土曜日, 8月 31, 2013

トスカニーニ 織工 中間棚卸し

Arturo Toscanini Conducts Various Composer

http://www.amazon.co.jp/Arturo-Toscanini-Conducts-Various-Composer/dp/B000PTYRZU/ref=sr_1_5?ie=UTF8&qid=1377972710&sr=8-5&keywords=toscanini


 まずは 2006122日につくったリストマニアから。もう7年近く前になります。

この間、オペラよりもコンサートものを中心に意識はしなくとも、結果的には周期的にチェックしています。
 
<トスカニーニの名盤>
 

 

 

 

 

 
http://www.amazon.co.jp/Maestro-Furioso-Volume-Ilyich-Tchaikovsky/dp/B000057XXY/ref=sr_1_2?s=music&ie=UTF8&qid=1377929623&sr=1-2&keywords=toscanini+maestro+furioso

 < Maestro Furioso Volume 2>

 
2007317日に古い演奏のボックス・セットを中古で入手。これはいまもよく聴きます。
 
 
 
 
一番、手にとる機会が多いのはやはりベートーヴェン(19491953年録音)です。

最近は一気呵成に収録された、いわゆる「旧盤」(1938年)も気に入っています。
 
 
Complete Symphonies & Selected Overtures
 
Icon
 
格安ボックス・セットも目白押しの状況です。以下では各曲の感想を書いています。
 
ヴェルディ:レクイエム&テ・デウム(トスカニーニ指揮1940年ライヴ)
 
Tchaikovsky: Symphony No. 6 in B Minor, Op. 74 "Path tique" & Romeo and Juliet
 
Franck & Elgar: Arturo Toscanini, Vol. 1
 
トスカニーニ―大指揮者の生涯とその時代 (叢書・20世紀の芸術と文学) (叢書:20世紀の芸術と文学)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 名盤5点

Tchaikovsky;Symphony No. 6

1947217日の録音。若干の雑音はあるが、全体に音はきれいに録れており、演奏の充実ぶりを十分に追体験することができると思う。 

第2楽章など落ち着いた哀歓はあるが、一貫して「規律」をしっかりと保持したよく整った演奏。ダイナミズムを強調する部分では、激しく厳しくビシッと決める。凄まじいばかりの迫力である。 

この演奏を聴いていてジュリーニ盤を思い出した。朗々たるカンタービレの魅力を期待して聴くと、ものの見事に「剛の者」の気迫で打っちゃられる。ジュリーニはトスカニーニの「悲愴」をよく研究していたのではないかとの感想をもった。
柔なセンチメンタリズムを微塵も感じさせない軽快、かつ高純度の名演である。録音の悪さを勘案しても★5つに十分値する。なお、トスカニーニの他の演奏では後年のステレオ収録盤もある。

  198111月にロスアンジェルス・フィルを振ってのチャイコフスキーの6番。聴く前には「悲愴」ゆえに、ジュリーニ得意の濃厚なカンタービレがどう響くのかなといった関心だった。

余談だが、高校生のときに、カラヤン/ベルリン・フィルの豪華なチャイコフスキー選集がでて、小遣いをためて購入した。これこそ「悲愴」はその言葉どおりに嫋々と切なく鳴っていると感じ入った。 

 しかし、ジュリーニのこの演奏はそれとは全く異なる。第一楽章冒頭の暗い出だしは幾分パセティックな予感を感じさせるけれど、それ以降はあらゆるメロディとリズムを「明瞭」かつ「流麗」に再現することを最大の目標にしているように、実にクリアーな音響が充ち満ちている。曖昧さも余分な感傷もないような演奏である。第三楽章のアレグロ・モルト・ヴィヴァーチェなどは小気味よき切れ味で、むしろ気分がスッキリするくらい。第四楽章もメロディは見事に美しく響くが、テンポは軽妙な裁きで、けっして過度に感傷的にはならない。

  生前作曲家は、「標題は『なぞ』として残されるべきだ。各自の推測にまかせる・・」と言ったそうだが、ジュリーニの演奏を聴くとチャイコフスキーの最後のシンフォニーの終楽章を格調たかく奏でることに全霊を傾けているように感じる。しかしそれが「悲愴」的かどうかはリスナーの感じ方次第とでも言わんばかりである。これはこれで良き演奏である。

