土曜日, 12月 15, 2018

第九(ベートーヴェン:交響曲第9番)の名演 5点

なぜか年末は第九の風潮には、正直ちょっと距離をおいてきた。クリスマスには教徒は、自然とバッハ、ヘンデル、ハイドンなどに親しむが、一般に日本人には馴染みは乏しいだろう。対して、「第九」は世俗曲なので、宗教色がない。そこが日本人には良いのかも知れない。
でも、世情厳しき年末に、いつも「歓喜の歌」というわけにはいかない気もする。まあ、そんな臍曲がりなことを言っていては嫌われるだろうから、ここは普段、聴いている5点を挙げてみた。あいかわらず古いものが多く恐縮ながら、ご参考まで。

ベートーヴェン:交響曲第9番
Beethoven: Symphony No.9

カルロス・クライバーの父エーリッヒ・クライバーによる1952年の録音。フルトヴェングラーの有名なバイロイト・ライヴとほぼ同時期のセッション録音盤。父クライバーはウィーンで愛され、ベートーヴェンを得意としていた。

第9について当時、皆がフルトヴェングラー流の眦(まなじり)をけっするような演奏を押しいただいていたわけではない。「歓喜の歌」をもつ交響曲である以上、その受容スタイルもさまざまである。クライバーの演奏は明るい基調で鷹揚に構えつつ、過度な熱情をぶつけることなく、しかし入念に、慎重にこの大曲の素晴らしさを再現せんとしている。フルトヴェングラーなどとの比較では地味な印象はぬぐえないが、その実、手堅さと音楽的な気高さが同居しており、聴きすすむうちに引き込まれていく。中間2楽章の充実ぶり(第2楽章のあふれる生命感、第3楽章のウィーン・フィルの馥郁たる美しき響き)にとくに刮目。これも得難き名演のひとつと感じた。

<収録情報>
・交響曲第9番『合唱』

 ヒルデ・ギューデン(S)
 ジークリンデ・ワーグナー(A)
 アントン・デルモータ(T)
 ルートヴィヒ・ウェーバー(Bs)
 ウィーン楽友協会合唱団
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 録音時期:1952年6月
 録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
 録音方式:モノラル(セッション)
→ The Great Conductors にて聴取

<参考>エーリッヒ・クライバーのその他のベートーヴェン交響曲音源
・第3番『英雄』コンセルトヘボウ(1950年5月)
・第3番『英雄』ウィーン・フィル(1953年4月)
・第5番『運命』コンセルトヘボウ(1953年9月)
・第6番『田園』コンセルトヘボウ(1953年9月)

ベートーヴェン : 交響曲 第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」 (Ludwig van Beethoven : Symphony No.9 ''Choral'' / NBC Symphony Orchestra | Arturo Toscanini)
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フルトヴェングラーのバイロイト盤と双璧をなす最高峰の演奏。演奏時間はフルトヴェングラー盤(約74分)より10分も短く、とにかく速くそして切れ味が鋭い。これよりも速い第9は大所ではミュンシュ(約61分)くらいではないか。

 音にさまざまな「想念」が付着し思索的で粘着度の強いフルトヴェングラー盤に対して、こちらは明燦でかつ「からり」と乾いた感じの音楽であり、純粋な音響美を彫刻していく印象である。しかし、その集中度、燃焼度は凄まじくリスナーは音の強靱無比な「構築力」に次第に圧倒されていく。そこからは「第9とはこういう曲だったのか」という新鮮な発見がある。どの音楽も最高に聴かせるトスカニーニ流とは、スコアから独自の音を紡ぎ出す専門的な技倆と言ってもいいかも知れない。なればこそ、高度な音楽技能者として、その後の指揮者に与えた影響は絶大だったのだろう。

 第4楽章を聴いていて、ベートーヴェンが管弦楽法の究極を追求するために、「楽器としての人声」を独唱と合唱をもって置いたのではないかという仮説をトスカニーニ盤ほど実感させてくれるものはないだろう。第3楽章までの完成されたポリフォニーでリスナーは十分に管弦楽曲の粋を聴き取り、それが第4楽章ではじめて肉声と融合しさらに一段の高みに到達する瞬間に遭遇する。しかもそれは宗教曲の纏のもとではなく世俗的な詩を語ることによって表現される。そうしたアプローチは、ドイツ精神主義とは対極のものかもしれない。しかし、そこには作曲家のひとつの明確な意図が伏在していると感ぜずにはおかない強い説得力がある。トスカニーニ盤は、その意味でも普遍性を意識させるし今日的な輝きをけっして喪っていないと思う。

