水曜日, 2月 02, 2022

亜麻色の髪の乙女 名盤5点  La fille aux cheveux de lin

 

ヘレーネ・シュッツ/「SAITENWECHSEL」ハープ独奏のための作品集 (tower.jp)


ピアノの名曲であるとともに、その親しみやすさから、ヴァイオリン、ギター、ハープ(上記)ほか管弦楽でも演奏されるが、以下は本曲に限らず、ドビュッシーの名手5人。ちなみに亜麻色(あまいろ)とは?:伝統色のいろは (irocore.com) の由(なお、<プロフィール>は掲載CDからの引用)


フランソワ

サンソン・フランソワ/ドビュッシー:ピアノ曲選集 (tower.jp)

サンソン・フランソワ/ショパン・リサイタル・イン・ウジェーヌ・ドラクロワ美術館 '63、プロコフィエフ: ピアノ協奏曲第5番&ショパン: ピアノ協奏曲第1番&第2番 (tower.jp)

<プロフィール>

1924年ドイツのフランクフルト生まれ。70年没。6歳でマスカーニに認められ、イタリアで彼の指揮でデビューをするなど神童として知られていた。コルトーの勧めでパリのエコール・ノルマルに入学、ルフェビュールに師事。その後パリ音楽院でロンとフェヴリエに学ぶ。43年の第1回ロン・ティボー・コンクールで大賞を得、45年から国際的な活動を始める。鋭い詩的直観力を持つ天才肌で、フランスを代表するピアニスト。


ミケランジェリ

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ名演奏集 (tower.jp)

<プロフィール>

1920年イタリア、オルツィヌオーヴィ生まれ。1995年6月12日、スイスのルガーノにて没。4歳から音楽を学び始め、ヴェルディ音楽院ではヴァイオリンも習得。卒業後ソロ活動を始めるが、並行して医学も学んでいる。39年第1回ジュネーヴ国際コンクールで1位を獲得して注目を集め、マルティーニ音楽院の教授に就任。戦後は46年ロンドンでセンセーショナルなデビューを果たした。独特なカリスマ性を備えた完璧主義者で、その演奏は妥協を許さない芸術理念に支えられており、そのために録音嫌いとしても有名であった。また、コンサートのキャンセルの多さでも知られていた。ピアノの調律にもひときわ神経質で、世界中どこのコンサートにも、愛用のスタインウェイのコンサート・グランドと、専属の調律師を同伴した。一方、教育活動には熱心で、各地で教鞭をとっている。1964年、故郷のブレーシア国際ピアノ・コンクールを創始し、自ら芸術監督を務めた。若き日にコルトーをして「新しいリストの誕生」と言わしめたように、ロマン派の演奏に優れた才能を発揮したが、ドビュッシーを初めとする印象派の作品にも豊かな霊感を感じさせた、20世紀を代表するピアニストであった。


モ二ク・アース
モニク・アース/ドイツ・グラモフォン録音全集 (tower.jp)

<プロフィール>

1909年フランスパリ生まれ。87年没。パリ音楽院でラザール・レヴィに師事。近・現代の音楽をレパートリーの中心としていて、ドビュッシーやラヴェルのピアノ音楽全集を録音した。フランス近代音楽のスペシャリストとして日本では評価が高かった。ヨーロッパの主要都市で活発な演奏活動を行なうほか、現代の協奏曲で多くのオーケストラとも共演している。夫君が作曲家のマルセル・ミハイロヴィチということも影響している。


チッコリー二

アルド・チッコリーニの至芸 2 ドビュッシー:前奏曲集第1巻、おもちゃ箱 (tower.jp)

<プロフィール>

1925年生まれ、イタリア・ナポリ出身のピアニスト。9歳で作曲家のチレアに見い出され、ナポリ音楽院に入学。42年にショパンのピアノ協奏曲でデビュー。49年にパリのロン・ティボー国際コンクールで優勝し、パリ・デビューを果たす。69年にフランス籍を取得。71~88年、パリ音楽院の教授を務める。99年12月に在フランス50周年記念リサイタルを開催し、フランス政府より国家功労賞、芸術文化勲章、レジオン・ドヌール勲章叙勲など受賞歴も多い。EMIレーベルにフランス、イタリアものを中心に膨大な録音歴を誇る。2015年2月1日、パリ郊外の自宅にて永眠。享年89。


コルトー

ドビュッシー: 歴史的初期録音集 (tower.jp)

<プロフィール>

1877年、スイスの二ヨン生まれのピアニスト。1962年、ローザンヌにて没。1896年、パリ音楽院卒業後ピアニストとしてデビューするが、1898年に心酔するワーグナー音楽研究のためバイロイトに赴き、ハンス・リヒターの元で合唱指揮者として活躍、名声を得る。1905年、ピアニストとして復帰、ヴァイオリニストのティボー、チェリストのカザルスとトリオを結成し、世紀の三重奏として絶賛を博した。1919年、パリ高等音楽院を設立、教授として後進の育成に携わる一方、華々しく演奏活動を行った。しかし、第2次大戦でナチスに協力したという非難を浴び、戦後は活動を制限され、晩年は寂しいものとなったが、後世のピアニストたちに与えた影響は計り知れない。


👉 織工Ⅲ: 名盤5点 シリーズ (shokkou3.blogspot.com)

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