土曜日, 1月 12, 2019

ヨッフム ブルックナー Jochum Bruckner

EUGEN JOCHUM/ THE LEGENDARY EARLY RECORDINGS
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ヨッフムには、Bruckner: 9 Symphonies や Bruckner Complete Symphonies の2つのブルックナー交響曲全集がある。ヨッフムはブルックナー演奏の押しも押されもせぬ泰斗であるが、本集はさらに遡って、1930年代から50年代の非常に古い音源を収録している。一般には録音状態の良い上記の全集がお奨めだが、「ブルックナー演奏史」から、ヨッフムの貴重な過去の記録を聴きたくて購入を決めた。

一方、いずれも古式ゆかしい演奏ながら、ワーグナーに関しては一時、ヨッフムがバイロイトに出向いていた頃のライヴ記録を耳にできる。また、ブラームスは4番をのぞく交響曲が収録されている。

<収録情報>
【ブルックナー】
・交響曲第4番「ロマンティック」、ハンブルク国立フィル(1940年)
・交響曲第5番、ハンブルク国立フィル(1938年)
・交響曲第7番、ウィーン・フィル(1939年)

 

・交響曲第8番(ハース版)、ハンブルク国立フィル(1949年)
・交響曲第9番(ノヴァーク版)、バイエルン放送響(1955年)
・「テ・デウム」アンネリース・クッパー(Sop)、ルート・ジーヴェルト(Alt)、ロレンツ・フェーエンベルガー(Ten)、キム・ボルイ(Br)、バイエルン放送合唱団、バイエルン放送響(1954年ライヴ)

【ワーグナー】
・歌劇「ローエングリン」より第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲
バイロイト祝祭管(1954年ライヴ)
・歌劇「トリスタンとイゾルデ」より第1幕、第2幕、第3幕への前奏曲
バイロイト祝祭管(1953年ライヴ)
・歌劇「タンホイザー」より序曲、ベルリン・フィル(1938年)

【ブラームス】
・交響曲第1番、ベルリン・フィル(1938年)
・交響曲第2番、ベルリン・フィル(1951年)
・交響曲第3番、ハンブルク国立フィル(1939年)
 
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<第1回全集>
 
交響曲第1番~ベルリン・フィル1965
交響曲第2-3番~バイエルン放送響1966-1967
交響曲第4番~ベルリン・フィル1965
交響曲第5-6番~バイエルン放送響1958, 1966
交響曲第7-9番~ベルリン・フィル1964 

ブルックナー:交響曲第4番
 
 
 
 


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ヨッフム/大家の技倆

ヨッフム/ベルリン・フィルによる1965年録音のいわゆる旧盤である。ヨッフムの演奏は弦楽器の音色が幾分ほの明るく、しかも透明度の高いところに特色がある。その弦の響かせ方に南ドイツ的な軽妙なニュアンスがあると評する人もいるが、水の流れにたとえると、緑陰からさす木漏れ日を少しく浴びた清流のような感じである。
 例えば第2楽章では通奏の「流れ」にブルックナーらしいピチカートがリズムを刻むが、これは(いかにも日本的な比喩であるが)渓流で鮎が水面から水飛沫をとばしてはねているような印象すら受ける。瑞々しく清潔感のある調べである。
 その一方、第3楽章のtuttiではピシッと整った強奏で迫ってくる。そうした緩急のつけ方がブルックナーの音楽の呼吸と見事に合う。第4楽章のフィナーレへの道程も、反復繰り返しのなかで徐々にエネルギーが充電され、これが最後に一気に放出されるように感じる。
 こうしたヨッフムの演奏の特色はこの4番に限らず、どのブルックナーの演奏にも共通するが、縦横にすぐれた大家の技倆だと思う。


ブルックナー:交響曲第5番
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ヨッフムの5番は特別です

ブルックナーファンの座右の本に『音楽の手帖/ブルックナー』(1981年青土社刊)があります。ここでヨッフムは5番の解釈について蘊蓄をかたむけています。分析的な解釈と確固たる信念に基づく演奏ー5番は特にヨッフムが得意としていた演目です。派手さはないかも知れません。また、大向こうを唸らせるような所作とも無縁ですが、正統性(オーソドキシイ)とでもいうべき品格がこの盤にはあります。

