日曜日, 9月 15, 2019

テンシュテット 名盤 アップデート1



 テンシュテットの魅力は、 自由度の高さを感じさせる曲づくりのなか、流列のはっきりした音楽が豊かに奏でられる一方、それが時に大きく奔流する爽快感です。この「感じ」は20世紀初頭の巨匠時代を彷彿とさせる一方で、彼の演奏にはお仕着せがましさといったものが全くありません。虚心で素直に聴け、しかも聴衆に対して大きな包容力があります。旧東独出身、テンシュテットの特質は本選集でのいわゆる「ドイツ正統派」演目で如何なく発揮されていると思います。まずは、テンシュテットの歩んできた音楽航路を確認して興味が湧いたら、是非どうぞ!下記CDは既にすべて所有していますが、このプライスでまとめて入手できるなら文句なし、推奨します。

<収録内容>
CD1:ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、1991年9月26日、10月3日(ライヴ)、『プロメテウスの創造物』、序曲『コリオラン』、『エグモント』序曲、1984年5月11-12日、ロンドン・フィル
CD2:ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、第8番、1985年9月15,16,19日、1986年3月27日、『フィデリオ』序曲、1984年5月11-12日、ロンドン・フィル
CD3:ブラームス:交響曲第1番、1983年9月21,22日、ドイツ・レクィエム 第1曲、第2曲、ロンドン・フィル
CD4:ブラームス:ドイツ・レクィエム 第3曲〜終曲、1984年8月19,20,23-25日、運命の歌、1985年5月2日、ロンドン・フィル
CD5:ブルックナー:交響曲第4番『ロマンティック』(ハース、1881年版、1981年12月13,15,16日)、ベルリン・フィル
CD6:ブルックナー:交響曲第8番(ノーヴァク、1890年版)、1982年9月24-26日、ロンドン・フィル
CD7:マーラー:交響曲第1番『巨人』、シカゴ交響楽団、1990年5月31日-6月4日
CD8:シューマン:交響曲第3番『ライン』、1978年10月17-18日、交響曲第4番、ベルリン・フィル、1980年4月18-20,22日
CD9:R.シュトラウス:『ツァラトゥストラはかく語りき』、1989年3月、『ドン・ファン』、1986年9月、『死と変容』、1982年3月28,29日、ロンドン・フィル
CD10:ワーグナー:『ワルキューレ』〜「ワルキューレの騎行」、「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」、『神々の黄昏』〜「夜明けとジークフリートのラインの旅」、「ジークフリートの死と葬送行進曲」、『ラインの黄金』〜「ワルハラへの神々の入場」、『ジークフリート』〜「森のささやき」、1980年10月6,8,9日、ベルリン・フィル
CD11:ワーグナー:『タンホイザー』序曲、『リエンツィ』序曲、『ローエングリン』第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、1982年12月15日、1983年4月16,17日、ベルリン・フィル
CD12:メンデルスゾーン:交響曲第4番『イタリア』、1980年4月18-20,22日、シューベルト:交響曲第9番『グレート』、1983年4月21-22日、ベルリン・フィル
CD13:ムソルグスキー:交響詩『禿山の一夜』(リムスキー=コルサコフ編)、1990年5月10日、コダーイ:組曲『ハーリ・ヤーノシュ』、プロコフィエフ:組曲『キージェ中尉』、ロンドン・フィル、1983年9月22,23,26日
CD14:ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番、ロンドン・フィル、1984年5月11-12日、シューマン:4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック 、ベルリン・フィル、1978年10月17-18日、ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』、ベルリン・フィル、1984年3月14,15日


地味なジャケットのProfileレーベルのテンシュテット集。オーケストラに特色。セッション正規盤は、ロンドン・フィル、ベルリン・フィルが中心だが、ここでは、ドイツ南部のバイエルン放送響、中部のバーデン=バーデン・フライブルクSWR響(旧南西ドイツ放送響)、北部のNDRエルプフィルハーモニー管(旧北ドイツ放送響)など各々の地域に古くから根差した「プロ・ドイツの響き」で聴くことができる。旧東独出身のテンシュテットとの相性は悪くなく、いずれも火の玉のようなライヴ演奏は迫力に富む。

曲目は以下のとおり、ハイドンからプロコフィエフにおよぶが、テンシュテットの収録レパートリーは同時代指揮者との比較では、けっして広くはない。オペラの録音は少なく、やはりドイツ・オーストリー系がメインロードである。したがって、本集でもベートーヴェン、ブルックナー、そして得意のマーラーが主力である(➡で演奏評を記載)。

