土曜日, 2月 16, 2019

ケント・ナガノ ブルックナー Kent Nagano  Bruckner

Symphony 3: Wagner Symphony


ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(1874年第1稿)
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ブルックナー:SYM. NO.6 [Import] (SYMPHONY 6)


ブルックナー:交響曲第7番

ブルックナー : 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿) (Bruckner : VIII Symphonie (1887 Urfassung) / Kent Nagano , Bayerisches Staatsorchester) (2CD) [輸入盤]

ブルックナー : 交響曲 第4番 第7番 第8番 (Bruckner : Symphonien 4 7 8 / Kent Nagano , Bayerisches Staatsorchester) (4CD) [輸入盤]





ケント・ナガノは、ベルリン・ドイツ響と、20033月、第3番(1873年第1稿)を、20056月、第6番をベルリンで収録。その後、引き続いて、バイエルン国立管とともに本集の第4番(2007年)、第7番(2010年ベルギー、ゲント・カテドラル)、第8番(2009年ミュンヘン、ファラオ・スタジオ[第4番も同じ])を世に送った。以下は各番について若干の感想を。

 
【第3番】

3番(1873年第1稿)は現代の指揮者にとっても、取り上げには勇気がいるだろう。なによりも後の改訂稿にくらべて演奏時間が長い。しかもソナタ形式を遵守せんとするがゆえに繰り返しが煩瑣で緊張感が持続しにくい。かつ、ワーグナーのメロディの混入によって、曲想のイメージに不自然なところがある。

ケント・ナガノの第1稿演奏は挑戦的である。彼は、“欠点”を“欠点”とは捉えず、原曲の特色をむしろ堂々と打ち出す。特に長い第1楽章では、あえて遅めのテンポを取り、繰り返しも淡々とこなし、あたかもこの曲がいま誕生したかのような初々しさで丹念に奏す。そう!自信に満ちた初演指揮者のような演奏である。

2楽章のワーグナー音楽の影響も、意識して聴くと面白さがある。『タンホイザー』からの引用ほか、溶け込んでいるので、はっきりとは認識しにくいがワーグナーの陰がさすパートを発見するのも一興。彼は、名案内人のように、そこはゆっくりと奏でて、リスナーをわかりやすく誘導してくれる。

一方、第3楽章は、後の改訂稿との差があまりないが、快速に飛ばして緊張感を持続させる。第4楽章は、ブルックナーの荒ぶる魂を思い切りぶつけるような演奏。終楽章に関して、第1稿では整序前の濃厚さと雑味があるが、あえて呑兵衛的に言えば“原酒の良さ”に似たりか。同じ銘柄ながら吟醸酒ではなく、搾りたて原酒を出されたような感じ。ガツンとくる強さと豊かな芳香の味わいもけっして悪くない。約70分のトリッキー体験である。

【第4番】



1975年にノヴァーク版第1稿として出版された1874年稿(第1稿)による演奏。作曲家自身がその後、多く改訂をくわえているので、完成度と洗練度では第2稿以降のほうが高く、一般にはそちらを選択すべきだろう。一方、“創作の秘密”に迫るという視点からは、野趣あふれるリズム感、より素朴なメロディの出現など、第1稿ならではの特色もある(以上は第8番にも共通する)。。

第2稿で第3楽章は差し替えられたので、“はじめ”の第3楽章を聴きたければ第1稿を手にとるしかない(但し、そこまでして、本楽章を聴くべきかどうかは別の判断だが)。

ケント・ナガノは、ディテールを正確に表現することに加えて、ブルックナー特有の内在する波動をしかと捉えて、ドライブ感のある演奏。あえて第1稿でなくとも、通常の版でも並みいる名盤に十分に拮抗できるだけの水準にあると感じた。

 

【第7番】

この演奏は、聖バーフ大聖堂(Ghent, Saint Bavo Cathedral)で20109月に行われた。残響がながくブルックナー・サウンドが拡散して心地よく満ちわたるのが本盤の一つの特色である。

ケント・ナガノは第4番では、1874年稿(第1稿)という“レア対応”をとったが、第7番は異稿問題が基本的にはないので、実にオーソドックスな演奏である。ゆえに個性的とは言い難い。その分のコントラストを収録ホールの音響でつけているのかなとも感じた。

一方、先行収録した第4番同様、ブルックナー特有の内在する波動をしかと捉えており、それを見事に再現している。ブルックナーはよく知られるとおり、数字についての拘りが強く、一種の強迫神経症だったと言われる。リスナーには(繰り返しが多いなという以上には)一般には意識されないが、厳密な規則性への拘りは、内在する波動に転化される。

それを読み取って躍動感をもって表現できるかどうかが演奏の成否を決めるといってもいい。ケント・ナガノのナチュラルで良く伸びるサウンドの背後には、安定し途切れぬ緊張感をもった波動がある。

 

【第8番】

81887年初稿による演奏。第4番(1874年第1稿)につづき、初稿で勝負といったケント・ナガノの意気込みが伝わってくる。全体に、構えを大きくとり、音の奥行が深く、かつテンポは遅い(約100分)。それはチェリビダッケのアプローチに似ているが、第3楽章などギリギリの失速懸念のなか、緊張感が途切れないのは、先に指摘したブルックナー“波動”をしっかりと見切っているからだろう。

第1楽章、曲想の基本はその後の版とかわらないが、第2稿とくらべて再現部以降のバランス、歯切れがいかにもわるく、かつワーグナー的メロディがやや不自然に挿入されている。第2楽章は、楽器が次々に新手のように繰り出されてくるカラクリは、面白く聴くことができる。また、テクスチャーの豊かさ(未整理ともいえるが)に“原石の輝き”も感じる。第3楽章は約37分となんとも長大。ここではバイエルンの魅力的なアンサンブルの音質が“暗さ”を抑止している。終楽章の濃密さも特色。それにしても、これだけ長丁場、緊張感を持続させるタフな演奏はいかにもドイツ的かもしれない。

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