金曜日, 10月 04, 2013

ジョージ・セル 快速、冷静、明燦

Szell Conducts Haydn
http://www.amazon.co.jp/Szell-Conducts-Haydn-George/dp/B003TUG3UO/ref=cm_cr_dp_asin_lnk

 セル/クリーヴランド管弦楽団のハイドン。完璧なまでのオーケストラ操舵ー透明度の高い完全なアンサンブル、管弦の均衡ある展開、基本的に一定かつ軽快なスピード感ーは、デジタル化の時代にあっても違和感なき心地よさで、古さを全く感じさせない。

 フリッツ・ライナー(1888年生まれ)、ジョージ・セル(1897年)、ユージン・オーマンディ(1899年)、ドラティ・アンタル(1906年)、ゲオルグ・ショルティ(1912年)、クリストフ・フォン・ドホナーニ(1929年)ー彼らはいずれもハンガリーで生まれ(あるいは血縁があり)アメリカのメジャーオケで活躍した大家である。このハンガリアン・ファミリーは、いずれもハイドンを得意とし名演を残している。とくに交響曲全曲録音を制覇したドラティの偉業が光るが、後期曲に関してセルの高純度の演奏はその双璧にある。

<収録情報>
CD1】交響曲第93番ニ長調(1968418日)、第94番ト長調『驚愕』(196755日)、第95番ハ短調(1969117日)

CD2】交響曲第96番ニ長調『奇跡』(19681011日)、第97番ハ長調(1969103日)、第98番変ロ長調(19691010日)

CD3】交響曲第92番ト長調『オックスフォード』(19611010日)、第99番変ホ長調(19571025日)

CD4】交響曲第88番ト長調『V字』(195449日)、第104番ニ長調『ロンドン』(195449日)、第97番ハ長調(19571025日)

※括弧内は録音時点。1954年分のみモノラル


 
Symphonies No. 35 in D Major K385 No. 39 I
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B003VKW16C/ref=cm_cr_asin_lnk

 セルの後期モーツァルトの交響曲はいずれも秀でた演奏。ワルターのように積極的に独自の気品あるモーツァルト像を提示するのではなく、むしろ端正な古典的な造形美を表出せんとするアプローチである。
 その一方、ベームのような厳しいテンポ設定、重厚感ある音作りに対して、あくまでも磨かれきった美しい響きに特色があり、精妙にして内燃的な演奏。後期各曲はいずれも均一なクオリティ・コントロールだが、特に39番は不動の名演の評価。聴き終わるとまたすぐ繰り返したくなるのは、いつまでもこの音楽空間にたゆとうていたいと思う故かも知れない。 

<収録情報(録音時期)>
モーツァルト:
・交響曲第35番(19601810日)
・交響曲第39番(196031112日)
・交響曲第40番(1967425日)

 
ベートーヴェン:交響曲第9番


 快速、冷静、明燦な演奏(196141522日録音)。トスカニーニ(約64分)ほどではないがセル(約66分)も他の指揮者よりかなり演奏時間は短く快速感がある(特に第2楽章11:25はトスカニーニより約1分半も速い)。
  音楽に無用な観念を付着させず純粋な音楽美を追求することに専心するセルのスタイルは「第9」でもまったくかわらない。ダイナミズムに過不足はないが、テンポを大きく動かさず、けっして弦と管(に加えて独唱と合唱)の均衡を崩さぬ冷静な解釈(第4楽章)。
 音がなにより美しく磨きぬかれ、その妙なる響きには固有の魅力がある。しかもそれは陽だまりのような明燦さのなかにある(特に第3楽章)。本曲に熱きパッションの発露を求める向きには若干モノ足りなさがあるかも知れないが、セルのファンには完成度高き必携盤。


シューベルト:交響曲第8番
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005G8J7/ref=cm_cr_asin_lnk

