月曜日, 10月 04, 2010

バーンスタイン

 

§ 作曲家としてのバーンスタイン

 バーンスタイン作曲の交響曲は、コープランドが後世を託したといわれるだけの実力を感じさせる力作で、メロディの親しみやすさが現代音楽の晦渋さを緩和している。ラフマニノフの自作自演コンサートをライヴで聴いて感動したといわれるバーンスタインが、そうした体験を自身生かしているといえるかも知れない。リズムの切れ味はストラヴィンスキーに通じる部分もある。マーラーやショスタコーヴィッチで秀でた演奏を残したバーンスタインだが、この2人の影響も垣間見えるような独特の量感もある。作曲家としてのバーンスタインは、フルトヴェングラー、ブーレーズなどと違い若き日から最高の栄誉を得ていた。創造性の高い、しかし誰でもが親しめる人々の心を鷲掴みにする時代の子であった。


バーンスタイン作品集)
交響曲
第1番『エレミア』 (Symphony No.1 "Jeremiah") (1942年)
第2番『不安の時代』(ピアノと管弦楽のための) (Symphony No.2 "The age of anxiety") (1947年-1949年/1965年改訂)
第3番『カディッシュ』(管弦楽、混声合唱、少年合唱、話者とソプラノ独唱のための) (Symphony No.3 "Kaddish") (1963年/1977年改訂)

バレエ『ファンシー・フリー』 (Fancy Free) (1944年)
ミュージカル『オン・ザ・タウン』 (On the Town) (1944年初演)
ミュージカル『ウエスト・サイド物語』 (West Side Story) (1957年初演)
ミュージカル『キャンディード』 (Candide) (1956年初演/1989年最終改訂)
オペラ『タヒチ島の騒動』 (Trouble in Tahiti) (1952年)
この作品は後年に大幅な拡大改訂が施され、オペラ『静かな場所』 (A Quiet Place)となった。(1983年)
クラリネット・ソナタ (Sonata for Clarinet and Piano) (1942年)
5つの子供の歌『私は音楽が嫌い』 (I Hate Music) (1943年)
合唱曲『チチェスター詩篇』 (Chichester Psalms) (1965年)
歌手と演奏家、踊り手のためのミサ曲 (Mass - A theatre piece for singers, dancers, and players) (1971年)
合唱曲『ソングフェスト』 (Songfest) (1977年)
前奏曲、フーガとリフ (Prelude, fugue and riffs) (1949年/1952年改訂)
映画『波止場』 (On the Waterfront)の音楽 (1954年)
セレナード (Serenade) (1954年)
バレエ『ディバック』 (Dybbuk) (1974年)
オーケストラのためのディヴェルティメント (Divertimento for Orchestra) (1980年)
ハリル (Halil) (1981年)
ピアノ曲『タッチズ』(コラール、8つの変奏とフーガ) (Touches - Chorale, Eight Variations and Coda) (1981年)
アリアとバルカロール(メゾ・ソプラノ、バリトンと4手ピアノのための) (Arias and Barcarolles) (1988年)
 

§ クラシック高踏主義を砕いた音楽家

クラシックとそれ以外のジャンルの垣根を自在に跳び越えるスケール感もバーンスタインの特色である。グルダはじめ後進は、バーンスタインが切り開いた道を歩み、ゆえなきクラシック高踏主義を砕いた。
レパートリーの広さも他を圧していた。カラヤンと双璧とも言われたが、オペラではカラヤンが圧倒的ながらそれ以外の領域、現代音楽ではバーンスタインのほうがはるかに広範だとも言えよう。
 小澤征爾、クラウディオ・アバド、ズデニェク・コシュラーはじめ
ヨーヨー・マ、ティルソン・トーマス、エッシェンバッハ、ネルソンスなど後進の音楽家の育成にも熱心であり、青少年のためのコンサート(これはTVで結構見た)などの語り口も絶妙で時代を風靡した。この点でも小澤征爾らに与えた影響は大きい。



§ 気さくなスーパースター

 さて、オールド世代にとって、バーンスタインは気さくなスーパースターだった。1970年、東京文化会館でマーラーの第9番をライブで聴いた。当時、コンサートがはねた後、文化会館の楽屋口で待っていると運がよければサインをもらえた。当夜(1970.9.7)、バーンスタインはとても疲れていたろうが一高校生に笑顔でサインをしてくれた。帝王カラヤンではあり得ないことだった。40年たったいまもぼくの貴重な財産である。 


土曜日, 8月 28, 2010

ベーム ブルックナー8番

 ベームのブルックナー交響曲第8番、終楽章。これは実に見事な演奏である。ブルックナーは当初、この交響曲を自信をもって書いた。しかし、ブルックナーを取り巻くシンパはこの作品について厳しい評価をした。7番は成功した。そのわかりやすさ、ボリューム感からみると、8番は晦渋であり、なんとも長い。ブルックナー使徒達は、8番での評価の低下を懼れて、いろいろとブルックナーに意見をした。ブルックナーは深刻に悩み自殺も考えたと言われる。悩みは続き、9番が未完に終わったのも、この桎梏からブルックナー自身が脱けられなかったからかも知れない。
 さて、ベームの演奏が見事なのは、ブルックナーの当初の「自信」に共感し、それを最大限、表現しようとしているからではないかと感じる。もちろん8番の名演はベームに限らない。このブログでも繰り返し取り上げてきたように、クナッパーツブッシュ、フルトヴェングラー、シューリヒト、クレンペラー、ヨッフム、チェリビダッケ、ヴァント、初期のカラヤンなど大家の名演が目白押しであり、どれが最も優れているかといった設問自体がナンセンスとすら思う。皆、このブルックナー最後の第4楽章に重要な意味を見いだし、魂魄の演奏をぶつけてきており火花が散るような割拠ぶりである。
 ベームの演奏は、そうしたなかにあってベームらしい「オーソドックス」さが売りかも知れない。テンポは一定、ダイナミズムの振幅は大きくとり、重厚かつノーミスの緻密さを誇る。しかし、それゆえに、「素材」の良さをもっとも素直に表出しているように思う。飽きがこない、何度も聴きたくなるしっかりとした構築力ある演奏。いまはこれに嵌っている。

(参考)ブルックナー交響曲第8番第4楽章
Finale. Feierlich, nicht schnell  ハ短調、2/2拍子。ソナタ形式。
 弦五部が前打音つきの4分音符を連打する中から、第1主題が金管のコラールと、トランペットのファンファーレで奏でられる。コラールのようなこの第1主題は、ブルックナー自身によれば「オルミュッツにおける皇帝陛下とツァーリの会見」を描いたものであり、「弦楽器はコサックの進軍、金管楽器は軍楽隊、トランペットは皇帝陛下とツァールが会見する時のファンファーレを示す」。

休止が置かれ、弦楽器を主体とする第2主題が変イ長調で始まる。その途中(第93小節以後)から、交響曲第7番で用いられたモチーフが取り入れられる。

第3主題は変ホ短調のジグザグとした旋律でこの主題には nicht gebunden (音をつながずに)という標語もある。

第3主題が休止で中断すると、159小節からホ長調のコラールが入る。すぐに第1主題の荒々しい行進曲「死の行進」が入る。この後ソナタ形式の展開部に入るが、ほとんど第3主題と第1主題の交替で進む。

再現部は第437小節から始まり、第2主題は第547小節から、第3主題がハ短調で再現される。これは短く、すぐに第1楽章の第1主題が第617小節から全合奏で再現される。再び第3主題のリズムと交代しながら、コーダへと移行する。

コーダは第647小節から始まる。第1・第2ヴァイオリンが上昇音型を始め、テノールチューバが荘重さを強める。まず最初に、第679小節からホルンによって第2楽章のスケルツォ主題が戻ってくる。やがてハ長調で、全4楽章の4つの主題の音形が重ね合わされる。第1楽章の主題はファゴット、第3・第4ホルン、トロンボーン、ヴィオラ、コントラバス、バス・チューバが、第2楽章の主題はフルート・クラリネット・第1トランペット、第3楽章の主題はヴァイオリンと第1・第2ホルンが、そして第4楽章の主題要素は第1楽章のものと織り合わされて、全曲を力強く締めくくる。これが「闇に対する光の完全な勝利」と称賛されるゆえんである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC)#.E7.AC.AC4.E6.A5.BD.E7.AB.A0

土曜日, 8月 21, 2010

クラシック音楽 聴きはじめ 12 ムラヴィンスキー

 
レニングラード・フィルは、日本にEXPO’70で来演したが、残念ながらこの時はヤンソンスの代演となった。しかし、それですら衝撃的で言葉を失った鮮烈な記憶がある。オケのメンバーはステージ上、誰も無駄話などしない。皆がソリストのような緊張感にあふれ、彼らの合奏は、よく訓練された軍隊の一糸乱れぬ閲兵式を彷彿とさせるものであった。そして、数年後、今後はムラヴィンスキーご本人で、さらに強烈なライヴ体験を味わった。 