 新しい演奏がどんどんリリースされるなかにあって、この1枚の歴史的な価値は決して減じることはないと思います。

ブルックナー:交響曲第8番(紙ジャケット仕様)
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ヨッフム、強烈な気概を感じさせるベルリン・フィルとの第8番

1964年1月、ヨッフム/ベルリン・フィルによる強烈な第8番である。録音もこの時代とは思えないくらいクリア。ベルリン・フィルでは1949年3月のフルトヴェングラー盤、1951年1月のクナッパーツブッシュ盤、1957年5月のカラヤン盤といった先行録音がある。
ヨッフムにおいても、第8番の初出としてはやくも1949年ハンブルク州立フィル盤を廉価で聴くことができる(音は悪いは良き演奏)。以上どれも感動を呼ぶ名演で、甲乙はつけがたいが、ヨッフム盤はいまも1960年代を代表する優れたステレオ録音であることは動かない。
ヨッフムは先行成果を十分意識してしたと思う。表情のつけ方が後年に比べて、かなり濃厚であり、遅い第3楽章では、異質さよりも、先人の解釈との共有点の方を見い出しうる。

しかし、彼はすでにブルックナー指揮者として自信と使命感をもっていた。第7番とのベルリン・フィルとの共演では先行して1952年盤があり、かつ第1回全集で、ドイツグラモフォンは主要な交響曲第7~9番(1964年)、第1番、第4番(1965年)を、ヨッフム/ベルリン・フィルで世に送り、これはいまも広く聴かれている。

ブルックナーの弱音部の美しきハーモニーは、この演奏ではいわば“封印”されており、諦観的な部分は宗教的なものを感じさせ、一方、炸裂する音響では、重畳的な音の迫力と、ときに強烈なパッションが剥きだしに前面に出ている。より複雑で精妙な表現を求めたいなら後年の多くの録音に委ねるとして、当時のヨッフムの気概をこの第8番で追体験するのも悪くない。ベルリン・フィルの全開の音、これまた圧巻。

 
 <第2回全集> 
 
響曲 11877年リンツ稿(ノヴァーク版) 19781211-15
交響曲 21877年稿(ノヴァーク版) 198034-7
交響曲 3 1888-89年稿(ノヴァーク版) 1977122-27
交響曲 4 1878/80年稿(ノヴァーク版) 1975121-7
交響曲 5  (ノヴァーク版) 1980225-33
交響曲 6 原典版197866-13
交響曲 7  (ノヴァーク版) 19761211-14
交響曲 8 1890年稿(ノヴァーク版) 1976113-7
交響曲 9  (ノヴァーク版) 1978113-16
 
シュターツカペレ・ドレスデン/ルカ教会、ドレスデン

Bruckner Complete Symphonies
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 ヨッフムの偉業はなんと言ってもブルックナーの交響曲全集や多くの宗教曲集を残してくれたことでしょう。しかも、彼がブルックナーの交響曲や宗教曲を体系的、系統的に録音しはじめた頃は、誰も今日のようにはブルックナーへの熱い視線は送っていなかったと思います。

 ヨッフムが第1回の交響曲全集を完成させたのは1966年ですが、その後に続く代表的な指揮者の全集をいくつか拾ってみると、ハイティンク/コンセルトヘボウ(63-72)、朝比奈隆/大阪フィル(75-78)、マズア/ゲバントハウス管弦楽団(74-78)、バレンボイム/シカゴ響(72-80)、ヴァント/ケルン放送響(74-81)、カラヤン/ベルリン・フィル(74-81)となりますが、この時にはヨッフムは2度目の本全集をドレスデン国立管弦楽団と収録済みですから驚きです。

 4番や後期のブルックナーを定着させたのは、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、ワルター、クレンペラーらの先人ですが、1〜3番や5番の素晴らしさを一般に教えてくれたのはヨッフムの飽くなき挑戦あればこそと思います。



 
 
