木曜日, 4月 25, 2019

カラヤン、5人のライヴァルがいた?!

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カラヤンには5人のライヴァルがいた。その筆頭はカルロス・クライバー。2人はカール・ベーム、3人目はイーゴリ・マルケヴィッチ、4人目はゲオルグ・ショルティ。そして5人目は??


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◆カルロス・クライバー

カルロス・クライバー  Friday, May 15, 2009
カルロス・クライバー  Friday, July 02, 2010

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◆カール・ベーム 

ブルックナー特集 これが名演 その2
きょうはべーム!

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◆イーゴリ・マルケヴィッチ
 

◆ゲオルグ・ショルティ
 
 
   カラヤンのライヴァル論は甲論乙駁である。フルトヴェングラーやチェリビダッケといった初期の闘争史からのアプローチもあるし、同時代人として、バーンスタイン、ヨゼフ・カイルベルトなどの名も取り沙汰された。しかし、バーンスタインは活動の本拠がアメリカでいわば棲み分け、カイルベルトは田舎に引きこもってしまった。

 しかし、カルロス・クライバーは別である。クライバーについては、病弱、神経質、レパートリーの狭さなどのマイナス要素はあるにせよ、オペラを含め、カラヤンのメインの領域での「競合」は強く、かつ、どれも発売されればベスト盤の評価。コンサートでも人気は沸騰。しかも、自分が一時明け渡した頃のウィーン・フィルを振っての名演だから、余計に帝王カラヤンとしては気に障る存在だったことだろう。

 演奏スタイルでも「競合」はあり、両者ともに曲によって軽快な疾走感では共通し、ダイナミズムのレンジの広さを大きくとり、大向こうを唸らせる技法も似ている。聴き比べると、ときには、カラヤンが生真面目に聞こえ、クライバーの方が奔放なテンポ取り、蕩けるようなメロディの響かせ方などで凌駕することもある。

 なによりも、クライバーの録音は、大家にしては極端に少なく、再録もしないから希少価値性があるが、カラヤンは彼の価値観上の「最高」を求めて、飽くなき録音、録画を繰り返し結果的に、いまとなっては厖大な音源がダンピング対象になっていることも大きな違いだ。

  ドイツ・オーストリー系のメインロードではベームも強力なライヴァル。でも、こちらは音楽づくりが違うので、まあ、お互いを立てつつといった風情もある。

”流麗”のカラヤン VS ”構築”のベーム

 マルケヴィッチも大変な逸材だったが、作曲家かつ現代音楽にも食指といった点で、彼の内にカラヤンと被る分野と独自の分野が共存している。オケと録音に必ずしも恵まれず、プロの世界は別として、一般リスナーからみれば正面からの敵ではなかったかも知れない。

 ショルティは『指輪』はじめワーグナー録音で不滅の金字塔を打ち立てたのだから、強烈なライヴァルであったろうし、コツコツと積み上げた交響曲の全曲録音でも拮抗する存在。しかもその質量の凄さは折り紙付き。でも人気では彼我の差は大きく、賢い彼は、慎重に気を配り、あえてカラヤンの邪魔はしなかったようにも見受けられる。


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 さて、では5人目のライヴァルは?1970年代以降、帝王の名を欲しいままにしたカラヤンにとって、深夜、ひそかに一人LPに針を落とし、その清新溌剌さ、思い切った斬新なアプローチ、そしてなによりも覇気ある録音記録について、ライヴァルであったのは1950年代、60年代の過去のカラヤン自身、その人ではなかったかとふと思う。

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初期 カラヤンを聴く
カラヤン Karajan Symphony Edition 
100 Best Karajan

月曜日, 4月 22, 2019

カラヤン シェエラザード  karajan scheherazade

ヘルベルト・フォン・カラヤン リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35 SMG-2025


カラヤンがLP化したことで人口に膾炙するようになった曲がある。交響組曲『シェエラザード』もその一つと思う。それ以前にも、大御所モントゥー/ロンドン響(1957年)や鬼才マルケヴィチ/ロンドン響(1962年)があったのだが、このカラヤン盤は、発売当初、そのジャケットの格好良さ、録音の鮮烈さ、スタイリッシュな音楽的魅力から大変な反響を呼んだ。小生も小遣いをはたいて購入し、いまも大切にもっている。その後、本曲はヴァイオリンの咽び泣くような独奏(コンマスの技量の見せ所)と木管楽器、金管楽器の華麗な響きから、オーケストラの妙技を味わう名曲として人気を博し、小澤征爾/ボストン響(1977年)、コンドラシン/コンセルトヘボウ管(1979年)、プレヴィン/ウィーン・フィル(1981年)などの組み合わせでリリースが続くことになる。