本集のユニークな魅力は、テンシュテット・ファンには贅言はいらないが、新たなリスナーには、まずは、スーパー廉価盤 Klaus Tennstedt: The Great EMI RecordingsMahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt を手に取られ、その後気に入ったら購入を検討されては如何かと思う。

<収録情報>
【ハイドン】
・交響曲第64番(1976年8月20日)S

【モーツァルト】
・交響曲第1番 K.16(1977年12月2日)B
・交響曲第32番 K.318(1977年7月14日)B
・協奏交響曲イ長調 K.Anh.104(320e) ※1
・レチタティーヴォとアリア『うつくしい恋人よ、さようなら…とどまれ、いとしき人よ』 K.528 ※2
・アリア『心配しないで愛する人よ』 K.505 ※3

※1:プロ・アルテ弦楽三重奏団、豊田耕児(ヴァイオリン)、ステーファノ・パッサージョ(ヴィオラ)、ゲオルク・ドンデラー(チェロ)
※2:ゲルティ・ツォイマー=ペール(ソプラノ)
※3:同上(ソプラノ)、ディーター・クレッカー(クラリネット)
※1~3:(1974年9月11日)ベルリン放送響(現ベルリン・ドイツ響)

【ベートーヴェン】
・交響曲第3番『英雄』、序曲『コリオラン』(1979年7月3-6日)N
➡ Beethoven: Symphony No 3

【ブルックナー】
・交響曲第3番(1976年11月4、5日)B
➡ Anton Bruckner: Symphony No. 3

【マーラー】
・交響曲第4番(1976年9月18日)エヴァ・チャポ(ソプラノ)S
➡ SYMPHONY NO.4/ 3 SONGS
・マーラー:交響曲第5番(1980年5月19日)N
➡ Mahler: Symphony No. 5
・『子供の不思議な角笛』より(浮き世の暮らし/ラインの伝説/この歌を作ったのはだれ?)(1980年8月23日)エヴァ・チャポ(ソプラノ)S
・マーラー:亡き子をしのぶ歌(全5曲)(1980年11月11日)ブリギッテ・ファスベンダー(メゾ・ソプラノ)N

【シベリウス】
・ヴァイオリン協奏曲 Op.47(1977年12月2日)ユーヴァル・ヤロン(ヴァイオリン)B

【プロコフィエフ】
・交響曲第5番(1977年12月1、2日)B
・交響曲第7番(1977年7月12日)B

(摘要)
B:バイエルン放送響
S:南西ドイツ放送響(現バーデン=バーデン・フライブルクSWR響)
N:北ドイツ放送響(NDRエルプフィルハーモニー管)


Mahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt
マーラーの交響曲全集は多い。これを世に問うのは、いまや力量ある指揮者の「証」といった感すらある。さらに、各番別には、指揮者もオケも鎬を削る主戦場でもあり百花繚乱の状況である。

 そのなかで全集としてどれを選ぶか。私はバーンスタインとテンシュテットを好む。各番別のベスト盤では種々の見解はあろうが、マーラーという世紀末に生き個人的にも深い懊悩をかかえた稀代の作曲家がなにを目指していたのかについて、明解に、かつ追体験的に迫るアプローチとしてこの2セットは共通する。

  テンシュテットは交響曲の「完成」と同時に「崩壊」の過程、双方をマーラーにみて、その均衡と相克を各番に通底して全力で表現せんとしているように感じる。異様な迫力の部分、ゆくりなくも奏でられる美弱音の表情ともに緊迫し奥深い。彼自身、重篤な病気を圧しての足掛け16年の軌跡・・・といったセンティメントよりも、むしろ執念ともいうべき一貫した表現力への挑戦の記録(16のCD全集、5〜7番はライヴ版も収録)に価値がある。傾聴すべき遺産と思う。

なお、テンシュテットのスタジオ録音は、1番(1977年)、5番、10番(1978年)、9番、3番(1979年)、7番(1980年)、2番(1981年)、4番(1982年)、6番(1983年)、『大地の歌』(1982年、84年)、8番(1986年)の順になされ、その後のライヴとして、5番(1988年)、6番(1991年)、7番(1993年)が本集に収録されている(詳細下記)。

