木曜日, 1月 27, 2022

ツァラトゥストラはかく語りき  名盤5点 Also sprach Zarathustra



R.シュトラウス:《ツァラトゥストラはかく語りき》より導入部(tower.jp)


カラヤン


気宇浩然たる名盤 (amazon.co.jp)

有名なエピソードだが、映画『2001年宇宙の旅』冒頭の部分でこのカラヤン/ウィーン・フィル盤が使われている。映画の大成功もあり、曲そのものが大きな注目を集めるとともに、当初、使用音楽の一部の修正もあり、そのため契約関係で指揮者・演奏団体があえて秘匿されたことから、いっそう本盤が脚光を浴びることとなった(なお、当初のサウンドトラック盤はあえてベーム/ベルリン・フィルに差し替えられたが、最新のサウンドトラックCD(EMI)は本カラヤン盤に戻っているという)。

このカラヤン/ウィーン・フィル盤によって「ツァラトゥストラ」自体が人口に膾炙した一因にもなっただろうが、こうしたカラヤン・エピソードはほかにも数多い。気宇浩然たるこの曲の特質をあますところなく表出した本盤はいま聴いても新鮮であり、かつこの演奏を評価されたら是非、テンシュテット盤(→Also Sprach Zarathustra / Don Juan / 4 Last Songs)にも耳を傾けていただきたい。

◆R.シュトラウス:交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』作品30 (1959年)
◆R.シュトラウス:『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』作品28 (1961年)
◆R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』作品20 (1961年)

Legendary Decca Recordingsも参照


テンシュテット

Klaus Tennstedt: The Great EMI Recordings




このアルバムは象徴的である。「ツァラトゥストラ・・・」は不思議な曲、難解な曲と言われ、「埋葬の歌」や「病から回復に向かう者」といった表題をもった部分もある。テンシュテットは録音時点の1989年3月、重篤な病気闘病中であり、なぜこの曲の録音を行なったのか、いかなる心象で臨んだのかといった関心は否が応にも高まる。

しかし、そんなことは付随的とも思わせる素晴らしいスケール感の、これは名演である。オルガンのぶ厚く低いイントロ、低音のトレロモ、トランペットの輝かしい閃光的な登場といった有名な序奏から終曲「さすらい人の夜の歌」まで一気に駆け抜けるような集中力ある演奏で、とても病気を押して演奏しているような風情はない。気迫にあふれ、バランス感絶妙の本演奏を接して、これほど気宇浩然の魅力的な曲だったのかと驚くリスナーも多かろう。1986年3月録音の「ドン・ファン」も同様な印象。テンシュテットがいかにR.シュトラウスを得意にしていたかを知る格好な1枚である。

Great EMI Recordings


シノーポリ

Virtuoso-R. Strauss: Also Sprach Zarathustra




「ツァラトゥストラ…」は攻撃的でスリリングさが持続する曲である。大編成のオーケストラの各楽器が実に多彩な表情をみせるという意味でも近現代的な先進性をもっている。劇的な展開と艶やかな響き、あえて言えばマッチョさと女性的なまろやかさを両性具備したような官能性のあるカラヤン盤 R.シュトラウス:ツァラトゥストラ/ティル/ドン・ファン 、作品と真っ向から対峙して、その攻撃性において北風と太陽の相克をみるかの如くのテンシュテット盤 R.シュトラウス:ツァラトゥストラはかく語りき が小生のお奨めだが、加えてシノーポリ盤も実に魅力的だ。

音質の良さに身を乗りだす思いだが、強奏部分でも、緩徐楽章的な静謐さでも輪切りにすれば、完全に均質な断面になっているような演奏で、そこにシノーポリ独自の「集密」を感じる。その一方、その音は冷たくメカニックではなく温もりがある。こういう演奏スタイルもあるのだと驚かされる秀演である。

→ Art of Giuseppe Sinopoli にて聴取


ケンペ
















最近、改めて感心したのがケンペである。録音こそ古くなったが、本曲に限らず、ケンペのR.シュトラウスには秘めたる自信を感じる。おそらく、自分以上にこの作曲家の作品への考察をすすめた指揮者はいない、と思わせるような堂々たる演奏。


(参考)

なお、第一人者という意味では、ライナーの成果も忘れられない。



メータ

















メータ/ロサンジェルス・フィルの若き日の演奏。これには嵌まった。来日コンサートの前に19㎝オープン・リールの本曲を大枚を叩いて買って毎日聴いた。いまでもラックに収まっている。メータの実力を世界に知らしめた記念碑的な1枚である。
東京文化会館でのコンサート当日、少し早めに行って2階の精養軒でハヤシライスを注文した。ふと見ると会場側の席で団員が談笑しながら食事をとっている。そして、その中にメータご本人がいるではないか。失礼を顧みず、プログラムにサインをもらいに行った。快く応じてくれ、2カ所にペンを走らせてくれた。1969年9月10日のことであった。


いささか理屈っぽい考えだが、あくまでも私見として・・・

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