ムラヴィンスキーは旧ソビエト連邦時代、全ソビエト指揮者コンクールで優勝、直ちに当時同国最高のレニングラード・フィル(現在のサンクトペテルブルク)の常任となる。1938年、時に35才の俊英であった。  
本盤所収の録音は、4番(1960年9月14~15日、ロンドン、ウェンブリー・タウンホール)、5番(同年11月7~9日、ウィーン、ムジークフェラインザール)、6番(同年11月9~10日、5番と同じ)であり、この「幻の」指揮者とオケの実質、西欧デビュー盤である。 これぞチャイコフスキー本国の正統的な解釈の演奏というのが当時のふれこみであったろうが、実際は、そんな生易しいものではなく、冷戦時代の旧ソ連邦の実力を強烈に印象づける最高度の名演である。  
十八番の名演といった表面的なことでなく、この時代、このメンバーでしかなしえない、極度の緊張感と強力な合奏力を背景とした、比類なきチャイコフスキー演奏といってよいだろう。4、5、6番ともに通底する一貫した解釈と各番の性格の違いの明確な浮き彫りにこそ、本盤の特色がある。  録音は半世紀前であり、いまのレヴェルでは物足りないだろうが、それを上回る往時の覇気がある。歴史的名盤である。


日曜日, 8月 08, 2010

ブルックナー メモ書き

http://www.hmv.co.jp/product/detail/217761

 shokkouブログではユニーク・ジャケットの<拾遺集>を取り上げました。ブルックナーのCDジャケットは、作曲家の肖像、教会など地味なものが多く、ハッとする、あまり目をひくものがないのですが、ちょっと茶目っ気の滲むものもあり、楽しめると思います。
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1834533.html

 上記の「女性入り」はブルックナー系では珍しいのですが、これはジャケットではなく演奏そのものがユニークなので掲載しました。

 ブルックナー・ブログは「夏バージョン」ということで、<自然系>のジャケットを並べてみました。虹のかけ橋も、夏にふさわしいのでは・・・。どうぞあわせてご覧下さい。
 さて、最近は・・・。alneoにベームを入れて、携帯して聴いています。

ベーム→
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1305.entry?&_c02_owner=1

<自然系>
http://shokkou.spaces.live.com/default.aspx?&_c02_owner=1&wa=wsignin1.0&sa=39283556


【HMV レビュー】 (以下は引用)
ブルックナー:交響曲第7番 室内アンサンブル版  リノス・アンサンブル

 1999年デジタル録音。シェーンベルクがウィーンで主宰した「私的室内楽協会」コンサートのための編曲リストの中に、ブルックナーの交響曲第7番が存在することは以前から知られていましたが、1921年夏の初演以降、取り上げられた記録はなぜかまったくなく、このCDに収められた演奏が80年ぶりの蘇演となるのは少し意外な気もします。
 交響曲第7番は、ブルックナーの交響作品の中では珍しく初演から成功し、当時から比較的ポピュラーな人気を獲得していたもので、ヨハン・シュトラウの編曲などで知られていた私的室内楽協会が、編曲の対象に選んだとしても不思議はありません。
 この室内楽版は、クラリネット、ホルン、ハーモニウム、ピアノ、弦楽四重奏、コントラバスの9人編成を採っています。編曲の実作業はシェーンベルク門下の3人が分担しておこなったとのこと。ハンス・アイスラーが第1楽章と第3楽章、エルヴィン・シュタインが第2楽章、カール・ランクルが第4楽章をそれぞれ担当していますが、音を聞く限りそれぞれ編曲者が違うという感じはあまりしません。おそらくスコアリングの綿密な打ち合わせが当事者間でおこなわれていたのでしょう。
 新ウィーン楽派の面々によるブルックナー観が、この編曲を通して見えてくるのは間違いありません。ブルックナーの作品はよく「オルガン的」と言われ、実際、オルガンによる演奏もリリースされているのですが、この編曲ではむしろその「オルガン臭」が排除されているのが印象的です。ハーモニウムやピアノも、足りない声部の単なる補強ではなく、音色パレット上の一構成要素として作用し、色彩の変化が元のオーケストラ版よりも強くなっているのがポイントとなっています。
 第7番はブルックナーの交響曲の中では最も親しみやすい旋律美を持つ作品ですが、前半2楽章の重さに較べ、後半2楽章、というよりも第4楽章がフル・オーケストラで聴くとアンバランスなほど軽い感じがしていたことも確か。が、このヴァージョンで接するとそうした問題が解消され、一貫したムードが保たれているように聴こえるのが面白いところです。
 室内楽版ならではの自発的アンサンブルや、自由でのびやかな歌いまわしが楽しめるのもこのヴァージョンの魅力のひとつ。
 名手揃いのドイツのグループ、リノス・アンサンブルはその利点を最大限に生かしており、大オーケストラによる演奏ではマスクされてしまいがちな対旋律や経過句を明瞭かつ立体的に響かせることに成功していて、作品の構造面への興味を抱かせる効果も十分といったところです。たいへん優れた編曲作品の登場と言えるでしょう。  

土曜日, 8月 07, 2010

CD時代の終焉!

 もはやCD価格は存在しなくなったともいえる時代であろうか。上記の25枚の全集などは、なお真っ当な?値段がついているほうだが、HMVでの安売りは尋常ではない。1枚100円程度のボックスセットがどんどんでており、単品で買うよりも破格に安いという現象が怒濤のように押し寄せている。
http://shokkou.blog53.fc2.com/

金曜日, 7月 09, 2010

クラシック音楽 聴きはじめ 3 マルケヴィッチ

 
身近にいると、あたりまえに思えて、客観的な評価ができず、その実力を過小評価する。逆に、遠く離れているがゆえに、知らずに理想化し、崇敬するといった陥穽もある。  
現代のグローバル化時代、IT時代なら、各種評価が即時に飛び交うが、約40年前、クラシック音楽界での来日演奏家の評価は、「情報の非対称性」から上記の傾向があり、その一例がイーゴリ・マルケヴィッチではなかったかと思う。

 当時、この指揮者とNHK交響楽団の名演を、いまは喪われた日比谷の旧NHKホールで聴いた。NHKシンフォニーホールの公開録画(抽選参加)として、無料だった。とんでもない贅沢をしていたものだ、といま想う。
 マルケヴィッチで、ベルリオーズ「イタリアのハロルド」を聴きながらこのブログを書いている。ハインツ・キルヒナー(ヴィオラ)、スザンヌ・コテル(ハープ)、ベルリン・フィルの演奏で1955年12月の録音である。切れ味鋭い、迫力ある演奏である。

 マルケヴィッチの名前は、①現代音楽の旗手としての系譜からも、②ベートーヴェンなどの総譜の研究者としても、③優れた20世紀の指揮者列伝からも、④さらに後世の指揮者を育てた指導者としても有名である。

 「イタリアのハロルド」(「幻想」も秀抜!)では①~③の彼の特質が如何なく発揮されていると思う。彼がもっと健康なら、その後半生はまったく別の航路だったかも知れない。
 才能に満ちあふれた人であったのだろう。しかし、有り難いことにいまだ揺籃期にあった日本にもよく来てくれた。1960年、68年、70年、83年に来日しているが、ぼくが聴いたのは68年であった。中学生の素朴な感想として、長い指揮棒を丹念に刻みつつ、カラヤンなどに比べて、派手さのまったくない、格好を気にしない愚直さに特色があったように記憶している。


金曜日, 7月 02, 2010

カルロス・クライバー

 今日はカルロス・クライバーについて。以下は、最近でたボックス・セットについての感想。
 クライバー(1930年7月3日~2004年7月13日)は、レコード・CD全盛期の指揮者だが、その盛名に比し録音は極端に少ない。だが、録音すれば向かうところ敵なし、圧巻の名演を紡ぎ出した。本全集は、そのレパートリーの相当な部分をカヴァーしており彼の全体像を知るうえで好適である。気難しい練習魔で、常任向きではないが、その天才的な音づくりには美学もあり内燃的な迫力もある。「こうもり」「トリスタン」の異質の2種はいまもベスト盤と思うが、その特質が際だっている。いままでクライバーに親しんでいない愛好家向きの廉価盤。
 カルロス・クライバーは、まちがいなく、「ドイツグラモフォン・レーベル」でカラヤン、ベームにつづく次の世代の旗手であった。なにより、緻密ながら衝撃の演奏スタイルが世を驚かせ、独特のカリスマ性をもっていた。「クライバーが今度振った・・」とPRされれば、思わず反応してしまう強烈な話題性があり、かつ、それは一般にも受け入れられやすい演目が中心だった。
 だが、この人はレパートリーを広げることにも、熱心に録音をすることにも、あまり関心がなかったのかも知れない。少ないレパートリーに磨きをかけ、他の追従を許さないといった専門家、職人気質が身上であったのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<収録一覧:録音時期>
【CD1】ウィーン・フィル/ベートーヴェン第5番&第7番:1974年3&4月、1975年11月、1976年1月 【CD2】ウィーン・フィル/ブラームス第4番:1980年3月
【CD3】ウィーン・フィル/シューベルト第3番&第8番:1978年9月
【CD4~5】バイエルン国立歌劇場/J.シュトラウス『こうもり』全曲:1975年10月
【CD6~7】バイエルン国立歌劇場/ヴェルディ『椿姫』全曲:1976年5月、1977年5、6月
【CD8~10】シュターツカペレ・ドレスデン/ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』全曲:1980年8&10月、1981年2&4月、1982年2&4月
【CD11~12】シュターツカペレ・ドレスデン/ウェーバー『魔弾の射手』全曲:1973年1&2月
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 オペラの歌手、合唱などより詳細な録音データについては以下を参照。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 上記のうち、ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》&7番の感想は以下のとおり。
一世を風靡したウイーンの名指揮者エーリッヒ・クライバー(1890ー1956年)はベートーヴェンをこよなく愛し得意としていた。5番&6番のカップリングはいまも歴史的な名盤として記録されている。その子、カルロス・クライバー(1930ー2004年)はベルリン生まれ、ブエノスアイレス育ちで、「親子鷹」ながら父はカルロスが指揮者になることを強く反対したと伝えられる。  
 カルロスは父の使った総譜を研究し尽くして指揮台に上がったようだが、この5番&7番は、没後約20年後、父もここで名盤を紡いだ同じウイーン・フィルとの宿命の録音(1974、1976年)であり、余人の理解の及ばぬ、父を超克せんとする<格闘技>的な迫力にあふれている。同時期、ベルリン・フィルではその疾走感、音の豊饒さである意味共通するカラヤンの名演もあるが、明解すぎるほどメリハリの利いた解釈とオペラでしばしば聴衆を堪能させた弱音部での蕩けるような表現力ではカラヤンを凌いでいると思う。  
 父を終生意識しながら、その比較を極端に嫌ったカルロスが、結果的に父と比類したか、あるいは超えたかはリスナーの判断次第だが、この特異な名演が生まれた背景は、エーリッヒとの関係なしには語られないのではないかというのが小生の管見である。
最後に、本ブログで過去に書いたものを下に添付。

