土曜日, 1月 15, 2022

グールド論 その周辺


 









§ 外務省とグールド

意外なことに、外務省(日本)の公式サイトにグールドについての紹介がある。北米地域で、外交的にも欠くべからざる歴史的重要人物という位置づけなのだろうか。プロフィールを簡潔にまとめているので以下、引用したい。

外務省: グレン・グールド (mofa.go.jp)

グレン・グールド
Glenn Gould

 20世紀を代表するカナダの音楽家。特にバッハの演奏においては名高い。

【略歴】

 1932年、オンタリオ州トロントに生まれる。7歳にしてトロント王立音楽院に合格し、10代前半でピアノおよびオルガン奏者としてデビュー。その後、公演で世界各国をまわり、「バッハの再来」と賞賛されるなど世界的なピアニストとしての地位を確立した。1964年のシカゴ・リサイタルを最後にコンサート活動から引退し、以後、没年(1982年)まで、レコーディングやラジオ・テレビなどのメディアを音楽活動の場とした。生涯を通して、バッハに対する思い入れが強く、新しい演奏スタイルや解釈を示しただけでなく、アーティストと聴衆、メディアと新たな関係性を提示し、のちの音楽家に多大な影響を残している。現在でもその人気は根強く、日本でも幅広い層でファンが多い。


§ グールドと著作

グールドについては自らの著作やラジオ、TVなどが通じた多くの発言も残されている。メディアとの関わりを終生、気にしていた彼は、他者からの誤解を怖れ、自らを守る意味でも、しっかりと主張をすることを旨としていた。以下はその著作について、日本での出版元、みすず書房のサイトからの引用。

グレン・グールド著作集 1 | みすず書房 (msz.co.jp)

1932年、トロントに生まれる。ピアニスト。ほかに、執筆、映画・放送メディアによる表現活動も。幼少より音楽的能力と鋭い感受性を示し、3歳で、ピアノ教師だった母親からレッスンをうける。トロント音楽院に学ぶ。1943年から52年まで、多くのすぐれたピアニストを育てたゲレーロに師事。14歳でアソシエイト学位を得る。18歳、初めてCBCネットワークによるラジオ・リサイタル。20歳までにカナダ各地でコンサートを開く。22歳、ニューヨーク・デビュー、翌日、早くもコロムビア・レコードとの専属契約が結ばれる。翌1956年発売されたレコード「“ゴルトベルク”変奏曲」はベストセラーとなり、世界は新たなバッハを得た。その後、カナダ国内はもちろん、アメリカ、ヨーロッパ、ソ連を演奏旅行、カラヤン、ストコフスキーら名だたる指揮者と共演する。名声のなか、1964年、31歳、独自の哲学により舞台演奏から退く。以後は、積極的にテクノロジーを駆使したメディアを創作活動の場とし、レコード、放送によるドキュメンタリー、インタビュー番組、あるいは、レコードのライナー・ノートや雑誌ほかへの寄稿等、多様な作品のかずかずを世に送り続けた。50歳(1982年)、トロントで脳卒中のため急逝。本書のほかに、ロバーツ/ゲルタン編『グレン・グールド書簡集』(宮澤淳一訳、1999年、みすず書房)がある。


§ 著作と音楽 その乖離

グールドを”聴き”、グールドを”読む”と多くの”リスナー&読者”は、困惑する。あまりに両者のイメージに乖離があるからである。ここではふと、モーツアルトが連想される。

グールドはバッハを好み、モーツアルトはあまり好きではなかったようだが、歴史的に知られるモーツアルトの音楽とその人物像(ストイックな音楽と派手な伝記)との乖離は、そのままグールドにもあてはまりそうな気がする。それは、彼の病的な側面からくるものかもしれない。自閉症スペクトラムないしアスペルガーの可能性について、以下を参照。

『発達障害天才説 ピアニスト グレン・グールドの場合』 (kaien-lab.com)

「彼は生前に発達障害と診断されることはなかったが、英文のWikipediaにもあるように自閉症スペクトラムではないかといわれている。米国の公共ラジオNPRでもアスペルガーの可能性について取り上げられている。」

アスペルガー症候群とグレン・グールド | Brasileiro365's Blog

「グールドが抱えていた疾患のうち、心気症(ヒポコンデリー)はよく知られているが、不眠や情緒不安定にも悩まされていた。複数の医師にかかり、他の医師の診察を受けていることを隠して、精神障害や情緒障害の処方薬を同時にもらい、大量に飲んでいた。彼の友人の精神科医のピーター・オストウォルドが1996年に書いた伝記を読むと、グールドの根底にある性向として、アスペルガー症候群が強く示唆されている。アスペルガー症候群が広く認知されるようになったのは、1990年代というから、グールドの生前には知られていなかった障害である。アスペルガー症候群は自閉症の一種で、対人関係が不器用で、他人の気持ちや常識を理解しづらいことから、社会に溶け込むことができずさまざまな問題を引き起こす。だが、一方で人並み外れた能力(高度な集中力や深い知識)を持っていることが特徴である。」


§ グールドと漱石

グールドが漱石の著作、とりわけ『草枕』を熱愛したことはよく知られている。しかし、彼はいわゆる日本通でもなければ、飛行機嫌いで来日したこともない。しかし、漱石への傾倒は並々ならぬものであり、死の床には聖書と『草枕』がおかれていた(聖書は家族がおいたともいわれるが・・・)。

『草枕』は学生時代にかなり真剣に読んだ記憶がある。その根底には深い懐疑主義 skepticism があると思った。グールドの漱石論、『草枕』論の特色を論じられる知見はないが、懐疑主義から孤独のもつ意味を生涯、考えつづけたという一点において、漱石とグールドには相通じるものがあったのかもしれない。

以下は関連サイトからの引用。

グレン・グールドと夏目漱石 | ロンドンつれづれ (ameblo.jp)

「ダミアンによると、「草枕」はグールドの愛読書であっただけでなく、彼の人生の最後の15年間を支配したかもしれないというのだ。彼の書斎には、他のどの作家によるものよりも、漱石による本が多く所蔵され、「草枕」だけでも、異なる訳者による4冊があった、という。彼は亡くなる前に、草枕のラジオ劇のために37ページにもわたるメモを残しており、死の床にあったのは、バイブルとたくさんの書き込みをした「草枕」だけだった、というのである。」


§ グールドとメディア論

グールドについての論議は、あとを絶たない。とくにメディア論との関係は、メディアというが媒体が常に変化し、それが政治的、文化的、経済的な影響をいっそう強めるがゆえに、これからも多彩、多様な論議が展開されることであろう。しかし、そこからグールドの音楽の理解が深まるかどうかは、別次元の話のような気がしてならない。以下は大変、示唆に富む論考である。

§ 宮澤淳一:グレン・グールド論

学位論文要旨詳細 (u-tokyo.ac.jp)

§ 井原慶一郎:グレン・グールド論  音楽とメディア

 鹿児島大学リポジトリ (kagoshima-u.ac.jp)


§ グールドとバッハ

しばし、グールド著作本などは横におき、もろもろのグールド論からも離れて、グールドの残した音楽にのみ寄り添う。そこにはシェーンベルクが、ヒンデミットが、ブラームスが、モーツアルトが、ハイドンが、ベートーベンが、そしてバッハがいる。そして、いま一度、グールドのバッハに虚心に耳を傾けたくなる。

織工Ⅲ: グールドのバッハ (shokkou3.blogspot.com)


0 件のコメント: