金曜日, 2月 23, 2007

クーベリック ブルックナー第4番

 1979年11月の録音。3番とは逆に遅めのテンポでじっくりと熟成させるような演奏である。3番、4番とブルックナーを同じ指揮者とオケのコンビで聴いてきて、このオーケストラのもつブルックナー演奏への独特の思いや高い「プライド」に思いはいたる。しかもクーベリックは、ヨッフムの跡目をついで、オケの特質によく磨きをかけてきたと言えるだろう。以下、管弦楽団の情報を次に引用しよう( 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)。

バイエルン放送交響楽団(Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks)
 「ドイツミュンヘンを本拠として 活動しているバイエルン放送協会の専属オーケストラであり、戦後設立の比較的歴史の浅いオーケストラながらベルリン・フィルと並ぶ、ドイツを代表するオーケストラのひとつである。
第二次世界大戦終結直後からドイツ各地で放送オーケストラの設立ラッシュが始まり、各放送局が自前のオーケストラを持つようになったが、バイエルン地域の放送オーケストラの設立はそれらの放送オーケストラに遅れる事数年、1949年に ようやく設立の運びとなった。
初代首席指揮者は
オイゲン・ヨッフムに決まり、設立記念公演は同年7月13日に行われた。このコンサートにはリヒャルト・シュトラウスも招かれ、自作の歌劇「カプリッチョ」の一部を指揮している。シュトラウスはこの公演の2ヶ月後 に死去しており、この公演は彼の最後の指揮となった。 初の公開コンサートは同年9月29日、初の定期公演は1950年10月5日にいずれもヨッフムの指揮によって行われている。 ヨッフムの指導のもとバイエルン放送響は短期間の間に急成長を遂げ、ドイツを 代表するオーケストラという評価が定着する。 ヨッフムのレパートリーはドイツの古典派・ロマン派の作品が中心を占めていたが、 バイエルン放送響としては、1951年から「ムジカ・ヴィヴァ」という現代音楽 シリーズを開催、現代音楽の紹介という放送オーケストラらしい活動も怠る事はなかった。
1960年、ヨッフムはアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に 転出、後任はチェコ出身のラファエル・クーベリックが襲名した。 クーベリックとのコンビは1978年まで続き、バイエルン放送響はマーラーやチェコの作品を積極的に採り上げるようになる。 このオーケストラの初来日が実現したのもクーベリック時代の1965年の事である。
クーベリックの後、数年間首席を置かない形での活動が続き、ようやく
1982年の秋からキリル・コンドラシンの首席就任が内定したものの、前年の1981年にコンドラシンが急逝した事により、1983年秋からコリン・デイヴィスが首席に就任する事になる。1980年代にはレナード・バーンスタインもバイエルン放送響にしばしば客演しており、このコンビでの録音もいくつか遺された。
デイヴィスの後、
1993年から2003年までロリン・マゼールが首席を務め、2003年の秋からマリス・ヤンソンスが首席の地位を守っている」。

◆クーベリック時代は以下のように語られる。
 「ラファエル・クーベリックは、18年間に渡って(1961~1979)、このオーケストラを指揮した。彼は、スメタナ、ヤナーチェク、ドヴォルザークなどスラヴ系作曲家の作品をプログラムに取り入れ、レパートリーの幅を広げた。また、ハルトマンなど20世紀の作曲家も大いに取り上げ、ドイツのオーケストラによる初のマーラー・ツィクルス(録音にも残されている)も実現させた。彼の、とっさの感情の動きに従って音楽にアプローチするスタイルは、全ての楽団員から尊重され、<クーベリック時代>は、バイエルン放送響の歴史の中で最も実り多い時代となった」(http://www.japanarts.co.jp/html/JA_world_artists/bayerischen.htm)。




クーベリック ブルックナー第3番


 いま聴いているのはクーベリックの1970年録音のブルックナー交響曲第3番。
 「HMV レビュー」からの転載では、「第3番は記録によれば、手兵バイエルンだけでも3種の録音が知られています。 まず、1962年11月8、9日のライヴ。これは前年1961年音楽監督就任後に、クーベリックがバイエルンと初めてこの曲を取り上げた記念すべきもの(未発売)。次いで今なお高い評価を獲得している1980年のスタジオ盤(SONY)。そして今回の1970年ライヴ。いずれにも共通する特徴としてはエーザー版を使用している点」。
 録音の記録は、ブルックナー:交響曲第3番ニ短調[第2稿] バイエルン放送SO録音:1970年1月30日ミュンヘン、レジデンス・ヘルクレスザール(ライヴ)となっている。
 エーザー版はノヴァーク第2版(N2)と同じであり、巷間言われるように余程のブルックナーマニアでない限り、個々のフレーズの違いに時折、はっとはするが全体としてはそう際だった異質感はないように思われる。
 ここではむしろ演奏スタイルの違いのほうが印象的である。テンポは全般にかなり早い。そのうえでアゴーギクは相当大胆に用いられる。ブラームスはブルックナーの音楽は買っていなかったがドヴォルザークの「メロディ創造力」は高く評価していたと言われるが、クーベリックの演奏を聴いているとブルックナーのメロディがドヴォルザークと二重写しで錯覚して聞こえるような気すらする。クーベリックの織りなすメロディは生気に満ち実に溌剌としている。個々のメロディに愛着をもって音楽を再現している姿が眼に浮かぶような演奏である。弦や管の各パートも、アド・リビトウム(自由度のあるテンポ)で情感たっぷりにメロディを奏でているように聞こえるが、それでいて全体のバランスや統一感はきりりとしている。こんなにも胸に迫るメロディが満載された曲だったのかと思う一方、弛緩された部分が一切ないのが不思議だ。これぞ音楽に熱い「血のかよった」クーベリック・スタイルなのかも知れない。

