火曜日, 8月 12, 2008

ハイフェッツ(1) 協奏曲 

1.チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
2.メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
3.チャイコフスキー:ゆううつなセレナード Op.26
4.チャイコフスキー:ワルツ~弦楽セレナードハ長調 Op.48 より

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団(1)
シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団 (2)
室内管弦楽団(3、4)

録音: 1957年4月19日、シカゴ、オーケストラ・ホール(1)
    1959年2月23&25日、ボストン、シンフォニー・ホール(2)
    1970年7月8&10日、ハリウッド、RCAスタジオA(3&4)
    ステレオ録音

 ハイフェッツは1959年の夏に事故で腰を痛め、その後、演奏活動が激減したと言われるが、チャイコフスキーは55才、メンデルスゾーンは事故直前の57才の円熟期の演奏。オーケストラのバックも申し分ない。ライナー/シカゴ響、ミュンシュ/ボストン響は、当時、全米のみならず欧州を含め、最高の技倆を誇った指揮者と交響楽団の組み合わせであり、録音時点はその最盛期に位置する。
 逆説的だが、「抜群の演奏」とは、こうしたものを指すのだろう。チャイコフスキーが作曲後、協奏曲を当初謹呈しようとしたアウアーは当初、難曲すぎるとしてこの申し出を断ったが、そのアウアーはハイフェッツの先生でもあるという歴史的な「いわく」も付く。両協奏曲とも、美しく、激しく、緊張感に満ち、しかし聴いていて完全に満たされていくような演奏。抜群の演奏としか言いようのない完成度である。
 ハイフェッツについては、いまにいたるまで、技巧派、冷たい演奏といった見方もあるが、よく耳を澄ませば、怜悧で厳しい演奏スタイルのなかに、ほの明るい色調と抑制のきいた深い感情表現を見いだすことができる。あとはこうした演奏スタイルを好ましく感じるかどうかの受け止めの問題であろう。

(参考)
ヤッシャ・ハイフェッツ(Иосиф("Яша") Робертович Хейфец [Iosif Robertovich Heifetz], Jascha Heifetz-Ruvimovich, 1901年2月2日 - 1987年12月10日
< 経歴>
 ハイフェッツは現
リトアニアビルナ生まれのユダヤ人。3歳からヴァイオリンを習い始め、6歳でメンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲を演奏したという。1910年にはペテルブルグ音楽院にてレオポルト・アウアーに学び、翌年に演奏デビュー。12歳でアルトゥール・ニキシュに招かれベルリンデビューを果たすと、同年ニキシュの指揮ベルリン・フィルと演奏。
 
1917年にはカーネギー・ホールアメリカデビュー。同年のロシア革命を避けるために、そのままアメリカ在住、1925年にアメリカの市民権を得ている。後年、南カリフォルニア大学で後進の指導も行っている。1987年にロサンゼルスにて死去。
演奏面の特徴>
 ハイフェッツのボウイングの特徴として弓速が速いことが一般的に挙げられている。しかし弓の返しや先弓での粘りは、丁寧で等速的にゆっくりである。そこからわかるように、一概には分類できない幅広い表現方法を持つ。ハイフェッツの特徴的な音色は、このボーイングに依るところも大きい。 具体的には、指を開かず丸めずに弓を持ち、右手の人差し指は
PIP関節(第2関節)より深く竿に当て、小指と親指で主にバランスをとる。アウアー(ロシア派)のボーイングを基本とする。緩やかなボーイングの細部に到る丁寧さを持ち、また一方、技巧的なダウンスタッカートなどを自在に操る。ハイフェッツの運弓の技巧で、右に出るものはいない。 トルテキッテルパジョなど、最高級の弓の構造に最も適った運弓法である。
 左手のポジショニングや運指は完璧と形容するにふさわしく、映画「カーネギーホール」でチャイコフスキーの協奏曲(第1楽章:短縮版)を演奏している場面では、その超絶技巧を視覚的にも堪能することができる。 手首をひねらず指を弦方向に伸縮させるだけの、特殊なヴィヴラートを用いる。これにより音楽的に、より意志の強い表現を可能とする。
 演奏のテンポは概して速く、晩年になっても遅くなることはほとんど無かった。またその特徴的な音色もデビュー当時から基本的には変化しておらず、ハイフェッツの演奏スタイルが早い時期に完成されていたことがうかがえる。
 なおハイフェッツは楽器の2番弦(A線)と3番弦(D線)に現代の主流である金属巻の弦ではなく、プレーン・ガット弦を使用している(CD のジャケット写真で確認可)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

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