【収録情報】(カッコ内録音時点)
・第1番『巨人』(1977年10月4,5日)
・第2番ハ短調『復活』(1981年5月14-16日) 
エディト・マティス(ソプラノ)、ドリス・ゾッフェル(メゾ・ソプラノ)
・第3番(1979年10月27,29-31日)
 オルトルン・ヴェンケル(コントラルト)、ロンドン・フィルハーモニー合唱団女性メンバー、サウスエンド少年合唱団
・第4番(1982年5月5-7日)
→ マーラー:交響曲第4番 
・第5番(1978年5月10-12日、6月8日、10月5-7日)
・同上(1988年12月13日)ライヴ
・第6番『悲劇的』(1983年4月28,29日、5月4,9日)
・同上(1991年11月4,7日)ライヴ
→ マーラー:交響曲第6番「悲劇的」
・第7番『夜の歌』(1980年10月20-22日)
・同上(1993年5月14,15日)ライヴ
・第8番『千人の交響曲』(1986年4月20-24日、1986年10月8-10日)
 エリザベス・コネル(ソプラノI:罪深き女)、イーディス・ウィーンズ(ソプラノII:贖罪の女のひとり)、フェリシティ・ロット(ソプラノIII:栄光の聖母)、トゥルーデリーゼ・シュミット(コントラルトI:サマリアの女)、ナディーヌ・ドゥニーズ(コントラルトII:エジプトのマリア)、リチャード・ヴァーサル(テナー:マリアを讃える博士)、ヨルマ・ヒュニネン(バリトン:法悦の神父)、ハンス・ゾーティン(バス:瞑想の神父)、 デイヴィッド・ヒル(オルガン)、ティフィン・スクール少年合唱団
・第9番(1979年5月11,12,14日)
 アグネス・バルツァ(コントラルト)、クラウス・ケーニヒ(テナー)
・第10番嬰ヘ短調 第1楽章「アダージョ」(1978年5月10-12日、6月8日、10月5-7日)
・『大地の歌』(1982年12月、1984年8月)
  

グスタフ・マーラー:交響曲集 クラウス・テンシュテット&ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団:ライヴレコーディン
テンシュテットのマーラーについては、すでに演奏の高質に対して、録音には難がある廉価な全集がある(セッション全曲録音のほか5番(1988年)、6番(1991年)、7番(1993年)のライヴも所収)。
→ Klaus Tennstedt Mahler: The Complete Symphonies

本集の売りは、「復活」:ヘザー・ハーパー(ソプラノ)、ドリス・ゾッフェル(メゾ・ソプラノ)、ロンドン・フィル(1981年5月10日ライヴ)の初出だろうが、ほぼ同時期のセッション録音:エディト・マティス(ソプラノ)、ドリス・ゾッフェル(メゾ・ソプラノ)、ロンドン・フィル(1981年5月14-16日)の名演がすでに知られ、本集所収の1989年のマーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」 のライヴ音源も著名。

因みにテンシュテットのマーラーのスタジオ録音は、1番(1977年)、5番、10番(1978年)、9番、3番(1979年)、7番(1980年)、2番(1981年)、4番(1982年)、6番(1983年)、『大地の歌』(1982年、84年)、8番(1986年)の順になされた。

本集はそれ以外のライヴで、1番(1981年)、前述の2番(1981年、1989年)、6番(1983年)、8番(1991年)および「さすらう若者の歌」(1991年)によって構成されている。また、GUSTAV MAHLER EDITION では4番、5番の録音も優れたライブ音源もある。このようにテンシュテットのマーラーでは 多様な選択肢がある点留意。

全体の特色を一言。テンシュテットは交響曲の「完成」と同時に「崩壊」の過程、双方をマーラーにみて、その均衡と相克を各番に通底して全力で表現せんとしているように感じる。異様な迫力の部分、ゆくりなくも奏でられる美弱音の表情ともに緊迫し奥深い。彼自身、重篤な病気を圧しての足掛け16年の軌跡・・・といったセンティメントよりも、むしろ執念ともいうべき一貫した表現力への挑戦の記録に価値がある。傾聴すべき遺産と思う。

マーラー:交響曲第2番「復活」
「復活」の伝説的名演。1981年5月14-16日の収録で、ソロはエディト・マティス(ソプラノ)、ドリス・ゾッフェル(メゾ・ソプラノ)。但し、かねてより廉価盤全集 Mahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt があり、録音を気にしなければこちらがお得。また、1989年2月20日の別のライヴ音源 マーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」 も有名。

低弦は、深く地中を抉り取る鍬(くわ)のようだ。管楽器は形式的な謹厳さと自由で「くだけた」「やさくれた」表情をあわせもつ。ソロの詠唱は、ときにか細く、ときに力強く、最大限の振幅をもって臨場する。このように、曖昧さがない明確な役割分担が与えられている。そして展開される音楽は、スケールが大きくいかにも熱いテンシュテット流。その特質は本盤でもライヴ盤でも共通。

マーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」
テンシュテットの『復活』。低弦は、深く地中を抉り取る鍬(くわ)のように沈降する。管楽器は真面目に「おどけて」みせるような複雑な表情づけである。詠唱はか細く、力強くの最大限のアクセントをもって楽曲に溶け込む。どれにも曖昧さがない役割分担が与えられている。そこから「総合」される音楽は、巨大なスケール観をもち、感情表出の振幅が極めて大きい。いかにもライヴならではのメリハリの効いた迫力である。

<収録情報>
・マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』 [92:11]
 第1楽章 アレグロ・マエストーソ [24:38]
 第2楽章 アンダンテ・モデラート [11:59]
 第3楽章 スケルツォ [11:22]
 第4楽章 「原光」[06:10]
 第5楽章 スケルツォのテンポで、荒野を進むように [38:02]

 イヴォンヌ・ケニー(ソプラノ)
 ヤルド・ファン・ネス(メゾ・ソプラノ)
 ロンドン・フィルハーモニー合唱団
 リチャード・クック(合唱指揮)
 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 マルコム・ヒックス(舞台裏指揮)
 デイヴィッド・ノーラン(コンサートマスター)
 クラウス・テンシュテット(指揮)

 録音時期:1989年2月20日
 録音場所:ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール
 録音方式:ステレオ(ライヴ)

<参考データ>
本盤:1989年盤     24:38+11:59+11:22+06:10+38:02=92:11
セッション録音1981年盤 24:45+11:19+10:33+07:03+34:09=87:49

→ Mahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt も参照

マーラー:交響曲第4番
凄まじい演奏。しかし、強烈な音響、劇的な要素の表現をもって、そう言うのではなく、マーラーという作曲家を必死で理解せんとするそのアプローチにおいて、である。たとえば第3楽章、嫋々たるハーモニーの部分では、あたかもマーラーの胸に我が耳をあて、その鼓動をじかに聴いているような寄り添い感である。

また、第1楽章の「完結性」はそれだけで1曲の多様性と重みをもつが、この渾身の演奏は、もうそれだけで十分なくらいの充実度である。さらに、終楽章、ルチア・ポップの生真面目な詠唱もテンシュテットと完全に同化しより音楽の高みに達している。

→ Mahler: Complete Symphonies も参照

SYMPHONY NO.4/ 3 SONGS
ーラーの作品のなかでも鈴や木管の響きがどこか牧歌的な田舎の雰囲気を漂わす4番。南西ドイツ放送交響楽団、この時代の本拠地はバーデン=バーデン。ここはドイツの温泉保養地として著名だが人口約5万人の小都市である。1976年、東独出身で当時西独でもやっと知られるようになった遅咲きのテンシュテットがそこに客演したライヴ盤。組み合わせとしてはけっして悪くない。

マーラー自身、ウィ-ンで君臨する以前、ドイツの小都市で指揮者としての修行を積んだことがあり、ドイツ地方オケの多くは親近感をもっている。南西ドイツ放送響は集中度の高い思い入れのある臨場だ。優しいメロディ、尖ったところのない素朴な響き、駘蕩たる空気、そこに佇む素朴な人々…。特に第3楽章のちょっと悲し気な美しさは、ハイマートな郷愁か、あるいはそれをロスした旅愁を感じさせる。そこにテンシュテットの指揮姿が二重写しになる。
終楽章のエヴァ・チャポーのソプラノは丁寧で折り目正しい歌唱。高音部よりも低いトーンの伸びが印象的。全体としては、テンシュテットは自然体の構えで少しも力んだところのない、実に心休まる名演である。

→ GUSTAV MAHLER EDITION にて聴取

Mahler: Symphony No. 5
テンシュテットのマーラーの全集は、Warner Classicsから腹立たしいくらいダンピングされて市場にでている。Mahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt (その演奏の特質はここで「テンシュテット、傾聴すべき遺産」として記した。このセットでは、マーラーの第5番は、ロンドン・フィルとの1978年セッション録音盤、1988年ライヴ盤の双方を聴くことができる)。