その先駆けとでもいうべき本盤を久しぶりに聴く。カラヤン/ベルリン・フィルの全盛期の最良の成果(1967126-31日、ベルリン、イエス・キリスト教会にて収録)。カラヤンの抜群の切れ味、ベルリン・フィルのアンサンブルの見事さに加えて、ミシェル・シュヴァルベの音には特有の艶と色気がある。大胆なリズム感、変幻自在な音の饗宴、内燃する気迫、迷いのない思い切りのよい快速な運行。この洗練と凝縮の音楽にはいまもいささかの古さも感じない。

シェエラザード
 

土曜日, 4月 20, 2019

マーラー 交響曲全集 名盤5点 

いつもの、バーンスタイン、テンシュテット、シノーポリ、インバルなどではなく、裾野をひろげて5点を以下に。ラトルは思いのほか満足している。感性、とても瑞々しい!

ラトル

Mahler: the Complete Symphonie
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RHW76PLQHSO5/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B071LFWN42

ラトルが2002年ベルリン・フィルのシェフに推戴されたのは、無名に近いバーミンガム市響CBSOを見事に鍛え上げ、ヨーロッパのスターダムにのせたことによる。しかも、引っ提げてきたキラーコンテンツの一つがこのマーラー・チクルスであったが、その録音記録の道のりは長い。CBSO、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルをふくめ、全集完成は1986年の第2番に始まり2004年の第8番まで18年に及ぶ。

ほかにもマーラー音源はあるが、本集では、2番(1986年4月~6月)➡6番(1989年12月)➡7番(1991年6月)➡1番(1991年12月)➡4番(1997年5月)➡3番(1997年10月)➡10番(クック編)(1999年9月)➡5番(2002年9月)➡8番(2004年6月)➡9番(2007年10月)の順の収録である。ラトルは律義にも、ベルリン・フィルのシェフ就任後もCBSOとのと録音も行っている。

ラトルはマーラーについて多く語っているが、「私が今指揮者なのは、マーラーがあったからです」こそが最も率直なる吐露だろう。初期のマーラー演奏は実に初々しく「どろどろした情念」などとは一切無縁。徐々にロスバウトばりに楽器、楽節の浮き彫りが鮮明になり、その後は、アバドのような明燦な演奏スタイルとなっていくように感じる。現代マーラー解釈の典型的記録であり、デジタル録音の鮮度を考慮すれば、聴いて損はない、破格の廉価盤集である(紙ケースはオリジナル・ジャケットを使用。23ページの簡易解説付き)

【収録情報】
◆バーミンガム市交響楽団(&合唱団)との演奏

・交響曲第1番ニ長調『巨人』(1991年12月)
➡ マーラー:交響曲第1番「巨人」
・交響曲第2番ハ短調『復活』:アーリーン・オジェー(ソプラノ)、ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ)(1986年4月~6月)
➡ マーラー:交響曲第2番「復活」
・交響曲第3番ニ短調:ビルギット・レンメルト(アルト)(1997年10月)
➡ マーラー:交響曲第3番「夏の交響曲」
・交響曲第4番ト長調:アマンダ・ルークロフト(ソプラノ)(1997年5月)
➡ マーラー:交響曲第4番
・交響曲第6番イ短調『悲劇的』(1989年12月)
➡ マーラー:交響曲第6番「悲劇的」
・交響曲第7番ホ短調『夜の歌』(1991年6月)
➡ マーラー:交響曲第7番「夜の歌」
・交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』:クリスティン・ブリューワー(ソプラノ)、ソイレ・イソコスキ(ソプラノ)、ユリアーネ・バンゼ(ソプラノ)、ビルギット・レンメルト(アルト)、ジェーン・ヘンシェル(アルト)、ジョン・ヴィラーズ(テナー)、デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(バリトン)、ジョン・レリア(バス)、バーミンガム市ユース合唱団、ロンドン交響合唱団、トロント児童合唱団 (2004年6月)

