Friday, May 13, 2016

テンシュテット Klaus Tennstedt で マーラーMahler を聴く

Klaus Tennstedt Mahler: The Complete Symphonies
Klaus Tennstedt Mahler: The Complete Symphonies
http://www.amazon.co.jp/Klaus-Tennstedt-Mahler-Complete-Symphonies/dp/B00000C2KM

マーラーの交響曲全集は多い。これを世に問うのは、いまや力量ある指揮者の「証」といった感すらある。さらに、各番別には、指揮者もオケも鎬を削る主戦場でもあり百花繚乱の状況である。

そのなかで全集としてどれを選ぶか。私はバーンスタインとテンシュテットを好む。各番別のベスト盤では種々の見解はあろうが、マーラーという世紀末に生き個人的にも深い懊悩をかかえた稀代の作曲家がなにを目指していたのかについて、明解に、かつ追体験的に迫るアプローチとしてこの2セットは共通する。

テンシュテットは交響曲の「完成」と同時に「崩壊」の過程、双方をマーラーにみて、その均衡と相克を各番に通底して全力で表現せんとしているように感じる。異様な迫力の部分、ゆくりなくも奏でられる美弱音の表情ともに緊迫し奥深い。彼自身、重篤な病気を圧しての足掛け16年の軌跡・・・といったセンティメントよりも、むしろ執念ともいうべき一貫した表現力への挑戦の記録に価値がある。傾聴すべき遺産と思う。

なお、テンシュテットのスタジオ録音は、1番(1977年)、5番、10番(1978年)、9番、3番(1979年)、7番(1980年)、2番(1981年)、4番(1982年)、6番(1983年)、8番(1986年)の順になされている(詳細下記)。

【収録情報】(カッコ内録音時点)

・第1番『巨人』(1977年10月4,5日)

マーラー:交響曲第1番「巨人」
マーラー:交響曲第1番「巨人」

Mahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt 所収。テンシュテットの「巨人」では、ほかにシカゴ響との マーラー:交響曲第1番「巨人」 や晩年の (1981, 1990) (Mahler: Symphony No. 1; Glinka: Ruslan and Ludmilla Overture) もあります。

クラウス・テンシュテットは東独の指揮者(1926年メルセベルク生まれ)だったので、早くから頭角はあらわしつつも冷戦下「西側」へのデビューが遅れました。しかし、豊穣なボリューム感をもった音楽性には独自の良さがあります。
当初は、フルトヴェングラー、クレンペラーに続く古式ゆかしい指揮者と思っていましたが、聴き込むうちになんとも素晴らしい音づくりは彼独自のものと感じるようになりました。音の流れ方が自然で、解釈に押しつけがましさや「けれんみ」が全くありません。その一方で時に、柔らかく、なんとも豊かな音の奔流が聴衆を大きく包み込みます。そのカタルシスには形容しがたい魅力があります。

マーラー:さすらう若人の歌/交響曲第1番ニ長調「巨人」


マーラー:さすらう若人の歌/交響曲第1番ニ長調「巨人」





・第2番ハ短調『復活』(1981年5月14-16日) 

エディト・マティス(ソプラノ)、ドリス・ゾッフェル(メゾ・ソプラノ)

マーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」

マーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」


テンシュテットの『復活』。低弦は、深く地中を抉り取る鍬(くわ)のように沈降する。管楽器は真面目に「おどけて」みせるような複雑な表情づけである。詠唱はか細く、力強くの最大限のアクセントをもって楽曲に溶け込む。どれにも曖昧さがない役割分担が与えられている。そこから「総合」される音楽は、巨大なスケール観をもち、感情表出の振幅が極めて大きい。いかにもライヴならではのメリハリの効いた迫力である。

<収録情報>
・マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』 [92:11]
 第1楽章 アレグロ・マエストーソ [24:38]
 第2楽章 アンダンテ・モデラート [11:59]
 第3楽章 スケルツォ [11:22]
 第4楽章 「原光」[06:10]
 第5楽章 スケルツォのテンポで、荒野を進むように [38:02]

 イヴォンヌ・ケニー(ソプラノ)
 ヤルド・ファン・ネス(メゾ・ソプラノ)
 ロンドン・フィルハーモニー合唱団
 リチャード・クック(合唱指揮)
 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 マルコム・ヒックス(舞台裏指揮)
 デイヴィッド・ノーラン(コンサートマスター)
 クラウス・テンシュテット(指揮)

