金曜日, 2月 29, 2008

ブルックナー 9番 (ヨッフム、ジュリーニ、シューリヒト)

① ヨッフム/ベルリン・フィル   1964年 (23:11,9:43,27:39)
② ジュリーニ/ウイーン・フィル 1988年  (28:02,10:39,29:30)
③ シューリヒト/ウイーン・フィル 1961年 (25:30,10:25,20:15)
 
 上記3枚の9番を聞き比べている。②はとにかく遅く、フレーズをこれでもかと引っ張る演奏、③は同じウイーン・フィルを振りながら第3楽章などは実に恬淡、スッキリと運行しており時間も短い。①はさまざまなオーケストラとの演奏があり、2回目の全曲録音のドレスデン盤を普段は聴いているが、ベルリン・フィルとの旧盤も解釈に基本的な違いはない。しかしベルリン・フィルの個々のプレイヤーの音はクリアでとにかく巧い。時折、その名技に参ったなあ!と感心する。カラヤン君臨時代のベルリン・フィルはカラヤン以外の録音のときはここぞと存分に技を披露している場合があるのではないか。だが、時に巧すぎて、私だけだろうか、<音楽>ではなく<音>に注意がいってしまうという贅沢な悩みもある。
 今日の気分ではシューリヒトがいい。同じウイーン・フィルで聞き比べると②は濃厚すぎて、少しく「けれん味」を感じてしまう。それにブルックナーなら、いくら遅くしてもよいということはないはずだ。第3楽章はいささかテンポが重すぎて疲れる。カラヤン、ジュリーニに共通するが完璧な音の再現のためにテンポを犠牲にしているような部分がないだろうか。それに対して、③は音楽の流れが自然であり、凝縮感も十分である。①もこの点は同様で心が「たゆとうて」くつろいで聴ける。②、③に共通してウイーン・フィルの柔らかな音色は喩えようがなく美しい。この9番に本当にあっている。多くのブルックナー指揮者がこの曲ではウイーン・フィルと共演したい気持ちがわかる気がする。

月曜日, 2月 11, 2008

チェリビダッケ ブルックナー5番、8番

 1960-80年代のチェリビダッケの放送録音を集めた「チェリビダッケの遺産」シリーズを聴く。以下はHMVの解説の抜粋から・・・
 「晩年のミュンヘン時代とはひと味違った、躍動感と生命力あふれるチェリ壮年期のブルックナー演奏の魅力を堪能させてくれます。・・・シュトゥットガルト放送交響楽団とのライヴ。チェリビダッケがミュンヘンに赴く以前に首席客演指揮者を務め、その名を国際的なものとした同オケとのシュトゥットガルト時代(1971-79年)に収録されたこの録音は、チェリビダッケという他に類のないユニークな個性の変遷をたどるうえでも重要なものといえるでしょう。・・・すべて放送局所蔵の音源からCD化された、良好なステレオ録音」。


・ブルックナー:交響曲第3番ニ短調 録音:1980年11月24日 シュトゥットガルト、リーダーハレ[ステレオ]
・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』 録音:1969年9月24日 ベルリン、フィルハーモニー[ステレオ]

・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調 録音:1981年11月25,26日 シュトゥットガルト、リーダーハレ[ステレオ]

・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 録音:1971年6月8日 シュトゥットガルト、リーダーハレ[ステレオ]

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 録音:1976年11月23日 シュトゥットガルト、リーダーハレ[ステレオ]

・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 録音:1974年4月5日 シュトゥットガルト、リーダーハレ[ステレオ]
・モーツァルト:交響曲第35番ニ長調 K.385『ハフナー』 録音:1976年6月24日 シュトゥットガルト、リーダーハレ[ステレオ]
・シューベルト:交響曲第5番変ロ長調 D.485 録音:1979年10月31日 シュトゥットガルト、リーダーハレ[ステレオ]

シュトゥットガルト放送交響楽団 スウェーデン放送交響楽団[ブルックナー第4番]
セルジウ・チェリビダッケ(指揮)

 太字の2曲を続けて聴く。ここには、例えば、カラヤンの晩年の演奏では物足りなかった「強きエモーション」がふんだんに満ち溢れている。時に破裂し、時に失速しそうなスリリングな音楽。でもこのギリギリとした「攻め方」はなんとも凄い。音は割れ、アンサンブルも戸惑い乱れる瞬間もあるが、おかまいなしのパッショネイトな感情がどくどくと底流に疼く。

 遅い点ではカラヤン同様だが、「拘り」の方法論が全く違う気がする。こよなく美しく全音が細密画のように再現されるカラヤンに対して、逆に「美しく奏でることに固執するな、むしろ音符一音一音に全力で最大の熱量を込めよ」と言っているような演奏。
 そこに(ライヴで居合わせて)嵌ったら、金縛りで多分抜け出せないような演奏。聴衆の好悪などははじめから決然と無視した独自の音響世界の展開。チェリビダッケの強烈な個性に久しぶりに接した気がした。