ジャケットは昔の36CD組み物について。いまラヴェル、ショパンを系統的に聴いて、しばし再考している。まずは、10年以上前の拙文の再掲から。
2010年12月25日
サンソン・フランソワ(1924-1970年)の文字通りの集大成である。1970年代、レコードを集中して聴きはじめた頃、フランソワはすでに活動を終えており当初は親近感がなかった。その後、ショパンを聴くようになって、ルビンシュタインとフランソワの演奏には深く心動かされた。当時、ショパンではこの2人が、一方ドイツ系ではバックハウスとケンプがそれぞれ2大巨匠というのが通り相場だった。
神童中の神童であり、19才でロン・ティボー国際音楽祭で優勝するが、これでもあまりに遅すぎるデビューと言われた天才肌のピアニスト。46才での逝去は普通なら「これから円熟期」と惜しまれるところだが、この人に限っては、23才のSP録音から20年にわたってすでに下記の膨大なディスコグラフィを残していたのだから驚愕を禁じえない。抜群のテクニックを軽く超越したような奔放、華麗な演奏スタイルはこの時代でしか聴けない大家の風貌である。ショパンはもとよりラヴェル、ドビュッシー、フォーレなどはいまに語り継がれる歴史的名演。本価格とボリュームなら文句の言いようのないボックスセット。
<収録内容>
CD1〜14:ショパン、CD15〜16:ラヴェル、CD17:ラヴェル、フランク、CD18:フランク、フォーレ、CD19:フォーレ、ドビュッシー、CD20〜22:ドビュッシー他、CD23:フランソワ、ヒンデミット、CD24: J.S.バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、CD25:ベートーヴェン、シューマン、CD26:シューマン、リスト、CD27:メンデルスゾーン、リスト、CD28:リスト、CD29:プロコフィエフ、バルトーク、スクリャービン、CD30:プロコフィエフ、CD31:(SP録音)ショパン、ラヴェル他、CD32:ブザンソン音楽祭(1956年9月)、モントルー音楽祭(1957年9月17日)他、CD33:ブザンソン音楽祭(1958年9月12日)他、CD34:日本来日公演(東京、1956年12月6日、1967年5月8-9日)、CD35〜36:サル・プレイエルリサイタル(1964年1月17、20日)
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以下ではフランソワの主力演目であるショパンについてのメモ。
Chopin: Piano Works
サンソン・フランソワのショパン集10CDである。ほぼ網羅的にショパンのピアノ曲を一人の偉大なピアニストの第1級の名演で聴くことができる。録音は1954~1969年におよぶが、主要作品はスケルツォ集(1955)から前奏曲集(1959)の5年に集中的に行われた。また、ピアノ協奏曲については、第1番:ジョルジュ・ツィピーヌ/パリ音楽院管(1954)、第2番:パウル・クレツキ/フランス国立放送管(1958)の旧録音もあるが、本集ではフレモーの新盤(1965)が収録されている。
以下は主要なピアノ曲集について、録音記録と備忘録的感想まで。
<収録情報>
[バラード集&スケルツォ集]
フランソワの「ショパン全集」づくりの劈頭をかざる曲集である。バラード集(全4曲)は1954年10月27~29日、スケルツォ集(全4曲)は1955年9月14~15, 26~27, 29日に、いずれもパリにて収録された。バラード第4番は思索的、スケルツォ第4番は技巧的な難曲といわれるが、まったくそうしたことを感じさせない抜群のテクニックで圧倒する。
[マズルカ集]
マズルカ集(全51曲)は1956年2月3, 16~17日、3月5~6, 20~22日にかけてパリ(Salle
de la Mutualite)で収録された。フランソワはポロネーズとともに豊かな民族色を感じさせるマズルカをわがものとしており、舞曲のもつ躍動性、民衆からの沸き立つエネルギーをピアノという楽器から十全に引き出しているように感じる。
[前奏曲集&即興曲集]
前奏曲集(全24曲)は1959年2月3~4, 6, 10~11日、即興曲集(全4曲)は1957年11月27日の録音。前奏曲集はフランソワのショパン全集づくりの後期にちかい時点でパリ(Salle Wagram)で収録されたもの。バッハの「平均律」にならって作曲された本曲集では、バッハへの深い理解も求められるが、フランソワは、1954~55年ショパン全集づくりの前に、バッハ(トッカータ、コラール、前奏曲とフーガ)の収録も行っている。しかし、フランソワの演奏は楷書的ではなくファンタジックである。即興曲集はフランソワの得意の演目で縦横に想念が拡散するような演奏。