  LP時代、「運命」+「未完成」はゴールデン・カップルだったが、CDで収録時間が飛躍的に長くなったせいか、「未完成」の出番が随分と減り、むしろ、9番のほうが好まれ多くの指揮者に取り上げられるようになったような気がする。今日8、9番の組み合わせも数多いが本盤はその決定盤の一角を占めると思う。

 セルの演奏は凄い。8番に「未完成」の安易な感傷も、9番に「グレイト」の大見得も一切ない。純音楽的に磨きぬかれ、柔和なニュアンスは細大もらさず、絶妙なる音楽が奏でられる。特に両番の第1楽章を聴きくらべると、その純度が非常に高く、かつまったく均一な響きである(録音時点は、8番:19603月、9番:195711月と開きがある)ことに驚く。セルの完璧なクオリティ・コントロールの証左であろう。
 

Symphonies No. 9 in E Minor Op. 95 from the New Wo
http://www.amazon.co.jp/Symphonies-No-Minor-Op-New/dp/B003VKW18A/ref=cm_cr-mr-title

 あるいは、故国ハンガリーのフォークロアに近いメロディが埋め込まれているからかも知れないが、ドヴォルザークの後期交響曲(7~9番)のセルの演奏は、他の作曲家の作品にくらべて、めずらしくも叙情的な表出をときに感じる。
 9番も集中力にあふれた秀でた演奏だが、8番は出色で各楽章ごとの表現ぶりにメリハリをつけ、特に第4楽章では、冒頭のトランペットのファンファーレから見事なフィナーレまで、光沢ある磨かれた音の美しさ、抑制されつつも精妙な表現力には一瞬の弛みもない。8番は小生にとっていまだに本曲のベスト盤。録音も1950年代とは思えぬ鮮度。

<収録情報(録音時期)>
ドヴォルザーク:
・交響曲第8番ト長調op.8819581021日―11月1日)
・交響曲第9番ホ短調op.95『新世界より』(1959332021日)

 
Wagner: Faust Overture / Strauss: Don Quixote, 4 Last Songs
http://www.amazon.co.jp/Wagner-Faust-Overture-Strauss-Quixote/dp/B00005KAI9/ref=cm_cr-mr-title

 セルがコンセルトヘボウを振った録音集 Decca & Philips Recordings 1951-1969 には入っていない以下の各曲を所収。セルとしては19641966年という後期の録音。残念ながら録音は平板で良くないが、ライヴの演目そのものは楽しめる。
  セルは、ワーグナーをあまり取り上げていないが、「ファウスト」序曲は、師トスカニーニ譲りで気にいっていたようだ。
  聴きものは「ドン・キホーテ」で、クリーヴランド盤 R.シュトラウス:交響詩集(「ドン・キホーテ」ほか 同様、名手フルニエが登壇しているが、これに呼応し(セルには珍しく?)自由度を生かしてコンセルトヘボウの楽器パートの巧さが光る快演。
 シュワルツコップとの「4つの最後の歌」も別の決定盤があるので一種の「裏番」だが、ライヴならではの気のおけない柔らかな雰囲気はたたえている。

 <収録情報(録音時点)>
・ワーグナー:「ファウスト」序曲(19661127日ライヴ)
R.シュトラウス:「ドン・キホーテ」(1964619日ライヴ)
 (チェロ)ピエール・フルニエ
・マーラー:「4つの最後の歌、ヴェーゼンドンク歌曲集」(同上)
 (ソプラノ)エリザベート・シュワルツコップ


Decca & Philips Recordings 1951-1969
http://www.amazon.co.jp/Philips-Recordings-1951-1969-Symphony-Orchestra/dp/B0009A41XS/ref=cm_cr_dp_asin_lnk