◆ベルリン・フィルとの演奏

・交響曲第5番嬰ハ短調(2002年9月)
➡ マーラー:交響曲第5番
・交響曲第9番ニ短調(2007年10月)
・交響曲第10番(クック編)(1999年9月)
   


シャイー

    Mahler: Complete Symphonies 1-10     

シャイーの全集。均質な見事な成果。

【曲目】
マーラー: 交響曲全集 (全10曲) (交響曲第10番はクック版)
1) 交響曲 第1番
2) 交響曲 第2番 《復活》
3) 交響曲 第3番
4) 交響曲 第4番
5) 交響曲 第5番
6) 交響曲 第6番
7) 交響曲 第7番
8) 交響曲 第8番 《千人の交響曲》
9) 交響曲 第9番
10) 交響曲 第10番 (クック版)
【演奏】
メラニー・ディエナー(S(2))、ペトラ・ラング(Ms(2,3))、バーバラ・ボニー(S(4))、ジェーン・イーグレン(S(8))、アン・シュワネウィルムス(S(8))、ルース・ジーザク(S(8))、サラ・フルゴーニ(A(8))、アンナ・ラーソン(A(8))、ベン・ヘップナー(T(8))、ペーター・マッティ(Br(8))、ジャン=ヘンドリック・ロータリング(Bs(8))
プラハ交響合唱団(2,3,8)、オランダ児童合唱団(3)、オランダ放送合唱団(8)、聖バーヴォ教会少年合唱団(8)、ブレダ少年聖歌隊(8)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1-9)
ベルリン放送交響楽団(10)
リッカルド・シャイー(指揮)
【録音】
1986年~2004年 〈デジタル録音〉


ノット

Mahler: the 9 Symphonies

『マーラー:交響曲全集』

【曲目】
(1)第1番ニ長調「巨人」
(2)第2番ハ短調「復活」
(3)第3番ニ短調
(4)第4番ト長調
(5)第5番嬰ハ短調
(6)第6番イ短調「悲劇的」
(7)第7番ホ短調「夜の歌」
(8)第8番変ホ長調「千人の交響曲」
(9)第9番ニ長調

【演奏】
ジョナサン・ノット(指揮)バンベルク交響楽団
(2)アンネ・シュヴァネヴィルムス(S)、リオバ・ブラウン(A)、バンベルク交響楽団合唱団
(3)藤村実穂子(A)、バンベルク大聖堂少年合唱団、バンベルク交響楽団合唱団女声団員
(8)ヤニナ・ベヒレ(S)、リオバ・ブラウン(A)、ミハエラ・カウネ(S)、
マリソル・モンタルヴォ(S)、マヌエラ・ウール(S)、アルベルト・ドーメン(B-Br)、
ミハエル・ナジ(Br)、シュテファン・フィンケ(T)
バンベルク交響楽団合唱団、チェコ・フィル合唱団、ヴィンツバッハ少年合唱団

【録音】
2003年~11年ヨーゼフ・カイルベルト・ザール、バンベルク


ゲルギエフ

マーラー: 交響曲全集 / ゲルギエフ&ロンドン交響楽団 (Mahler : Symphonies Nos 1-9 / Valery Gergiev, London Symphony Orchestra) (10SACD Hybrid) [輸入盤]
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R20GLT6KYTMPWB/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B0096SLCN6

 ゲルギエフのマーラー交響曲全集は、8番をのぞきすべてロンドン、バービカンホールでのロンドン交響楽団とのライヴ録音。かつ3、6、4、1、7、2、10、8、5番の9曲をこの順で2007年9月からわずか1年間で収録。50台後半のいかにもエネルギッシュなゲルギエフらしい一気呵成な対応である。手兵のオーケストラを一定期間、集中させ全番に一貫した解釈をほどこすうえではこの短期決戦のライヴ録音は有効だが、その実、相当な自信に裏づけされたものだろう。