金曜日, 6月 11, 2010

ショパン ボックス・セット

17枚CDの全集。演奏の質は高くアシュケナージ、ポリーニ、ツィマーマンらいずれも推薦盤に名を連ねたもの。普段はなかなか聴けない曲も収録されており、系統的にショパンを聴きたい向きには好適。ただしショパンはディープな好事家も多いので、各曲演奏に拘りもあろう。極力、同一の演奏者で揃えたいという方には別のチョイスもあろう。その意味で以下に一応のラインナップを掲げてみた。ご参照を!

【収録概要 西暦は録音年月】
【CD1】ピアノ協奏曲第1番、第2番 ツィマーマン(ピアノ、指揮)ポーランド祝祭管弦楽団 1999年8月 【CD2】 モーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》の「お手をどうぞ」による変奏曲 ポーランド民謡の主題による幻想曲  ロンド《クラコヴィアク》  Cアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ アラウ(p) ロンドン・フィル 指揮:インバル 1970年6月、1972年6月
【CD3】 バラード全集(4曲)  幻想曲ヘ短調 ツィマーマン(p)1987年7月   3つの新しい練習曲  葬送行進曲  3つのエコセーズ アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)1999年3月
【CD4】 練習曲集作品10(12曲)  練習曲集作品25(12曲)  舟歌嬰ヘ長調作品60  子守歌変ニ長調作品57 ポリーニ(p)1972年1月&5月、1990年9月
【CD5、CD6】マズルカ全集 アシュケナージ(p)1976~85年
【CD7、CD8】夜想曲全集マリア・ジョアン・ピリス(p)1995年1月~96年6月
【CD9】ポロネーズ全集Vol.1(第1~7番)ポリーニ(p)1975年11月
【CD10】 アンダンテ・スピアナート ト長調と華麗なる大ポロネーズ アルゲリッチ(ピアノ)1974年1月、7月   ポロネーズ全集Vol.2(第8~16番)  2つのブーレ  ギャロップ・マルキ変イ長調遺作  アルバムの一葉ホ長調遺作  カンタービレ変ロ長調遺作  フーガ イ短調遺作  ラルゴ 変ホ長調遺作 ウゴルスキ(p)1999年3月
【CD11】 前奏曲全集(26曲)ラファウ・ブレハッチ(p)2007年7月 即興曲全集(4曲)ユンディ・リ(p)2004年6月、2001年9月
【CD12】 スケルツォ全集(4曲)ポリーニ(ピアノ)1990年9月   ロンドハ短調作品1  ロンド ヘ長調作品5《マズルカ風》 リーリャ・ジルベルシュテイン(p)1999年3月   ロンド変ホ長調作品16ミハイル・プレトニョフ(p)1996年11月  2台のピアノのためのロンド ハ長調作品73 クルト・バウアー、ハイディ・ブング(p)1958年4~5月
【CD13】ピアノ・ソナタ全集  第1番ハ短調作品4 ジルベルシュテイン(p)1999年3月   第2番変ロ短調作品35《葬送》  第3番ロ短調作品58 ポリーニ(p)1984年9月
【CD14】 ドイツ民謡《スイスの少年》による序奏と変奏曲ホ長調遺作  《パガニーニの想い出》変奏曲イ長調遺作  華麗なる変奏曲変ロ長調作品12  4手のための変奏曲ニ長調遺作  ヘクサメロン変奏曲ホ長調  演奏会用アレグロ イ長調作品46  ボレロ ハ長調作品19  タランテラ変イ長調作品43 アシュケナージ(p)ヴォフカ・アシュケナージ(p)1978~83年
【CD15】ワルツ全集(19曲)アシュケナージ(p)1975~84年
【CD16】室内楽作品集  ピアノ三重奏曲ト短調作品8 ボサール・トリオ 1970年8月 序奏と華麗なるポロネーズ作品3 ロストロポーヴィチ(チェロ)アルゲリッチ(p)1980年3月 マイアベーアの歌劇《悪魔のロベール》の主題による大二重奏曲ホ長調 アンナー・ビルスマ(チェロ)ランバート・オーキス(p)1993年1月   チェロ・ソナタ作品65 ロストロポーヴィチ(チェロ)アルゲリッチ(p)1980年3月
【CD17】歌曲集  《ポーランドの歌》作品74遺作(17曲)  魅惑  ドゥムカ エルジビェータ・シュミトカ(ソプラノ)マルコム・マルティノー(p)1999年1月

火曜日, 6月 01, 2010

クラシック音楽 聴きはじめ 2  ミュンシュ

 
上記は、パリ管との有名なライヴだが、ぼくは正規録音盤を聴いている。ボストン響盤も聴く。<十八番>とは、こういう演奏をいうのだろう。「幻想」ではマルケヴィッチやベイヌムも良い演奏だが、ミュンシュのちょっと真似のできないスケール感はやはり大書しておくべきだろう。  
大きく、早く、熱っぼく・・・と書くといかにもお手軽な印象を与えかねないが、でも、やはり、構えが立派で、軽快なテンポを保ち、かつ汗が迸るような熱演であることがミュンシュの特色である。  
クラシック音楽を聴きはじめた頃、1968年11月6日にミュンシュは逝去した。直後の11日に民放で追悼記念コンサートの放映があり、演目は「幻想」であった。当時は、こうした映像自身がめったに紹介されることがなかったから、この貴重な記録を食い入るように魅入ったと思う。 
 ところで、ミュンシュについては、意外なくらい『ウィキペディア』での記載が少ない。以下は全文の引用。

(参考)
シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891年9月26日 - 1968年11月6日)は、当時ドイツ領であったアルザス・ストラスブールに生まれ、のちフランスに帰化した指揮者である。
【生涯】 1891年9月26日に生まれ、ドイツ語名カール・ミュンヒ(Karl Münch)。家はドイツ系のアルザス人であり、第1次世界大戦後アルザスがフランス領に戻った際いったんはドイツ国籍を選択するが、のちナチスの台頭を嫌ってフランスに帰化。その際にフランス風の名前に改めた。ヴァイオリンを学び、1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の奏者となった。ゲヴァントハウス管弦楽団で1932年まで楽長のフルトヴェングラーワルターの下でコンサートマスターを務める。
1929年パリで指揮者としてデビュー、1937年パリ音楽院管弦楽団の指揮者となって、1946年まで在任した。1949年ボストン交響楽団の常任指揮者に就任、1962年までその座にあって、数々の名演を行った。1960年にボストン交響楽団、1966年フランス国立放送管弦楽団と来日、単身では1962年日本フィルハーモニー交響楽団を指揮するために来日している。1967年パリ管弦楽団が組織された際には初代の音楽監督に就任したが、翌年同団とともに演奏旅行中、アメリカリッチモンドで急逝した。
【人物】 ミュンシュは、長い指揮棒を風車のように振り回す情熱的な指揮ぶり、爆発的な熱気あふれる音楽表現で高い人気を誇った。また、即興の名手であり、大の練習嫌いとしても知られている。仮に綿密なプローベをしたとしても、本番中悪魔のような笑みを浮かべつつ練習とは全く違う指示を出すことも多かったとも言われている。生涯のほぼ半分ずつを、それぞれドイツ人とフランス人として送った彼は、両国の音楽を共に得意とした(この両国間で帰化した音楽家は意外と少ない)。ことにベルリオーズの演奏は高く評価された。その一方で、ベートーヴェンブラームスなどでも定評がある。長いコンビだったボストン交響楽団との演奏がRCAレーベルに、晩年のパリ管弦楽団との録音がEMIレーベルに主として残されている。特に後者における、ベルリオーズの『幻想交響曲』とブラームスの第1交響曲のレコード・CDは評価が高い。また、小澤征爾シャルル・デュトワを教えたことでも知られている。


