Sunday, September 11, 2011

ケルテス 惜しまれた俊英


イシュトヴァン・ケルテス(Istvan Kertesz, 1929828 - 1973416日)は、ハンガリー生まれの指揮者。

ハンガリアン・ファミリーの多くは、アメリカでオーケストラ・ビルダーとして名を馳せたが、次の戦後世代にあって欧州で嘱望され、30才台から華々しく活動しながら、若くして水難事故で世をさった秀英こそケルテスである。
 とくにウイーン・フィルとの関係が良好だったといわれ、いくつもの素晴らしい音源をのこしてくれている。
モーツァルトの交響曲第25番、第29番、第35番「ハフナー」、第40番、レクイエム、シューベルト交響曲全集、ブラームス交響曲全集、ドヴォルザークの交響曲第9番などはいまも語り草になっている。小生は特に、ブラームスの伸び伸びした演奏を好む。また、ブルックナーの4番も自然な流れが好ましく、もっと多くの演奏を聴きたかったと悔やまれる。

【以下は引用】
ハンガリーのブダペストで生まれ、同地のフェレンツ・リスト音楽院でゾルタン・コダーイ他に学んだ。1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となる。1956年ハンガリー動乱の時に西側にジョルジュ・シフラと共に亡命した。その後アウクスブルク国立歌劇場、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などを指揮し、1965年から1968年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務めた。日本にも客演したことがあり、()日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した1968年の演奏記録が残っている。将来が期待された中堅指揮者であったが、1973年夏、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団に客演した折、イスラエルのテル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ溺死した。43歳没。ケルテスの最期はバス歌手岡村喬生著『ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ』に詳しい。なお、1973年よりバンベルク交響楽団の首席指揮者の就任も決まっていたが、果たせなかった。

 オーケストラの団員からの信頼は絶大であったらしく、ロンドン交響楽団の音楽監督解任も聴衆が集まらなかったことが原因であった。また、ジョージ・セル亡き後のクリーヴランド管弦楽団の音楽監督として楽員選挙で選ばれたが、運営サイドは最終的にロリン・マゼールを選んだ。

 また交響曲第4番の一部が未収録で終わったウィーン・フィルとのブラームス交響曲全集では、第4番第4楽章および「ハイドンの主題による変奏曲」はウィーン・フィルが追悼の意を込めて指揮者なしで演奏したもの、その他はケルテスが指揮したものが収録されている。また全集作成のために交響曲第2番もウィーン・フィルと再録音が予定されていた。

             

モーツァルト:交響曲第33番、第39番、第40番 ケルテス&ウィーン・フィル


ブルックナー:交響曲第4番『ロマンティック』、ヴォーン=ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲 ケルテス&ロンドン響

交響曲第4番 ケルテス&ロンドン交響楽団
ブルックナー:交響曲第4番 ケルテス&ロンドン交響楽団


バルトーク:管弦楽のための協奏曲 イシュトヴァン・ケルテス&日本フィル


ベートーヴェン:序曲『エグモント』、交響曲第7番 イシュトヴァン・ケルテス&日本フィル

交響曲5  /  Peacock Variations ケルテス&スイス・ロマンド管、ロンドン交響楽団 +folksong The Peacock
ショスタコーヴィチ:交響曲5 / Peacock Variations ケルテス&スイス・ロマンド管、ロンドン交響楽団 +folksong The Peacock


ベートーヴェン:交響曲第2番&第4番、「レオノーレ」序曲第3番、他 ケルテス&バンベルク響(2CD)

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