 録音時期:1989年2月20日
 録音場所:ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール
 録音方式:ステレオ(ライヴ)

<参考データ>
本盤:1989年盤     24:38+11:59+11:22+06:10+38:02=92:11
セッション録音1981年盤 24:45+11:19+10:33+07:03+34:09=87:49

→ 
Mahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt も参照



・第3番(1979年10月27,29-31日)

 オルトルン・ヴェンケル(コントラルト)、ロンドン・フィルハーモニー合唱団女性メンバー、サウスエンド少年合唱団

マーラー:交響曲第3番
マーラー:交響曲第3番




・第4番(1982年5月5-7日)

Symphony 4 / 3 Songs From Des Knaben Wunderhorn

Symphony 4 / 3 Songs From Des Knaben Wunderhorn


 
マーラーの作品のなかでも鈴や木管の響きがどこか牧歌的な田舎の雰囲気を漂わす4番。南西ドイツ放送交響楽団、この時代の本拠地はバーデン=バーデン。ここはドイツの温泉保養地として著名だが人口約5万人の小都市である。1976年、東独出身で当時西独でもやっと知られるようになった遅咲きのテンシュテットがそこに客演したライヴ盤。組み合わせとしてはけっして悪くない。

マーラー自身、ウィ-ンで君臨する以前、ドイツの小都市で指揮者としての修行を積んだことがあり、ドイツ地方オケの多くは親近感をもっている。南西ドイツ放送響は集中度の高い思い入れのある臨場だ。優しいメロディ、尖ったところのない素朴な響き、駘蕩たる空気、そこに佇む素朴な人々…。特に第3楽章のちょっと悲し気な美しさは、ハイマートな郷愁か、あるいはそれをロスした旅愁を感じさせる。そこにテンシュテットの指揮姿が二重写しになる。
終楽章のエヴァ・チャポーのソプラノは丁寧で折り目正しい歌唱。高音部よりも低いトーンの伸びが印象的。全体としては、テンシュテットは自然体の構えで少しも力んだところのない、実に心休まる名演である。

→ 
GUSTAV MAHLER EDITION にて聴取



・第5番(1978年5月10-12日、6月8日、10月5-7日)

Mahler: Symphony No. 5
Amazon.co.jp : Mahler: Symphony No. 5

テンシュテットのマーラーの全集は、Warner Classicsから腹立たしいくらいダンピングされて市場にでている。Mahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt (その演奏の特質はここで「テンシュテット、傾聴すべき遺産」として記した。このセットでは、マーラーの第5番は、ロンドン・フィルとの1978年セッション録音盤、1988年ライヴ盤の双方を聴くことができる)。

それとの比較では、本盤(NDR交響楽団との1980年ライヴ)はいかにも高価に映るがその内容に注目。NDRはかつてのハンブルク・北ドイツ放送交響楽団であり、本演奏は当地ムジークハレでの収録。マーラーは若き日、カッセル王立劇場の楽長やハンブルク歌劇場の第一楽長をしており、当地での足跡も知られている。響きはいかにも北ドイツのオケらしく重厚だが、ライヴ演奏のスピード感ある乗りの良さと壮烈さは1988年盤を凌いでいるかも知れない。激しいダイナミズムと腺病質なリリシズムが交錯し、終楽章では次々にめまぐるしく展開する第1、第2、コデッタ主題との掛け合いの部分は圧巻。旧東独出身のテンシュテットの<プロ・ドイツ的>なマーラー像を聴きたいというファン向けと言えよう。

→ GUSTAV MAHLER EDITION も参照

マーラー:交響曲第5番
マーラー:交響曲第5番

・第6番『悲劇的』(1983年4月28,29日、5月4,9日)

マーラー:交響曲第6番「悲劇的」
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

1991年11月のライヴ録音。6番について、マーラーは5番までの作品を聴いた理解者しか、その特質はわからないだろうと語ったとのことだが、3楽章まではそれ以前の作品との連続性も強いと感じるながら、第4楽章に入ると、古典的なソナタ形式に対するアンチテーゼの思いが横溢しているようだ。「形式」が崩れゆく有り様は、強い芳香を発する熟れすぎた果物のような感をもつ。ハンマーが破壊の象徴であれば、なおのことその感を倍加する。