金曜日, 5月 21, 2010

クラシック音楽 聴きはじめ  1  メンゲルベルク

 名匠メンゲンベルク http://classic.music.coocan.jp/cond/modern/mengelberg.htm  

クラシック音楽を聴きはじめた頃、その有力な媒体はNHK-FM放送であった。レコードは高くて、そうそう手が出なかったから、なによりもFMからのソースが有り難かった。そこで、はじめに集中して耳を傾けたのが、写真のメンゲルベルクである。  
1940年代の録音で、ブラームスの第1番、ベートーヴェンの第5,6番などをアムステルダム・コンセルトヘボウで聴いた。いわゆる名曲シリーズでは、ドボルザークの第9番はアンチェル/チェコ・フィル、チャイコフスキー第3番「ポーランド」はマルケヴィッチ/ロンドン交響楽団、ビゼーの交響曲は、ミュンシュ/フランス国立SO、ブラームスの第3番はワルター/ニューヨーク・フィル、シューベルトの第9番はベーム/ベルリン・フィルといったライン・ナップだった。音は良くなかったが、いまからみても贅沢な演奏であったと思う。  

交響曲ばかりを聴いていたわけではない。ピアノは、バックハウス、ケンプ、ルビンシュタインなどを好んで聴いた。ヴァイオリンはシェリングの全盛時代だったが、オイストラフ、メニューヒンもよく流れていた。イ・ムジチの「四季」は、シェフがアーヨからミケルッチにかわって演奏スタイルも理知的になっていた。フルートでも金色のランパルか銀色のニコレか・・・といったライヴァル的な視点も楽しかった。  

ワーグナーの楽劇も、いまよりもはるかに注目されていた。年一度のバイロイト特集は、憧れをもって集中して聴いた。また、ザルツブルク音楽祭やウィーン芸術週間なども、通常のレーベルを超えた演奏者の組み合わせにチェックは欠かせなかった時代である。



金曜日, 5月 07, 2010

大指揮者の「先生」


<断片的メモ>
 フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、カラヤンやベームのブルックナー演奏を自分なりに「再考」してみて、改めて、彼らの「お師匠筋」について関心をもった。以下はその断片書きである。

<再考シリーズ>
フルトヴェングラー
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1290.entry?&_c02_owner=1
フルトヴェングラー & クナッパーツブッシュ
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1302.entry?&_c02_owner=1
カラヤン
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1304.entry?&_c02_owner=1
ベーム
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1305.entry?&_c02_owner=1

 はじめに、ここで登場するハンス・リヒター、アルトゥル・ニキシュ、カール・ムックといった大指揮者は、ブルックナーの交響曲を広めた功績は大きいながら、彼らのレパートリーからすれば、ブルックナーは主要の一部でしかなかったことである。いわゆるドイツ・オーストリー系(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど)の古典をしっかり押さえていたほか、ロシアもの、イギリスものなど同時代音楽の取り上げも行っている。職業的指揮者として、ある意味、オールラウンダーであったと言えるかも知れない。

 ハンス・リヒターは、ワーグナーの「指輪」もブラームスの2,3番のシンフォニーも初演した。彼にとって、当時のワーグナーVSブラームス論争などは、指揮者の職業上、顧慮すべきことではあっても、全く本質的ではないと思っていたであろう。だからこそ、ワーグナー派とみられていたブルックナー交響曲の初演も積極的に行った。
 ニキシュは、R.シュトラウスやマーラー、チャイコフスキーなどの作品も多く紹介する一方、ベートーヴェンの5番のシンフォニーをベルリン・フィルと録音(1913年)したことでも有名。 カール・ムックは、スコアに忠実な近代的な指揮者の祖とも言われるが、チャイコフスキーベルリオーズエルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ等の小品集の録音もある。 そのうえで、次の世代との関係を見てみよう。

 まず、クナッパーツブッシュと先生ハンス・リヒターの関係。リヒター(Hans Richter, 18434月4日 - 1916年12月5日は、19世紀後半から20世紀初頭を代表するドイツ人の大指揮者。ハンガリー(当時はオーストリア帝国の一部だった)のジェール生まれ。ハンガリー名はRichter János。主にウィーンバイロイトロンドンで活躍)
は、ブルックナーの交響曲第1,4,8番の初演指揮者。ブルックナー自身がもっとも感謝をしていた大指揮者である。

(参考)
 従来は「1909年、バイロイトにもぐりこみ、3年ほどハンス・リヒターの助手を務める」などと書かれていた。大学時代に何度もバイロイト詣でをしていたことは確からしい。1910年1月にジークフリート・ヴァーグナーから「音楽祭の最終稽古に居合わせてください」との手紙をもらっている。しかし1910年には音楽祭は開かれていない。ハンス・リヒターの謦咳に接したのは1911年の音楽祭だったと思われる。彼がアルフレートではなくハンスの名を用いるようになったのはリヒターの影響だろう、と奥波氏(※)は書かれているがその通りだろう。
(※)2002年、奥波一秀 著「クナッパーツブッシュ」(みすず書房)
(出典) 
http://classic.music.coocan.jp/cond/modern/kna.htm 
 次にフルトヴェングラーと前任者ニキシュ(Nikisch Artúr, Arthur Ni 1855年10月12日 モション県レーベーニ近郊レーベーニ・セントミクローシュ Lébényi Szent-Miklós現在のモションセントミクローシュ Mosonszentmiklós) - 1922年1月23日は、現在のハンガリー出身で主にドイツで活躍した20世紀初期の大指揮者の一人)のついて。ニキシュはブルックナーの交響曲第7番をライプチッヒで。彼もブルックナーをよく理解していた大指揮者。
(参考)
 フルトヴェングラーが生まれたのは1886年のことです。ベルリン・フィルの創立は1882年ですが、その当時はいつまで続くかわからないオーケストラであったのです。 当時は、音楽のコンサートというものが興業としてやっと成立するようになった時代なのです。これによって、コンサートを主催する側とコンサートに出演する側の間に立つ「エージェント」という職業が誕生したのです。そういう創生期にヘルマン・ヴォルフがエージェントを立ち上げたのです。 
 当時ベルリン・フィルは、フィルハーモニア協会という支援団体が支えていたのですが、あまりにも多額の赤字に耐えかねて、この協会は解散してしまうのです。1887年のことです。 
 これによって、ベルリン・フィルは自立を迫られたのですが、そのとき救いの手を差し伸べたのがヘルマン・ヴォルフです。ベルリン・フィルのオーケストラの腕はよく、良い指揮者を付ければ、興業として成り立つと判断したのです。 
 そこで、ヘルマン・ヴォルフが連れてきた指揮者が、ハンス・フォン・ビューローだったのです。ビューローはピアニストで、現代の職業指揮者の先駆的存在なのです。ビューローが登場するまで、作曲家と演奏家の分業化は明確でなく、オーケストラの指揮は作曲家自身がやるのが常識だったのです。 
 ところが、1894年にビューローは死去してしまうのです。そこでヴォルフは後継者として、アルトゥール・ニキシュを任命するのです。1895年にニキシュは、ベルリン・フィルの首席指揮者に就任します。このヴォルフという人は、オーケストラの指揮者の実力を見抜く目を持っていたのです。 
 しかし、今度はこのヴォルフが1902年に56歳の若さで亡くなってしまうのです。しかし、ヴォルフの事業は軌道に乗っていたので、この事業は妻のルイーゼ・ヴォルフによって引き継がれるのです。 
 ルイーゼ・ヴォルフは、夫の遺した音楽家との人間関係を引き継ぎ、新しい才能を見抜く力に加えて、企業家としての実力もあったのです。そのため、多くの音楽家から慕われる存在になり、しまいには「女帝」といわれる存在になったのです。 
 当時フルトヴェングラーは16歳でしたが、彼は後援者の紹介でヴォルフ家と知り合いになり、ルイーズの息子のヴェルナー・ヴォルフと親しく付き合っていたのです。 
 1922年1月にニキシュが亡くなるのです。その時点でフルトヴェングラーは若手の指揮者として注目を集めており、ベルリン州立歌劇場管弦楽団と契約したばかりだったのです。 
 といってもフルトヴェングラーは、州立歌劇場管弦楽団のオペラの指揮をするのではないのです。州立歌劇場管弦楽団はオペラの演奏をする以外にコンサート・オーケストラとしても活動していたのですが、フルトヴェングラーはそのコンサート・オーケストラの指揮者としての契約を結んだのです。 
 ニキシュは、ベルリン・フィルだけでなく、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督をしていたのです。そして、
1922年1月10日にニキシュはゲヴァントハウスの定期演奏を振っているのですが、1月26日にもゲヴァントハウスの定期演奏会があったのです。しかし、ニキシュはオランダへの客演が決まっていたので、フルトヴェングラーが代役を務めることになっていたのです。 
 ところが、1月23日にニキシュが亡くなってしまったので、フルトヴェングラーの振るコンサートは、ニキシュの追悼コンサートになるのです。追悼コンサートを振る指揮者はそのオーケストラの後継者になるのが通例です。      

(出典) http://electronic-journal.seesaa.net/article/118149326.html

 ベームの「先生」も有名なカール・ムック(Karl Muck, 1859年10月22日 - 1940年3月3日は、ダルムシュタットに生まれシュトゥットガルトに没したドイツ人指揮者)。ベームにとっては、ワルターとともに、恩師だろう。ワルターの「先生」はグスタフ・マーラー。マーラーはブルックナー交響曲第6番の全曲を初演した。

