木曜日, 12月 09, 2021

ベイヌムの特質



 









 ベイヌム (Eduard van Beinum, 1901年9月3日 - 1959年4月13日については、その前任のメンゲルベルク(1871~1951年)との関係なくしては語れない。先代メンゲルベルクは、約半世紀の永きにわたって、コンセルトヘボウに君臨したのみならず、初代ウイレム・ケス(18541934年)の跡目を弱冠24才で継いだあと、実質の「ファウンダー」とでも言うべき功績を残した。彼が鍛えぬき、オランダに名器コンセルトヘボウありと世に知らしめた。

 後任のベイヌムは、この先代の推戴により37才で、故国のコンセルトヘボウの首席指揮者になるのだから、非常に優秀で、かつ世俗的にはオランダでは大成功者であったと言えるだろう。しかし、先代の存在があまりに巨大であったので、彼自身の評価は結果的に地味な感を否めない。

 また、指揮者としては働き盛りの57才で鬼籍にはいり、後任が同じオランダ出身の俊英、話題性のある若きハイティンクであったことから、ベイヌム時代は「中継ぎ」のような印象があり、余計に地味に映ってしまう。さらに、最盛期の録音時期が、モノラル時代の最後に重なっており、その後の怒濤のステレオ時代の「エアポケット」になってしまったことも、その見事な演奏を広く知らしめるには不利であった。

織工Ⅲ: ハイティンク Bernard Haitink (shokkou3.blogspot.com)

 加えて、ブルックナーに関しては、ハイティンクの「後見人」的に、ヨッフムがコンセルトヘボウを指導したが、彼は既にブルックナーの最高権威であり、また、ハイティンクもブルックナーを熱心に取り上げたことから、結果的に、ベイヌムの業績を目立たなくしてしまったように思う。

織工Ⅲ: ヨッフム Eugen Jochum (shokkou3.blogspot.com)

 マーラーと親交があり、それを積極的に取り上げたメンゲルベルクは、ブルックナーについてはあまり関心がなかったようだ。しかし、ベイヌムはそのデビューがブルックナーの第8番のシンフォニーであったことが象徴的だが、ブルックナーを進んで演奏している。そして、その記録はいま聴いても、ヨッフム、ハイティンクとも異なり、けっしてその輝きを失っていない。

織工Ⅲ: ベイヌム ブルックナー (shokkou3.blogspot.com)

次にブラームスについて。ベイヌムには、コンセルトヘボウ管によるブラームス交響曲全集がある。各録音時点は、第1番(1958106,7日)、 第2番(1954517-19日)、 第3番(1956924,25日)、 第4番(195851-3日)で、第1番、第4番はステレオ収録である。

全体の印象は、「力押し」の部分のない自然体の構え。コンセルトヘボウの音色は、そのブラームス像にほの明るさを点じており、実に聴きやすく落ち着きのある心地よき響きである。

たとえば、チェリビダッケのような情念の渦巻きを感じることもなければ、フルトヴェングラー流「渾身の一撃」のリズミックさなど「エッジの立った」アプローチとは明らかに異なる。全体に自由度をもったオーケストラ操舵を感じさせ、ベームの如き厳しい緊張感、統制力はない。感情移入の奥深さこそベイヌムの魅力であり、統制の緩さは、独特のほのぼの感を滲ませ、力押しはなくともコンセルトヘボウの内燃度は高く、各番ともに、ここぞという場でのダイナミズムに不足はない。 

4曲を通しで聴いて、格調あるブラームスの世界に浸れるという意味では、ケンペとともに佳き演奏である。

織工Ⅲ: ベイヌムを聴く 2 (shokkou3.blogspot.com)

ブラームスではほかに交響曲第3番(ロンドン・フィル、録音:1949年)などもある。流れがよく淀みのないベイヌムらしい心地よい音の運びに接し、思わず「ああいいなあ」と独りごと。続いてメンデルスゾーンを2曲聴く(ヴァイオリン協奏曲ニ短調、『真夏の夜の夢』序曲)。これも溌剌として楽しめる。

次に、ベルリオーズ「幻想交響曲」(コンセルトヘボウ、録音:1946年)。これも高名な新盤(1951年)が知られるが、録音の古さはあっても本盤はこれに伍して十分。さて、聴きながら漫ろ感じたこと。 

ドイツ的な潔癖さ、に対してフランス的な緩やかさ。ドイツ的な理性主義、に対してフランス的粋なエスプリ。いかにも紋切り型だが、堅苦しくも徹底した完璧嗜好、に対して柔和ななかにキラリと最良の知性が光る、の違いとでもあえて言ってみようか。 

ベイヌムは生粋のオランダ人。地勢的にも、人種的にも実は双方の良さをあわせもっているのではないか。かつ、いわばクロスの関係(バランス)が絶妙で、ブラームスでは後者のもつ柔軟性がとても新鮮に映り、ベルリオーズでは逆に前者の堅牢な解釈の片鱗もみえる気がする。

もちろん、ベイヌムは意図的にこれをやっているわけではない。ベイヌムの演奏には見え透いた作為がない、そこがこよなき魅力であると思う。

織工Ⅲ: ベイヌムを聴く 1 (shokkou3.blogspot.com)

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