  全般に、バーンスタイン流の強烈にパッショネイトな<没入型>でもなく、シノーポリ流の切開手術のような<分析型>でもなく、音楽構成をおおきく捉えて細部をよく彫琢し、かつメロディの美しさとリズムの躍動感を際立たせた演奏。抜群のバランス感覚を感じさせる。その一方で<没入型>、<分析型>ファン双方からは、各番、各章でなにか物足りなさを感じる部分もあろう。これが最近、相性のよいといわれるウィーン・フィルとの周到なセッション録音ならより深みのあるゲルギエフ流を聴けるのかも知れない。将来の楽しみである。

<収録データ>(録音年月日、各曲録音順)

◆第1番『巨人』(2008年1月13日)<4>
Symphony No. 1 (Hybr)
◆第2番『復活』(2008年6月5日)<6>
Symphony No. 2 / Adagio From Symphony No. 10
◆第3番(2007年9月24日)<1>
Symphony No. 3 (Hybr)
◆第4番(2008年1月12日)<3>
Symphony No.4
◆第5番(2010年9月26日)<9>
Symphony No.5
◆第6番『悲劇的』(2007年11月22日)<2>
Symphony No. 6 (Hybr)
◆第7番『夜の歌』(2008年3月7日)<5>
Symphony No. 7 (Hybr)
◆第8番(2008年7月9,10日)<8> ロンドン、セント・ポール大聖堂
Symphony No 8 (Hybr)
◆第9番(2011年3月2,3日)<10>
マーラー:交響曲第9番ニ長調 (Mahler : Symphony No.9 / Valery Gergiev, London Symphony Orchestra) [SACD Hybrid] [輸入盤]
◆第10番(2008年6月5日)<7> 
→上記2番(併録)を参照      


小澤征爾   

   マーラー:交響曲全集
マーラー交響曲全集
【収録曲】
交響曲 全9曲(第1番‐第9番)、亡き子をしのぶ歌
【演奏】
キリ・テ・カナワ(ソプラノ)(第2番、第4番)、マリリン・ホーン(メッゾ・ソプラノ)(第2番)、ジェシー・ノーマン(ソプラノ)(第3番、亡き子をしのぶ歌)、フェイ・ロビンソン(ソプラノ)(第8番)、ジュディス・ブレゲン(ソプラノ)(第8番)、デボラ・サッソン(ソプラノ)(第8番)、フローレンス・クイヴァー(アルト)(第8番)、ローナ・マイヤース(アルト)(第8番)、ケネス・リーゲル(テノール)(第8番)、ベンジャミン・ラクソン(バリトン)(第8番)、グヴィン・ハウエル(バス)(第8番)、タングルウッド祝祭合唱団(第2番、第3番、第8番)、アメリカ少年合唱団(第3番)、ボストン少年合唱団(第8番)
ボストン交響楽団、指揮:小澤征爾
【録音】1980年‐1993年


マゼール Lorin Maazel

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マゼールについては早くから注目していた。1968年からクラシック音楽に親しみだしたが、その頃からカラヤンの次の世代のエースはマゼールとの呼び声は高かった。したがって機会があれば耳にし、その都度、いまだカラヤンの比ではないなとの微かな失望が伴った。そのうち、同世代やより若手からもライヴァルが登場する。
小澤征爾、ズビン・メータが、その後、アバドやムーティらの名前が取りざたされ、それとの比較で、マゼールは”一頭群を抜く”という感覚はなかった。なにより、これが決定盤という録音が思いつかなかった。その頃はあまり使われる言葉ではなかったが、いまはやりの言い方では、その演奏には「あざとさ」が垣間見える。あるいは「けれんみ」という言葉も少しく連想されるように思う。どちらも悪口にはちがいないが、それは、あまりにも早くから抜群の才能を称賛された、その裏返しであったかも知れない。もちろん、その演奏は高品質であり頂点に近いのだが、たとえばカラヤンと聴き比べてマゼールに軍配というのは多くはない。でも、以下は拮抗する名演ではないかと思う。

ニューイヤー・コンサート ベスト10  New Year's Concert  NEUJAHRSKONZERT

美しく青きドナウ~ワルツ&ポルカ、行進曲集

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ラフマニノフ:交響曲全集
☛ カラヤンは録音していないかな?