(参考) ムックのレパートリーの中心はやはりワーグナーで、前述の『パルシファル』のほか、『ニーベルングの指輪』を含む主要作品はすべて指揮した。そのほか、彼はブルックナーも積極的に取り上げた。中でも、ウィーンに先駆けての『交響曲第7番』のオーストリア初演(グラーツ、1886年)、あるいは、アメリカにおけるブルックナー作品の紹介などが注目に値する。アメリカでの初期のブルックナー演奏は、アントン・ザイドル、ニキシュ、マーラー、そして、ムックらによって行われたのである。http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/muck.html
1917年 - グラーツ市立歌劇場でデビュー。首席指揮者の座を約束されていた。しかしリヒャルト・ワーグナーの友人であったカール・ムックがベームの「ローエングリン」を聴いた際に感激し、当時バイエルン国立歌劇場音楽監督だったブルーノ・ワルターにベームを紹介した。1921年 - ワルターの招きにより、バイエルン国立歌劇場の指揮者に転任。ワルターはベームに多大なる影響を与え、特にモーツァルトの素晴らしさを教えた。そしてまたベームもモーツァルトの権威として知られることになる。ワルターとの交遊関係は戦中戦後を通じて続くこととなるが、1922年からはワルターに代わり、クナッパーツブッシュが音楽監督になった。しかしクナッパーツブッシュも、モーツァルトに関してはほとんどベームに任している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A0

金曜日, 4月 30, 2010

ベイヌム ブルックナー

 ベイヌムについては、その前任のメンゲルベルク(※1)との関係なくしては語れない。先代メンゲルベルクは、約半世紀の永きにわたって、コンセルトヘボウに君臨したのみならず、初代ウイレム・ケス(1854~1934年)の跡目を弱冠24才で継いだあと、実質の「ファウンダー」とでも言うべき功績を残した。彼が、コンセルトヘボウを鍛えぬき、オランダに名器コンセルトヘボウありと世に知らしめたのである。
 後任のベイヌムは、この先代の推戴で37才で、地元のコンセルトヘボウの首席指揮者になるのだから、非常に優秀で、かつ世俗的にはオランダでは大成功者であったと言えるだろう。しかし、先代の存在があまりに巨大であったので、彼自身の評価は結果的に地味な感を否めない。
 また、指揮者としては働き盛りの57才での早世、後任が同じオランダ出身の俊英、話題性のある若きハイティンクであったことから、ベイヌム時代は「中継ぎ」のような印象があり、余計に地味に映ってしまう。さらに、最盛期の録音時期が、モノラル時代の最後に重なっており、その後の怒濤のステレオ時代の「エアポケット」になってしまったことも、その見事な演奏を広く知らしめるには不利であった。
 加えて、ブルックナーに関しては、ハイティンクの「後見人」的に、ヨッフムがコンセルトヘボウを指導したが、彼は既にブルックナーの最高権威であり、また、ハイティンクもブルックナーを熱心に取り上げたことから、結果的に、ベイヌムの業績を目立たなくしてしまったように思う。

 既に幾度も指摘をしてきたが、マーラーと親交があり、それを積極的に取り上げたメンゲルベルクは、ブルックナーについてはあまり関心がなかったようだ。しかし、ベイヌムはそのデビューがブルックナーの8番のシンフォニーであったことが象徴的だが、ブルックナーも進んで演奏している。そして、その記録はいま聴いても、ヨッフム、ハイティンクとも異なり、けっしてその輝きを失っていない。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!415.entry?&_c02_owner=1

 ぼくは、コンセルトヘボウの幾分くすんだ、ヴァイオリンから低弦まで美しく見事にハーモナイズされた弦楽器群のサウンドが好きで、その「テイスト」はブルックナーに良く合うと思う。また、オランダは、オルガン演奏も熱心で先進国であるようだが、このホール専属オケ自体がオルガン的な響きを有しているようにも思う。だからと言うわけではないが、コンセルトヘボウ奏でるブルックナーは、いまや誰が振っても一定のレベルにはいくのではないかとさえ感じる。
 しかし、ベイヌムの弦楽器、木管楽器、管楽器の「鼎」のバランスはなんとも絶妙で、かつ、そのテンポの軽快感とオーケストラの自主性を重んじるような自然の運行あればこそ、ベイヌム独自の魅力的なブルックナー像を啓示してくれていると思う。

※1:メンゲルベルク(1871~1951年)は、ドイツ系のオランダの指揮者。生地ユトレヒト音楽学校とケルン音楽院に学び,1892年ルツェルン管弦楽団の指揮者となる。1895年,創立まもないアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任。マーラー、R.シュトラウスなどでも定評のある演奏を残した。
http://kotobank.jp/word/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

※2:エドゥアルト・ファン・ベイヌム (Eduard van Beinum, 1901年9月3日 - 1959年4月13日) はオランダ指揮者
 オランダ東部の町アルンヘム生まれ。ヴァイオリンピアノを学び、16歳でアルンヘム管弦楽団のヴァイオリニストとして入団。翌年にはアムステルダム音楽院に入学し、ピアノ、ヴィオラ作曲を学ぶ。
1920年にはまずピアニストとしてデビューしたが、まもなく指揮者に転向した。1927年に指揮者としてデビューし、同時期にハールレム交響楽団の音楽監督に就任。1929年6月に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団へのデビューが大成功を収め、1931年ピエール・モントゥーの推薦とウィレム・メンゲルベルクの招きで同楽団の次席指揮者となった後、1938年からはメンゲルベルクとともに首席指揮者として活躍した。
 戦後の1945年、メンゲルベルクがナチスへの協力の廉でスイスに追放されると、ベイヌムはメンゲルベルクの後をついで、コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任した。またコンセルトヘボウ管弦楽団とのロンドン公演が大成功を収め、1949年から1951年にかけてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任。1954年にはフィラデルフィア管弦楽団を指揮してアメリカへのデビューを果たして大成功を収めている。1956年から1958年にかけて、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者として迎えられた。
 しかしベイヌムは元来病気がちで、晩年には心臓疾患を患っていたが、1959年4月13日に、アムステルダムでブラームス交響曲第1番のリハーサルを行っていた最中に心臓発作で倒れ、57歳の若さで急逝した。
バッハからドビュッシーバルトークやオランダの現代音楽に至るまで幅広いレパートリーを誇っていたが、とりわけ古典派・ロマン派音楽の演奏には定評があった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用

火曜日, 4月 27, 2010

ベーム ブルックナー8番


 ベームについてはさまざまな評価がある。1970年代後半、ベームの来日は大変な歓迎ぶりであり、ベームも日本公演を大いに楽しみにしていたという。しかし、鬼籍に入ってから、辛辣な評者は、ベームは没個性で、歴史的に残るような指揮者ではないといったシビアな口吻も目立つようになった。
 ぼくは、中学生の時、LPでブラームスの1番(ベルリン・フィル)を聴いて以来、かわらずその音楽の「構築力」に敬服している。目立たないけれど実は凄い指揮者。その経歴も指揮者としてのトラック・レコードも申し分ない。そして、ブルックナー演奏についても折々に聴き、書いてきた。

http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!941.entry?&_c02_owner=1

 今日はブルックナー8番を聴く。やはり「構築力」という言葉にいきつく。堅牢な音楽、しかし、そこにはもちろん強い情熱も情感もある。
 緩さがない、生真面目だ、面白みに乏しい、といった批判はあっても、その手堅い構築力は誰しも認めるところ。ブルックナーでは、それが大きな武器である。上記の3,4,7番でも書いたが、ベームのブルックナーの重心の低い安定力は、バラツキのない、失敗しない一種の模範的な演奏スタイルとも言えると思う。それに、晩年のカラヤンのように、音を磨きすぎず、程良い無骨さも悪くない。

(メモ)
1975年ウィーン・フィルハーモニーの日本公演。ここで集中的にベームを聴いた。

3月17日:NHKホール
ベートーヴェン/レオノーレ第3番
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ブラームス/交響曲第1番

3月20日:NHKホール
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベートーヴェン/交響曲第7番

3月25日:NHKホール
モーツァルト/交響曲第41番
JシュトラウスⅡ/南国のばら
JシュトラウスⅡ/アンネン・ポルカ
JシュトラウスⅡ/皇帝円舞曲
JシュトラウスⅡ/常動曲
JシュトラウスⅡ&ヨゼフ・シュトラウス/ピッツィカート・ポルカ
JシュトラウスⅡ/こうもり、序曲

(出典)http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page034.html

土曜日, 4月 24, 2010

バーンスタイン マーラー9番

 バーンスタインのマーラー。手兵ニューヨーク・フィル他との「旧盤」全集をぼくは推奨するが、話題性で欠くことができないのが本盤。録音時期は1979年10月4~5日、カラヤン「王国」ではじめてベルリン・フィルを振ってのライヴ録音、その希少性にまずは注目。また、同時期(1979~80年)、カラヤン/ベルリン・フィルは満を持して、周到なスタジオ録音を行ったことで、後世、マーラーでの「両巨頭のベルリン激突」としてつとに有名となる。  さらに、カラヤンは1982年9月に同曲、同オケのライヴでデジタル再録。これでライヴでの両雄の比較も可能となった。加えて、バーンスタインは、これに先だってウイーン・フィルとの録音(1971年)もあり、彼は同曲で「世界3大オケ」を制覇したことになる。
 
