日曜日, 6月 19, 2011

テンシュテット2



上記は全集ですが、以下はマーラーの第6番について以前、書いたものです。 

マーラー 交響曲第6番

199111月、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのデジタル録音。6番について、マーラーは5番までの作品を聴いた理解者しか、その特質はわからないだろうと語ったとのことだが、3楽章まではそれ以前の作品との連続性も強いと感じるながら、第4楽章に入ると、古典的なソナタ形式に対するアンチテーゼの思いが横溢しているようだ。「形式」が崩れゆく有り様は、強い芳香を発する熟れすぎた果物のような感をもつ。ハンマーが破壊の象徴であれば、なおのことその感を倍加する。 

テンシュテットの特質である豊饒な音楽の拡散感がこの4楽章に実にマッチしている。しかし、それが「だれない」のは、音楽へののめり込み、集中力が少しも途切れないからだろう。交響曲という名称が付されながら、その実、「交響」の意味は複雑で多義的で、それは、かっての積木をキチッと組み上げていくような律儀な「形式美」ではなく、雪崩をうって積雪を吹き飛ばすような「崩壊美」に通じるように思う。第3楽章の美しいメロディに浸ったあと、音の雪崩が突然と起こり、それに慄然とする恐懼がここにある。 

テンシュテットには、そうした効果を狙ってタクトをとっているような「作為」がない。テクストを忠実に再現していく過程で、崩壊美は「自然」に現れると確信しているような運行である。こうした盤にはめったにお目にかかれない。稀代の演奏と言うべきだろう。 


マーラーのディスコグラフィーです。

 

最近、マーラーの1番を除く以下の選集がでました。以下は概要です。

テンシュテットの魅力は、 自由度の高さを感じさせる曲づくりのなか、流列のはっきりした音楽が豊かに奏でられる一方、それが時に大きく奔流する爽快感です。この「感じ」は20世紀初頭の巨匠時代を彷彿とさせる一方で、彼の演奏にはお仕着せがましさといったものが全くありません。虚心で素直に聴け、しかも聴衆に対して大きな包容力があります。旧東独出身、テンシュテットの特質は本選集でのいわゆる「ドイツ正統派」演目で如何なく発揮されていると思います。まずは、テンシュテットの歩んできた音楽航路を確認して興味が湧いたら、是非どうぞ!下記CDは既にすべて所有していますが、このプライスでまとめて入手できるなら文句なし、推奨します。 

<収録内容>

CD1:ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、1991926日、103日(ライヴ)、『プロメテウスの創造物』、序曲『コリオラン』、『エグモント』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル  

CD2:ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、第8番、1985915,16,19日、1986327日、『フィデリオ』序曲、1984511-12日、ロンドン・フィル

CD3:ブラームス:交響曲第1番、1983921,22日、ドイツ・レクィエム 第1曲、第2曲、ロンドン・フィル

CD4:ブラームス:ドイツ・レクィエム 第3曲~終曲、1984819,20,23-25日、運命の歌、198552日、ロンドン・フィル

CD5:ブルックナー:交響曲第4番『ロマンティック』(ハース、1881年版、19811213,15,16日)、ベルリン・フィル

CD6:ブルックナー:交響曲第8番(ノーヴァク、1890年版)、1982924-26日、ロンドン・フィル

CD7:マーラー:交響曲第1番『巨人』、シカゴ交響楽団、1990531-64

CD8:シューマン:交響曲第3番『ライン』、19781017-18日、交響曲第4番、ベルリン・フィル、1980418-20,22

CD9R.シュトラウス:『ツァラトゥストラはかく語りき』、19893月、『ドン・ファン』、19869月、『死と変容』、1982328,29日、ロンドン・フィル

CD10:ワーグナー:『ワルキューレ』~「ワルキューレの騎行」、「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」、『神々の黄昏』~「夜明けとジークフリートのラインの旅」、「ジークフリートの死と葬送行進曲」、『ラインの黄金』~「ワルハラへの神々の入場」、『ジークフリート』~「森のささやき」、1980106,8,9日、ベルリン・フィル

CD11:ワーグナー:『タンホイザー』序曲、『リエンツィ』序曲、『ローエングリン』第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、19821215日、1983416,17日、ベルリン・フィル

CD12:メンデルスゾーン:交響曲第4番『イタリア』、1980418-20,22日、シューベルト:交響曲第9番『グレート』、1983421-22日、ベルリン・フィル

CD13:ムソルグスキー:交響詩『禿山の一夜』(リムスキー=コルサコフ編)、1990510日、コダーイ:組曲『ハーリ・ヤーノシュ』、プロコフィエフ:組曲『キージェ中尉』、ロンドン・フィル、1983922,23,26

CD14:ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番、ロンドン・フィル、1984511-12日、シューマン:4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック 、ベルリン・フィル、19781017-18日、ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』、ベルリン・フィル、1984314,15

以下はブルックナーの第4番について以前書いたものです

クラウス・テンシュテットは東独の指揮者(1926年メルセベルク生まれ)だったので、早くから頭角はあらわしつつも冷戦下「西側」へのデビューが遅れました。しかし、豊穣なボリューム感をもった音楽性には独自の良さがあります。ブルックナーは得意の演目です。 

当初は、フルトヴェングラー、クレンペラーに続く古式ゆかしい指揮者と思っていましたが、聴き込むうちになんとも素晴らしい音づくりは彼独自のものと感じるようになりました。音の流れ方が自然で、解釈に押しつけがましさや「けれんみ」が全くありません。その一方で時に、柔らかく、なんとも豊かな音の奔流が聴衆を大きく包み込みます。そのカタルシスには形容しがたい魅力があります。ブルックナーの4番は、こうしたサウンドイメージにぴったりですし、ベルリンフィルとの相性も良いと思います。数多の名演のある4番ですが、小生は最も好きな演奏の一つです。 

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