土曜日, 7月 14, 2012

シノーポリ ブルックナー交響曲第3番

Symphony 3 " Wagner "

以下はかつて書いた文章の再掲です。 

19904月、ドレスデンのルカ教会での録音。3番で良く演奏される稿としてノヴァーク第2稿(1877年)と第3稿(1889年)がある。この第3稿では相当なカットが行われていることから、演奏時間に影響しどちらをとるかには否応なく関心の集まるところだ。最近はワーグナーの影響の濃い第1稿(1873年)を演奏するのも一種のブームだが、シノーポリ盤はブルックナーの自主的な改訂を踏まえた第2稿(ノヴァーク版)を採用している。第2稿では他にエーザー版もあり、小生はクーベリック盤を好んで聴いている。また、シノーポリと同じノヴァーク版'U採用組では朝比奈盤がある。 

シノーポリのブルックナー人気が「いまいち」なのは何故か。シノーポリと言えば「大胆な解釈で異質の演奏」といったイメージが強い。このイメージを植え付けた典型的なマーラーなどとは違い、ブルックナーではある意味、「常識的」でオーソドックスな演奏だからかも知れない。しかし、聴きこんだブルックナー好きにとっては共感が持てると思うし、もっと陽があたってよいと感じる。 

全般にテンポの可変性を抑えた運行である。第1楽章、ヴァイオリンを中心とする第2主題の提示ではドレスデンの良質な弦のアンサンブルを際だたせ、第3主題の管の強奏ではこれを存分に響かせるなど、この楽章は、オーケストラの力量をみせるいわば「顔見せ興業」のような印象をうける。 

第2楽章以降もこの傾向はつづくが、録音のせいかやや管楽器の物量が大きく出すぎているような場面もある。弦楽器の残響の美しいルカ教会での収録なので、ドレスデンの薄墨を引いたような上品な良さがある弦楽器がもっと前面にでても良いのにと思う。また、ある楽章にアクセントをおき、それをもって全曲の隈取りをはっきりさせるといったヨッフム、クレンペラー的なスタイルをとらず、シノーポリは各楽章毎に実に淡々とこなしていくといった流儀とみえる。 

それがゆえに、アクの強い演奏に慣れていると物足りなさを感じる向きもあろう。クナッパーツブッシュ的な「わくわくドキドキ感」はない一方、曲の構造、メロディの細部に関心が寄せられるような集中度の置き方である。小生はこれをもって「分析的」と思うのだが、こうした演奏も大変好ましく感じる。飽きのこない噛みしめるような良さがある。

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