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フランツ・シャルクの演奏を学生時代よく聴いたようだが、なんら弟子ではなかった。
カラヤンのブルックナー解釈は、さまざまな先人の内容を意欲的に吸収しつつも、カラヤンが若き日からスコアを読み尽くし、自分自身で築いたものであったと言えるかも知れない。そして、ブルックナー改訂で名をとどめたハースは、カラヤンの演奏を聴いて、彼の校閲の見方からこれを高く評価した。カラヤンにとっては、泰斗ハースの援軍は大きな自信に繋がっただろう。
カラヤンは下記のブログにもしるしたとおり、ブルックナーの交響曲第8番を得意中の得意の演目としていた。戦前から一貫して8番こそ、カラヤンの金看板だった。それについで、9番、7番、5番をよく取り上げたが、録音は9番(日本でのレコード芸術推薦盤1967年)、4番、7番(同1971年)がはやく世評も高かった。しかし、この録音も、カラヤンの本来の意思からはけっして早くはない。
何故かと言えば、当時ドイツグラモフォンは、ブルックナーではヨッフムの名盤(いまもその価値は変わらない)があったし、なによりブルックナーのレコードは全く売れなかったようだ。後に、カラヤンが意欲的に全集を出した頃は、ブルックナー受容が進むとともに、「カラヤンの名前」で十分に売れるようになってからであったと言う。
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