Tuesday, April 04, 2017

ヨッフム ブルックナー 拾遺

ブルックナー:交響曲第1番(1877年リンツ版、ノーヴァク編)
ブルックナー:交響曲第1番(1877年リンツ版、ノーヴァク編)

ヨッフムによるブルックナーの交響曲第1番。第1楽章はいかにも初期らしい素朴さや生硬さもそのままに「地」を生かした演奏。第2楽章では中間部の魅力的なメロディは叙情的に歌い込んでおり、清廉なるメロディの創造者としてのブルックナーが浮かび上がる。後半2楽章は快速さが身上で、小刻みなアッチェレランドも使用し、九十九折りのように上昇する旋律と一転畳み込むように下方する旋律もアクセントをもって展開される。ここでは、素朴さよりも劇的な表現の萌芽を存分に拡張してみせるような演奏。ブルックナー楽曲のもつ特色を細部まで考えぬき、さまざまに引き出そうとするヨッフムの演奏には特有の熱っぽさがあり、それがブルックナー・ファンにはたまらない魅力である(1978年12月11-15日、ドレスデン、ルカ教会でのセッション収録)。

➡ Bruckner Complete Symphonies も参照

ブルックナー:交響曲第8番(紙ジャケット仕様)
ブルックナー:交響曲第8番(紙ジャケット仕様)

1964年1月、ベルリン・フィルを振っての第8番。すでにカラヤン支配下のベルリン・フィルであったがブルックナーは別、ステレオで初の交響曲全曲録音でドイツ・グラモフォンはヨッフムを登用した。国際ブルックナー協会ドイツ支部理事長を務めたヨッフムは当時にあっても第一人者であった。

そのいわば勝負球がこの第8番である。前年には、いまも聴きつがれるクナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィル、シューリヒト/ウィーン・フィルの歴史的な名演がある。録音は60年代とはとても思われぬくらい良好で、全体は74分強の早めのテンポ、きびきびとした溌剌さが随所に横溢する。第1、第2楽章はシューリヒトより早く、思わぬ快速感がある一方、第3楽章はクナッパーツブッシュばりの急減速に驚く。そしていま一度、転じて第4楽章はほぼシューリヒト並の運行速度に戻る。ブルックナー演奏における各楽章別の時間およびエネルギー配分の大切さはヨッフムの持論であり、ライヴではないが本盤でもそのアクセントは明確につけている。

26分半を超える第3楽章においても、いささかの緩み、弛み、遊びのないピンと張り詰めた凝縮感が支配する。細かく気を配り、安定したテンポを維持しつつも、ベルリン・フィルの多重的にして一糸乱れる音響を思い切りよく堂々と押し出している。弱音部の美しさもひとしおで、消え入るような終結部では深く、静かにブルックナーに寄り添っているような感がある。
第4楽章の充実ぶりも一頭地を抜く。音響がやや拡散気味なるも徐々に緊張を高める臨場感もヨッフム流であり、畳み込むような攻め方は、これぞブルックナー・サウンド全開といわんばかりの迫力である。

➡ Bruckner: 9 Symphonies の全集も参照

ブルックナー:交響曲 第9番、テ・デウム(紙ジャケット仕様)
ブルックナー:交響曲 第9番、テ・デウム(紙ジャケット仕様)

1964年12月、ベルリン・フィルとの第9番。すでに同年1月、第8番を収録したヨッフムのブルックナー最後の交響曲への挑戦の記録である。
第1楽章、精妙にして幻夢的な出だしから主題提示後のはじめの強烈な頂点への一気の登攀を聴いただけで、この演奏への並々ならぬ意気込みを感じる。
管楽器が朗々と鳴り、弦楽器がこれに寄り添い、ときに立ちはだかって拮抗する展開。目まぐるしい変調とブルックナー休止が交互に続くがそこに曖昧さがないことがヨッフムの特質。オーケストラをあたかもパイプオルガンのように弾きこなしている姿が連想される。
第2楽章の展開は早く、色調は明るく、リズムは斧を直線的に振り下ろすように力強い。文字通り一気に駆け抜けるといったスケルツォである。
第3楽章は転調し全体としては暗い音が遅く深く響く。ベルリン・フィルの凄さは、指揮者によって、どんな音でも指示どおりに表情づけができることにあるようで、この明暗の色調変化そのものに見事なドラマ性を宿している。ヨッフムの指揮への深い信認あればこそであろう。後半は重い雲が晴れて、時折ほの明るさが拡散するが、ここでも低弦の表情には一貫してパイプオルガン的な荘厳さがある(名状しがたい深き響きに包まれる)。十分に鍛錬された名演である。 

➡ Bruckner: 9 Symphonies の廉価な全集も参照

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