木曜日, 8月 04, 2011

サバリッシュの魅力



ウォルフガング・サバリッシュ
Wolfgang Sawallisch,1923826 - )は南ドイツ、バイエルン州ミュンヘン生まれ。1986年にミュンヘン音楽祭に行ったが、サバリッシュの当日券を取ることは難しかった。ドイツに滞在して、欧州でいかに大家であるかをはじめて知った。

日本でNHKによく来演してくれた親日家であったので、いかにも身近に感じていたが、いま思うととても有難いことだったと思う。

 【以下は引用】

幼少期からピアノ、音楽理論、作曲を相次いで学ぶ。指揮も、現代音楽の指揮で名高いハンス・ロスバウトに師事する。第二次世界大戦で通信兵として徴兵され、大戦後は1947年にアウクスブルク市立歌劇場でフンパーディンク作曲のオペラ「ヘンゼルとグレーテル」でデビュー。この指揮が高く評価され、第一指揮者に抜擢される。ついで1949年にはピアノ奏者としてヴァイオリニストのゲルハルト・ザイツと共演し、ジュネーヴ国際音楽コンクールの二重奏部門で1位なしの2位となる。以後指揮者とピアニスト(主にリートの伴奏者として活躍)を並立させる。

1953年にはアーヘン、1958年にヴィースバーデン、1960年にケルンのそれぞれの市立歌劇場の音楽総監督に就任する。その間の1957年にはロンドンデビュー(エリーザベト・シュヴァルツコップの伴奏者&フィルハーモニア管弦楽団の指揮)と、バイロイト音楽祭初出演を果たす。33歳でのバイロイトへの出演は当時の最年少記録(1960年にロリン・マゼールが30歳で初出演し、現在はこれが最年少記録)だった。

歌劇場での活躍の一方でオーケストラの音楽監督でも活躍し、ウィーン交響楽団やハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を歴任。スイス・ロマンド管弦楽団では創設者エルネスト・アンセルメ亡き後のオーケストラの再構築に尽力した。

1971年からはバイエルン国立歌劇場の音楽監督(1982年~1992年は音楽総監督)に就任。若手の逸材歌手を積極的に登用し、出演者の相対的な若返りに成功した。1988年にはリヒャルト・シュトラウスのすべてのオペラを上演して話題を呼んだ。

バイエルンのポストを退任後、リッカルド・ムーティの後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任。フィラデルフィアのポストを退任した後は特定のポストには就かずフリーの指揮者となっていたが、20063月に、5月以降に予定していたフィラデルフィアやローマなどでのコンサートを心臓病の悪化を理由にキャンセルし、現役からの引退を事実上表明した。

ミラノスカラ座からトスカニーニバトン、ベルリンフィルからニキシュメダル、ウイーン交響楽団からブルックナーメダルを贈られている。


以下には、そのディスコグラフィーを3つの分野に整理して掲載した(いずれもHMVからの引用)。これをみると、サバリッシュがいかに偉大な指揮者であるかどうかが窺える。

その風貌、雰囲気が学者然としており、どことなくベームに似ていることから、どうも「ミニ」べーム的に見えてその影が薄かったが、レパートリーでもドイツもの、R.シュトラウス、ワーグナーなどの主領域で演目が相当に重なっていることがわかる。

また、活躍の舞台たるミュンヘンには、カラヤン亡きあとチェリビダッケが巨星として輝き、ここでも話題性では割りをくった感もある。

大変優れたピアニストで、リートで一流歌手にすばらしい伴奏をつけている。音楽的な才能に恵まれ、宗教曲、合唱曲、室内楽などでも地味ながら手堅い成果を積み上げている。

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