 演奏は、基本的にニューヨーク・フィル(1965年)と共通し、激烈なパッションの迸る、感情移入の振幅の大きな演奏だが、そのダイナミクスでは1965年盤に軍配、オーケストラとの相性では1971年盤が優れている。
 蛇足ながら、カラヤンの濃密かつ耽美の極みのマーラー像も凄みがあり、バーンスタインとは対極の演奏とも言える。穿った見方だが、もしかすると、これは両巨匠の仕組まれた粋な共存かなとも思う。そんな想像も楽しめるメモリアルである。
http://www.amazon.co.jp/Mahler-Complete-Symphonies-Box-Set/dp/B001TIQT98/ref=cm_cr-mr-title

火曜日, 4月 20, 2010

ブルックナー 雑感

 出勤途上で交響曲3番を聴いていた。クーベリックの演奏。ふと、こんなことを考える・・・

 この曲は生々しくもブルックナーが自分の個性に目覚め、それを世にぶつけたセンセーショナルな作品だ(その試みは当初、無惨に打ち砕かれるが)。
 破壊と創造の交互の繰り返し、エネルギーの蓄積と放出の全過程、知覚的なものと啓示的なものの共存、自己を確立せんとする精神の葛藤・・・。いろんなものが<混在>しており、しかし、音楽的には構築力にとことん拘り、<整合性>を大切にするーある種の<矛盾>。

 これは結果的にマーラー以降の交響曲の「作風」に大きな影響を与えた。だからこそ、上記の叙述はマーラーにも新ウイーン学派にも共通するような部分があるのだろう。しかし、これは作曲の「方法論」としてではない。ブルックナーはまったく自然に、そうした営為に集中している。だからこそ、何を書いても(技術的な向上はあるにせよ)、ある意味では、同じ音楽の変奏でしかない。生涯にわたって未完のひとつの巨大な変奏曲を書いた。しかし、その変奏曲には折々に、親しいフォークロア(そう、バルトークが生涯こだわったような!)が挿入され、我慢と忍耐ののち壮大なコーダが登場する。特に、コーダに向かうとき、ブルックナーの神経は全集中し、前人未踏な管弦楽のスケールの大きさを示す。それは音量の問題ではなく、構えの大きさとでも言えようか。晴天の日、とてつもなく壮大な門を足下から見上げるような感じがある。

・・・ぼけっと、そんなことを考えていると電車に乗り遅れるぞ!

木曜日, 4月 08, 2010

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第9番

・交響曲第9番 ベルリン・フィル(1944年10月7日)

録音:1944年10月7日、ベルリン(放送用録音、モノラル)http://www.hmv.co.jp/product/detail/1422264

 ブルックナーは、本人の思想とかかわりなく、のちにナチス、ヒットラーの寵愛をうけることになる。ヒトラーがワーグナーとともにブルックナーを好んだことは有名で、リンツはブルックナーの聖地として、そのオーケストラは「帝国」の冠をかざすことになる。そうした、生臭いナチスとブルックナーの関係は、フルトヴェングラーの活動にとっても大きな影を落とすことになる。フルトヴェングラーにとって、ワーグナーやブルックナーを演奏することは、本人の心象風景とは全く別に、ナチスとの関係では一種の音楽による「貢献」活動であったかも知れない。
 1944年10月。すでにドイツの敗色は誰の目からみても明らかになっており、未遂に終わったが、ヒトラー暗殺計画があったのが7月である。フルトヴェングラーはどういう気持ちでブルテに上がり、ブルックナーの最後の交響曲を演奏したことだろう。
 普通、そうしたことは音楽と関係して語るべきではないのかも知れない。しかし、フルトヴェングラーが本当に嫌っていたカラヤンは同じベルリンでこの年の9月、交響曲第8番の史上初のステレオ録音を行っていた(下記、Tuesday, March 30, 2010 「ブルックナーvsカラヤン 交響曲第8番(1944年)」を参照)。
 フルトヴェングラーによるブルックナー9番ー現状知られるこの唯一の演奏を聴いていると、霞がかった録音とともに、どうしてもそうした時代性を感じてしまう。第1楽章の乾いた無音階的な響き、続く魂を鷲づかみするような異様な深みあるフレーズ、第3楽章最後の消えゆく最後の金管の独奏は、一呼吸の限界まで引き摺る意図的、示唆的な処理。演奏評以前に、これは何を意味しているのか?を否応なく考えさせる音楽である。

ブルックナー vs ホルスト・シュタイン

シュタイン&VPO / ブルックナー:交響曲第2番、他
・ブルックナー:交響曲第2番ハ短調(ハース版)
・ウェーバー:『オイリアンテ』序曲・ウェーバー / ベルリオーズ編:舞踏への勧誘 
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ホルスト・シュタイン(指揮)

 ホルスト・シュタインは1986ー87年のドイツ滞在中、2回のビッグ・プロを聴いている。夏にバイロイト音楽祭でマイスタージンガーを、冬にハンブルクの教会でドイツ・レエクイエムを聴いた。どちらも優れた演奏だった。さて、ブルックナーだが、いま2番を聴いている。なかなか良い演奏である!じっくりと味わってみたい。

(参考)以下は引用
ホルスト・シュタインさん逝去
 2008年7月30日 (水) ドイツの指揮者で、NHK交響楽団名誉指揮者としても知られたホルスト・シュタインさんがお亡くなりになりました。N響に入った連絡によると27日、スイス・ジュネーブの自宅で死去されたとのことです。ご冥福をお祈り申し上げます。ホルスト・シュタイン(Horst Stein)は1928年5月2日、大指揮者ハンス・クナッパーツブッシュの故郷として知られるラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)に生まれました。フランクフルト・アム・マインの音楽ギムナジウムとケルン高等音楽院で音楽教育を受けますが、ケルン高等音楽院ではこちらも同郷の名指揮者ギュンター・ヴァントに師事しています。 1949年にヴッパタール市立劇場の合唱指揮者に就任してキャリアをスタート、1951年にハンブルク国立歌劇場指揮者となって活動を本格化させる一方、1952年から1955年にかけてはバイロイト音楽祭で、ハンス・クナッパーツブッシュ、ヨーゼフ・カイルベルトヘルベルト・フォン・カラヤンなどのアシスタントを務めて経験を深め、自身も1962年に『パルジファル』を指揮してバイロイト・デビューを果たします。 ベルリン国立歌劇場の楽長を経て1963年にマンハイム国立劇場音楽監督に就任(1970年まで)。1970年から3年間はウィーン国立歌劇場第1指揮者を務めるなど、叩き上げのオペラ指揮者として重厚な実績を残します。 ウィーン国立歌劇場にポストを得た1970年には、バイロイト音楽祭でワーグナーの『ニーベルングの指環』全曲を指揮して絶賛され、ワーグナー・オペラのスペシャリストとしての名声を確立しています。 1972~77年にはハンブルク国立歌劇場音楽総監督を務めますが、以降はコンサート指揮者としての活躍に重心を移し、1980年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を5年間務めた後、1985年にバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任、その名コンビぶりは来日公演やレコーディングを通じて日本でもよく知られるところとなりました。 1985~89年にはザルツブルク音楽祭に出演、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどヨーロッパの主要オーケストラに客演、バンベルク響とは世界各地へコンサート・ツアーをおこなっています。 日本へは1973年にNHK交響楽団への客演で初来日、2年後の再登場時には名誉指揮者の称号を贈られるなどN響との結びつきはきわめて深く、以後1999年まで定期的に客演を重ねました。 1996年、病気のためバンベルク交響楽団の首席指揮者を辞任、終身名誉指揮者の称号を贈られて活動を続けますが、1999年の「プラハの春」音楽祭出演中に倒れ、以降は活動休止状態となったまま、2008年7月27日、スイスの自宅で亡くなられました。80歳でした。ご冥福をお祈り申し上げます。
http://www.hmv.co.jp/news/article/807300046/ 

月曜日, 4月 05, 2010

ブルックナー vs カラヤン

 フルトヴェングラーは、ベルリン・フィル、ゲヴァントハウスの2大オケで大御所ニキシュの後任として、ブルックネリアーナ指揮者の名声を継いだ。クナッパーツブッシュの「先生」はかのハンス・リヒターであり、これも正統な伝承者たる資格があった。さて、カラヤンは・・・
フランツ・シャルクの演奏を学生時代よく聴いたようだが、なんら弟子ではなかった。

 カラヤンのブルックナー解釈は、さまざまな先人の内容を意欲的に吸収しつつも、カラヤンが若き日からスコアを読み尽くし、自分自身で築いたものであったと言えるかも知れない。そして、ブルックナー改訂で名をとどめたハースは、カラヤンの演奏を聴いて、彼の校閲の見方からこれを高く評価した。カラヤンにとっては、泰斗ハースの援軍は大きな自信に繋がっただろう。

 カラヤンは下記のブログにもしるしたとおり、ブルックナーの交響曲第8番を得意中の得意の演目としていた。戦前から一貫して8番こそ、カラヤンの金看板だった。それについで、9番、7番、5番をよく取り上げたが、録音は9番(日本でのレコード芸術推薦盤1967年)、4番、7番(同1971年)がはやく世評も高かった。しかし、この録音も、カラヤンの本来の意思からはけっして早くはない。
 何故かと言えば、当時ドイツグラモフォンは、ブルックナーではヨッフムの名盤(いまもその価値は変わらない)があったし、なによりブルックナーのレコードは全く売れなかったようだ。後に、カラヤンが意欲的に全集を出した頃は、ブルックナー受容が進むとともに、「カラヤンの名前」で十分に売れるようになってからであったと言う。

