日曜日, 7月 31, 2011

ベートーヴェン ぼくの愛聴盤


過去、書いてきたベートーヴェン関係のコメントを掲載します。

1.交響曲第2番、第7番
 セル/クリーヴランド管弦楽団

◆第2番ニ長調 op.3619641023日、セヴェランス・ホール)
◆第7番イ長調 op.92(19591030,31日、セヴェランス・ホール)

クラシック音楽界における黄金の1960年代。セル/クリーヴランド、オーマンディ/フィラデルフィア、ミュンシュ/ボストン、少し時代は遡るがライナー(その後70年代のショルティ)/シカゴ、当時新興のメータ/ロスアンジェルス、そして不動のバーンスタイン/ニューヨークなどの米国有力オケが群雄割拠していた時代。それぞれが独自のサウンドを誇り、またどのオケもオールラウンドにいかなる作曲家を取り上げても一定以上の演奏を聴かせたが、そのなかにあってセルの抜群の質の高さについては既にコメントしたところ(“セルのクオリティ・コントロール”2006年6月3日)。

そのセルでベートーヴェンの2番と7番を聴く。きびきびとした運行、つややかなフレージング、絶対に乱れないが十分な迫力のダイナミクス。総じて抜群の音楽的なプロポーションである。しかもリスナーは聴きこむうちに演奏にではなく、曲の高貴さに神経が知らず知らずに集中していく巧緻な誘導。これこそが、“セルのクオリティ・コントロール”のなせる技である。

2.交響曲第3番「英雄」 
 カラヤン/プロイセン国立歌劇場管弦楽団

プロイセン(ベルリン)国立歌劇場管弦楽団
  録音年月日:1944年5月
  録音場所:ドイツ帝国放送協会大ホール、ベルリン
  録音:モノラル
  原盤所有社:ドイツ帝国放送協会(RRG
  タイミング:I15:11II15:24III6:01IV11:50
  http://www.karajan.info/cgi/index.cgi?sort=up32&keys3=%81s%89p%97Y%81t 
 
   若き日のカラヤンの3番を聴く。基本的には、この段階からカラヤンの解釈が変わっていないことがわかる。敗戦直前の時期であり、オケの合奏力には乱れも目立つが、全体構成を考えぬき、個々の楽奏を冷静にスタイリッシュに整えるカラヤン流の片鱗は既にここにある。
3番は、この①44年(ベルリン国立歌劇場O)のほか、②52年(PO)以降、③53年(BPO[L]、④62年(BPO)、⑤69年(BPO[L]、⑥70年(BPO[L]、⑦71年(BPO[F]、⑧76年(BPO)、⑨76年(BPO[L]、⑩77年(BPO[L]、⑪77年(BPO[L] 、⑫82年(BPO[F]、⑬84年(BPO[F]、⑭84年(BPO)といった数多いリリースがあるが、カラヤン得意の演目であった。
ところで、第二次大戦直後のドイツでは、コンサート、レコーディングなどでその演目は慎重に選ばれていたように思う。当時のソ連、米国、フランスなどの進駐の影響もあってか、チャイコフスキー(5番、6番「悲愴」)、ドボルザーク(8番、9番「新世界から」)、バルトーク、ストラヴィンスキーなどの頻度が高い。これらの演目では、フルトヴェングラーは戦前から「現代音楽」の取り上げには積極的であり、「なんでもござれ」であったろうが、これに加えて、いわゆるフランスものや軽い序曲集なども含め、カラヤンの「高純度アプローチ」はあらゆる演目に有用であった。
しかし、ドイツ・オーストリア圏内では、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ワグナーなどは必須アイテムであり、なかでもベートーヴェン、とりわけ3番「英雄」や9番「合唱」はこの時代にあって、ナチズムとの決別、新生イメージの醸成からも重要な演目であったろう。
表記の演奏は滅び行くナチズムの最後の頃の録音だが、その後の演奏スタイルにも大差はない。しかし、「葬送行進曲」の重さの受け止め方ひとつとってもそこに集う聴衆の思いは特別であったろう。