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ラヴェル:ボレロ、スペイン狂詩曲、他
☛ この切れ味の良さは気に入った。

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20th-Century Portraits-Falla Bartok Stravinsky by MAAZEL / BERLIN PHIL ORCH (2014-07-08) 【並行輸入品】
ストラヴィンスキー Stravinsky 古き名盤を探る



ビゼー:歌劇「カルメン(全曲)」
☛ オペラでは歌手によって優劣・好みがあるかも?

R.シュトラウス:英雄の生涯、ドン・ファン、ティル&死と変容

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金曜日, 4月 19, 2019

マーラー 交響曲第4番 覇を競う名盤5点


ワルター

第1楽章、ワルターの演奏には、生きとし生けるものへの讃歌を感じさせる。もちろんそれのみに一辺倒ではなく、マーラー特有の複雑な表情が背後に隠されており、それが折節、頭をもたげるが、全体の基調は明るさを失わない。   

第2楽章,鋭い観察者なら躁鬱の明らかな兆候をみるだろうが、それをあえて嚙み殺した笑いでごまかそうとするかのような音楽。ワルターは虚飾なく、あるがままにこれを表現している。第3楽章、マーラーの書いたもっとも美しいアダージョの一つを端正に精魂をこめてワルターが演奏している様が想像できる。この約17分半は至福の時間。

終楽章、ソプラノの デシ・ハルバンの声は録音のせいかも知れないがあまり前に出ず、個性的でもない。それが本盤では惜しくもあり、またワルターのあるいはマーラーの求めていた歌は実はこれだったのかな、ともふと思う。

➡ New York Philharmonic 175th Anniversary Edition も参照            


マーラー:交響曲第4番
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クレンペラー

クレンペラーのマーラーは、有り難いことにいまやとても廉価で聴くことができる( Mahler: Symphonies 2, 4, 7 & 9 / Das Lied von der Erde を参照)。第4番は1961年4月の録音だが2012年デジタル・リマスターされており、低音部が強調されすぎている憾みはあるものの比較的良好な音質で耳にすることができる。

クレンペラーらしい独自の解釈で迷いも曖昧さもない。鷹揚とした構えで、テンポをあまり動かさず、それでいて細部の目配りは怠りなく粛々と音楽がすすんでいく。第4番の場合、ライナーのようにこよなく美々しく演奏する流儀もあるが、クレンペラーのマーラー像は各番に通底し、美もあれば醜もあり、明るさの次には暗部がひかえ、幸福の快感と懊悩の痛みもまた隣り合わせにあるといった展開である。それはマーラー音楽のなかでも、明るく美しさをたたえた第3楽章アダージョにおいても例外ではなく複雑な表情は変えない。終楽章、シュヴァルツコップの歌唱もこのクレンペラーの解釈に沿って、美しさよりも劇的で深い表現力にこそ特色がある。            


マーラー:交響曲第4番
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テンシュテット

マーラー:交響曲第4番    
クラウス・テンシュテット | 2018

 
凄まじい演奏。しかし、強烈な音響、劇的な要素の表現をもって、そう言うのではなく、マーラーという作曲家を必死で理解せんとするそのアプローチにおいて、である。たとえば第3楽章、嫋々たるハーモニーの部分では、あたかもマーラーの胸に我が耳をあて、その鼓動をじかに聴いているような寄り添い感である。

また、第1楽章の「完結性」はそれだけで1曲の多様性と重みをもつが、この渾身の演奏は、もうそれだけで十分なくらいの充実度である。さらに、終楽章、ルチア・ポップの生真面目な詠唱もテンシュテットと完全に同化しより音楽の高みに達している。

→ Mahler: Complete Symphonies も参照            
 
 
マーラー:交響曲第4番
 
カラヤン

はじめ聴いて、ライナー盤 マーラー:交響曲第4番 との共有点を思った。ライナーもカラヤンもマーラーのなかではとりわけ「優しく典雅な」本曲をその線にそって完璧に表現せんとする姿勢は共通しているように感じる。しかし、カラヤンのほうが、明るい色調と美音に徹底したライナー盤よりも表情に深みを与えている。
(良い意味で)屈託のないアバドの演奏ともちがって、カラヤンには独自のマーラー観があるのだろう。パセティックな暗さも、マーラー特有の脱力的な空白感もときに顔をだす(そういう複雑な表現ももちろん冷静に処理しているといった感じ)。文句の言いようのない見事な演奏なのだが、このどこか醒めているマーラー解釈には違和感を覚える向きもあろう。それゆえに、最後のマティスの詠唱がリスナーを暖かく包み込んでくれる癒しの効果は大きい。