土曜日, 4月 03, 2010

織工から


 先週はちょっと驚くことがあった。Amazonで演奏評やリストマニアを書いている「織工」のレビュアーランキングの計上方法がかわり突然、「ベストレビュアー1000」に入っていた。もちろん分限はわきまえており、永続きするものではないので、得難い<記録>としてとどめておきたい。
 ブルックナーの演奏評を中心に、あとは組み物のCDあたりのみを扱っている<地味中の地味>のレビューなのだが、「好事家多し!」と言い換えて、インターネットの世界は広く深いなあと実感した次第である。
https://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A185EQOC8GHUCG

 一方、「ブルックナー・ブログ」ではフルトヴェングラーについての自分の演奏評を整理してみた。よって、先週は深夜までフルトヴェングラーばかり聴いていた。これは相当エネルギーをつかう作業であり、一定の集中力を要し、聴き終わったあとは満足感とともに疲労感が残る。フルトヴェングラーついては、<ながら>族では聞けないなといつも思う・・・。
http://shokkou.spaces.live.com/default.aspx?&_c02_owner=1&wa=wsignin1.0

 この「ブルックナー・ブログ」では、フルトヴェングラー関連で、以下のカテゴリー別に次のような記事をランダムに書いてきた。

【名指揮者】
ブルックナー//メモランダムⅢ②ーカラヤンとフルトヴェングラー
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1181.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダムⅣ⑥ーW.フルトヴェングラー(3)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!412.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダムⅣ⑤ーW.フルトヴェングラー(2)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!409.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダムⅣ④ーW.フルトヴェングラー(1)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!407.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダムⅣ③ー ウイーンフィル(3)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!396.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/ミニ・コラム⑤ーブルックネリアーナ指揮者
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!251.entry?&_c02_owner=1

【本・論考・インタビュー】
ブルックナー//メモランダムⅣ⑨ー雑誌「音楽現代」
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1266.entry?&_c02_owner=1
ブルックナー/メモランダム⑤の4ーW.フルトヴェングラーの論考
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!170.entry?&_c02_owner=1

【好きな演奏】
ブルックナーNO.5
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!128.entry?&_c02_owner=1

【魅力の源泉】
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!982.entry?&_c02_owner=1

 また、この「織工Ⅲ」では、「ブルックナー・ブログ」では省略した外部意見も、一部番数について下記にしるした。なお、織工Ⅲの前シリーズである「織工Ⅱ」でも折々で、断片的な拙文を載せている。
http://freizeit-jiyuu.blogspot.com/2006/07/blog-post_115308406144324610.html

金曜日, 4月 02, 2010

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第7番

交響曲 第7番 ホ長調(改訂版) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮) 録音:1949年10月18日、ベルリン・ダーレム、ゲマインデハウス

 ブルックナーの後期3交響曲は、その楽想の共通性も強いが、各楽章の「構成」にこそ特色がある。特に、7番は前半に頂点があり、第1楽章の終結部は強く締めくくられ、第2楽章の有名はアダージョのあと、第3楽章はワーグナー的な躍動感にあふれ、終楽章はブルックナーの他の交響曲のフィナーレに比べて軽量、快活そしてなにより短い。8番は逆に圧倒的な重量感のある第4楽章にむけて、高い山を登攀していくような感じであり、第3楽章までには一定の忍耐がいる。未完の9番は、よりベートーヴェンの9番を意識して書かれているように思うが第4楽章を欠いているので、作曲家の最終的な意図は闇の中である(もっとも、作曲家が希望したテ・デウムに代替すれば、ベートーヴェン同様、「合唱」が付加される)。

 フルトヴェングラーの7番を聴く。第1楽章の再現部からコーダへの盛り上げ方は圧倒的でこの楽章だけで完結感、充足感が強い。アダージョの沈潜もフルトヴェングラーらしく深い味わいを湛えている。第3楽章はワーグナーのワルキューレの騎行を連想させる。振幅があり実にスケールの大きい構えである。第4楽章は一転、速度を早め軽快に締めくくる。全般に堂々とした演奏であり、この時点(1949年)での指揮者(そしてリスナー)へ強烈な示唆を与える規準盤であったろう。

火曜日, 3月 30, 2010

ブルックナー vs  カラヤン 交響曲第8番(1944年)

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調第2~4楽章
●プロイセン(ベルリン)国立歌劇場管弦楽団
■録音年月日:1944年6月28日(第2、3楽章)、9月29日(第4楽章)
■録音場所:ベルリン
■録音:モノラル/ステレオ(第4楽章)
■原盤所有社:ドイツ帝国放送協会(RRG)
■発売:KOCH SCHWANN
■タイミング:II:16:10、III:27:21、IV:27:34
http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%83u%83%8B%83b%83N%83i%81%5B+%8C%F0%8B%BF%8B%C8%91%E6%82W%94%D4%83n%92Z%92%B2&not3=%8EB%89e%95%97%8Ci
 
 上記出典で、57年盤の録音時間を引くとタイミング:I:17:05、II:16:04、III:27:31、IV:26:17 となっている。驚くべきことに、欠落している第1楽章を別に、第2楽章は00:06差、第3楽章は00:10差、第3楽章で01:17差という「僅差」である。13年ののち、かつオーケストラも違う2つの演奏はほぼ一致した内容といってもよい。カラヤンのブルックナー8番解釈は、実は1944年の段階でほぼ確定していたか。
 この感想は同じプロイセンを振った「英雄」でも、かつて同様な印象をもち、本ブログに書いた記憶がある。もっとも、注意しなければならないのは、カラヤンはライヴでは別の顔を見せることもあることだ(特にテンポ設定については大きく可変的)。

 しかし、44年盤、57年盤は、おそらく近代の指揮者として、はじめてレコードという媒体にもっとも高い感度と深い知識をもっていたカラヤン(クナッパーツブッシュやフルトヴェングラーとの大きな違い!)にとって、特別な意味があったろう。44年盤第4楽章は、世界初のステレオ録音とも言われ、これを事後チェックしたカラヤンは、戦時中ながら新技術「ステレオ録音」の将来に秘かに思いを馳せたかも知れない。また、57年盤はベルリン・フィルを統率した本格的なステレオ録音である。どちらも、カラヤンにとって、他者が理解できないくらい重要な意味のある記録であったろう。
 なお、57年盤を中心とする8番の演奏評については下記を参照。

http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!943.entry?&_c02_owner=1

(戦中・戦後のカラヤンについて、あわせて下記を参照)
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!1181.entry?&_c02_owner=1

日曜日, 3月 28, 2010

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第6番

 現状聴くことができるのは、ベルリン・フィルとの唯一の録音(かつ第1楽章欠落)である。その概要は以下のサイトで解説がある。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5362/bru6.html

 自分の感想は、以下に書いている。私はシュワルツコップのファンであるが、このCDは、フルトヴェングラー&シュワルツコップの「デュオの魅力」が前面にでたものでもある。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC6%E7%95%AA-%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0/dp/B00005HV6W/ref=cm_cr-mr-title

 『フルトヴェングラー グレート・レコーディングズ』 ジョン アードイン (著), 藤井 留美 (翻訳) 音楽之友社 (2000/12/1) では、6番ではアダージョでのワーグナー<トリスタン>主題との関係を中心に考察している。

 6番は、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ワルターらの欠落を埋めるようにクレンペラーが、鷹揚たる名演を引っさげたが、第1楽章の欠落はあっても、そこはフルトヴェングラー、不完全盤ながらも歴史的な輝きを失わない遺産を残してくれたと言えよう。

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第5番

 2つの録音があるが、ウイーン・フィルとの演奏は、1951年ザルツブルク音楽祭でのライヴ盤である。2つの録音の聞き比べは以下のサイトが綿密に解説してくれる。
 http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5362/bru5.html

 自分の感想は、以下に書いている。それにしてもこのジャケットの写真はあまりにひどい(よって別の写真を上に掲げた)。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA-%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B9%E7%89%88-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3/dp/B00005HN28/ref=cm_cr-mr-title

 『フルトヴェングラー グレート・レコーディングズ』 ジョン アードイン (著), 藤井 留美 (翻訳) 音楽之友社 (2000/12/1) では、5番の4つの楽章の循環的性格が簡略に示される。そいて、この循環性ももっとも見事に表現しているのがフルトヴェングラーであるとしている。

 「第1、4楽章の始まり方が、第2、3楽章と似ており、また、第2、3楽章には第1、4楽章の起源を感じさせるものがあることから、循環性が非常に強い作品である。また、それ以上に、全体を通じて他家受粉のような主題の相互交換が行われており、ブルックナーの交響曲の全楽章中最大の規模と野心を誇る第4楽章、その冒頭で確定される循環性と合わさって、この相互交換が思考と行動のずばぬけた経済性を生み出している」(p.321)

 5番については、ヨッフムの解釈に強い影響をうけてきた。しかし、ヨッフムと各楽章の力点の置き方に違いはあるが、フルトヴェングラーのテクスチャーの読み込みは深く明確で、複雑な回線を混戦せずに見事に結びつけてような「整理学」と全体を巨大に再構成していく「推進力」は抜群である。