(参考)カラヤン:初期録音集 交響曲、ピアノ協奏曲第4番、第5番「皇帝」
       ヘルベルト・フォン・カラヤン名演集(10CD)
 
CD-3:
  交響曲第3番変ホ長調 op.55『英雄』フィルハーモニア管弦楽団 録音:195211

『レオノーレ』序曲第3番アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 録音:1943

CD-4:
  交響曲第7番イ長調 op.92フィルハーモニア管弦楽団 録音:195211

交響曲第8番ヘ長調 op.93ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:194611

CD-5:
  交響曲第9番ニ短調 op.125『合唱』 録音:194711,12
エリーザベト・シュヴァルツコップ(S
エリーザベト・ヘンゲン(Ms
ユリウス・パツァーク(T
ハンス・ホッター(Bs
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 
 
CD-6:
  ピアノ協奏曲第4番ト長調 op.58 録音:19516
  ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 op.73『皇帝』録音:19439
 ヴァルター・ギーゼキング(p
  フィルハーモニア管弦楽団

3.交響曲第5番、第6番 
 オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団
  
オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団のベートーヴェンの5番(録音:1960年代)、6番(録音:1966年1月)。1899年ブタペスト生まれのオーマンディはヴァイオリンの神童で5歳でブタペスト音楽学校に入学、その後教授となる。後に米国にわたりミネアポリス交響楽団からストコフスキーの後任としてフィラデルフィア管弦楽団の指揮者となるが、当時ストコフスキーの米国での人気は凄かったから、オーマンディはその大いなる実力を評価されて後継者となったと言えるだろう。レパートリーの広さも有名で古典のみならず現代音楽への造詣も深い。録音時点不詳の5番は音響もいまひとつで平板な印象だが、66-67歳の時の録音となる6番が素晴らしい。この時代のフィラデルフィア・サウンドは全般に明るく、ほんのりと暖かみがあり、なによりも柔らかな音色に特色がある。肌合い艶やかなその音響を聴いていると快感が内から湧きあがってくる。得難い体験のできる「田園」である。
 
4.交響曲第5番《運命》&7 (CD)
  .クライバー VS E.クライバー, 2010/2/6
 
  一世を風靡したウイーンの名指揮者エーリッヒ・クライバー(18901956年)はベートーヴェンをこよなく愛し得意としていた。5番&6番のカップリングはいまも歴史的な名盤として記録されている。その子、カルロス・クライバー(19302004年)はベルリン生まれ、ブエノスアイレス育ちで、「親子鷹」ながら父はカルロスが指揮者になることを強く反対したと伝えられる。

カルロスは父の使った総譜を研究し尽くして指揮台に上がったようだが、この5番&7番は、没後約20年後、父もここで名盤を紡いだ同じウイーン・フィルとの宿命の録音(19741976年)であり、余人の理解の及ばぬ、父を超克せんとする<格闘技>的な迫力にあふれている。同時期、ベルリン・フィルではその疾走感、音の豊饒さである意味共通するカラヤンの名演もあるが、明解すぎるほどメリハリの利いた解釈とオペラでしばしば聴衆を堪能させた弱音部での蕩けるような表現力ではカラヤンを凌いでいると思う。

父を終生意識しながら、その比較を極端に嫌ったカルロスが、結果的に父と比類したか、あるいは超えたかはリスナーの判断次第だが、この特異な名演が生まれた背景は、エーリッヒとの関係なしには語られないのではないかというのが小生の管見である。
 
5.ベートーヴェン:交響曲第9 (CD)
 最高峰の「第9」, 2007/12/15 

フルトヴェングラーのバイロイト盤と双璧をなす最高峰の演奏。演奏時間はフルトヴェングラー盤(約74分)より10分も短く、とにかく速くそして切れ味が鋭い。これよりも速い第9は大所ではミュンシュ(約61分)くらいではないか。
 
音にさまざまな「想念」が付着し思索的で粘着度の強いフルトヴェングラー盤に対して、こちらは明燦でかつ「からり」と乾いた感じの音楽であり、純粋な音響美を彫刻していく印象である。しかし、その集中度、燃焼度は凄まじくリスナーは音の強靱無比な「構築力」に次第に圧倒されていく。そこからは「第9とはこういう曲だったのか」という新鮮な発見がある。どの音楽も最高に聴かせるトスカニーニ流とは、スコアから独自の音を紡ぎ出す専門的な技倆と言ってもいいかも知れない。なればこそ、高度な音楽技能者として、その後の指揮者に与えた影響は絶大だったのだろう。
 
第4楽章を聴いていて、ベートーヴェンが管弦楽法の究極を追求するために、「楽器としての人声」を独唱と合唱をもって置いたのではないかという仮説をトスカニーニ盤ほど実感させてくれるものはないだろう。第3楽章までの完成されたポリフォニーでリスナーは十分に管弦楽曲の粋を聴き取り、それが第4楽章ではじめて肉声と融合しさらに一段の高みに到達する瞬間に遭遇する。しかもそれは宗教曲の纏のもとではなく世俗的な詩を語ることによって表現される。そうしたアプローチは、ドイツ精神主義とは対極のものかもしれない。しかし、そこには作曲家のひとつの明確な意図が伏在していると感ぜずにはおかない強い説得力がある。トスカニーニ盤は、その意味でも普遍性を意識させるし今日的な輝きをけっして喪っていないと思う。
 
6.ピアノ協奏曲第3 (CD)
   <グールドvsカラヤン>の妙味, 2008/6/1

  ピアノ協奏曲第3番は、カラヤン/ベルリン・フィルとの協演で1957526日、ベルリン、ホッホシューレ・ザールでのライヴ録音(モノラル)。当日は、ヒンデミット:交響曲『画家マティス』とカップリングされているシベリウスの交響曲第5番が演奏された。以下は3番について。

面白いことに、バーンスタインとの協演では双方決裂したエピソードが有名であるが、このカラヤン盤では、意外にしっくりと収まっている印象。ある意味、グールドはテンポをキチンと守り優等生的に弾き、カラヤンもこの<若き才能>との暫しの邂逅を楽しんでいるような演奏。一体感を醸成するよりも、お互い気を配りなるべく合わせていこうといったスタンスのライブだが、カラヤン/ベルリン・フィルがここまで美しく追走してくれればグールドも我が儘は言えなかったかも知れない。

前年、グールドはベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集Vol7(第3032番)を録音しているが、共通するのは、作曲家の精神へ深く没入せんとする独特の表現<沈下力>。3番では第2楽章ラルゴでそれを聴くことができる。ここでは、カラヤンが実に見事にグルードに合わせている。その一方、第3楽章では文字通りカラヤン流<協奏的>世界を両者で築いている。グールド・ファンならずとも実に楽しめる若き記念碑的1枚。
 
7.ピアノ協奏曲第1~3番 アルゲリッチ
 
アルゲリッチ34年間(19672004年)の協奏曲集を7枚に収めた廉価版セット。
  ベートーヴェン2番、チャイコフスキー1番、ラヴェルの3曲は同一曲の複数演奏だが、いずれも再録(ラヴェルは初録、再録とも)の指揮者はアバドである。

また、それ以外のハイドンからショスタコーヴィチまでの10曲中、4曲がアバド指揮であり、いかに彼との相性が良いかがわかる。その他、シノーポリ、デュトワ、ロストロポーヴィチなど個性的な大物との共演が聴けるのも本アルバムの魅力だろう。
  ソロアルバム同様、購入予定だが上記のとおり複数演奏のダブりがあることに加えて、曲目、録音時点にやや偏りがあることから、初心者のコレクション向けというよりは、アルゲリッチ・ファンの聴き比べ用と言えようか。