テンシュテットの特質である豊饒な音楽の拡散感がこの4楽章に実にマッチしている。しかし、それが「だれない」のは、音楽へののめり込み、集中力が少しも途切れないからだろう。交響曲という名称が付されながら、その実、「交響」の意味は複雑で多義的で、それは、かっての積木をキチッと組み上げていくような律儀な「形式美」ではなく、雪崩をうって積雪を吹き飛ばすような「崩壊美」に通じるように思う。第3楽章の美しいメロディに浸ったあと、音の雪崩が突然と起こり、それに慄然とする恐懼がここにある。

 テンシュテットには、そうした効果を狙ってタクトをとっているような「作為」がない。テクストを忠実に再現していく過程で、崩壊美は「自然」に現れると確信しているような運行である。こうした盤にはめったにお目にかかれない。稀代の演奏と言うべきだろう。 


・第7番『夜の歌』(1980年10月20-22日)

マーラー:交響曲第7番/モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」(ロンドン・フィル/テンシュテット)(1980, 1985)

マーラー:交響曲第7番/モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」(ロンドン・フィル/テンシュテット)(1980, 1985)



 


・第8番『千人の交響曲』(1986年4月20-24日、1986年10月8-10日)

 エリザベス・コネル(ソプラノI:罪深き女)、イーディス・ウィーンズ(ソプラノII:贖罪の女のひとり)、フェリシティ・ロット(ソプラノIII:栄光の聖母)、トゥルーデリーゼ・シュミット(コントラルトI:サマリアの女)、ナディーヌ・ドゥニーズ(コントラルトII:エジプトのマリア)、リチャード・ヴァーサル(テナー:マリアを讃える博士)、ヨルマ・ヒュニネン(バリトン:法悦の神父)、ハンス・ゾーティン(バス:瞑想の神父)、 デイヴィッド・ヒル(オルガン)、ティフィン・スクール少年合唱団

マーラー:交響曲 第8番 変ホ長調

マーラー:交響曲 第8番 変ホ長調

 

・第9番(1979年5月11,12,14日)

 アグネス・バルツァ(コントラルト)、クラウス・ケーニヒ(テナー)


・第10番嬰ヘ短調 第1楽章「アダージョ」(1978年5月10-12日、6月8日、10月5-7日)

マーラー:交響曲第9&10番

マーラー:交響曲第9&10番


マーラー:交響曲「大地の歌」

 
 
マーラー:子供の不思議な角笛
 

 
 
グスタフ・マーラー:交響曲集 クラウス・テンシュテット&ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団:ライヴレコーディング集[9CDs]
 

グスタフ・マーラー:交響曲集 クラウス・テンシュテット&ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団:ライヴレコーディング集[9CDs]


テンシュテットのマーラーについては、すでに演奏の高質に対して、録音には難がある廉価な全集がある(セッション全曲録音のほか5番(1988年)、6番(1991年)、7番(1993年)のライヴも所収)。
→ 
Mahler: Complete Symphonies Klaus Tennstedt 

本集の売りは、「復活」:ヘザー・ハーパー(ソプラノ)、ドリス・ゾッフェル(メゾ・ソプラノ)、ロンドン・フィル(1981年5月10日ライヴ)の初出だろうが、ほぼ同時期のセッション録音:エディト・マティス(ソプラノ)、ドリス・ゾッフェル(メゾ・ソプラノ)、ロンドン・フィル(1981年5月14-16日)の名演がすでに知られ、本集所収の1989年の
マーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」 のライヴ音源も著名。

因みにテンシュテットのマーラーのスタジオ録音は、1番(1977年)、5番、10番(1978年)、9番、3番(1979年)、7番(1980年)、2番(1981年)、4番(1982年)、6番(1983年)、『大地の歌』(1982年、84年)、8番(1986年)の順になされた。
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Klaus Tennstedt Mahler: The Complete Symphonies

本集はそれ以外のライヴで、1番(1981年)、前述の2番(1981年、1989年)、6番(1983年)、8番(1991年)および「さすらう若者の歌」(1991年)によって構成されている。また、
GUSTAV MAHLER EDITION では4番、5番の録音も優れたライブ音源もある。このようにテンシュテットのマーラーでは 多様な選択肢がある点留意。

全体の特色を一言。テンシュテットは交響曲の「完成」と同時に「崩壊」の過程、双方をマーラーにみて、その均衡と相克を各番に通底して全力で表現せんとしているように感じる。異様な迫力の部分、ゆくりなくも奏でられる美弱音の表情ともに緊迫し奥深い。彼自身、重篤な病気を圧しての足掛け16年の軌跡・・・といったセンティメントよりも、むしろ執念ともいうべき一貫した表現力への挑戦の記録に価値がある。傾聴すべき遺産と思う。
 

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