ベートーヴェン:交響曲第9番
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快速、冷静、明燦な演奏(1961年4月15〜22日録音)。トスカニーニ(約64分)ほどではないがセル(約66分)も他の指揮者よりかなり演奏時間は短く快速感がある(特に第2楽章11:25はトスカニーニより約1分半も速い)。

音楽に無用な観念を付着させず純粋な音楽美を追求することに専心するセルのスタイルは「第9」でもまったくかわらない。ダイナミズムに過不足はないが、テンポを大きく動かさず、けっして弦と管(に加えて独唱と合唱)の均衡を崩さぬ冷静な解釈(第4楽章)。

音がなにより美しく磨きぬかれ、その妙なる響きには固有の魅力がある。しかもそれは陽だまりのような明燦さのなかにある(特に第3楽章)。本曲に熱きパッションの発露を求める向きには若干モノ足りなさがあるかも知れないが、セルのファンには完成度高き必携盤。

→  George Szell Conducts Beethoven Symphonies & Overtures (Sony Classical Masters) も参照


Karajan Conducts Beethoven's 9th
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 1947年11月〜12月、ウイーン・ムジークフェライン・ザールでのカラヤン30代の初録音の第9である。当時の新進気鋭、最高のメンバーを集めての意欲作で、SPで発売されたもの。録音は数回に分けて行われ慎重な処理もなされているが、聴いているとライヴ盤のような熱気に包まれている。

  古いモノラルながら、驚くほど各パートの音がクリアに拾われており、高音部は音が割れるのは仕方ないとしても、聴いていてそう痛痒は感じない。ウォルター・レッグという秀でた音楽ディレクターの才能ゆえか、また、カラヤンはその録音技法において、レッグから大きな影響を受けたことも 想像にかたくない。この時期のカラヤンは、戦後、連合軍からパージされていた時期であり、レッグに声をかけられて、第一線への復帰途上にあった。

  演奏は立派である。カラヤンのスタイリッシュさは、この時期でもその傾向はあるものの、後年の「完成」の域にはいまだ遠く、ウイーン・フィルも戦後の混乱期から脱しきってはいない。少し荒削りのところもあり、部分的には、指揮者とオケで折り合いをつけているようなところもある。
  しかし、その一方、モダンな疾走感は聴き手にとって心地よく、自然に次の展開に期待感をふくらませ、そして結果はそれをはるかに上回って進む。そこにこそ感動の規則的な連鎖がはじまる。しかもその背後には若きひたむきな「純粋さ」がある。
  絶妙に細かいリズムを刻みながら途切れさせない集中力、メローディアスな部分の濃厚な美しさ、低音部の深みある表現ーー既に後年のカラヤンらしさを感じさせるし、白熱の燃焼度も高い。生硬な感じもなくはないが、それ以上にその音楽の構成力には迸る才能が横溢している。

 →Maestro Vol. 1: Herbert von Karajanでも廉価にて購入可能 


ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
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CD添付の解説書の最後に、全演奏家のリストがのっている。志あるサイトウ・キネン・オーケストラの面々が2002年9月松本に結集し、同月、小澤征爾がウィーン国立歌劇場音楽監督に就任したお祝いをこめたライヴ盤。同メンバーが1993年から足掛け10年、行ってきたベートーヴェン・チクルスの掉尾を飾る演奏でもある。

聴きながら、「実力」を自ら誇りながら録音を残さないN響にたいして、このオーケストラはいつの間にか、「日本」を世界に発信するユニークな楽団になっていることに思いがいたった。最近もN響を聴いたが、経済だけでなく、ここにも日本の「失われた20年」を感じる。

さて、本演奏はけっして表面的な響きの美しさを追求するものではない。アンサンブルの完璧さを求めるアプローチとも異なり、むしろ伸び伸びとした大らかさこそ身上かも知れない。全体の中で第3楽章が特に出色。この情感の豊かさには素直に心が動く。地理的には日本の真ん中の地方都市で、日本人指揮者、多くが日本人の演奏家によるベートーヴェン。でもこの情感の豊かさと肌理こまやかさの魅力は世界にしかと届くだろうなと感じさせる。心で歌い全員が全員の音楽に耳を傾ける、その様子が手に取るようにわかる。終楽章も緊張感はあってもファナティックさとは無縁で、格調の高さこそ求められているように思う。合唱も天晴れである。


 

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