ブラームスは4曲の交響曲を世に出したが、ピアノ協奏曲2曲はいわば「ピアノ独奏」付交響曲とでもいうべき壮大な構築を誇る。特に第1番は交響曲以上に激しいパッションが第1楽章から示されブラームス作品のなかでも異色の劇的要素に富む。また第2番の終楽章は、それまでのパセティックな重い色調が一変し、明朗な感情が思いがけなくも素直に語られるような意外性がある。それゆえ、両曲演奏には、複雑なパッセージの処理など高度な技術性が要求されることはもちろんだが、それ以上に、ブラームスの心象風景を際立たせ、これぞという納得感のある作品に仕上げることは至難であると思う。
ギレリスもヨッフムも超一流のアーティストだが、ともに派手さを嫌う理性的なタイプ。しかし、この2曲での両者の<競演>は、達意のプロ同士が、己の力を賭した真剣勝負の鍔迫り合いによって、ときに激烈な感情表出を、ときに天国的至福感を見事に描ききったという点において、予測を超えた最高の仕事をなしえたといった感がある。そして両者を繋ぐ最良のパートナーとして、抜群の追走をしたベルリン・フィルがあったことには疑う余地がない。
かつてドイツ駐在中、一時期この演奏を持ち歩いて、毎日聴いていたが飽きるということがなかった。これぞブラームスの本姿ではないかという勝手な連想すらしていた。1972年の録音だが、今日聴きなおして、なおいまでもこの三者の組み合わせを超える音源に出会ったことがない。
ギレリスもヨッフムも超一流のアーティストだが、ともに派手さを嫌う理性的なタイプ。しかし、この2曲での両者の<競演>は、達意のプロ同士が、己の力を賭した真剣勝負の鍔迫り合いによって、ときに激烈な感情表出を、ときに天国的至福感を見事に描ききったという点において、予測を超えた最高の仕事をなしえたといった感がある。そして両者を繋ぐ最良のパートナーとして、抜群の追走をしたベルリン・フィルがあったことには疑う余地がない。
かつてドイツ駐在中、一時期この演奏を持ち歩いて、毎日聴いていたが飽きるということがなかった。これぞブラームスの本姿ではないかという勝手な連想すらしていた。1972年の録音だが、今日聴きなおして、なおいまでもこの三者の組み合わせを超える音源に出会ったことがない。
ギレリスについてはリヒテルとの対比も一興。
https://shokkou3.blogspot.com/2021/12/blog-post_6.html
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