 
ヨッフムによるブルックナーの交響曲第1番。第1楽章はいかにも初期らしい素朴さや生硬さもそのままに「地」を生かした演奏。第2楽章では中間部の魅力的なメロディは叙情的に歌い込んでおり、清廉なるメロディの創造者としてのブルックナーが浮かび上がる。後半2楽章は快速さが身上で、小刻みなアッチェレランドも使用し、九十九折りのように上昇する旋律と一転畳み込むように下方する旋律もアクセントをもって展開される。ここでは、素朴さよりも劇的な表現の萌芽を存分に拡張してみせるような演奏。ブルックナー楽曲のもつ特色を細部まで考えぬき、さまざまに引き出そうとするヨッフムの演奏には特有の熱っぽさがあり、それがブルックナー・ファンにはたまらない魅力である(1978年12月11-15日、ドレスデン、ルカ教会でのセッション収録)。

ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」(1889年版 ノーヴァク編)
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ヨッフムの第3番、途切れぬ緊張感

1977年1月、ドレスデン、ルカ教会でのセッション録音(1889年ノヴァーク版)。第3番は取り上げが難しい曲で、これぞ名演というのは些少。新旧ヨッフム盤(本演奏は新盤)は、そうしたなかでクナッパーツブッシュ、ベーム盤とともに最右翼だろう。

ブルックナーの全交響曲に共通し、特に本曲や第6番では“途切れぬ緊張感”こそが肝要。
強奏部は自然に乗り越えられるが、第2楽章アダージョなどを典型に、繰り返しが多く、弱音が長くつづくフレーズこそ、真価が問われるところ。固い信頼感に支えられたコンビ、ヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデンはどこパートでも全く“ダレ”がなく筋肉質の響きを奏でている。その一方、第1楽章終結部や第3楽章スケルツォなど、ここぞという場面での歯切れが良く“メリハリ”をはっきりとつけている。終楽章の迫力も申し分ない。本曲成功のもうひとつの隠された要因は、シュターツカペレ・ドレスデンの分厚い低弦と輝かしい木管・金管の技量の高さ。管楽器群の折々の思い切った吹奏は実に効果的である。

ブルックナー:交響曲第5番(ノーヴァク編)
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ヨッフム 得意の5番 シュターツカペレ・ドレスデンで

ブルックナーの5番はヨッフムの手中の玉。この曲は3番ほどではないが聴かせどころが難しく、ブルックナー交響曲中でも他番にくらべて録音は少ない。一方、ヨッフムには本曲について実に多彩な音源があるが、なによりリスナーから多くの支持をえているからだろう。

本盤は、残響豊かなドレスデン、ルカ教会でシュターツカペレ・ドレスデンを振っての1980年の録音。ほかにも1958年の バイエルン放送交響楽団 ブルックナー:交響曲第5番 や、1964年のOttobreuren Abbeyでのライブ盤 Bruckner: Symphony No.5 などもあるが、その基本線はまったく変わらない。

全体はがっしりとした構えながら、コラール風の安寧に満ちたメロディが随所に繰り返され、それが徐々に力を漲らせながら頂点に向かっていくこの曲を手練れの技で聴かせる。分析的な解釈と確固たる信念に基づく演奏であり、派手さはなく、大向こうを唸らせるような所作とも無縁ながら、正統性(オーソドキシイ)とでもいうべき品格がこの演奏にはある。これこそブルックナーの魅力の表出といわんばかりの自信に満ちたアプローチと言えよう。


ブルックナー:交響曲第6番(ノーヴァク編)
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ヨッフムの第6番、至芸の第2楽章

1978年6月、ドレスデン、ルカ教会でのセッション録音(原典版ノヴァーク版)。第6番は後期3曲に比べて、演奏および録音機会が少なく、したがって代表盤の選択が難しい。小生は、レーグナー、カイルベルト、ヴァントなどとともに新旧ヨッフム盤(本曲は新盤)を好む。

第6番の第2楽章アダージョは、あたかも葬送行進曲のような言いしれぬ悲しみと清浄さを求めて天空にのぼっていくような感覚をあわせもっている。至難の表現力が要求され、それがゆえに他番を取り上げる指揮者も躊躇するのかも知れない。

ヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデンには迷いがない。ヨッフムのブルックナー解釈は、“交響曲全曲”(あるいは宗教曲も含め)がひとつの壮大なドラマで、各曲はその構成要素であるといった位置づけにあるように思う。均一な表現であり、安定性抜群である。