➡ https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1FJ8ZY226F82P/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B000AA7DMS

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」/バレエ組曲「くるみ割り人形」


 カラヤン/ベルリン・フィルの「悲愴」の初録音は1939年である。ときに31才、将来の大器の姿がそこにある。本盤はその25年後カラヤン最盛期の代表的な名盤。「悲愴」最後の録音はさらに約四半世紀後の1988年なので、本盤はまさにその中間点に位置する。

 「悲愴」の優れた演奏は多い。ムラヴィンスキーの比類なき世界もあれば、ジュリー二や最近のゲルギエフなどの個性的な成果もある。しかし、このカラヤン壮年期のすぐれて機能主義的でありながら上質な情感表現の見事なブレンド力は他にかえがたい大きな魅力。
 「くるみ割り人形」もカラヤン手中の演目。小生はウィーン・フィル盤が好みだが、本演奏も実に秀でたもの。

【収録情報】
 ◆交響曲第6番ロ短調 Op.74『悲愴』(19642月録音)
 ◆バレエ組曲『くるみ割り人形』 Op.71a19661012月録音)
 録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会、ステレオ(セッション)


➡ https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RXFTDUQ2YJ3CD/ref=cm_cr_arp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B0073Y12YY

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」、幻想序曲「ロメオとジュリエット」

 ゲルギエフの音楽は、どの曲をとっても「明解」な解釈と「明確」な音づくりのアプローチがあるように思う。
 まず、明確な音づくりに関してはこの6番(マリインスキー劇場管弦楽団)がその典型。弱音部は情感をもってゆっくりと奏で、強音部は速度を増してメカニックに疾走する。全体にリズミックで切れ味がよいが、前者ではフレージングをやや長めにとり、後者ではザックリと短く鋭く刻む。
 そのコントラストにははじめは驚くが、一般に凡長に繰り返されると逆に興ざめとなる場合もある。しかし、彼の演奏でそれがマンネリ化せず鼻につかないのは、手兵たるこのオーケストラの各パートの使い方が絶妙だからだ。
 
 
 全体として低弦のぶ厚い音響(実に心地よい響きだ)を強調しつつ金管(音がクリアで巧い)が効果的にこれに被さる。その場合、意外にも金管をやたらと大きく前面に出すのではなく、よく切れるカッターのように亀裂的に用いる。弦楽器と木管楽器のハーモニーも文句なく美しい。そこが真骨頂といえるだろう。

 顔が<濃厚>系(失礼!)なので、音楽もそうかと言うと、実は別の感想を抱く。明解な頭脳的解釈とでも言うべきか、全体構成がくっきりとしており、リスナーの期待を裏切らない。シャイーなどに共通する感度の良さが身上。そのうえで、音のテクスチャーがよくわかり、局面局面での語りかけてくる音楽のボキャブラリーが豊か。だからリスナーに安心感をあたえ、かつ飽きさせない。
 はっきり言えば、原曲が多少退屈で、中だるみがあったとしても、それをカヴァーするようなテクニックをもっている(ロシア管弦楽集などで遺憾なく発揮)。カラヤンがそうであったように。
 チャイコフスキーの6番は、彼が自信をもって高く評価しこよなく好きなのだろう。その相乗効果ゆえか、こんなに良い曲だったのかと久しぶりに聴いて心動いた。6番ではジュリーニ以来の驚きである。

➡ https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R7NLSZPYB16KW/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B00TG0BTW8

チャイコフスキー:交響曲第4-6番

 ムラヴィンスキーは旧ソビエト連邦時代、全ソビエト指揮者コンクールで優勝、直ちに当時同国最高のレニングラード・フィル(現在のサンクトペテルブルク)の常任となる。1938年、時に35才の俊英であった。

 本盤所収の録音は、4番(196091415日、ロンドン、ウェンブリー・タウンホール)、5番(同年1179日、ウィーン、ムジークフェラインザール)、6番(同年11910日、5番と同じ)であり、この「幻の」指揮者とオケの実質、西欧デビュー盤である。