土曜日, 3月 27, 2010

ブルックナー vs フルトヴェングラー 交響曲第4番

 3つの録音があるが、ウイーン・フィルとの演奏は、1951年同一演奏旅行中のものなので、解釈に基本的な違いはない。3つの録音の聞き比べは以下のサイトが綿密に解説してくれる。
http://www.geocities.jp/furtwanglercdreview/bru4.html

 自分の感想は、以下に書いている。前半2楽章と後半2楽章で強烈にアクセントをつけ、前半は遅くて諦観的、後半は少しテンポを上げダイナミクスを強めて・・・といった運行。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA%E3%80%8A%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%80%8B%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88-%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0/dp/B000LC5BRY/ref=cm_cr-mr-img

 『フルトヴェングラー グレート・レコーディングズ』 ジョン アードイン (著), 藤井 留美 (翻訳) 音楽之友社 (2000/12/1) には、フルトヴェングラーが1890年版を採用していることについて、参考になる表現がある。

 「微妙なルバートと極端なリタルダンド、鋭角的な”へアピン”ダイナミクスを持つ”世紀末風”ブルックナー」(p.316)

 聴き直してみて、やはりいま、こうした演奏のできる指揮者はいないと感じる。そもそも、1890年版を採用すること自体に、うるさがたの批評家のブーイングを予想しなければならないだろうし、ここまで「強烈な解釈」にぴたりと寄り添わせるオーケストラ・コントロールは、今日もっと難しいだろう。その意味でも「歴史的な遺産」である。しかし、より本質的には、ブルックナーの音楽の<神髄>はこうあるべきという、誰も真似しえないフルトヴェングラーの強靱な意志力こそ、本演奏の中空で見えない蜷局(とぐろ)を巻いていると感じるのである。

水曜日, 2月 03, 2010

ブルックナー vs クナッパーツブッシュ


Hans Knappertsbusch(1888-1965年) 
1888年、ドイツのエルバーフェルト(現在のブッパルタール)生まれ。実家はベルギー系で工場主(醸造工場)。その後、この都市で、ギュンター・ヴァントやホルスト・シュタインも活動する。 
1908年、アビトゥーアを取得、音楽の道は両親から反対され、ボン(およびミュンヘン)大学にて哲学を専攻、その一方、ケルン音楽院でシュタインバッハに指揮法を学び、いわゆる「二足の草鞋」の生活を送る。第二次大戦前の時代、ベームもウイーンで法律を学んでおり、必ずしも音楽専一でないことは特殊ではないが、この時期、相当な努力家であったことは事実だろう。 
1909年からバイロイト音楽祭でハンス・リヒターの助手を務め3年の修業を行った。若きクナッパーツブッシュは、ブルックナー演奏の泰斗でもあるリヒターから大きな影響を受けたと言われる。1910年以降、ミュールハイム、ボーフム、ケルン、エルバーフェルト等の各劇場に短期ながら在籍した。 
1913年、ミュンヘン大学に学位請求論文「パルジファルおけるクンドリー」を提出。同年9月15日、エルバーフェルトの劇場にてデビュー。その後「パルジファル」、「マイスタージンガー」などで成功を収める。 ライプツィヒ(18~19年)、デッサウ(19~22年)などの歌劇場指揮者(カペルマイスター)に迎えられた。 
1922年、弱冠34才にしてブルーノ・ワルターの後任としてバイエルン国立歌劇場音楽監督に就任。「トリスタンとイゾルデ」を振る。その後SP時代のレコーディングを行い、ベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)とハイドンの「オックスフォード」、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのワーグナー集などがある。徐々にナチスとの関係が悪化する。 
1936年、バイエルン国立歌劇場監督を解任(後任はクレメンス・クラウス)。その後、活動の拠点をウィーンに移し1937年以降、ザルツブルク音楽祭にも参加。 
1944年、第2次大戦中最後の公演として、ウィーン国立歌劇場で「神々のたそがれ」を指揮する。 
1945年、終戦後ミュンヘンにて歌劇場再建のためのコンサートで指揮するも、ナチ戦犯嫌疑で翌年末まで活動停止。その後、バンベルグ交響楽団を指揮して活動再開。 
1951年、戦後初のバイロイト音楽祭にて「パルジファル」を演奏。他に、カラヤンとともに「マイスタージンガー」、「指環」を振る。この後、一時を除き1964年までバイロイト音楽祭には参加し、ワーグナー指揮者の名声を得る。 その後の活躍はめざましいものがある。 
1965年、急性の心臓及び循環器不全で逝去。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 下記はHMVからのリスト。いまは7番、8番(赤字)を中心に聴いている。
 さて、その8番についてだが、どの演奏でも(余程ひどいものでない限り)第4楽章までくれば多かれ少なかれ、さあこれから巨大なコーダに向かって壮大な世界が待っているぞと、演奏者もリスナーも意気込むものだが、実は、クライマックス前、長大な第3楽章のアダージョ(モーツァルトの交響曲1曲分がすっぽりと入る長さ!)こそ、演奏の質を決めると思っている。

 この点でもベートーヴェンの第9番を連想させるが、クナッパーツブッシュの「凄さ」は、この第3楽章を滔々と流しながら、しかし、いかに遅くとも失速感がなく、一方で過度な緊張もしいず、飽きさせずに自然に響かせることにある。

 そこから浮かび上がるのは、なんと良き音楽なのだろうという、作品自身に対する深い満足感である。技術的には、連音符の繰り返しが慎重かつ巧みに処理され、同種テーマの再現でも、局面によって全て表情が違い、肌理の細かい配慮がなされている。その細部に至るまでの表情の「多様性」が、即興的に響くからこそ、魅力を湛えているのだと思う。いままで、桁違いの音楽スケールという点を強調してきたけれど、もう一つの隠れた技倆を、この第3楽章にみる思いである。

(クナッパーツブッシュについて)
http://shokkou3.blogspot.com/2007/12/blog-post.html
http://shokkou3.blogspot.com/2008/03/blog-post_03.html
http://shokkou3.blogspot.com/2008/03/blog-post_5076.html
http://shokkou3.blogspot.com/2008/06/blog-post_07.html

(簡易リスト/ブルックナー)
ブルックナー / 交響曲第9番、他 クナッパーツブッシュ&バイエルン国立管弦楽団 輸入盤 〔CD〕

・交響曲第9番ニ短調 バイエルン国立管弦楽団 録音:1958年2月1日(ライヴ、モノラル)
・ワーグナー:『神々の黄昏』から管弦楽作品 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1957年10月(ステレオ)

ブルックナー / 交響曲選集 クナッパーツブッシュ&BPO、VPO、他(6CD) 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第3番(録音:1954年10月11日) バイエルン国立歌劇場管弦楽団

・交響曲第4番『ロマンティック』(1944年9月8日) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第5番(1956年6月) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第7番(1949年8月30日) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第8番(1951年1月8日) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第9番(1950年1月28日) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ブルックナー / 交響曲第5番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル(1959年ライヴ) 国内盤 〔CD〕
・交響曲第5番変ロ長調 WAB.105 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 収録:1959年3月19日 ミュンヘン

ブルックナー / 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル 1963年 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第8番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1963年1月24日
・シュミット:軽騎兵の歌による変奏曲 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1957年10月20日,

ブルックナー / 交響曲第9番 クナッパーツブッシュ / バイエルン国立管弦楽団(1958) 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第9番 バイエルン国立管弦楽団 1958年2月録音

ブルックナー / 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ / バイエルン国立管弦楽団(1955) 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第8番 バイエルン国立管弦楽団 1955年12月録音

ブルックナー / 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル(1963年ライヴ) 国内盤 〔CD〕
・交響曲第8番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 収録:1963年1月24日、ミュンヘン

ブルックナー / 交響曲第3番、第5番 クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル 1964,59年 輸入
・交響曲第3番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1964年1月16日、ライヴ 
・交響曲第5番 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1959年3月19日、ライヴ

ブルックナー / 交響曲第4番『ロマンティック』 クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル 輸入盤 〔CD〕
・交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1955年

ブルックナー / 交響曲第3番『ワーグナー』 クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル(1960) 輸入 ・交響曲第3番 ウィーン・フィルハーモニー 録音時期:1960年2月14日 録音場所:ムジークフェライン大ホール

ブルックナー / 交響曲第8番(VPO、1961)、第9番(BPO、1950) クナッパーツブッシュ

火曜日, 2月 02, 2010

ブルックナー vs ダヴァロス


Bruckner:Symphony No.7 in E [Import] [from UK] ~ Philharmonia Orchestra (アーティスト), Anton Bruckner (作曲), Francesco d' Avalos (指揮)

を聴く。はじめは楽しめて、第3楽章まで、もしかすると、これは掘り出し物かも・・・と期待した。ところが第4楽章に入り、その独特のテンポ・コントロールが実に不自然である。これも「作曲家」たるダヴァロスの拘りなのかも知れないが、可変的なテンポの面白さよりも、音楽の求心力の低下が目立ち、聴き手の感動がセーブされるような処理に映る。いやいや、こここそが新しい解釈ではないかと再度聴くが同じ印象。コーダ近辺の盛り上がりに欠け、楽譜を形式的には正確に処理しているかも知れないが、これでは音楽の躍動感が減殺される。視聴後、その点、どうしても残念な思いが残る。