クライスレリアーナ、いわずと知れたシューマンの名曲ながら、なにを選ぶかでは好みがわかれよう。ピアノ曲として、緩急の別も、ダイナミズムと繊細さの両立でも、希望と懊悩の交錯でも・・・、小曲集ながら変幻自在に表情をかえる曲なので、どこに魅力を感じるかは個人によって、そしてその日の心の持ちようによっても異なる。
あまり個性的でないほうが、落ち着いて聴けるほうがよいという見方もできる。であれば、ケンプとアラウが良いと思う。
◇ケンプ
クラウディオ・アラウ/シューマン:子供の情景、クライスレリアーナ、蝶々 (tower.jp)
クラウディオ・アラウ Claudio Arrau を聴く
しかし、ピアニストの個性をもっとも端的に示す作品として、本曲を味わおうとすると別の選択肢もあるだろう。以下、3点を掲げてみた。
◇ホロヴィッツ
子供の情景Op.15とクライスレリアーナOp.16をホロヴィッツで聴く。1960年代の録音だから半世紀以上のまえの記録である。ホロヴィッツといえば、楽々と超技巧曲をクリアする印象だが、本曲にはそんな表情は微塵もない。
耳を澄ませば、一音一音が明燦で正確無比に奏でられているのだろうが、リスナーの関心はその先の音の結晶に自然に導かれていく。しかも、それは豊かで、抒情的で、なによりも美しい。そして、子供の情景での言いようのない懐かしさ、クライスレリアーナの優しさ。久しぶりに聴いて、ホロヴィッツの至芸に改めて感嘆した。
ホロヴィッツの毒
◇グリモー
いくども、さまざまな演奏家で聴いてきたクライスレリアーナながら、着心地のよい真新しい服を羽織るような爽やかさがある。構造的で複雑なパッセージでも技巧的なところが少しも表にでないで、あくまでも煌くような情動に耳が反応し、シューマンの素直な歌心に思いがいたる。しかもそこには、べたつくところがなくサラサラとした独特の手触り感がある。聴き終わったあと佳きアルバムとてらいなく思える。
◇アルゲリッチ
たとえば、 リスト:Pソナタ での強烈な線条的演奏とくらべて、「子供の情景」の肌理のこまかいピアノタッチは、アルゲリッチの別の一面、その豊穣な感性をしめしている。それは起伏に富む感情の襞とでもいうべきものであり、気性の強さと優しさの交錯でもある。
いかなるときでも打鍵が明確で、音がクリアに冴えわたる点では、同時代のポリーニと同様だが、そこに乗る「生」の感情表現の自由さこそアルゲリッチの魅力だろう。「クライスレリアーナ」、音の色彩の明暗のつけ方も自然だが、そこには過度に暗くならない抑制ラインがあるようにも感じる。そこもアルゲリッチらしい所作かも知れない。
→ Martha Argerich: The Collection 1: The Solo Recordings にて聴取。 シューマン:幻想曲&幻想小曲集(期間生産限定盤) も参照。
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