 これぞチャイコフスキー本国の正統的な解釈の演奏というのが当時のふれこみであったろうが、実際は、そんな生易しいものではなく、冷戦時代の旧ソ連邦の実力を強烈に印象づける最高度の名演である。

 日本にはEXPO’70で来演したが、残念ながらこの時はヤンソンスの代演となった。しかし、それですら、レニングラード・フィルの衝撃には言葉を失った鮮烈な記憶がある。オケのメンバーはステージ上、誰も無駄話などしない。皆がソリストのような緊張感にあふれ、彼らの合奏は、よく訓練された軍隊の一糸乱れぬ閲兵式を彷彿とさせるものであった。

 十八番の名演といった表面的なことでなく、この時代、このメンバーでしかなしえない、極度の緊張感と強力な合奏力を背景とした、比類なきチャイコフスキー演奏といってよいだろう。4、5、6番ともに通底する一貫した解釈と各番の性格の違いの明確な浮き彫りにこそ、本盤の特色がある。

録音は半世紀前であり、いまのレヴェルでは物足りないだろうが、それを上回る往時の覇気がある。歴史的名盤である。

➡ https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R19SFNARBB50TW/ref=cm_cr_othr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B002GKRTC4


まだまだいろいろありますが・・・

チャイコフスキー : ピアノ協奏曲 第1番 | 交響曲 第6番 「悲愴」 (Piotr Ilyich Tchaikovsky : Piano Concerto no.1 | Symphony 'Pathetique'/Svjatoslav Richter, Evgeni Mravinsky) [SACD Hybrid] [輸入盤]
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1OM5XVOUDA0XD/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B009CATTAQ
 

<第6番「悲愴」について>


地の底から不気味に響くような低弦とともに第1楽章は開始される。徐々にメロディが重なり合って音楽の構造が明らかにされるが、そこには奥深いメランコリーをたたえている。いかにも「悲愴」らしいムラヴィンスキーの解釈である。音楽のあらゆるディテールを明確に伝えようとするレニングラード・フィルの集中力は凄まじい。そして、荒れ狂うような強奏でも一切の乱れはない。


この演奏を聴いた当時の冷戦下の「西側」の音楽関係者は蓋し、たじろいだことだろう。ムラヴィンスキーという大将軍に統率された軍隊、否、大指揮者とそのオーケストラの質量に圧倒されたはずである。第2楽章は全弦楽器の融合された分厚いハーモニーがうねり、これに木管・金管楽器が深い表情づけを行っていく。第3楽章は、実に躍動的で生の喜びを思い切り謳歌しているような表現ぶり。劇的でキリリと締まったオーケストラサウンドに弛みはない。この楽章の畳み込むような迫力だけでも、他盤を圧する屹立感がある。そして終楽章。哀感の主旋律がゆっくりと回帰し、第3楽章との明暗のコントラストが強い。濃厚で複雑な感情表出には、「諦観」と不条理への「怒り」がないまぜになっているようにも感じる。そして最後は、そうしたすべてが、ふたたび静かに地底に吸い込まれていくようだ。
ムラヴィンスキーは指揮者になる前の若き日、マリンスキー劇団の舞台で端役をやっていた。また、35歳のレニングラード制覇のまえは、キーロフ歌劇場で6年間オペラ指揮者として豊富な修行もしている。劇的な展開力、表現の深さの源泉はこうした彼のキャリアも反映されているのかも知れないと思った。 

チャイコフスキー:交響曲第6番
 

 
チャイコフスキー:交響曲第6番
 
 
チャイコフスキー:交響曲第6番
 
ブラームス : ハイドンの主題による変奏曲 | チャイコフスキー : 交響曲 第6番 「悲愴」 op.74 (L'Art de Charles MUNCH / Brahms , Tchaikovski (Live)) [輸入盤]

 
 