土曜日, 2月 17, 2007

クナッパーツブッシュ ブルックナー第5番


 これもジャケットが傷だらけの古い友人のようなCDです。1956年6月。ウイーン・フィルとの演奏(改訂版)。先に記した51年のベルリン・フィルとの8番との比較では、レーベルの違いももちろんありますが、この5年間で録音もオーケストラの質量もはるかに豊かに聴こえることに気づきます。
 ブルックナーの演奏では抑揚感というか、ダンスのステップを踏むような軽快さが心地よく気持ちを盛り上げてくれるスケルツオも楽しみの一つです。5番の第3楽章のモルト・ヴィヴァーチェは早いテンポのなか、畳み込むようなリズム感にあふれ、かつ特有の明るい和声が身上ですが、ここでクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルはなんとも見事な名人芸を披露してくれます。
 第4楽章はシャルクの手が大幅に入り、原典版に比して100小節以上のカットがあるといわれますが、峨々とした峡谷をいく流量の多い大河の流れにも似たクナッパーツブッシュの運行では、そうした割愛の不自然さをあまり意識させません。あるいは、自分がこの演奏に慣れすぎているせいかも知れませんが、これはこれで納得し良いと思ってしまいます。
そこも大家の腕かも知れません。聴き終わって実に充足感が味わえる1枚です。 

テンシュテット ドヴォルザーク第9番


「新世界」をかけるのはとても久しぶりの気がする。テンシュテットを聴きたくてなににするか暫し考え、手が伸びたのがこのCDだった。1984年3月14~15日ベルリンでの録音である。カラヤンが帝王としてベルリンに最も君臨していた時代にもかかわらず、テンシュテットは同時期に比較的多くの録音をベルリン・フィルと残している。ライヴェルの存在には人一倍厳しかったと言われるカラヤンがなぜそれを許容したのか、という疑問は残るが、東独出身でおそらくは自分とは全く違うタイプの演奏家であり、覇を競う相手とは考えていなかったのかも知れない。

 たしかにカラヤン/ベルリン・フィルとは少しく趣きのことなった「新世界」である。ベルリン・フィルはとても伸び伸びと演じているように聞こえる。テンシュテットらしくオケの自由度の幅をとり、全体に鷹揚とした構えながら、要所要所では鋭角的なリズミックさを強調しつつメロディの丹念な彫刻はキチンと行っていく。木訥とした泥臭さをどこか遠くに感じさせながら、ベルリン・フィルのアンサンブルは申し分ない。弦と木管が前面にでて、全体にしなやかな感じをだしている。聴いて飽きのこない佳演だと思う。

ジュリーニ ブルックナー第7番

















 ジュリーニのブルックナーは、テンポが遅い部分では少し味付けが濃厚に感じることもありますが決して嫌いではありません。後期3曲はいずれも細心の注意力をもって音楽を組み立てており、しかも高い集中力が持続する点で稀有な演奏といえると思います。
 7番(1986年6月ウィーン〈デジタル録音〉)を取り出してきました。これほど見事な演奏が千円で聴けるというのは申し訳ないような、(一方、新譜であるだけで、内容は本盤に比べてはるかに劣るにもかかわらず価格は3倍もするようなCDがあることを思うと)少しく変な気もします。
 第2楽章の静寂さの表現がとても深く感じます。孤独な心情、歩み寄る死への道程ではあっても、この遅い遅い楽曲に込められているものは、この世への絶望でもなければ、死への戦慄でもない。透明な空気のなかにほの明るく陽光がさしているような感じ。朝日ではなく黄昏の残映にせよ、それはあくまでも肯定的なものであることを確信させる・・・。ジュリーニの演奏からはそうした人生のもつ重みが伝わってきます。

クナッパーツブッシュ ブルックナー第8番



 
 
 
 
 
 
 表記はウイーン・フィル(1961年録音)とのジャケットですが、今日聴いているのは1951年1月7~8日にかけて録音されたベルリン・フィルとの演奏(1892年改訂版)です。ジャケットはひび割れCD自体もかなり痛んできてそろそろ買い換え時期にある1枚です。1963年のミュンヘン・フィルとのライヴ演奏があまりにも有名で、かつ録音時点も本盤は古いことから一般にはあまり注目されませんが、これも素晴らしい演奏です。
 クナッパーツブッシュの魅力は、うまく表現できませんが、独特の「節まわし」とでもいうべきところにあるのではないかと感じます。特に変調するときのリズムの刻み方などに彼特有のアクセントがあるような気がします。それがいまはあまり演奏されない「改訂版」の採択と相まって、通常の演奏とかなり異なった印象を醸す要因となっていると思います。
 ベルリン・フィルの演奏は今日の精密機械にも例えられる機能主義的ではなく、もっとプロ・ドイツ的な古式の響きを感じさせますが、しっかりと8番の「重さ」を受け止めて質感あるブルックナー像を浮かび上がらせています。