月曜日, 8月 24, 2020

チェリビダッケ ブルックナー 第8番

 Sym 8

交響曲第8番ハ短調(1890 編 ノーヴァク)
録音:1993年9月12&13日、ガスタイク・フィルハーモニー、ミュンヘン

一音、一音が、フレーズが、パッセージが固有の意味をもっているのだ、と繰り返し練り込むような演奏です。ミュンヘン・フィルの弦楽器群は、文字通り一糸乱れぬ臨場(ライヴ盤とはとても思えません)、対して管楽器群の威力は凄く、これが合わさったときの濃度の高さを形容する言葉がなかなか見つかりません。適切な比喩ではありませんが、水の流れではなく“液状化”といった感じでしょうか。

1楽章が遅く重いので、つづくスケルツォは通常より遅いにもかかわらず、荷もたれ感がなくハープの響きが清涼剤のように感じます。第3楽章では低弦のあえて混濁した響きではじまり、それが曲の進行とともに音が徐々に純化、浄化されていくような展開を取ります。各楽器パートの意味ありげな表情の豊かさは、ブルックナー自身の想定をあるいは超えているかも知れません。しかし、不思議なことにその背後には、なにか霊的で静謐なものがあるようにも感じさせます。この一種の「濾過過程」の表現が有効に機能しているからでしょう。演奏に一瞬の弛緩がなく、ゆえにこの楽章だけで35分の遅さがさほど苦になりません。終楽章もテンポは動かさず遅さも不変です。緊張感の持続の一方、強奏部の迫力がここでの魅力です。全体のバランスはけっして崩しませんが、ここぞというところでは、思い切り弾き、鳴らしています。ケンペ時代の録音も同様ですが、こうした場面でのミュンヘン・フィルの質量には圧倒されます。

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