火曜日, 11月 23, 2021

小澤征爾 その若き偉業5 <トロント交響楽団> Seiji Ozawa


 









<トロント楽団との関係>

1965年 トロント響の音楽監督に就任(~69)。

1969年 トロント響と日本公演を行う。

 

【トロント管弦楽団との主要な録音】

・ベルリオーズ:幻想交響曲(1966)

メシアン:トゥーランガリラ交響曲(1967)

・武満 徹:ノヴェンバー・ステップス~鶴田錦史(琵琶),横山勝也(尺八)(1967)、アステリズム~ピアノと管弦楽のための 高橋悠治(ピアノ)、地平線のドーリア、グリーン、弦楽のためのレクィエム(1969

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 小澤征爾 メシアンにみる“存在”の不安と希望を見事に表現 (amazon.co.jp)

弦五部68、木管12、金管13、10種類以上の打楽器に奏者は分担して8、そして鍵盤楽器も多数、作曲家指示で総勢約100名の大規模なオーケストラ編成による曲。さらにメシアン自身が録音に立ち会い、妻とその妹がピアノとオンド・マルトノ(一種の電子ピアノ)を担当するという“管理”型演奏。全10章の演奏時間は77分を要する大曲である。

小澤征爾は27才にして日本初演指揮者(オケはN響だった)、そしてその後、果敢にもトロント響と本録音に挑んだ。多くの前衛的な作品に接してきた現在、曲はさほど聴きにくさは感じないが、リリース当時の受けとめ方はちがっていた。まず、名前からして意味がよくわからない。トロント響も日本の一般リスナーには馴染みがなかった。

メシアンは、喜怒哀楽といったわれわれの日常の感情表現を超越し、実存主義的な“存在”の不安と希望をここで表現せんとしているようだ。ベルクソン的な“笑い”は「不安」と「希望」の有力な『媒介項』である。そうした観点から耳を傾けると何かが見えてくる気がする。明敏な小澤は、直観的にそれを見抜いているかのようなクリアな解釈。作曲家が感謝の意を表したのも頷ける、いまも揺るがぬ歴史的名盤である。

織工Ⅲ 拾遺集 小澤征爾の芸術1~25  目次 (fc2.com)

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