【サイトウ・キネン・オーケストラ】
ベートーヴェン交響曲全集 ・交響曲全集:第7番(1993)、第3番(1998)、第5番(1998)、第6番(1998)、第1番(1999)、第2番(2000)、第4番(2001)、第8番(2001)、第9番(2002) ・序曲集:「エグモント」序曲(1998)、「レオノーレ」序曲第2番 、第3番(1999)、第1番(2001) |
ブラームス交響曲全集 ・交響曲全集:第4番(1989)、第1番(1990)、第2番(1992)、第3番(1992)・ハンガリー舞曲:第5番、第6番(1989)、第1番、第3番、第10番(1990) |
バッハ:マタイ受難曲 ジョン・マーク・エインズリー(T)、トーマス・クヴァストホフ(Bs-Br)、クリスティアーネ・ウルツェ(S)、ナタリー・シュトゥッツマン(A)、東京オペラシンガーズ他(1997年9月) |
バッハ:ミサ曲
ロ短調 バーバラ・ボニー(S)、アンゲリカ・キルヒシュラーガー(MS)、ジョン・マーク・エインズリー(T)、アラステア・ミルズ(Bs)、東京オペラシンガーズ他(2000年8~9月) |
・武満徹: ノヴェンバー・ステップス、尺八と琵琶のためのエクリプス、ヴィオラ協奏曲《ア・ストリング・アラウンド・オータム》with今井信子(va) サイトウ・キネン・オーケストラ(1989&90 DECCA)
・武満徹:弦楽のためのレクイエム(1991)、セレモニアル(1992)、エア(フルートのための)(1994)系図(英語版)、マイ・ウェイ・オブ・ライフ(1995)
・シェーンベルク:
浄夜(1993&94 DECCA)
・R.シュトラウス:カプリッチョ(1993&94 DECCA)
・ブルックナー:交響曲第7番(2003)
・バルトーク:管弦楽のための協奏曲、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽(2004)
・ベルリオーズ:幻想交響曲(2007)
・ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ(2007)
・ストラヴィンスキー:オペラ=オラトリオ《エディプス王》 ジェシー・ノーマン(ソプラノ:ヨカスタ)、ペーター・シュライアー(テノール:エディプス)、ブリン・ターフェル(バス:クレオン)、白石加代子(語り)、他 東京オペラシンガーズ、晋友会合唱団(1992)
・ストラヴィンスキー:ミューズを率いるアポロ(1993&94 DECCA)
ストラヴィンスキー:歌劇《道楽者のなりゆき》 シルヴィア・マクネアー(S)、アンソニー・ロルフ・ジョンソン(T)、ドナルド・アダムス(Bs)、他、東京オペラシンガーズ(2009)
・ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》全曲 こども:イザベル・レナード(メッゾ・ソプラノ)、肘掛椅子、木:ポール・ガイ(バス・バリトン)、母親、中国茶碗、とんぼ:イヴォンヌ・ネフ(メッゾ・ソプラノ)、火、お姫様、うぐいす:アナ・クリスティ(ソプラノ)、雌猫、りす:マリー・ルノルマン(メッゾ・ソプラノ)、大時計、雄猫:エリオット・マドア(バリトン)、小さな老人、雨蛙、ティーポット:ジャン=ポール・フーシェクール(テノール)、安楽椅子、こうもり:藤谷佳奈枝(ソプラノ)、SKF松本合唱団、SKF松本児童合唱団(2013/ライヴ)
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世界に届く、情感の豊かさと肌理こまやかさ (amazon.co.jp)
CD添付の解説書の最後に、全演奏家のリストがのっている。志あるサイトウ・キネン・オーケストラの面々が2002年9月松本に結集し、同月、小澤征爾がウィーン国立歌劇場音楽監督に就任したお祝いをこめたライヴ盤。同メンバーが1993年から足掛け10年、行ってきたベートーヴェン・チクルスの掉尾を飾る演奏でもある。
聴きながら、「実力」を自ら誇りながら録音を残さないN響にたいして、このオーケストラはいつの間にか、「日本」を世界に発信するユニークな楽団になっていることに思いがいたった。最近もN響を聴いたが、経済だけでなく、ここにも日本の「失われた20年」を感じる。
さて、本演奏はけっして表面的な響きの美しさを追求するものではない。アンサンブルの完璧さを求めるアプローチとも異なり、むしろ伸び伸びとした大らかさこそ身上かも知れない。全体の中で第3楽章が特に出色。この情感の豊かさには素直に心が動く。地理的には日本の真ん中の地方都市で、日本人指揮者、多くが日本人の演奏家によるベートーヴェン。でもこの情感の豊かさと肌理こまやかさの魅力は世界にしかと届くだろうなと感じさせる。心で歌い全員が全員の音楽に耳を傾ける、その様子が手に取るようにわかる。終楽章も緊張感はあってもファナティックさとは無縁で、格調の高さこそ求められているように思う。合唱も天晴れである。
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