チャイコフスキー:交響曲第6番

日曜日, 8月 25, 2013

いいですよ、コリン・デイヴィス (2) モーツァルト

モーツァルト:交響曲第39&第40番


以下は40番について。196111月の録音。デイヴィスの34才の青年期の収録だが、自然体で素直な解釈でよどみなく、大らかに歌い上げている。デイヴィスはモーツァルトを得意としており、ロンドン響のほかにも、イギリス室内管弦楽団、BBC響、シュターツカペレ・ドレスデンなどとの録音もあるが、 いずれもフレーズがながくつづき音楽がとても流麗に響く。 

オーケストラは伸び伸びとたくまずに奏し、指揮者の強圧的な緊張を少しも感じさせないが、その一方、ながいフレーズには適度の起伏とみずみずしさが充溢している。40番は明るさのなかにほのかな悲しみがブレンドされているような風情がポイントだが、この時期、デイヴィスは若手とは思えない落ち着いた演奏スタイルでこれを表現している。けれんみなき佳演である。 

デイヴィスの演奏は、指揮者の個性がですぎないところが特徴ともいえる。良い演奏でモーツァルトの音楽の素晴らしさをストレートに教えてくれるが、では「誰の演奏」だと思うとクイズで問われても、なかなか当たらないだろう。そこがいかにもデイヴィスらしさなのだが、没個性とも器用貧乏とも言われそうな要素でもある。でも、こうしたプロ技能者的一面、実は日本人好みではないかな、とも思う。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC39-%E7%AC%AC40%E7%95%AA-%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9-%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3/dp/B000084TI3/ref=cm_cr-mr-title

金曜日, 8月 16, 2013

サー・コリン・デイヴィス マーラー「大地の歌」

マーラー:大地の歌

  大地の歌には、ワルターの数種の規準盤的な名演(193819521960)がある。その後、「互角の秀演」と世間を驚かせたのがクレンペラー(1966)だが、デイヴィスのデビューは1959年、そのクレンペラーの代役を務めたことが切っ掛けであった。
 こよなく美しい叙情性を湛えたワルター、剛の者の野太さが背後にあるクレンペラーに対して、1981年録音のデイヴィス盤は、双方の良さを併せ持つような出来ばえである。

 各楽章別の演奏時間比較は以下のとおり。デイヴィス盤ではテノール・パートは早く、アルト・パートはじっくりと遅めの運行であることがわかる。特に、2楽章「秋に寂しき者」、第6楽章「告別」の演奏時間は、クレンペラー盤にくらべて約5分半、ワルター盤にくらべて約6分半以上も長い。

   ワルター
 1952

   クレンペラー
 1966

   デイヴィス
 1981

    8:48
  9:22
  3:04
  6:49
  4:26
 28:26
     8:07
  10:10
   3:43
   7:47 
   4:43 
  29:32
     7:34
  11:11
   2:42 
   7:42
   4:34
  34:58

 デイヴィスの「大地の歌」では、実にすっきりとした、清清しいマーラー像を描いている。ジェシー・ノーマン、ジョン・ヴィッカーズともに抜群の詠唱。特にノーマンは伸びやかに歌っており、こんなに自然体のマーラーに出会うのは稀有である。デイヴィスは、ここを強調しており、それが演奏時間にも反映されている。
   デイヴィスは、「大地の歌」のほかマーラーの交響曲では1,4,8番などの録音を残している。
 なぜこうした番数の取り上げなのか。歌心かなと思う。コリン・デイヴィスは合唱曲を得意としており、かつベルリオーズの泰斗である。その類推から、マーラーでもソリストを厳選して録音に臨んだかも知れない。とすると、かつてマーラーを重点的に取り上げていた時期、2番、3番などもデイヴィスの録音計画にあったのかななどと勝手に考えてみる。

 
マーラー:
交響曲第2番ハ短調「復活」- 独唱(ソプラノ、コントラルト)、合唱付
交響曲第3番ニ短調 - 独唱(コントラルト)、合唱、少年合唱付
(デイヴィス:マーラーの作品)

・マーラー:交響曲第4番ト長調

 1 I. Bedachtig, nicht eilen 15:54
 2 II. In gemachlicher Bewegung, Ohne Hast 10:44
 3 III. Ruhevoll 23:58
 4 IV. Sehr behaglich, Wir geniesen die himmlischen Freuden (aus Des Knaben Wunderhorn) 9:44

