土曜日, 6月 25, 2016

ブラームス 交響曲 きょうの名盤

ブラームス:交響曲第1番
最良の<ベンチ・マーク>盤 (amazon.co.jp)

古い話しで恐縮ながら1960〜70年代にかけてクラシック音楽を聴きはじめ、ブラームスの交響曲第1番について誰の演奏に親しんだかと問えば、このベーム/ベルリン・フィル盤をあげるリスナーは多いだろう。
この時代、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ワルター、カラヤン、ミュンシュ、クレンペラーなど多くの巨匠の名演がノッシノッシと地面を踏み鳴らすように闊歩しており、1959年10月録音のベーム盤の存在はけっして目だったものではなかったが、ひとたび聴けば、「これが重厚なドイツ、ベルリンの音か、これがステレオ録音の威力か」といった新鮮な感動があった。このあと、本曲は、いくたの音源が新手を繰り出すように市場にでるが、その都度、本盤と比較され、やはり頭ひとつベームが抜きん出ているといった評価をえていたと思う。今風にいえば最良の<ベンチ・マーク>盤であった。
低弦の分厚いハーモニーとブレスの一糸乱れぬ重奏、悠揚とした一定のテンポ、起伏の大きな構成力、そしてとぎれぬ緊張感から、聴き終わったあとにずしりとくる充足感。いま聴いてもこの感動の原質はかわらない。気迫あるベーム全盛期の代表盤である。
 


Brahms: Sym Nos 2 & 3

 
マズアは1990年代にニューヨーク・フィルともブラームスの交響曲全集を録音しています。しかし、私はライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団との本盤(1976年10月、ライプツィヒ、パウル・ゲルハルト教会にて録音)のもつ意味を高く評価しています。

地元ライプチッヒで学び、若き日の1970年代から名門ゲバントハウス管弦楽団で首席指揮者を務めたマズアは、ブラームスに限らず、ベートーヴェンやブルックナーでも、重量感ある素晴らしい独自のサウンドの快感をリスナーに教えてくれました。特に、ニキシュやフルトヴェングラーの伝統を継承するこの管弦楽団のもつ特有の泥臭さと幾分くすんだ音色でブラームスを奏でる時、ブラームスの憂愁とはこうした響きによってこそ本来表現されるべきでは、と思わせるものがあります。

70年代のいまだ冷戦下にあって、当時の西ドイツのオケがカラヤン/ベルリン・フィルを筆頭に機能主義的優秀さを誇るなか、マズア/ゲバントハウス管弦楽団の古式ゆかしいドイツ的な響きのもつ魅力はまたひとしおです。私はこの2番を特に好んで聴いています。

 
ベートーヴェン:交響曲第7番、ブラームス:交響曲第3番
ブラームスの第3交響曲、屈指の名演である。第1楽章冒頭、いきなり堰をきったようにあふれ出す美しくも豊かな奔流に、これは只ならぬ・・・と驚かされ、第2楽章の清冽な響きのあと、第3楽章は減速、凛とした叙情性がウィーン・フィルの最上の品位あるハーモニーで奏でられ、そして、終楽章はアポロン的とでも言うべきか、カラヤンらしく均整がとれ、きりりと引き締まって結ばれる。柔なセンチメンタリズムではなく、上昇気流にのるような高きロマンティズムを感じさせる秀演である(★5) 。
  ベートーヴェンの7番も好演だが、こちらはベルリン・フィルのリズムの厳しい刻み込みと強烈な低弦の迫力を小生はより好む。
Legendary Decca Recordingsも参照
 
 
ブラームス:交響曲第4番

色調の基本は明るく、リズムの律動感は深く、メロディは磨かれて美しい。かつ、各フレーズは手塩にかけるが如く大切に扱われて慎重さが滲む。
普通、こうした緻密なタイプの演奏を聴くと、感動とともに疲労を伴うものだが、不思議なことにクライバーの演奏にはそれがない。色調の明るさにくわえて、構えてパセティックなところが一切なく、カラリとした印象だからだろう。なにより、オーケストラの乗りが実に良く、次の展開にリスナーの期待は自然に導かれていく。

ウィーン・フィルから普段見せない表情を見事に引き出しているように感じる。それは、技巧とは別に、一人ひとりの「魂の迸り」を音楽に注入するような仕向け方かも知れない。その典型が第3楽章で、全編ポジティブ、一点の曇りなしといった明快さである。一転、第4楽章は饒舌なメローディアスさとでも言うべきか。オーケストラの一人ひとりに「心で歌え」と指示しているかのようで、各楽器が「名器」として、これでもかというくらいみずみずしく躍動する。
クライバーのカリスマ性あってのウィーン・フィル完全操舵と言えよう。

 
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Knappertsbusch Conducts Brahms

【第2番】

 1947年6月30日〜7月1日、スイス・ロマンド管弦楽団とのブラームス交響曲第2番について。クナッパーツブッシュの同曲録音では、ベルリン・フィル(1944年)、ミュンヘン・フィル(1956年)、シュターツカペレ・ドレスデン、ウイーン・フィル(いずれも1959年)などが有名だが、本盤の演奏も充実している。
スイス・ロマンド管弦楽団は、戦後まだ間もない時期、この巨匠との共演にあたって実に真率な態度で臨んでいることがリスナーに伝わってくる。スイス・ロマンドの技量は後にくらべて未熟であり、かつ録音が悪く局所で音がふらつくが、その一方で明るく意志的な力が漲っている。クナッパーツブッシュらしく全体の構成が大きく、とくに後半2楽章の充実ぶりは素晴らしい。曲の進行とともに熱気がどんどん増していくことが実感でき、畳み込むようなエンディングに向けての迫力は圧倒的である。

【第3番】

第3番では、ベルリン・フィル(1950年)、シュターツカペレ・ドレスデン(1956年)、ウィーン・フィル(1958年)、シュトゥットガルト放送交響楽団(1963年)などが知られているが、このベルリン・フィルとの第3番(1944年)には異様な凝縮感がある。第3番には1942年の録音もあるが、なんといっても敗戦直前のこの収録には指揮者、演奏者ともに、一種デーモンとでも言うべき、魂魄の気が支配している。録音の不透明さがそれを倍加しているかも知れないが、悲壮的な曲想がぎりぎりの表現芸術を生んでいるように感じるのは、リスナーの思い入れがあるからだけではないだろう。クナッパーツブッシュのファンなら聴いて損のない歴史的な名演である。

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