人はブラームスでも立派な成果をあげている。もちろん、これは部分集合の重なりを見ているだけともいえるかもしれない。ベイヌムはブルックナーを、マルケヴィッチはベートーヴェンを得意のレパートリーとしているが、残念ながら、ベイヌムのベートーヴェンやマルケヴィッチのブルックナーは手薄ないし録音が知られていない。
👉ベイヌム、マルケヴィッチで聴くブラームス交響曲
第1番 織工Ⅲ 拾遺集 マルケヴィッチの名演1 ブラームス交響曲第1番 (fc2.com)
第2番 織工Ⅲ 拾遺集 ベイヌムの芸術18 Great Conductors of the 20th Century - Eduard van Beinum (fc2.com)
第3番 織工Ⅲ 拾遺集 ベイヌムの芸術8 ブラームス: 交響曲NO.1、NO3 (fc2.com)
第4番 織工Ⅲ 拾遺集 マルケヴィッチの名演2 ブラームス交響曲第4番 (fc2.com)
重要な共通点として、ベイヌムもマルケヴィッチも、1950年代、フィリップス(PHILIPS)レーベルの看板スターであったことも見逃せない。今ほど自由に録音ができなかった時代、まして大戦後の厳しい時期にはしかたがないことであったろうが、ベイヌムには偉大なる前任者メンゲンベルクがいたし、マルケヴィッチは1950年代前半はベルリン・フィルとの優れた録音があるが、カラヤンが同フィルのシェフ就任後はドイツグラモフォンとの関係が薄れ、フィリップスでのラムルー管を中心とした録音が中心となる。ベイヌムのベートーヴェン交響曲全集などはあってもなんら不思議はないのだが、こうした事情も背景にはあったのではないかと推察する。
👉メンゲンベルクとカラヤンの足跡
晩年まで現代音楽に強い関心、オランダの大指揮者の軌跡 (amazon.co.jp)
カラヤン デビューから1960年までの昇竜期の記録 (amazon.co.jp)
すでにかつて本ブログでもいくども書いてきたことだが、ベイヌムがもっと長生きしてくれたら・・・、マルケヴィッチがベルリン・フィルと1960年代以降にもっと録音を残してくれたら・・・というのは、返すがえすも惜しまれることではある。
0 件のコメント:
コメントを投稿