◆ブルックナー:交響曲第5番
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クレンペラーのブルックナーは、4番<ウィーン交響楽団、バイエルン放送交響楽団>に加えて4~9番はフィルハーモニア管弦楽団で録音、その他の音源もリリースされており、幸いかなり数多く耳にすることができる。そのなかにあって、本盤の魅力は1968年6月2日ウイーン・フィルとのライブ録音であることである。
音楽の構築が実に大きく、テンポは遅く安定しており滔々とした大河の流れのような演奏。その一方、細部の音の磨き方にも配慮は行きとどいている。録音のせいもあるかも知れないが、ウイーン・フィルらしい本来の艶やかなサウンドを抑えて前面にださず、むしろ抜群の技倆のアンサンブルを引き立たせている印象。そこからは、ウイーン・フィルがこの巨匠とのライブ演奏に真剣に対峙している緊張感が伝わってくる。
また、ブルックナーの交響曲の特色である大きな枠組みをリスナーは聴いているうちに自然に体感していくことになる。マーラーが私淑していたブルックナー。そのマーラーから薫陶をうけたクレンペラーだが、マーラーの解釈が、クレンペラーを通じて現代に甦っているのでは・・と連想したくなるような自信にあふれた演奏であり、晩年のクレンペラーの並ぶものなき偉丈夫ぶりに驚かされる貴重な記録である。
◆ブルックナー:交響曲第8番
1957年6月7日ケルンWDRフンクハウスでの演奏。クレンペラーの8番では、最晩年に近い1970年ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振ったスタジオ録音があるが、こちらは第4楽章で大胆なカットが入っており、それを理由に一般には評判が芳しくない。一方、本盤は遡ること13年前、カットなしのライヴ録音である。
驚くべき演奏である。巨大な構築力を感じさせ、またゴツゴツとした鋭角的な枠取りが特色で、いわゆる音を徹底的に磨き上げた流麗な演奏とは対極に立つ。また、第3楽章などフレーズの処理でもややクレンペラー流「脚色」の強さを感じる部分もある。小生は日頃、クナッパーツブッシュ、テンシュテットの8番を好むが、このクレンペラー盤は、その「個性的な際だち」では他に例をみないし、弛緩なき集中力では両者に比肩し、第1、第4楽章のスパークする部分のダイナミクスでは、これらを凌いでいるかも知れない。ケルン響は、クレンペラーにとって馴染みの楽団だが、ライヴ特有の強い燃焼度をみせる。「一期一会」ーいまでも日本では語り草になっているマタチッチ/N響の8番に連想がいく。リスナーの好みによるが、小生にとっては8番のライブラリーに最強カードが加わった新たな喜びを感じる。
◆ブルックナー:交響曲第6番 ハース版
オットー・クレンペラーはフルトヴェングラー亡きあと、19世紀「最後の巨匠」との異名をとった人物です。特に、私淑したマーラーやブルックナーなどの演奏では独自のスケールの大きさを示すことでいまも根強いファンがいます。
6番は、ハース版での演奏です。1964年の録音ですが、その古さを割り引いても大変な名盤だと思います。6番は第1、2楽章にウエイトがかかっていて特に第2楽章のアダージョの美しさが魅力ですが、緩楽章の聴かせ方の巧さはマーラーの9番などに共通します。一方、クレンペラーの照準はむしろ後半にあるように思えます。短いスケルツォをへて一気にフィナーレまで駆け上る緊縮感は他では得難く、ここがクレンペラーの真骨頂でしょう。ハース版が嫌いな方は別として、6番ではいまだ最高レベルの演奏と思っています。
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