管弦楽の代表曲。たまに無性に聞きたくなる。世に言う名盤も多いので5点を選ぶのは難しいがあくまでも小生の好みで、ご参考まで。
◇マルケヴィッチ/ロンドン響
第1楽章、ゆっくりとしたテンポ、やさしく包み込むような静かな音楽。エリック・グリューエンバーグの独奏も、嫋嫋たるヴァイオリンの女性的な雰囲気づくりに細心の注意を払っている。第2楽章、通常盛り上げるスタイルの演奏が多いが、音量をむしろセーヴして旋律をくっきりと浮かび上がらせている。第3楽章は室内楽的アンサンブルの極致。ここではいつまでもたゆとうていたい夢見ごこちの快感がある。マルケヴィッチはこの楽章に頂点をおいているようにも感じる。
終楽章は、歯切れよくキリリと結んでいる。デジタル録音の厚化粧な演奏が多いなか、1962年初期ステレオによる可憐な乙女のようなシェエラザード。
一方、“元気印”のスペイン奇想曲は濃厚な表現。2曲をつうじてロンドン交響楽団メンバーの各パートのたしかな技量が光る。
終楽章は、歯切れよくキリリと結んでいる。デジタル録音の厚化粧な演奏が多いなか、1962年初期ステレオによる可憐な乙女のようなシェエラザード。
一方、“元気印”のスペイン奇想曲は濃厚な表現。2曲をつうじてロンドン交響楽団メンバーの各パートのたしかな技量が光る。
◇カラヤン/ベルリン・フィル
たとえば、オルフ「カルミナ・ブラーナ」といえばヨッフムが曲そのものを有名にした。同様に、「シェエラザード」がこんなに魅力的な曲だったのか!と(日本で)リスナーを驚かせたのはこのカラヤン/ベルリン・フィル(1967年録音)盤以降であったと思う。小遣いが限られていた学生時代、未だ「マイナー」だったこの曲の高価なLPを買うべきかどうか相当に悩んだ。意外なくらい比較すべき音源もなくアンセルメ、ストコフスキーといったロシア系<泰斗>の演奏くらいで、のちにライナーの名録音を知った。ちなみに<対抗盤>オーマンディ/フィラデルフィアは5年後、1972年の録音が初出であった。いま聴いても良好だが、当時、録音技術も最新でオーディオ・チェック用に好適との評価もあった。
カラヤンはなぜこの曲の再録をしなかったのか?理由のひとつは、コンサート・マスターのミッシェル・シュワルベ(Michel Schwalbe)のソロがあまりにも素晴らしかったからではないかと思う。同時代、ウィーン・フィルではウイリー・ボスコフスキーが君臨していたが、ベルリン・フィルにシュワルベあり、の面目躍如だったろう。カラヤンの配慮(差金)を感じる。また、ベルリン・フィルの音がこの曲には重いという指摘もあったが、のちにマゼール盤(ベルリン・フィル)、ゲルギエフ盤(キーロフ歌劇場管弦楽団)なども出て、そうした印象批評も少なくなった。「オペラ間奏曲集」「アダージョ」以前、カラヤンの実力をもってして「シェエラザード」の良さを世に知らしめた名盤である。
◇小澤征爾/シカゴ響
小澤征爾は、若き日、狭量の日本楽壇とのあつれきもあって渡米、その後、シカゴ響を振って1969年にこの1枚を録音する。いま聴き直して、そのしなやかで、みずみずしい感性に驚く。
まだ30代前半の若手指揮者、それが天下のシカゴ響とこうした名演を残し、それがいまも現役盤であること自体、驚異的なことである。小澤征爾の特質は本盤でも十分に知ることができる。オーケストラが伸び伸びと臨場している。音楽が生気をもって発散する。リズムとメロディの織りなすバランス感が抜群で、それがけっして崩れず耳になじみ聴きやすい。そして、どこか東洋的なエキゾチックさ(日本人にとっては言いにくいが)をたたえているようにも感じる。弦楽器は透明感があって美しく、管楽器はそれをよくサポートしているように過不足なく響く。音楽の基調は明るいが、折々での陰影ある表現も十分である。若き小澤の才能を知ることのできる貴重な記録と言えよう。
➡ Seiji Ozawa: The Complete Warner Recordings も参照。
まだ30代前半の若手指揮者、それが天下のシカゴ響とこうした名演を残し、それがいまも現役盤であること自体、驚異的なことである。小澤征爾の特質は本盤でも十分に知ることができる。オーケストラが伸び伸びと臨場している。音楽が生気をもって発散する。リズムとメロディの織りなすバランス感が抜群で、それがけっして崩れず耳になじみ聴きやすい。そして、どこか東洋的なエキゾチックさ(日本人にとっては言いにくいが)をたたえているようにも感じる。弦楽器は透明感があって美しく、管楽器はそれをよくサポートしているように過不足なく響く。音楽の基調は明るいが、折々での陰影ある表現も十分である。若き小澤の才能を知ることのできる貴重な記録と言えよう。