  アンジェラ・マリア・ブラージ(ソプラノ:4
 エレツ・オファー(ソロ・ヴァイオリン:2

 バイエルン放送交響楽団

 Recording: 13-14 October 1993, Herkulessaal des Residenz, Munchen P. 1996 BMG Music
 http://www.amazon.co.jp/Symphony-4-Mahler/dp/B000003FOH/ref=sr_1_sc_1?s=music&ie=UTF8&qid=1376667279&sr=1-1-spell&keywords=davis+mahlar

・マーラー:交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』

Part I. Hymn Veni, creator spiritus

 1 Veni, creator spiritus 1:25
 2 Imple superna gratia 3:08
 3 Infirma nostri corporis 2:29
 4 Tempo I. (Allegro, etwas hastig) 1:14
 5 Infirma nostri corporis 2:55
 6 Accende lumen sensibus 5:03
 7 Veni, creator spiritus 3:10
 8 Gloria sit Patri Domino 3:20

Part II Final scene from Goethe's Faust

 1 Poco Adagio 6:53
 2 Piu mosso (Allegro moderato) 3:33
 3 Waldung, sie schwankt heran 5:07
 4 Ewiger Wonnebrand 1:24
 5 Wie Felsenabgrund mir zu Fusen 4:22
 6 Gerettet ist das edle Glied 1:09
 7 Jene Rosen aus den Handen 1:53
 8 Uns bleibt ein Erdenrest 2:06
 9 Ich spur' soeben 1:26
 10 Hochste Herrscherin der Welt!! 4:51
 11 Dir, der Unberuhrbaren 4:36
 12 Bei Der Liebe, die den Fusen 5:32
 13 Neige, Du Ohnegleiche 0:49
 14 Er uberwachst uns schon 3:20
 15 Komm! Hebe dich zu hohern Spharen 7:29
 16 Alles Vergangliche ist nur ein Gleichnis 6:00

 アレッサンドラ・マーク(ソプラノ)/Magna Peccatrix
 シャロン・スウィート(ソプラノ)/Una poenitentium
 エリーザベト・ノルベルイ=シュルツ
(ソプラノ)/Mater gloriosa
 ヴェッセリーナ・カサロヴァ
(アルト)/Murier Samaritana
 リャン・ニン(アルト)/Maria Aegyptiaca
 ベン・ヘプナー(テノール)/Doctor Marianus
 セルゲイ・レイフェルクス
(バリトン)/Pater ecstaticus
 ルネ・パーペ(バス)/Pater profundus

 バイエルン放送合唱団
 ベルリン放送合唱団
 シュトゥットガルト南ドイツ放送合唱団
 テルツ少年合唱団

 バイエルン放送交響楽団

 Recording: Live at the two public concerts, 7 & 8 July 1996, Philharmonie im Gasteig, Munchen P. 1997 BMG Music
http://www.amazon.co.jp/Mahler-Symphony-No-8/dp/B000003FZK/ref=sr_1_sc_3?s=music&ie=UTF8&qid=1376667279&sr=1-3-spell&keywords=davis+mahlar

・マーラー:大地の歌

 1 Das Trinklied vom Jammer der Erde 7:34
 2 Der Einsame im Herbst 11:11
 3 Von der Jugend 2:42
 4 Von der Schonheit 7:42
 5 Der Trunkene im Fruhling 4:34
 6 Der Abschied 34:58

 ジェシー・ノーマン(ソプラノ)
 ジョン・ヴィッカーズ(テノール)

 ロンドン交響楽団

 Recording: March 1981, London
 P. 1982 Philips Classics Productions
http://www.amazon.co.jp/Mahler-Das-Lied-Von-Erde/dp/B0000040W8/ref=sr_1_sc_2?s=music&ie=UTF8&qid=1376667279&sr=1-2-spell&keywords=davis+mahlar

内容(「CDジャーナル」データベースより)

ノーマン、ヴィッカースという当代第一流の歌手を揃えて臨んだ「大地の歌」。バイエルン放響とのマーラーほどロマンティックではなく、抑制された美しさに覆われていて、耽美性は廃し、格調を保っている。