それとの比較では、本盤(NDR交響楽団との1980年ライヴ)はいかにも高価に映るがその内容に注目。NDRはかつてのハンブルク・北ドイツ放送交響楽団であり、本演奏は当地ムジークハレでの収録。マーラーは若き日、カッセル王立劇場の楽長やハンブルク歌劇場の第一楽長をしており、当地での足跡も知られている。響きはいかにも北ドイツのオケらしく重厚だが、ライヴ演奏のスピード感ある乗りの良さと壮烈さは1988年盤を凌いでいるかも知れない。激しいダイナミズムと腺病質なリリシズムが交錯し、終楽章では次々にめまぐるしく展開する第1、第2、コデッタ主題との掛け合いの部分は圧巻。旧東独出身のテンシュテットの<プロ・ドイツ的>なマーラー像を聴きたいというファン向けと言えよう。

→ GUSTAV MAHLER EDITION も参照


マーラー:交響曲第6番
1991年11月のライヴ録音。6番について、マーラーは5番までの作品を聴いた理解者しか、その特質はわからないだろうと語ったとのことだが、3楽章まではそれ以前の作品との連続性も強いと感じるながら、第4楽章に入ると、古典的なソナタ形式に対するアンチテーゼの思いが横溢しているようだ。「形式」が崩れゆく有り様は、強い芳香を発する熟れすぎた果物のような感をもつ。ハンマーが破壊の象徴であれば、なおのことその感を倍加する。

テンシュテットの特質である豊饒な音楽の拡散感がこの4楽章に実にマッチしている。しかし、それが「だれない」のは、音楽へののめり込み、集中力が少しも途切れないからだろう。交響曲という名称が付されながら、その実、「交響」の意味は複雑で多義的で、それは、かっての積木をキチッと組み上げていくような律儀な「形式美」ではなく、雪崩をうって積雪を吹き飛ばすような「崩壊美」に通じるように思う。第3楽章の美しいメロディに浸ったあと、音の雪崩が突然と起こり、それに慄然とする恐懼がここにある。

 テンシュテットには、そうした効果を狙ってタクトをとっているような「作為」がない。テクストを忠実に再現していく過程で、崩壊美は「自然」に現れると確信しているような運行である。こうした盤にはめったにお目にかかれない。稀代の演奏と言うべきだろう。 

→ Klaus Tennstedt Mahler: The Complete Symphonies も参照

マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」
「千人の交響曲」の名演。マーラーの書いた一種のカンタータともいわれる作品だが、ロンドンで活躍する粒ぞろいの歌手を集め、1986年に収録された。
但し、かねてより廉価盤全集 Mahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt があり、録音を気にしなければこちらがお得。また、1991年1月27日 ロンドン・フェスティヴァル・ホール マーラー:交響曲 第8番 変ホ長調 などの別音源もある。

本曲は、そのタイトルにあるように巨大な演奏陣容を要することで、いかにもマーラーらしい激烈な楽曲と見なされがちであるが、ラテン語による古式の聖餐式のような第1部は、大規模宗教曲としてそうした傾向はあるものの、第2部はむしろ世俗的な色彩も強く全体としては落ち着いた基調である。特に各独唱と清浄なる合唱団(とりわけ少年合唱団の響き)や管弦楽との共鳴が独自の神秘的な音楽空間を創造している。

テンシュテットの演奏の特質は、この第2部の心理的な描写の深さにあるように思う。ゲーテ「ファウスト」第2部(一部)の音楽化は、ゲーテゆかりの東独出身のテンシュテットの志向にあっていたかも知れない。独奏者をふくめロンドン・フィル&同合唱団は、指揮者の指示にそって、極めて緩慢なテンポのなか、ときに明るく、ときに詠嘆的な深き表現ぶりに全力投入している。静謐なる、たゆたう音楽の背後には張りつめた緊張感ある。

<収録情報>
(S)エリザベス・コネル(ソプラノI:罪深き女)
(S)イーディス・ウィーンズ(ソプラノII:贖罪の女のひとり)
(S)フェリシティ・ロット(ソプラノIII:栄光の聖母)
(C)トゥルデリーゼ・シュミット(コントラルトI:サマリアの女)
(C)ナディーヌ・ドゥニーズ(コントラルトII:エジプトのマリア)、
(T)リチャード・ヴァーサル(テナー:マリアを讃える博士)
(Br)ヨルマ・ヒュンニネン(バリトン:法悦の神父)
(B) ハンス・ゾーティン(バス:瞑想の神父)

(Or)ディヴィッド・ヒル
ロンドン・フィル&同合唱団、ティフィン学校少年合唱団
[録音]1986年4月20-24日 ウォルサムストウ・タウン・ホール,ロンドン&1986年10月8-10日 ウェストミンスター・カセドラル,ロンドン

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