[ポロネーズ集]
ポロネーズ集(全7曲)は1958年2月26日, 12月2日、パリ(Salle de
la Mutualite)でわずか2日での一気呵成の録音。本集のほかアンダンテ・スピアナートと大ポロネーズ
変ホ長調Op.22(ジョルジュ・ツィピーヌ/パリ音楽院管1957年)、ポロネーズ集(遺作)Op.71(全3曲) などもある。
ポロネーズとマズルカという民族意識の濃い作品におけるフランソワの解釈は高貴にして誇り高きもので、有名な第3番「軍隊」、第6番「英雄」、第7番「幻想」ともに、この時代、ルビンシュタインと双璧の名演。
[練習曲集]
練習曲集Op.10(全12曲) Op.25(全12曲)は、1958年9月5, 19, 23~24, 26日、10月1, 3, 7, 13日および1959年2月9, 12日にわたって、パリ(Salle
de la Mutualite)にてかなり慎重に収録された。3つの新しい練習曲Op.遺作も併録。同じ練習曲集でもOp.10とOp.25では印象が異なり、後者の感情表現はより深化している。フランソワは前者では優れた技巧を強調する一方、後者では第9番「蝶々」、第11番「木枯らし」などで明暗を弾きわけ、特に陰影表現の巧さでは群を抜いている。
[ワルツ集]
ワルツ集(全14曲)は1963年1月14, 15, 29,
30日にパリ(Salle Wagram)にて収録された。フランソワには、1958年12月2~4日、同じくパリ(Salle de la Mutualite)での旧録もある。かなり主意主義的な演奏で、いまどきの楽譜にあくまでも忠実、全音の粒の揃ったスタイルからみると“崩しすぎ”と捉えられかねないが、往時の大家の演奏ではあたりまえであった。但し、フランソワの揺るぎなきテクニックのうえでの感情移入の強度は、ルビンシュタインなどとくらべてもはるかに強く、そこは好悪のわかれるところだろう。
[夜想曲集]
夜想曲集(全19曲)は、1966年10月17, 18, 20日、12月5~8, 18日にパリ(Salle Wagram)にて収録されたが、フランソワのショパン全集づくりの掉尾をなすもの。フランソワはバラード集(1954)からはじめノクターン集まで足かけ12年をかけてショパンに取り組んだことになる。演奏は主意主義的ながら、第2番など、上質な抒情性とともに自信に裏打ちされた表現ぶりは第一人者たる矜持をしめしているように思う。
[協奏曲]
・ピアノ協奏曲 第1番、第2番 ルイ・フレモー/モンテカルロ国立歌劇場管(1965)
第1番は、ジョルジュ・ツィピーヌ/パリ音楽院管(1954)、第2番はパウル・クレツキ/フランス国立放送管(1958)の旧録音もあるが、本集はフレモーのステレオ録音盤(1965)である。
フランソワならでは、とでもいうべき大胆に自由で、詩情あふれる演奏で、両番ともに第2楽章が充実している。オーケストラのバックの弱さがよく指摘されるが、たしかにアルゲリッチ盤、アシュケナージ盤などとの比較ではその点は否めないが、ショパンに関する限り、こうした軽く柔らかな追走もひとつの選択肢とも思う。フランソワの好みを反映しているのかもしれない。
[ピアノソナタ]
・ピアノ・ソナタ第2番、第3番(1964)
心のなかは一人一人ちがっていて、それは不可知であり表現不能と思いがちだが、ショパンの2つの大作を聴いていて思うのは、フランソワは、あたかもショパンの心のなかに入り込み、己が信じるショパン像をここで誠心誠意、描いてみせているのではないかということである。
この演奏に耳をそばだてると、リスナーは自分の心のなかを覗いているような感覚に身をおく。演奏の深さとは、そうした疑似行為への誘いであり、フランソワのショパンへの真剣な向き合いが、リスナー自身に自然に伝搬をするのかもしれない。それはショパンへの没入といった自己陶酔ではなく、天才的な閃きによるショパンへの直観による。“悟達”の境地かと思う。
録音はパリ(Salle Wagram)にて 1964年3月9~11, 20日、5月11, 15日、6月17日の足かけ3ヶ月以上の期間を費やしている。即興曲集(全4曲)などは1日であっという間に収録してしまうフランソワにとって慎重な作業であった。これ以前、10年をかけてショパンの主要作品を系統的に録音してきたフランソワにとって、この2曲の録音は総決算とでもいうべき特別な臨場であったのではないかと推量する。
[その他]
・幻想曲 ヘ短調Op.49,タランテラ 変イ長調Op.43,舟歌 嬰ヘ長調Op.60,ロンド(2つのピアノのための)ハ長調Op.73 withピエール・バルビゼ(Pf)
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