<収録曲>

■ピアノ協奏曲第1番ハ長調Op.15

シノーポリ/フィルハーモニア(19855月)

■ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.19

1.シノーポリ/フィルハーモニア(19855月)

2.アバド/グスタフ・マーラー・チェンバー・オーケストラ(20042月)

■ピアノ協奏曲第3番ハ短調Op.37

アバド/グスタフ・マーラー・チェンバー・オーケストラ(20042月)
 
8.Pablo Casals Original Jacket Collection (CD)
   原点としてのカザルス, 2010/10/15

パブロ・カザルス(18761973年)は、本セット録音の中心たる1950年代にはすでに70代半ばだったが、驚くべきことにライヴでの演奏にはますます磨きがかかった時期。個人的な思い出だが19711024日、ニューヨーク国連本部のライヴ演奏会の模様を当時テレビでみた。国連平和賞が授与されたこの記念すべき演奏会での「鳥の歌」の感激はいまでも忘れられない。そこから約10年遡った1961年ホワイトハウス・コンサートが、本セットの白眉となっている。

カザルスのエネルギッシュでときに鬼気迫る演奏スタイルは、その後のチェリストに計り知れない影響を与えた。デュ・プレしかり、ヨー・ヨー・マしかりである。原点としてのカザルスー曲目の豊かなラインナップからみても、なにより、ゼルキンら共演者を含む演奏の充実ぶりからも本セットの歴史的な価値が減じることはないだろう。
 
(主要収録内容) 

◆チェロ・ソナタ1番、3~5番(1953年、プラド音楽祭)、同2番、ピアノ三重奏曲第7番『大公』(1951年、プラド音楽祭)
 
9.中期弦楽四重奏曲  
 ジュリアード弦楽四重奏団

 ジュリアード弦楽四重奏団のベートーヴェン中期弦楽四重奏曲にする。。82年アメリカ合衆国国会図書館クーリッジ・ホールで行われたベートーヴェン全曲演奏会のライヴ録音である。

今度も3枚組を続けて聴く。① 第7番ヘ長調「ラズモフスキー第1番」、② 第8番ホ短調「同第2番」、 第9番ハ長調「同第3番」 、③ 第10番変ホ長調「ハープ」、 第11番「セリオーソ」の5曲を所収。

この当時のメンバーは、第1ヴァイオリン: ロバート・マン(Robert Mann)、 第2ヴァイオリン: アール・カーリス(Earl Carlyss)、ヴィオラ: サミュエル・ローズ(Samuel Rhodes)、 チェロ: ジョエル・クロスニック(Joel Krosnick) である。
 
ぼくはこの四重奏団の演奏はたいへん現代的だと思う。劇的な表現力にすぐれテンポは早くけっしてだれない。緊張感をこれほど持続させることができるのは、4人の演奏者間相互で生み出す驚異的な集中力ゆえだろう。まして、これはライヴ盤であり、張りつめた会場の雰囲気まで伝わってきそうな迫力である(聴衆の拍手も入っている)。

ベートーヴェンはラズモフスキー伯爵によって弦楽四重奏曲の依頼を受けた。そのため3曲の弦楽四重奏曲は「ラズモフスキー四重奏曲」Op.59として出版された。

しかし、あたりまえだが、「標題」と「曲想」は全くの別もの。ベートーヴェンはここでひそかにさまざまな管弦学法の実験をしているようだ。一定のルールのうちながら、メロディの流れを自由に変えてみたり、大胆な変調を試しているのでは、と感じることがある。そのあたりの綾は十分に折り込んでのジュリアードの面々である。全般にクリア・カット、切れ味がよく、おそらくはベートヴェンの意図を現代的に翻訳した「スリリングさ」を聴かせてくれる。

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