➡ Seiji Ozawa: The Complete Warner Recordings も参照。
◇デュトワ/モントリオール響
デュトワの「シェエラザード」は清々しい。ゲルギエフ R.コルサコフ:シェエラザード が濃厚な艶麗ぶりの典型とすれば、ヴァイオリンの控えめな独奏をふくめて、デュトワの「語部」はその対極、清純な乙女を連想させる。
一方、(ゲルギエフは例外ながら)一般に、濃い味付けはともすれば大味になりがちだが、デュトワの演奏はいわば旨みのある薄口風であり、そのレシピは緻密である。アクセントの付け方をセーブしつつ、細心の注意をはらい音楽のボキャブラリーは豊かだ。個々の楽器の名人芸よりも、整ったアンサンブルを引き立たせるのもデュトワ流。色調は全体的に明るく、ここぞという躍動感では期待をけっして裏切らない。
かつて、ヴァイオリン協奏曲風音楽絵巻といった斬新なカラヤン盤 R.コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」 (1967年)がそうであったように、アプローチこそ違え、清新溌剌たる演奏スタイルは、この時代の新たな「シェエラザード」像の提示と言えよう。1983年の録音。
一方、(ゲルギエフは例外ながら)一般に、濃い味付けはともすれば大味になりがちだが、デュトワの演奏はいわば旨みのある薄口風であり、そのレシピは緻密である。アクセントの付け方をセーブしつつ、細心の注意をはらい音楽のボキャブラリーは豊かだ。個々の楽器の名人芸よりも、整ったアンサンブルを引き立たせるのもデュトワ流。色調は全体的に明るく、ここぞという躍動感では期待をけっして裏切らない。
かつて、ヴァイオリン協奏曲風音楽絵巻といった斬新なカラヤン盤 R.コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」 (1967年)がそうであったように、アプローチこそ違え、清新溌剌たる演奏スタイルは、この時代の新たな「シェエラザード」像の提示と言えよう。1983年の録音。
◇ゲルギエフ/マリインスキー(キーロフ)劇場管
シェエラザードを日本で有名にしたのは、まぎれもなくカラヤンであり、その絶頂期の1967年の録音がお目見えしたときの衝撃はいまもはっきりと覚えている。ラメのような光沢ある青のジャケット、中央に瞑目した横顔のカラヤンが指揮棒を両手で掲げている姿。
ゲルギエフはその10年後、1977年にカラヤン・コンクールに1位なしの2位に入賞してその存在が一躍知られるようになった。カラヤンは大切な「お師匠さん」の1人である。
さて、ゲルギエフのシェエラザードはカラヤン盤以上に濃密でメリハリがきいている。初期のカラヤンの剛毅で繊細なイタリアものを髣髴とさせるような演奏で、第3楽章の濃厚な甘美さ、第4楽章の弾けるようなダイナミズムは、初期カラヤンのそれを連想させる。しかし、ゲルギエフはゲルギエフ。ここまで大胆かつ縦横無尽にやりぬけばひとつのベンチマークになりえる。マッチョな顔の大写しが多いなか、めずらしく地味なのは本ジャケットだけかも知れない。
(備考)
最近聞いた西本智実(指揮)/ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団(ジャケット冒頭、録音時期:2008年9月7-9日)も意欲的な演奏で気にいった。ほかにも、古い録音だがベイヌム/コンセルトヘボウ管など注目すべき音源は多々ある。
ユージン・オーマンディ(指揮)/フィラデルフィア管弦楽団
録音時期:1972年1月、2月
マゼール(指揮)/ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:1985年
小澤征爾(指揮)/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:1993年4月3-4日
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