→ People's Edition にて聴取  


メンゲンベルク

Symphony 4
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メンゲルベルクの有名な音源。2つの留意事項がある。第一に、1939年11月9日のライヴ音源であること。音質については望むべくもない。第二に、その解釈のユニークさ。通常の4番を聴く気持ちで接すると強い違和感があるだろう。

そこまで覚悟して聴くと別の面白さが見えてくる。兎がぴょんぴょんと跳ねているようなリズミックさと思い切りのポルタメントのねちっこさが同居しており、ときに歯切れよく、ときに粘着質の音楽が自在なテンポのなかで交錯する。はじめは驚くが、聴きすすむとマーラー音楽の多面性を懸命に伝えようとしている、これは一つの技法ではないかと思えてくる。飽きさせない熱演であり、音が痩せている分、その切実さが強き線状のようにストレートに伝わってくる。

マーラーがメンゲルベルクの演奏を高く評価し、かつ楽譜どおりの演奏でないことも認めたことは著名なるエピソードだが、同時代人としてマーラーの天才に傾倒し、系統的に多くの演奏を行い、コンセルトヘボウにそれをしっかりと根付かせた功績は大きいだろう。この演奏は、マーラーのお墨付きをもらったというよりも、マーラーの内心に真剣に寄り添ったという意味で貴重な音源であると言えよう。


(参考)    
ラトル       
 
マーラー:交響曲第4番
 

マーラーの交響曲のなかでも、4番は明るい雰囲気が横溢して人気の演目。「子供の不思議な角笛」のメロディが用いられていることで、2番、3番とも共通する特質があるが、ラトルは3曲ともに一貫して、柔らかくて緻密な演奏スタイルである。
「緻密さ」といっても、たとえばライナー盤などは、濃厚で、重層的で、統率的なオーケストラの響きだが、ラトルは、その比較においてだが、淡泊で、各楽器が並列的で、自由な曲想をうまくドライブしていると感じる。

第1楽章、テンポは速く軽妙な棒さばき、第2楽章のスケルツォも諧謔的な要素はあまり感じない。甘美な旋律にかぶさる管楽器の音は滑稽さを演出している。第3楽章は静謐な大人の時間といった案配で音が余裕をもってゆっくりと拡散する。終楽章のアマンダ・ルークロフトのソプラノは線は細いが若々しく美しい詠唱、目だなないがオーケストラに溶けこむように協奏的、魅力的である。

➡ Mahler: the Complete Symphonie も参照   

ライナー

 ショルティのマーラーの第4番では、キリ・テ・カナワ(ソプラノ)、シカゴ交響楽団を振った1983年のデジタル録音が代表盤と言われるが、これはスタールマン(ソプラノ)、コンセルトヘボウとの1961年の旧盤である。ショルティ、はじめてのマーラー録音とのことだが、その美しい響きに陶然となるような名演である。

 コンセルトヘボウは、遡ること20年以上前の1939年に、ヴィンセント(ソプラノ)で名匠メンゲンベルクと歴史的なライヴ名演を残しているが、マーラーの最良の抒情性が結晶したような4番のメローディアス性がこのオーケストラの音質ととても合っていると感じる。

 ショルティという指揮者は、ワーグナーの『指輪』での金字塔のイメージが強すぎダイナミックな演奏の権化のように思われがちだが、その実、こうした絹のような手触りの曲づくりでも抜群の巧さをみせる。
 スタールマンの声は端整でけっして出すぎずにオーケストラの音色と溶け込み好印象を与える。最終部の木管楽器との柔らかな掛け合いの部分などは、まだ終わってほしくない、もっと聴いていたいという陶酔感をリスナーに与えずにはおかないだろう。

マーラー:交響曲第4番


マーラー:交響曲第4番

シノーポリ
マーラー:交響曲第4番

バーンスタイン
マーラー:交響曲第4番ト長調

ショルティ


マゼール
マーラー:交響曲第4番

(注目)