水曜日, 2月 02, 2022

パガニーニによる超絶技巧練習曲 名盤5点  Études d'exécution transcendante d'après Paganini S.140 R.3a










Women Classics Relax (tower.jp)

女性がリラックスするための曲集(上記)にパガニーニによる超絶技巧練習曲が入っているのは意外な感じもするが、それはフジコ・ヘミング/奇跡のカンパネラ (tower.jp)の絶大な影響があるからかもしれない。以下は、いずれもリストの再来ともいわれた伝説的ピアニストの演奏(なお、<プロフィール>は掲載CDからの引用)。


リヒテル

スヴャトスラフ・リヒテル/Sviatoslav Richter - Solo Recordings (tower.jp)

<プロフィール>

1915年ウクライナのジトミル生まれ。97年没。父はポーランド系ドイツ人でピアニストだった。16歳から父の職場、オデッサ歌劇場のピアニストを務めていた。その後37年にモスクワ音楽院でG・ネイガウスに師事。40年にプロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番を弾いてデビュー、注目を集める。45年全ソ連音楽コンクールに優勝。50年から国際的に活躍するようになる。ロシア、ドイツ系音楽が中心で、ピアノの巨人と呼ばれた。

織工Ⅲ: ギレリスとリヒテル (shokkou3.blogspot.com)


ギレリス

エミール・ギレリス/Emil Gilels Live from the Great Hall of the Moscow Conservatory Vol.3 (10/20/1980) -Beethoven/A.von Henselt/Liszt (tower.jp)

<プロフィール>

1916年ソ連のオデッサ生まれ。85年没。5歳からピアノを始め、13歳で初リサイタルを開く。モスクワ音楽院ではネイガウスに師事し、在学中の38年にイザイ・コンクール(現エリーザベト王妃国際コンクール)で優勝し、国際的な注目を集める。本格的な西側デビューは48年、米国デビューが55年で、ともにセンセーショナルな成功を収めた。壮年期までは“鋼鉄のピアニスト”と呼ばれ、後年は深い内省性を備えてきていた。


織工Ⅲ: ギレリスとリヒテル (shokkou3.blogspot.com)


シフラ

ジョルジュ・シフラ/Liszt: Piano Works<期間限定盤> (tower.jp)

<プロフィール>

1921年11月5日、ブダペスト生まれ。1994年1月15日、パリにて没。1930年にリスト音楽院に入学、エルネスト・フォン・ドホナーニに師事し、天才ピアニストと騒がれた。しかし、第2次大戦に従軍し、夢を砕かれる。戦後も生活難のために祖国を脱出しようとして失敗し、思想犯として投獄される。苦難を乗り越え1954年から演奏活動を再開、ハンガリー最高のフランツ・リスト賞を受賞する。1956年に亡命、フランス国籍を取得。“リストの再来”と称されるように、レパートリーの中心は同郷の作曲家リストやショパンなどロマン派。その緩急の変化に富んだ演奏と素晴らしいテクニックで独特な演奏を披露した。

シフラのショパン、リスト / 圧巻の一夜 (amazon.co.jp)


アラウ

クラウディオ・アラウ/Liszt: The Complete Etudes / Arrau, Magaloff (tower.jp)

<プロフィール>

1903年チリ生まれ。91年没。神童として知られ、8歳でベルリンのシュテルン音楽院に留学。ドイツ音楽の権威、リストの弟子のマルティン・クラウゼに師事。正統的なドイツ音楽の継承者として名声を高めた。特にベートーヴェンの権威として、ソナタ全曲の彼の校訂版が、ペータースから出版されているほどだ。しかし、リストやショパン、ドビュッシーなどそのレパートリーは広い。来日も多く65年から6回に及んでいる。

沈着冷静な「中庸」型 (amazon.co.jp)

織工Ⅲ: アラウの魅力 真の職人芸 Claudio Arrau (shokkou3.blogspot.com)


ホロヴィッツ

ウラディミール・ホロヴィッツ/ホロヴィッツ・プレイズ・リスト RCA&ソニー・クラシカル録音集成 (tower.jp)

<プロフィール>

1903年10月1日、ウクライナ生まれ。20世紀が生んだ最高のヴィルトゥオーゾとして知られる。10歳からアマチュアピアニストの母のレッスンを受け、12年にキエフ音楽院に入学。19年に卒業し、翌20年には初のピアノ・リサイタルを開催。ソ連国内ツアーも行なう。26年にはベルリンで初の国外コンサートを実施。28年に米デビュー。40年には米へ移住。50年代には一時演奏や録音も中断するも60年代に再開され、65年のコンサートは“ヒストリック・リターン”として健在を示した。80年代は健康問題に悩まされたが、86年のモスクワ、ベルリンでのコンサートは絶賛された。89年11月5日に急逝。

織工Ⅲ: ホロヴィッツの毒 (shokkou3.blogspot.com)


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