 196070年代、アメリカのオケの鎬を削る競争ぶりは大変なもので、バーンスタイン/ニューヨーク・フィル、オーマンデイ/フィラデルフィア管弦楽団に、シカゴとボストンの有力交響楽団、そしてセル/クリーヴランド管弦楽団の5大オケ競演の時代で、それに若きメータ率いるロスアンジェルス交響楽団などが急追するという構図にあった。
 そのなかで象徴的な出来事があった。1962年ニューヨークのリンカーン・センターのこけら落としでボストン(ラインスドルフ)、フィラデルフィア(オーマンディ)、ニューヨーク(バーンスタイン)そしてクリーヴランドの各オケが競演した際、ニューヨークのうるさがたの批評家達はクリーヴランドを最も高く評価したのである。当時、セルは65歳になっていた。セルの面目躍如であった。

 セルはザルツブルク音楽祭にもよく招聘されたが、ほぼ同時期の欧州における録音が本集である。いずれもセルが最も得意とする演目が選ばれており、かつコンセルトヘボウとは相性の良さには定評がある。クリーヴランドとの演奏が気に入った向きには、第二チョイスとしての聴き比べも楽しいだろう。

<収録情報>
CD1】ベートーヴェン:交響曲第5番『運命』(1966112830日S)※1
   ベートーヴェン:劇音楽『エグモント』作品84全曲(1969121115日S)※2
CD2】メンデルスゾーン:劇音楽『真夏の夜の夢』作品61~第1235曲(19571224日S)※1
    チャイコフスキー:交響曲第4番(196291113日S)※3
CD3】シューベルト:劇音楽『キプロスの女王ロザムンデ』D.797~第1245曲(19571224日S)※1
    シベリウス:交響曲第2番(196411月S)※1
CD4】ヘンデル:『水上の音楽』組曲ーハーティ、セル編ー、同:歌劇『忠実な羊飼い』~メヌエットービーチャム編ー、同:『王宮の花火の音楽』組曲(ハーティ編)、同:歌劇『セルセ』より“ラルゴ”〈オンブラ・マイ・フ〉(19618月S)※3
CD5】モーツァルト:交響曲第34番ハ長調K3381966112830日S)※1
    ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90(195193日M)※1
    ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調作品58(195193日M)※1

※1:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
※2:ピラール・ローレンガー(S)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
※3:ロンドン交響楽団 
Sはステレオ録音、Mはモノラル録音


ライヴ・イン・東京1970
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 いまから約40年前に東京でおこなわれたセル/クリーヴランド管弦楽団によるライヴ録音のCDである。この日、このコンサートを東京文化会館で聴いていた。その時の感動が正確に甦ってくる。セルがこの時に重篤な病気であったことはコンサート会場では知るよしもなかったし、70年大阪万博の記念コンサートが東京でも目白押しで、多くの注目は同時期に来日していたカラヤン/ベルリン・フィルに寄せられていた。セルはもちろん「著名中の著名」な指揮者ではあったが、それでもあまりに多くの巨匠の来日ラッシュのなか正直地味な印象はぬぐえなかった。

 しかしその魂魄の演奏は、はじめての日本でのライヴで、私ならずとも聴衆の驚きは大きかったと思う。当時、セル/クリーヴランド管弦楽団の演奏は「冷たい」とか「クールな精密機械」といった評論家のイメージが強かったが、実際の演奏はそれとはまったく異質の熱気あふれるものであり、オケから紡ぎだされる音楽は暖かく表情豊かな音色とともに、アンサンブルはけっして乱れないといったものだった。前半の「オベロン」序曲、モーツアルトの40番も一気に流れるように展開され素晴らしいものだったが、後半のシベリウスの2番は文字通り白熱の名演だった。当時、シベリウスはいまほど演奏される機会がなく、このプログラムでも透明なクリーヴランド・サウンドに合う曲を選んだのかなと事前に感じたが、のちにセルがこの曲をもっとも得意としていたことを知り十八番での勝負といった演目であったのだろう。
 若き日から彗星のごとく登場したセルの晩年の集大成を本CDを聴き返して追想した。忘れえぬ思い出である。

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