第5番をもっとも得意とし、第7番も名演の誉れ高いヨッフムゆえに、その第6番が劣るわけはないのである。それはバイエルン放送響を振った旧盤の全集でも、コンセルトヘボウとの1980年11月のライヴ盤でも基本は変わるところはない。終楽章は静謐さと交錯し、終結部はテンポを上げて、激しき瀑布を連想させるような“凄演”である。
 
 
 
1976年12 月残響豊かなルカ教会での収録です。第1楽章冒頭の「原始霧」といわれる微かな弦のトレモロについて、7番では他のシンフォニー以上に慎重な処理が必要なことをヨッフムは指摘していますが、その絶妙な出だしから緊張感あふれる演奏です。

また、この7番は全体の「頂点」が第2楽章にあり、後半は下降線をたどるという解釈にそって、第2楽章アダージョでは特に内省的な求心力のある演奏となっており、シンバルとティンパニーの強奏による「頂点」を形成したあとは諦観的なエピローグによって締めくくられます。全般にとても端整な音楽づくりにヨッフムは心を砕いており、それがリスナーの自発的な集中力を高める結果となっていると思います。

7番は比較的異稿問題が少なくブルックナーの「地」の姿が素直にでていると言われますが、この演奏を聴いていると、本来のオルガン演奏が管弦楽団に極力代替され、チェロなどの中声部は人声の合唱にちかい微妙な表情すらもっているようにも感じられます。特に、後半の2楽章では、金管の使い方が過不足ないようにセーブされており、またテンポも大きく動かさないことから、劇的な演出に慣れたリスナーには、物足りなさを感じるかも知れません。しかし、これが作曲家の意図をあくまでもくみとろうとする解釈なのだと思って神経をそばだてると、瑞々しい感性、静寂の深さに別の感動が湧いてくると思います。じっくりとブルックナーに親しみたいリスナー向けには最良の名演でしょう。


ブルックナー:交響曲第9番(ノーヴァク編)

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ヨッフムの9番は、バイエルン放送響(1954年11月)、ベルリン・フィル(1964年)、ベルリン放送響(1984年3月25日)の各録音があるが、本盤は、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(1978年)を振り「公式」録音では3度目にあたる(ノヴァーク版使用)。

第1楽章の迫力が凄い。ヨッフム75歳ながら、枯れた要素などは微塵もない。競(せ)っているような少し前のめりの感があり、次から次に畳み込むような強奏がつづき、第1楽章に全体の頂点を形成することを明らかに意図しているような意欲的な演奏である。第2楽章のスケルツオも、これと連続し速度ははやくリズムの切れ味は鋭い。一気に駆け抜けるような文字通りの「快走」である。

一転、第3楽章に入ると大胆に減速し、フレーズは滔々と伸ばし、じっくりとメロディを奏でていく。色調も明から仄かに翳りをもちブルックナー交響曲群全体の「終章」的な重みを持たせているように感じる。第3楽章も強奏は緩めないが、ダイナミズムの振幅は次第に狭まり、その一方で音の透明度は維持されつつも感情表出の濃度がましていく印象をうける。

この曲のもつ演奏スタイルはかくあるべしと言わんばかりの説得力である。考えぬかれ、それをあますところなく表現したヨッフムらしい名演である。

 

 <コンセルトヘボウ管弦楽団との録音> 

交響曲第41975116
交響曲第51986124交響曲第61980112

交響曲第71970315
交響曲第81984926 
コンセルトヘボウ管弦楽団/アムステルダム、コンセルトヘボウ

ブルックナー: 交響曲 第5番<タワーレコード限定>


ブルックナー: 交響曲第5(ハース版)
オイゲン・ヨッフム(指揮)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団【録音】ライヴ録音: 196433031 オットーボイレン、ベネディクト修道院
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ヨッフムの5番 代表的な名演

ヨッフムの第5番は数種類があり、どれも名演の誉れが高いですが、これは1964年3月30日、31日にOttobreuren Abbeyでのライブ盤です。コンセルトヘボーの滋味がありながら透明度の高い弦楽器の音色が、録音会場の教会のなかに残響豊かに満ちていきます。ヨッフムは、全体はがっしりとした構えながら、コラール風の安寧に満ちたメロディが随所に繰り返され、それが徐々に力を漲らせながら頂点に向かっていくこの曲を手練れの演奏で聴かせます。これこそブルックナーの魅力の表出といわんばかりの自信に満ちたアプローチです。

