ヨッフムの旧盤(ベルリン・フィル)を聴く。1964年の録音。ノヴァーク版を使用。この年の録音ということについての意味を少しく考えてみよう。8番については、クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィル、シューリヒト/ウイーン・フィルの歴史的な名演がある。これらはいずれもこの前年1963年に録音されている。
シューリヒト クナッパーツブッシュ ヨッフム
版 1890年 レーヴェ等の改訂版 ノヴァーク版
第1楽章 15´31" 15´51" 13’36”
第2楽章 13´58" 15´54" 13’54”
第3楽章 21´42" 27´42" 26’35”
第4楽章 19´42" 26´00" 19’49”
録音 1963年12月 1963年1月 1964年
版が違うのだから一概に比較はできないにせよ、第1、第2楽章はシューリヒトより早く、思わぬ快速感がある。一転、第3楽章はクナッパーツブッシュばりの急減速に驚く。そしていま一度、転じて第4楽章はほぼシューリヒト並の運行速度に戻る。
ヨッフムが、この2人のブルックナーの<大家>の演奏をどこまで意識していたかどうかはわからないが、楽章別のアクセントの「付けかた」という観点からは実に興味深い。
当時の東独の情報がこれまた、どこまで伝わっていたかどうかも不詳だが、ゲヴァント・ハウスでは、ブルックナーを十八番とするコンヴィチュニーが君臨していたことは既に「西側」にも音源が紹介されていたから、もちろん良く知っていたであろうし、海を渡った英国には彼の<怪物>クレンペラーが闊歩していた。
なによりも、同じベルリン・フィルではカラヤンの8番の録音(1958年)は一世を風靡し、ベルリン・フィル自体が<カラヤン・マシン>に徐々に改造されつつあった。そういう時期の録音である。
なぜ、こうもくだくだと並べてみたかと言うと、ヨッフムの演奏の<アク>が、その後のドレスデンとの収録に比べて強いと感じるからである。ヨッフムの8番は、この他にも、ハンブルク国立歌劇場管弦楽団(1982 年)、 バンベルク響(1982年9月15日)ライヴ盤もあるが、ヨッフムの8番「正規盤」としては初のベルリン・フィルとの共演には、彼の並々ならぬ意気込みを感じることができる。
それが、冒頭比較した演奏時間にもあらわれているように思うし、第1楽章の金管のやや過度に強調した鳴らせ方では、コンヴィチュニーを連想したりもする。
ヨッフムは当時においても、自信に満ちたブルックナー演奏の第一人者であったのだから、そうそう他の指揮者のことを歯牙にかけていたわけではないよ、と言えるかも知れないが、前半と後半2楽章の演奏スタイルはかなり違っており、同じベルリン・フィルでもカラヤン盤の<遅さ>と<重さ>に比べて、全般に<早く>て<ほの明るい>サウンドを導出しているようにも聞こえる。
ブルックネリアーナ指揮者にとって、8番は完成された最後の交響曲であり、その特異さから改訂の憂き目をみ、ブルックナーの生前、ほとんど演奏されなかったいわく付きの大曲である。演奏者にとっては、いまもブルックナー解釈の真価が問われる<ポレミークな作品>であることは間違いない。本盤は緊張感に満ち素晴らしい演奏だが、どうも、いつものヨッフムらしからぬ気負い、自意識を感じるのは自分の聴き方が穿ちすぎているからであろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