土曜日, 10月 19, 2013

フルトヴェングラー ブラームス 交響曲 を聴く

Brahms: Symphonies

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◆第1番

 1952127日、ウィーン/ムジークフェラインザールでの録音。同番のベルリン・フィルとの演奏にくらべて録音が悪く、音の分離・解像が十分ではないのでフルトヴェングラー・ファン以外の向きには多分に欲求不満がたまるかも知れない。

 しかし、演奏は素晴らしい。また、この時代のフルトヴェングラーのブラームス解釈が、同時代および後世にひとつの「規範」として認識されていたのではないかとの思いを強くする。各楽章の位置づけが明確で、古典的な厳格な形式美を追求しつつ、ロマンティックな楽想をときに自由に展開する縦横さは絶妙である。特に第4楽章はテンポをあげて、前3楽章に対してすっきりと運行するが、意外にもカラヤンの同楽章の演奏はこれと近似していると感じた。

 ブラームス好きには、他盤との聞き比べでときに耳を傾けるとよい名演であると思う。
 
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◆第2番

 195257日、ミュンヘン・ドイツ博物館でのベルリン・フィルとの演奏。低弦のアンサンブルが見事で、木管のこれに寄り添うような響きも大変美しく、最近の演奏に慣れているとティンパニーが少し強調されすぎているように感じる部分はあるが、全体の統一感はいささかも損なわれていない。

 フルトヴェングラーの演奏では情熱的な強奏に魅力を感じる向きも多いが、この2番を聴いているとその背後にある音楽の堅固な「構築力」により特質を感じる。細部まで神経の行きとどいた「集中力」の持続する演奏でもある。

 録音後、20年以上も一般に公開されなかったものだが、この盤がお目見えして以降、ブラームスの2番では間違いなく名演の一角を占める代表的な1枚である。


◆第3番

 19491218日、ティタニア・パラストでのベルリン・フィルとの演奏。聴き手が受けとるロマンティックな感興とは別に、厳しく統率された演奏である。テンポの緩急が自在だがけっして乱れない。これは指揮者とオーケストラが本当に一体化して、音楽空間で完全に融合しているからこそ可能な技芸であると感じる。弦のピッチが揃い、第3楽章のオーボエやホルンの抒情的な表現も全体のバランスに配意し音の運行には細心の注意が払われている。各パートがお互いによく聴き合って慎重に奏でているからだろう。

 演奏からうける表面的な印象は異なるが、緩楽章、滔々たる実に遅いテンポ、特に弱音部での研ぎ澄まされた感性の表出では、チェリビダッケの演奏との共通点を連想する。ブラームスの音楽はかくあるべし、との自信に満ちた秀演である。

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◆第4番

 19481024日、ティタニア・パラストでの演奏。フルトヴェングラーのブラームスでは、憂愁の深みを表現するうえで、感情移入によるテンポの大胆な緩急などについて多く語られるが、それに加えて、この演奏でのリズムの刻み方の切れ味はどうだろう。

 一般に語られる4番のもつブラームスの「人生の秋、枯淡の味わい」といった抒情的な解釈よりも、古典的な造形美を最後まで貫き、絶対音楽のもつ孤高性こそを生涯、変わることなく主張したブラームスの芯の強い本質にフルトヴェングラーは、鉈を振り下ろすような圧倒的にリズミックな隈取りと時に自信に満ちた強大なダイナミクスをもって応えているように思われる。

 しかもオーケストラは指揮者の意図を明確に理解し、細心の注意と最大限の集中力をもって臨場している。だからこそ、そこから湧きたつ音楽は、少しの曖昧さもなく説得的であり、深い感興をリスナーに与えることができるのだと思う。ドイツ的な名演という意味は、彼らのもつ「絶対音楽」の伝統を誇りをもって示しうるところにこそあるのかも知れないーーそうしたことをこの類い希な名演はわれわれに教えてくれている。
 

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  かつてドイツ滞在中、毎朝、日が昇らずマイナス20度の寒さに街頭にでる経験をしたが、北ドイツの冬は暗くて実に寒い。同じドイツでもバイエルンなどの南の地方は少しく印象がちがうが、北方の生活者には憂鬱症といつも熟考する思慮深さ、そして厳しい環境、困難に負けない強い意志などがない交ぜになっているように感じることがある。よくブラームスを聴きながら通勤したが、これぞ風景と一体の感興があった。

 この4番は、交響曲作曲家として満を持しての決意表明たる1番、比較的温暖で明るい2番をへて、叙情性のもっとも良くでた3番ののち、晩年の集大成としての作品だが、ウイーンでの名声や華やかな生活の影響などどこにも感じられず、原点回帰、ブラームスの心象風景たる北ドイツの冬の寂寥感を強く意識させる。

 フルトヴェングラーの演奏は、その寂寥たる雰囲気を保ちながらも、その一方、上に記したように北方ドイツ人の強靭な意志をより印象づける。大胆なリズミックさとどこまでも底知れず沈降していく深みの感覚、テンポのたくまぬ可変性、フレージングの自由な処理、そして全体から受ける孤独に耐える知性的な闘争心。こういう演奏は他にない。
 
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ブラームス:交響曲第1番ハ短調Op.68 他 [モノラル] (Brahms: Symphony No.1 / Furtwangler, VPO (1947))
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=furtwangler+brahms+1947

   1947年のウィーン・フィルとのライヴ録音。リマスターによって音は聴きやすく雑音は非常に少ない。同コンビでは、1952年ムジークフェラインザールでの録音 があり、一般にはこちらを選択すべきだろうが、5年前の本盤も受ける印象はまったく変わらない。

 全4楽章を貫く基本線が明確で各楽章の構成力がしっかりとしている。そのうえで、表現ぶりは、ときに激しい気魄を、ときに胸奥に深く迫る豊かな叙情性を強調する。気魄あふれる強奏ではテンポをはやめ、叙情的な弱奏では思い切って緩める。その強弱、緩急の妙に独特の滋味が加わり、フルトヴェングラーならではのスタイルが表出される。本盤ではライヴゆえか、ウィーン・フィルの嫋々たる響きをたたえた木管の独奏パートも前面に出している。

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