ブルックナー: 交響曲第5(ハース版)
オイゲン・ヨッフム(指揮)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
【録音】ライヴ録音:1986124/アムステルダム

ブルックナー:交響曲第7
オイゲン・ヨッフム(指揮)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
【録音】ライヴ録音:1986917/昭和女子大学人見記念講堂 

ブルックナー:交響曲第8
オイゲン・ヨッフム(指揮)、バンベルク交響楽団
【録音】ライヴ録音:1982915/NHKホール

<その他> 

交響曲第4番~バイエルン放送響1955
交響曲第7番~ベルリン・フィル1952

交響曲第8番~ハンブルク州立フィル1949
Symphony No. 8 in C Minor, WAB 108: I. Allegro moderato (Ed. R. Haas from 1887 and 1890 Versions)



交響曲第9番~バイエルン放送響1954年 

3 Masses
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ヨッフム/ ブルックナーへの深い共感

ミサ曲(第1番)ニ短調とミサ曲(第3番)ヘ短調は、いずれも≪4人の独唱と混声4部、オケとオルガン≫による。一方、ミサ曲(第2番)ホ短調は、≪混声8部と管楽≫による。第1番の独唱では、エディット・マティス(S)、カール・リーダーブッシュ(B)、また3番ではエルンスト・ヘフリガー(T)など当時の第一級の歌い手が登壇しており、メンバーの質の高さが第一に特筆されよう。

 ヨッフムの解釈は、おそらく敬虔なミサ曲を扱う配慮は忘れないながら、むしろポリフォニックな構築力をより強く感じさせる。緊張感と迫力に富み作品に内在する熱く強いパッションを前面に押し出して聴き手を圧倒する。これが次に指摘すべき点であろう。

 第2番に顕著だが、厳しい合唱の統率力ゆえか、混声が完全に融合しひとつの統一された「音の束」のように響いてくる。その統一感が規律を旨とするミサ曲の緊張感を否応なく醸成する一方、管楽器のみの伴奏が効果的にこれと掛け合い、合唱の美しさとダイナミズムに見事なアクセントを付けている。

 テ・デウムを別格とし、1864ー68年にかけて集中的に作曲されたブルックナーの宗教曲の最高傑作の3曲を続けて聴くと、これらの作品の音楽的な連続性にも思いはいたる。宗教曲はいつも聴くわけではないが、ブルックナーを愛するリスナーにとって、ときに深夜、光も音量も落として、交響曲以外のもうひとつのブルックナーの世界に浸るも良し。ヨッフム会心のこの2枚は、その際の最高の贈り物であると言えよう。

Eugen Jochum : The Complete EMI Recording
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ヨッフム ドイツ音楽界の重鎮の記録

 ドイツ音楽界の重鎮だったヨッフムの集大成、廉価盤。ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの全交響曲と得意の宗教曲からバッハ/ミサ曲ロ短調とモーツァルト/戴冠式ミサほかを聴くことができる。

 目玉はなんといってもブルックナー。ヨッフムは、国際ブルックナー協会の要職にもあった最高権威だが、小生は本全集 Complete Symphonies 1-9 (★5つ)をながらく聴いている。いまもかわらぬ推奨盤である。なお、ブルックナー Bruckner: 9 Symphonies、ベートーヴェン ベートーヴェン:交響曲全集、ブラームス 4 Symphoniesともに旧盤があり、いずれも録音は古いが管弦楽団の力量(ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ)で、こちらを好む向きもあろう(廉価盤ベートーヴェン交響曲全集ではトスカニーニ盤 9 Symphonies が小生の推奨)。

<収録情報>
◆ベートーヴェン:交響曲全集、序曲集 ロンドン交響楽団(1976-79年)
◆ブラームス:交響曲全集、序曲集 同上(演奏、録音)
◆ブルックナー:交響曲全集 シュターツカペレ・ドレスデン(1975-80年)
◆バッハ:ミサ曲ロ短調  バイエルン放送交響楽団&合唱団(1980年)
◆モーツァルト:ミサ曲ハ長調 K.317『戴冠式ミサ』、証聖者のための荘厳な晩祷 K.339 同上(演奏:1976年)
 
  ヨッフム ブルックナー

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